浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

転機

2010-11-17 03:44:18 | 日記
「半信半疑こそが正しい精神状態だ」っていう話を東京ポッド許可局というネットラジオで聞いた。

どういうことかと言うとたとえばプロレス。「あんなもん全部作り物だ」というのもどうも大人気無い。かと言って「あれは全部本当の真剣勝負なんだ」というのもあまりにも知識が無い。「まぁ作ってる部分もあるだろうけど中には真剣な部分もあるのかもなぁ」くらいの「半信半疑」な状態が健全。

もう少し大きい話にしてしまうとたとえば「神」。「世界のすべては神が作った」って頭っから信じてるのってすごく危険。でもね、「神なんてものはこの世にはいないんだ」ってなるとこれまたどうもうまく行かないと思う。(ほら、日本は「八百万の神」だからたとえば『悪いことするとお天道様が観てるよ』みたいな抑止力あったと思うんだよね)

「白でもあり黒でもあり」っていうグレーのラインで揺れ動いている、という「半信半疑」の状態がいいんじゃないか、と言うこと。

なんでこういうこと書いてるかというとまず「ライフプラン」についての話をしたいんです。

よくね、ビジネス書だとか自己啓発書に「自分の夢や目標をしっかり書いておけば必ず実現します」みたいなことが書かれてるじゃないですか。

僕は今の会社が「ライフプラン(≑人生設計)を書く」ことを推奨している会社なのでまぁそれなりに書いてます。

で、これについても僕は半信半疑で居る。

「書いたものが確実に実現する」という風に盲信しているわけではない。それだったら苦労しないし、まぁそんな甘いもんじゃないですよ。

でも「どうせ実現しないんだから書いたって無駄だよ」とも思ってない。なんのプランも夢も目標も無く生きるってのもつまらないじゃないですか。

ということで僕は半信半疑の状態で「ま、こんな風になったらいいな、実現しなくても仕方ないけど」という感じでライフプランを書いてます。

そんな感じではあるんだけど、やっぱり自分で書いたことってそれなりに実現するもんだよ。

たとえば数年前に会社からのご褒美でハワイに行った時には実は「海外旅行をする」って書いてたんだよね。ちょうどパスポートが切れる年だったんで「最後に行きたいなー」と思ってて。

もちろん書いたけど叶わなかったこともたくさんあるよ。でもそれも見返してみると「あー、これ書いたけど実は本気で実現させようと思ってなかったもんなぁ」と思えることもある。

何というかな、ライフプランって車で例えるとカーナビにはならないけど少なくとも方位磁石にはなるよ。なんとなく「そうだよ、俺いま北に向かおうとしているんだ」と思えるしね。

で、長々書いてきたけど何が言いたいかと言うと、実はライフプランに僕は「35歳を転機にする」と書いてた。書いたの忘れてたけどね。

ふと最近それ見返したら「ああ、そういや書いてたわ~」って改めて気づいた。

確かにこの2010年、35歳の僕にとっては大きな転機になりました。

そんな風に思う誕生日。
コメント (5)
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