浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

「ゲッベルスと私」と僕。

2018-07-05 14:20:04 | DVD、映画
第二次世界大戦の時のナチスに関する本を読んだり、映画を観たりして、僕が心から恐れるのは、ゲッベルスです。

ナチスのナンバー2で宣伝省の大臣。プロパガンダの天才と呼ばれた男。

僕が彼を恐れるのは「もしかしたら自分は、彼のような人間かもしれない」と思うから。

僕自身、宣伝とか販売とかマーケティングとか好きだし、実際それを仕事にしている。経験があるから、ということもあるけどそういう仕事は僕の気質に向いてると思う。

もし僕がカリスマ的な上司から信頼され、予算をたっぷり与えられ、その上司のために尽くせ、と言われたら。更にその仕事は数万、数億の人に影響を与えるとしたら。

僕は、僕ならやってしまうかも知れないな、と思う。それが多くの命を奪うとしても。まさに、悪魔の誘惑。

だから、僕は僕自身を映すひとつの「鏡」としてゲッベルスを恐れている。どんなに小さくとも、ゲッベルスにならないよう、日々怯え、注意深く上司や会社や社会を見ている。それでも、気づかぬうちに、自分は「ゲッベルス的なこと」に加担しているのではないか、自分はゲッベルスになっているんではないか、と恐れている。

第二次世界大戦当時、ゲッベルスの秘書だった女性のインタビューを軸としたドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」を観てきました。

「ゲッベルスと私」予告編


あまり気の進む映画じゃない。チケット売場には「この映画には衝撃的なシーンがあります」と張り紙がしてある。更に気が進まない。

だけど。

楽しく痛快なアクションや素敵なラブロマンスが「映画」であるように、このような「みたくない現実をみせる」というのも「映画」だと思う。


映画の中で、僕が一番衝撃を受けたのは、途中で挟み込まれた記録映像。

ユダヤ人の迫害が始まり街にはユダヤ人の死体があふれる。ドイツ人は台車に乗せ、空き地に運び、掘った穴に埋める。墓地ではない、10人くらいは入りそうな単なる穴。穴の上の人間が、穴に立てかけた板に死体を乗せ、滑らせる。穴の中にいる人間はそれを受け取り、穴底に死体を並べる。

この映像だけでぐったりしてくるし、書いてると更にぐったりしてくる。

だけど、僕が、はっきりいって「絶望」といってもいい感情を持ったのはそのあとだった。

穴の上にいるのも穴の中にいるのも、軍人じゃない。ハットとコートのふつうのドイツ人男性。ひどいことを無理やりやらされてるようにはみえない。「ま、仕事だからね、そりゃ大変だけどさ、、」とか思ってるようにみえる。みな、気の良いおっさんにみえる。やってることがこんなことで無ければ、僕が彼らを見かけたら、たぶん、「ああ、大変ですねぇ、ご苦労様です」くらい声をかけたかもしれないな、と思う。

死体はどんどん板を通じて穴に投げ込まれる。

そして、穴の上から死体を投げ込む人、穴の中でそれを受ける人、見ていると双方が明らかに、



手際がよくなっている。

僕は全身の力が抜けた。

ああ、そうか。

人は、慣れる。

どんなことにも。人が殺されその死体が道端にあふれるような状況にも。数ヶ月前まで隣人だったかも知れない人の死体を、物のように穴に投げ込む仕事にも。

そして、どんな仕事も、慣れれば効率が上がる。

僕自身、人一倍、「仕事の効率化」が大好きだ。

もし僕が、この穴の中にいたら、「そのまま滑らすより、ちょっとこっちに力入れると受けやすいよー」と上にいる人に声かけたり、「落ちてくるとき、こっちにいた方が受けやすいな」とか、やるかも知れない。いや、やる。

「どうやったらその仕事をもっとうまく効率的にやれるか」を考えれば考えるほど、「そもそも、これは善なのか、悪なのか」についての思考が停止する。

それが僕はとても恐ろしい。

僕が毎日やってることは、誰かを穴に埋めることになってやしないか、と常に考えなければいけないと思う。


この映画のコピーは、ポスターにある通り、「なにも知らなかった 私に罪はない。」です。


これだけ聞いたら、人によっては嫌悪感を持つかも知れない。「あなたに罪はないのか?」と。でも、あくまでポスターのキャッチコピーであることは、映画をみればわかる。なぜなら映画の中で彼女はこの台詞を言ったあとに、続きを語るから。

ぜひこの映画をみて、この台詞の続きを彼女の口から、聞いてほしい。

何も知らなかった彼女が、自分は罪はないと感じる彼女が、では何を、罪だと思っているのか。


いや、思っているのかではなく、「思っていたのか」と言うべきだった。

この映画の主人公であるブルンヒルデ・ポムゼルさん、映画撮影当時103才だった彼女は、106才で既に亡くなっている。

「ブルンヒルデ」という名前は恐らく北欧神話のワルキューレから取られているのだろう。奇しくもヒトラーが愛した曲は、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」という曲だった。

北欧神話では、ワルキューレは死者の魂を神々の宮殿であるヴァルハラに迎え入れる役だと言われている。

ブルンヒルデ・ポムゼルさん、そしてその他の多くの人の魂は、どこに迎え入れられたのだろうか。
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