三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

膳城跡に行って来ました(群馬)。

2020-03-13 19:23:49 | 城郭群馬

2020年3月12日(木)に群馬の膳城跡に行って来ました、西桐生駅から上毛電鉄に乗り、膳駅へ、この電車初めてかも・・・2両で後ろ車両に自転車乗車OK。

膳駅脇を右側へすぐ大通りを右側へ、少し歩くと案内が在りました、駅から歩いてお城までいけます、左に曲がり兔川を渡れば昔は城内ですね、橋の向こう側が根古屋で右側が南曲輪・追手門方向、根小屋の上方向(北)が西曲輪でその上が本丸です。

此れが膳城跡の全体図ですね、今は本丸脇から真下に道があり、遺構は本丸・二の丸周辺の曲輪と空堀が残っています、意外にも周辺によく見れば空堀らしき見て取れます、本丸の北側は公園ですが上のお寺さん間でとかなり広いですね。

坂を上るといきなり膳城跡本丸が・・・・・。

膳城跡本丸の入り口です・・・それ程大きくはありませんね、西側から南にかけて兔川が流れ、東側に童子川の間の棚状丘陵地帯に空堀を巡らせたお城です。

本丸の堀底道をまず時計回りに見て回ります、左側は今は通りです。

反対側へ出てきました、右側が本丸、左側が二の丸。

空堀の底から見た本丸・二の丸・正面は北曲輪方面ですね、此れから少し先左側を上ります。

登と空堀があり、左側が二の丸で此処は袋曲輪が有りますね。

此処が袋曲輪ですね、左側は二の丸を囲む空堀です。

袋曲輪と二の丸の合流点です、後が西虎口。

二の丸です。

二の丸から見た本丸と空堀(先程歩きました)と右側が櫓台です。

本丸から見た二の丸がわで右奥が先程登った袋曲輪側です・・・・この一角が奇麗な遺構として保存。

本丸です、右側は通り。

本丸に残る碑、築城は15世紀後半にはすでに有ったとか善氏(後に膳氏)文明12年1480年佐野昌綱により、落城したが由良氏(佐瀬業繁の援軍で帰城、永禄5年1562年上杉方に降る、元亀3年1572年上杉謙信の下野小俣城攻めで北条軍と戦うが善宗次は討ち死、その後北条軍により落城、膳氏は没落、その後上杉・北条と城主は変わる、天正8年1580年御館の乱で武田勝頼は上杉景勝を支持、上杉景虎の厩橋・大胡・山上・伊勢崎の各城を攻略、膳城近くに来た武田軍(この時武田軍は甲冑を来ていなかった)を膳城から攻撃、逆に打ち取られた”膳城素肌攻め”は有名なお話とか・・・廃城となったとの事。
この時すでに武田軍は衰退のはずですが・・・まだまだ強いのですね・・2年後天正10年武田家滅亡ですからね・・・信長も(本能寺の変)・・・その後8年北条も。

後ろは公園でした、三の丸・北曲輪辺りでしょうかネ?、お城が有りました。

三の丸・北曲輪?の公園端から見た赤城山ですね・・・これから山上城跡へ道が解るか不安ですが。

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