浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

このち

2011-03-14 23:51:51 | 日記
釜石の親類とまだ連絡が取れないので盛岡に住む叔父(父の兄)と従兄弟(父の姉の長男)が車で向かう、と言う連絡が母から今日の朝来た。

その結果を今日の夜半に聞いた。

釜石の親類は叔父が亡くなり、叔母と従姉妹とハトコ(従姉妹の長男)は無事、とのこと。

そうか。。。

もちろん叔母たちには連絡がつかないので、現地まで行ってくれた叔父に連絡をした。

義兄を亡くしたというのに「そっちは大丈夫か?」と言うのが叔父の第一声だった。こっちはまったく問題ないんだけど。叔父の声は落ち着いていた。状況を話してくれた後、最後に「ごめんな、何も出来なくて」と言った。

そこで僕の涙腺が崩壊した。

何も出来なくなんてないよ!3日間、釜石と連絡が取れなくて、もちろん叔父さんが亡くなったのは悲しいけどそれでも最悪の事態として全員亡くなってるんじゃないかと思ってたから、情報を知れただけでもありがたいよ!と僕は号泣しながら言った。



その後、従兄弟に連絡した。

従兄弟もまた第一声は「そっちは大丈夫か?」だった。

ああ、これがうちの「血」なんだなぁと改めて思った。

自分はどうあれ相手のことを心配する、この「血」が僕に流れているんだな、と思った。

従兄弟からはもう少し詳しい話を聞いた。

釜石の親類は時計店をやってるんだけど、地震の後、叔父は店の戸締りをしていたらしい。叔母や従姉妹が「早く」と言っているのに。それで逃げ遅れたらしい。

なんで、、、と今なら思う。でも身一つで小さな修理屋から始まり3階建てのビルを建て30年かけた時計店。守りたかったんだろう。

叔母は叔父のために逃げ遅れそうになり、腰まで津波の泥水に浸かり、ハトコ(高校2年)が引っ張り出したらしい。

ハトコは高校2年なのに避難後もちゃんと「男の子」をしているらしい、と従兄弟は言った。

そして従兄弟が僕に言った。

「小さい頃からお前が鍛えたからだ」

そこでまた僕の涙腺が号泣した。

俺だったらそんなこと出来ないよ!と号泣しながら携帯に向かって言った。




まず、人のことを心配すること、困った人がいたら助けること、それが僕の家の血なんだろう。

この血が僕に流れていることを誇らしく思う。



まだ、安否の確認が取れない人がたくさんいる。それらの人がすべて無事であることを心から願います。

そして、無事である我々はしっかり食べてしっかり寝て、しっかり働く、それが我々が出来ることだと思います。




不幸にも今回の地震で命を失ったすべての人の魂が安らかであることを願って。
コメント (3)
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