浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

「彼ら」の話ではない

2018-03-28 18:20:29 | 
「実験」というのは、僕みたいな「科学の門外漢」にとっても楽しいものです。例えば小学校や中学校でちょっとした実験をやるのは確かった覚えがある。

でも、何においてもとりあえず実験をすれば良い、というものではない。例えば仮に、言語学において「人は言語を知らないとどのような人格になるのか」という疑問があった場合、すごい簡単な話は、子ども一人を実験台にして、完全に隔離された場所で過ごさせる、10年くらい。10年後、彼(あるいは彼女)はどのような人間になるのか、を見れば良い、、いや、もちろん良くない。彼(あるいは彼女)の人権はどうなるんだ?という最大の問題がある。

つまり、実験というのはとても大切なことだし、百の理論より一の実験ということは言えるけども、そんなになんでもかんでも実験すれば良いというわけではない、ということ。

しかし、仮に、その「実験」が全く問題無く、法的にも許されるものだったら? つまり、まだそれに対応する「法」が出来ておらずやりたい実験をすべて出来る状況だったら? 確かに実験後、問題は起きるかも知れない、でも起きないかも知れない、分からない。しかし実験によって今までの疑問が晴れる、理論が正しいか誤っているかは確実に分かる、としたら? もしその理論が正しいければ全人類を救うかも知れない。

その実験をあなたはやりますか、やりませんか?

これが、この本に書かれている「闇」の一つ。


闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか


今では禁忌になっていたり犯罪になっていたり、あるいは歴史の汚点になっている様々な科学実験や研究、またそれらに携わった研究者のルポルタージュ。大変に面白かった。

例えば、とある16世紀の科学者は墓を掘り起こして死体を解剖することで人体の仕組みを解き明かした。当時、その実験は違法ではなかった。その科学者に後輩科学者がある悩みを打ち明けた。悩める後輩にその科学者は言った。

"Why think? Why not to try?"
(なぜ考える? なぜ試してみない?)

背中を押された後輩科学者はずっと考えていた実験を行ってみる。実験台は、彼の息子。。

この科学者が誰で結果がどうなったかは本書を読んでいただくとして。

このような科学者がこの本で紹介されている。

彼らが全員、邪悪だったのか? あるいは被験者の気持ちが分からない冷酷な人間だったのか? 僕は違うと思う。むしろ「これは良いことなのだ」と思っていたようにも思える。

この本の最後の章に「スタンフォード監獄実験」が紹介されているのが特徴的だと思う。

スタンフォード監獄実験というのは、数人を囚人役と看守役に分けて、それぞれを演じさせたところ、囚人役はどんどん奴隷的になっていくし看守役はどんどん残虐になっていった、という実験。これを企画した心理学者は決して邪悪な科学者だったわけではない。ただ「人の心理や性格は、生まれつきのものではなく、状況によって決まる」という仮説を実験したかっただけだろう。

つまりこの本に描かれている闇に魅入られた科学者たちは、「状況」に応じただけだろう。

ということはつまり、彼らだけでなく、我々だって状況によっては「闇に魅入られる」ことだってありうるんだろう。