千利休は、秀吉の怒りを買って切腹しましたね。
古田織部は、大坂夏の陣で陰謀を疑われて切腹しました。72歳のときです。
茶の湯の師匠が2代にわたって切腹で果てたというのも何かの因縁でしょうか。
千利休というと「侘び」「寂(さび)」で有名ですが、
戦国を槍一筋で生き抜いた古田織部は、中世的な利休の茶に反して、
すべて自己の好みの作意を強く打ち出しました。
例えば、宗湛日記にあるそうですが、
「ウス茶ノトキ、セト茶碗・・・ヘウケモノ也」
ひょうげたもの、つまりひん曲がった茶碗を敢えて使ったのですね。
そんな古田織部がリードした?美濃陶のすべてが「織部好み」ですから、
志野、黄瀬戸、瀬戸黒(注)そして狭義の織部もすべて、
「織部陶」ということができます。
(注)黄瀬戸、瀬戸黒と「瀬戸}という言葉が使われていますが、
これは名前を付けた後の人が瀬戸で作られたものと、思ったからでした。
昭和の初めころ、すべて美濃で作られたものとわかったのです。