(以下、敬称略)
文筆家・平川克美がオーナーの喫茶店「隣町珈琲」の話は少しした。基本的には喫茶店で夜は不定期に「火鉢バー」というバーになり、更に不定期にトークイベントが開かれている。
そのトークイベントの中で僕が一番と言っても良いくらい好きなのが、平川克美と精神科医・名越康文の「愛と悲しみの喫茶店学」というシリーズです。これは喫茶店を愛する二人が喫茶店について語る、、というお題目は80%くらいウソで平川克美の縦横無尽な思いつきを「なんでも拾う」名越康文がほんとになんでも拾って拾った上に広げて更に観客に放り投げるという抱腹絶倒の二人芸(と言っても失礼ではないと思う)です。
このトークライブの面白いところは実は「枕」というか、録音の始まる前、なんです。お二方は前に居て、開始時間の始まる前も話している。で、実はこの録音始まる前のトークが実はその日のテーマであり、約2時間のトークは結果として、開始前のトークにつながる。アドリブといえばアドリブなんだけど結局、しっかり落ちる、という素晴らしい話術だと思う。
先日(5月28日)の回に、開始前にお二人が話していたのは「頭の良さ」について、だった。
例えば先日、解任された財務省の事務次官なんかはめちゃくちゃ頭が良いと言われていたらしい。その頭のよい人がああいうことで事件になる。じゃあ頭の良さとは何なのか、という話をしていた。もちろん結論のある話じゃない、そもそも開演前の無駄話なわけだし。
それでも、なるほどな、と思うことが2つあった。
一つは、頭の良さとは「メタロジックで考えられること」ということ。メタというのは「高次元」という意味で、例えば「AとBどちらが良い?」という問題があった時に「そもそもAとBどちらかを選ばなければいけないのか?」と考えるようなこと(簡単にいうと)。確かにね、それは理解できる。
もう一つは、平川克美が「自分が感じる、頭の良い人というのはある種の"深さ"を持っている。その深さはどこから来るかというと"あきらめたものの多さ"ではないか」ということを言っていた。うむ、これは理屈ではうまく説明できないけど、実感として「おお!」と思うところがある。
ということで、僕も「頭の良さ」について考えた。
もちろんいろんな考えがあるだろうけど、僕が思う「頭の良さ」は「きちんと返答できること」だと思っている。
なにか質問を受けた時にきちんと答えられること。質問者が「ああ、この人はちゃんと私の質問に答えてくれた」と思うこと、思わせること。これが重要なんじゃないかな、と思う。
逆にいうと、現代を生きていると、「質問に答えない人」って本当にたくさんいるのよ!
それは、都合が悪いことには答えない、という意図的に答えない人もいるし、大変残念だけど読解力なんかがあまり高くなくて「自分が何を聞かれているかわからない」から答えないという人もいるけど、そのどちらも合わせてね。
テレビなんか観てると結構いるでしょ?特に国会周りなんてそういう人ばっかりじゃないですか。ほら、最近言われてる「ご飯論法」というやつ。
Q「朝ご飯は食べましたか?」
A「いえ、食べてません(パンは食べたけどご飯は食べてない)」
Q「常識的に考えればパンも朝食ですよね?」
A「いや、そうかも知れませんが急いでいたのでパンを飲んだのです。だから食べてないと答えました」
みたいなやつ。これこそまさに「質問にちゃんと答えてない」というやつですね。
もちろんああいう人たちは良い学校出て難しい試験を通ったはずなので、地頭は悪くないのかも知れない。同じペーパーテストを受けたら僕なんて足元にも及ばないだろう。だけど、その地頭を「なんとかして質問に答えない」ということに使っている、という時点で「なんて頭悪いんだろう??」と思ってしまう。
一方で、「質問にきちんと答えることができる頭の良さ」というのは僕は、けっこうラジオの人生相談なんかで「そうそう、これだよ」と思うときがある。
例えばTBSラジオに「生活は踊る」という番組があって、その相談コーナーがあるんだけど、聞いてみるとメインパーソナリティのジェーン・スーという人が的確に答えていて「頭良いよなぁ」と思うときがある。
それから隣町珈琲界隈の人だと例えば内田樹はGQという雑誌でお悩み相談コーナーを持ってたりするけど(こちら→「内田樹の凱風時事問答館])これなんか読んでると「ちゃんと質問に答えてるなぁ」と思う。
こういうのが頭の良さだよなぁ、と僕は思います。なので僕もちゃんと質問には答えていこうと思っています。
というかそもそも論としてさ、ちゃんと質問に答えてくれない(答えられない、じゃなくて答えてくれない)って人はそんなに信じちゃいけませんね。
文筆家・平川克美がオーナーの喫茶店「隣町珈琲」の話は少しした。基本的には喫茶店で夜は不定期に「火鉢バー」というバーになり、更に不定期にトークイベントが開かれている。
そのトークイベントの中で僕が一番と言っても良いくらい好きなのが、平川克美と精神科医・名越康文の「愛と悲しみの喫茶店学」というシリーズです。これは喫茶店を愛する二人が喫茶店について語る、、というお題目は80%くらいウソで平川克美の縦横無尽な思いつきを「なんでも拾う」名越康文がほんとになんでも拾って拾った上に広げて更に観客に放り投げるという抱腹絶倒の二人芸(と言っても失礼ではないと思う)です。
このトークライブの面白いところは実は「枕」というか、録音の始まる前、なんです。お二方は前に居て、開始時間の始まる前も話している。で、実はこの録音始まる前のトークが実はその日のテーマであり、約2時間のトークは結果として、開始前のトークにつながる。アドリブといえばアドリブなんだけど結局、しっかり落ちる、という素晴らしい話術だと思う。
先日(5月28日)の回に、開始前にお二人が話していたのは「頭の良さ」について、だった。
例えば先日、解任された財務省の事務次官なんかはめちゃくちゃ頭が良いと言われていたらしい。その頭のよい人がああいうことで事件になる。じゃあ頭の良さとは何なのか、という話をしていた。もちろん結論のある話じゃない、そもそも開演前の無駄話なわけだし。
それでも、なるほどな、と思うことが2つあった。
一つは、頭の良さとは「メタロジックで考えられること」ということ。メタというのは「高次元」という意味で、例えば「AとBどちらが良い?」という問題があった時に「そもそもAとBどちらかを選ばなければいけないのか?」と考えるようなこと(簡単にいうと)。確かにね、それは理解できる。
もう一つは、平川克美が「自分が感じる、頭の良い人というのはある種の"深さ"を持っている。その深さはどこから来るかというと"あきらめたものの多さ"ではないか」ということを言っていた。うむ、これは理屈ではうまく説明できないけど、実感として「おお!」と思うところがある。
ということで、僕も「頭の良さ」について考えた。
もちろんいろんな考えがあるだろうけど、僕が思う「頭の良さ」は「きちんと返答できること」だと思っている。
なにか質問を受けた時にきちんと答えられること。質問者が「ああ、この人はちゃんと私の質問に答えてくれた」と思うこと、思わせること。これが重要なんじゃないかな、と思う。
逆にいうと、現代を生きていると、「質問に答えない人」って本当にたくさんいるのよ!
それは、都合が悪いことには答えない、という意図的に答えない人もいるし、大変残念だけど読解力なんかがあまり高くなくて「自分が何を聞かれているかわからない」から答えないという人もいるけど、そのどちらも合わせてね。
テレビなんか観てると結構いるでしょ?特に国会周りなんてそういう人ばっかりじゃないですか。ほら、最近言われてる「ご飯論法」というやつ。
Q「朝ご飯は食べましたか?」
A「いえ、食べてません(パンは食べたけどご飯は食べてない)」
Q「常識的に考えればパンも朝食ですよね?」
A「いや、そうかも知れませんが急いでいたのでパンを飲んだのです。だから食べてないと答えました」
みたいなやつ。これこそまさに「質問にちゃんと答えてない」というやつですね。
もちろんああいう人たちは良い学校出て難しい試験を通ったはずなので、地頭は悪くないのかも知れない。同じペーパーテストを受けたら僕なんて足元にも及ばないだろう。だけど、その地頭を「なんとかして質問に答えない」ということに使っている、という時点で「なんて頭悪いんだろう??」と思ってしまう。
一方で、「質問にきちんと答えることができる頭の良さ」というのは僕は、けっこうラジオの人生相談なんかで「そうそう、これだよ」と思うときがある。
例えばTBSラジオに「生活は踊る」という番組があって、その相談コーナーがあるんだけど、聞いてみるとメインパーソナリティのジェーン・スーという人が的確に答えていて「頭良いよなぁ」と思うときがある。
それから隣町珈琲界隈の人だと例えば内田樹はGQという雑誌でお悩み相談コーナーを持ってたりするけど(こちら→「内田樹の凱風時事問答館])これなんか読んでると「ちゃんと質問に答えてるなぁ」と思う。
こういうのが頭の良さだよなぁ、と僕は思います。なので僕もちゃんと質問には答えていこうと思っています。
というかそもそも論としてさ、ちゃんと質問に答えてくれない(答えられない、じゃなくて答えてくれない)って人はそんなに信じちゃいけませんね。
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