1960年代の半ば、日本証券新聞に連載された兜町盛衰記をみると、
明治16年に東京株式取引所ができた頃の兜町は、
第一銀行、山一証券から、富士銀行支店の角を折れて、日興証券、東証取引所、それに日証館というように、
紅葉川によって区画された狭い一角で…
どの辺か分かります?
それに、兜町が株式街の総称、というのは、
今でも生きているのでしょうか?
明治16年に東京株式取引所ができた頃の兜町は、
第一銀行、山一証券から、富士銀行支店の角を折れて、日興証券、東証取引所、それに日証館というように、
紅葉川によって区画された狭い一角で…
どの辺か分かります?
それに、兜町が株式街の総称、というのは、
今でも生きているのでしょうか?