今日からまた三連休♪ 明日23日は秋分の日。秋のお彼岸の中日なのでお墓参りにおはぎ。月曜日は振り替え休日で十五夜。お団子とお煮しめや秋の果物等をお月さまにお供え♪ 息子の友達が遊びに来ます。行楽シーズンなのに天気はあまり良くありませんが、ルネ友のみなさまも、充実した秋の日をお過ごしください♡
そして、今から44年前の1974年9月20日は、ルネの2回目の来日最終日でした。そして、ルネは帰国途中、アメリカに寄って、カリフォルニアのディズニーランド、ラスベガスでオズモンズのショーを楽しみました。
ディズニーランドでの様子を取り上げた雑誌は学研の『中学一年コース 1974年10月号』。学習雑誌だったためほとんどファンの目には触れずに終わってしまったように思います。下はその記事です。
変なカッコウでチョット失礼!!
ディズニーランドにやってきたルネくんは、ごきげん。友だちのアンちゃんといっしょに、一日中、はしゃぎまわって、クタクタ!! いつもいそがしいルネくんにとっては、楽しい一日でした。
カナダで公開された写真にも「友だちのアンちゃん」なる女性が写っています(写真右上)。最初、たまたま居合わせたカナダの女の子だと思っていたら、実は1964年にノーベル・レコードからデビューしたケベックの歌手で、1973年にルネ・アンジェリル氏と結婚したAnne Renéeさん(本名Manon Kirouac 1950年8月24日生まれ)と判明。若そうに見えてもルネより11歳年上で当時24歳。
2回目の来日には、アンジェリル氏もAnne Renéeさんもルネに同行していないので、ディズニーランドで合流したのかしら? そういえば、パパはラスベガスでもディズニーランドでも写真に写っていませんでした。ママはどちらもルネと一緒でしたが、パパは日本の夏の暑さでばてていたので、先に帰国したかホテルで待機? もしかすると、ルネがディズニーランドを満喫できるようにAnne Renéeさんが派遣(お目付役として?)されたのかもしれませんね。
※wikipedia”Anne Renée”参照
https://fr.wikipedia.org/wiki/Anne_Ren%C3%A9e
1974年12月、ルネのフランスでの活動を報じたフランスの記事の中でも、『パリのオランピア劇場の舞台の後で楽屋まで会いに来た』と紹介されていました(上の白黒写真)。ルネと同じカナダ人であることを大変自慢していたそうですが、この時、実はルネに同行していたのですね。過去ログで紹介した記事にもしっかり映っていました。その記事を取り上げた時は、『1975年2月にパリで1週間公演し、テレビや映画祭に出た時の写真かもしれません。』と推測したのですが、はずれていました~(爆★)
▲パリのルネ一行
<和訳>
ルネは、ルネの後方に見える彼の姉リンなしでは決して旅行はしません。彼のプロモーター、ギー・クルティエはルネがきちんと仕事をしたかを見るために同様に同行します。しかし、同じくらい実力のある男性歌手と別の仕事をしていたので、その責任をルネ・アンジェリルに任せ、写真に一緒に写っている彼の妻アンヌ・ルネ(向かって一番左)と関係者のクローディーヌ・バシャンを同行させました。(PASSION SIMARDより)
※過去ログ「世界のルネーパリ編②ー」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/448.html
▲Anne Renéeさんのレコード・ジャケット(左 1972年)と、ルネ・アンジェリル氏との結婚を報じた記事(右 1973年7月 氏とは1985年に離婚 氏は後にセリーヌ・ディオンと再婚)
前半は、ルネよりもAnne Renéeさんにスポットを当ててしまったようなので、日本では公開されなかったディズニーランドでの様子をちょっとだけ紹介します
ルネが着ているTシャツは3種類。”I LOVE Gran'ma”のロゴとイラスト入り、赤と白のストライプと黄色の長袖(トレーナー?)。着替えたのか、数日ディズニーランドに通ったのか・・・? そして、ルネとディズニーランドに行ったのは、ママとクルティエ氏とAnne Renéeさんのみ?
夏休み返上で来日した後、ルネがディズニーランドを満喫している様子がうかがえます。初来日では東京や鎌倉、2回目の来日では京都で休日を楽しんでいました。でも、いつでもカメラマンが同行して写真を撮っていたりするんですよね。旅行でスナップ写真を撮るのは当たり前ですが、これらの写真は誰が撮ったのでしょう?
この時はまだ13歳だったルネ。カメラを気にせず、自由に遊びたかったのではないかしら…なんて思ってしまうシマ姉です。
そして、今から44年前の1974年9月20日は、ルネの2回目の来日最終日でした。そして、ルネは帰国途中、アメリカに寄って、カリフォルニアのディズニーランド、ラスベガスでオズモンズのショーを楽しみました。
ディズニーランドでの様子を取り上げた雑誌は学研の『中学一年コース 1974年10月号』。学習雑誌だったためほとんどファンの目には触れずに終わってしまったように思います。下はその記事です。
変なカッコウでチョット失礼!!
ディズニーランドにやってきたルネくんは、ごきげん。友だちのアンちゃんといっしょに、一日中、はしゃぎまわって、クタクタ!! いつもいそがしいルネくんにとっては、楽しい一日でした。
カナダで公開された写真にも「友だちのアンちゃん」なる女性が写っています(写真右上)。最初、たまたま居合わせたカナダの女の子だと思っていたら、実は1964年にノーベル・レコードからデビューしたケベックの歌手で、1973年にルネ・アンジェリル氏と結婚したAnne Renéeさん(本名Manon Kirouac 1950年8月24日生まれ)と判明。若そうに見えてもルネより11歳年上で当時24歳。
2回目の来日には、アンジェリル氏もAnne Renéeさんもルネに同行していないので、ディズニーランドで合流したのかしら? そういえば、パパはラスベガスでもディズニーランドでも写真に写っていませんでした。ママはどちらもルネと一緒でしたが、パパは日本の夏の暑さでばてていたので、先に帰国したかホテルで待機? もしかすると、ルネがディズニーランドを満喫できるようにAnne Renéeさんが派遣(お目付役として?)されたのかもしれませんね。
※wikipedia”Anne Renée”参照
https://fr.wikipedia.org/wiki/Anne_Ren%C3%A9e
1974年12月、ルネのフランスでの活動を報じたフランスの記事の中でも、『パリのオランピア劇場の舞台の後で楽屋まで会いに来た』と紹介されていました(上の白黒写真)。ルネと同じカナダ人であることを大変自慢していたそうですが、この時、実はルネに同行していたのですね。過去ログで紹介した記事にもしっかり映っていました。その記事を取り上げた時は、『1975年2月にパリで1週間公演し、テレビや映画祭に出た時の写真かもしれません。』と推測したのですが、はずれていました~(爆★)
▲パリのルネ一行
<和訳>
ルネは、ルネの後方に見える彼の姉リンなしでは決して旅行はしません。彼のプロモーター、ギー・クルティエはルネがきちんと仕事をしたかを見るために同様に同行します。しかし、同じくらい実力のある男性歌手と別の仕事をしていたので、その責任をルネ・アンジェリルに任せ、写真に一緒に写っている彼の妻アンヌ・ルネ(向かって一番左)と関係者のクローディーヌ・バシャンを同行させました。(PASSION SIMARDより)
※過去ログ「世界のルネーパリ編②ー」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/448.html
▲Anne Renéeさんのレコード・ジャケット(左 1972年)と、ルネ・アンジェリル氏との結婚を報じた記事(右 1973年7月 氏とは1985年に離婚 氏は後にセリーヌ・ディオンと再婚)
前半は、ルネよりもAnne Renéeさんにスポットを当ててしまったようなので、日本では公開されなかったディズニーランドでの様子をちょっとだけ紹介します
ルネが着ているTシャツは3種類。”I LOVE Gran'ma”のロゴとイラスト入り、赤と白のストライプと黄色の長袖(トレーナー?)。着替えたのか、数日ディズニーランドに通ったのか・・・? そして、ルネとディズニーランドに行ったのは、ママとクルティエ氏とAnne Renéeさんのみ?
夏休み返上で来日した後、ルネがディズニーランドを満喫している様子がうかがえます。初来日では東京や鎌倉、2回目の来日では京都で休日を楽しんでいました。でも、いつでもカメラマンが同行して写真を撮っていたりするんですよね。旅行でスナップ写真を撮るのは当たり前ですが、これらの写真は誰が撮ったのでしょう?
この時はまだ13歳だったルネ。カメラを気にせず、自由に遊びたかったのではないかしら…なんて思ってしまうシマ姉です。