2024年6月27日(木)に秋田の横手城に行って来ました。
JR横手駅から歩いて横手城へ・・・・今日も暑い・・・・秋田でも暑い・・・・横手川の学校橋から見上げた横手城。
横手城です・・・・アップ。
横手川沿いを横手川が90度曲がっている・・・・右側が横手城大手門七曲り・・・・横手川沿いは紫陽花回廊、前に見えるのは観音寺鐘撞堂。
横手城大手道の七曲り・・・・比高38mで城内。
七曲りを上がると、切岸らしき土塁が立ち塞がりますね・・・・・横手城は奥羽山脈が横手盆地に舌状に張り出した先端部に築城。
切岸を回り込むように・・・。
横手城大手門・・・・城内ですね。
今、左側下のグニャグニャ七曲りを上がりました、上がった所が武者溜まりの曲輪、左上が二の丸、右側中央が本丸、弘治ー永禄年間(1550-1560)最初に拠点としたのは戦国大名の小野寺氏、現在の遺構は慶長7年(1602)佐竹氏が秋田に入って整備・・・佐竹氏は久保田城と同様天守は築かず。
大手門から見た武者溜まり・二の丸の天守(模擬天守展望台)。
武者溜まりから見た横手盆地・・・川は横手川。
武者溜まりから二の丸へ・・・・・横手城。
横手城。
二の丸から横手城を見て回りますね。
付櫓がある天守。
回り込みます。
よりアップ。
二の丸にある戊辰戦争の慰霊碑。
二の丸。
此れも二の丸にある小野寺氏への説明。
横手城天守から見た二の丸風景。
同じく横手の街並み。
武者溜まりから見た本丸側、右手木の向こう側が大手道がわ。
本丸への虎口、横矢掛かり回り込みますね。
横手城本丸・・・草が刈ってありませんね、左側の碑は横手の伝説の人・・瀬尾兼忠の碑、右奥側が秋田神社。
横手城本丸と秋田神社。
秋田神社…戊辰戦争の戦没者供養の為明治12年建立、当初の祭神は佐竹義宣・義堯(よしたか)。社殿には佐竹氏の家紋五本骨扇に月丸、神社には本丸表門の材木が使用されており銃痕あとと言われている、戊辰戦争は庄内・仙台・山形の藩兵攻撃を受け横手城は炎上21名の方々が戦死(官軍なのですね)・・・・此処でも主力戦士は転戦していたため防御の人が少なかったのですね。
本丸から見える横手城天守。