去る1月23日、我が家もフレッツ光に変わりました。ところが、仕事に追われていてOCNに連絡をするのを忘れ、回線工事が終わってもインターネット接続の設定ができませんでした。その上、インターネット接続専用にしていたPCは、Cドライブの容量が目一杯になっていて、すでに限界ぎりぎり★ そのため、昨日新しいPCを購入して、めでたくネットに接続することができました。以前から計画的にデータ(ルネの画像ですよ~ 爆)を外付けハードに移したりしていたので、買い替える絶好の機会だったのかもしれません。ちなみに今まで使っていたのはノート・パソコン。今回はデータ容量を考えてデスクトップを購入。お店に行ったら、下調べして選んでおいた機種の最新版が広告の品で出ていて、予想していたよりずっとお安く手に入ってラッキーでした。地デジもブルーレイも観られる優れものなのですが、使いこなせるのか?!
でも、お気に入りやメールのアドレス帳などを作り直すのに時間がかかりそうです★ この記事をお読みのルネ友さん、メール入れてくださーいっ!!
…という訳で、その日アップするはずだった記事が今日になってしまいました★ それにしても、毎日欠かさずチェックしていたブログを確認できずにいた(職場で2度ほどチェックしましたけど…笑)1週間は、何カ月もブログから離れていたように感じました。今日からはまた、週末1記事のペースでアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
さて、今回紹介いたしますのは、前回の続き「中一時代 1974年10月号」のPart2です。
この記事を読んで思うことは、ルネ・シマールのイメージを、「ミドリ色の屋根」の歌詞で描かれている少年とシンクロさせてしまっているということです。
ルネの生い立ちを紹介したこの記事のもととなっているのは、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「普通の子供ーUn Enfant Comme Les Autres(ルネ・オン・メロディ)」です。ルネ・シマールのサクセス・ストーリーとして作られたこの映画では、シマール一家がパパの病気のために、生活保護を受けたりしていたことなどはほとんど語られませんでした。しかし、「中一時代」の記事では、『貧しさの中でも明るさを忘れない』とか、ルネがグランプリを受賞した第3回東京音楽祭世界大会で情感を込めて「ミドリ色の屋根」を歌ったことも、『これまでの苦しかった日々を、まるできのうのことのように思い出して泣いていた』などと、ルネを可哀想な子どものように書いていて、どうしても好きになれません。
当時、少女漫画や小学館の学習雑誌では、薄幸の少女や、貧しくても清く正しく生きようとする母娘等の物語が必ずといっていいほど掲載されていました。私も小学生時代、『白鳥の歌』という漫画を毎月楽しみに読んでいましたが、ルネの生い立ちを、そういった悲しい物語とイメージを重ねることによって、読者の興味・関心をそそり、感動につなげようと考えて書いたのかもしれません。でも、こんな書き方をされたから、ルネのイメージが固定され、以前紹介した「愛の翼をひろげて」の評価のように、明るいイメージはルネの個性に合わないような書かれ方をされる原因になってしまったのだと思います。
ミドリの自然の中で育ったルネ
それでも明るい天使
広い舞台のまん中に立った13歳の少年。肩までたらした長い髪、そばかすだらけの顔、クルクル動く瞳、そのあどけなさがからだじゅうから不思議な魅力となって伝わってくる。
”どうしてそんなに悲しい顔で
毎日お空ばかり
見つめているの……”
ガラスをふるわせるようなすきとおった歌声が、場内に高らかにひびきわたる。
天使の歌声………このルネ=シマールが、赤いスポットライトにくっきりと浮かびあがり、会場をうめた観客が、感激の涙をぬぐう。
第三回東京音楽祭でのこのシーンは、いつまでも私たちの胸にやきついて離れないだろう。
しかし、泣いているのは観客だけではなかった。このルネ少年もまたこれまでの苦しかった日々を、まるできのうのように思い出し、泣いていたのだった。
ルネはカナダのケベック市から川をへだてた島に、七人兄弟の四番目として生まれた。お父さんは、木材労働場のコックをしながら、少ない収入をおぎなうために、教会の聖歌隊のリーダーをつとめていた。
家庭環境は、音楽への芽生えを十分にそなえていたが、生活苦が一家につきまとって離れなかった。
それでも、どんなに苦しくても笑顔を忘れないルネは、七歳のとき聖歌隊にはいり、おとうさんの指導をうけるようになった。
ルネの美しい声はますますみがきがかかり、島じゅうに、”天使の歌声”とたたえられていった。
しかし、そのころ、おとうさんが病気で倒れ、働くことができなくなってしまった。
そのため、ルネ一家は、二階建てのアパートの家賃が払えなくなり、アパートの地下のうすぐらい四へやにひっこし、パンと牛乳だけですごす毎日がはじまった。
そのとき八歳になっていたルネは、ひとつ年上の兄ルジといっしょに働こうと決心した。
少しでもこの苦しい生活の手助けをしようと、放課後、両親にないしょで、近所のバーで歌いはじめたのだ。ルジのギターの伴奏にあわせて歌い、帽子をもってテーブルをまわり、お金を集めた。
それに、ルネ兄弟にはもうひとつけなげな願いがあったのだ。それは苦しい生活をだまって支えてくれるやさしい母親のために、ふるさとに家を建ててあげることだった。
ルネより耳より情報
待望のルネの第2弾『小さな生命』が9月10日に発売される。
讃美歌に似た美しいバラードを、ルネがドラマチックに歌いあげたすばらしい新曲だヨ。ぜひ聞かなくっちゃ。
ルネがこの前来日したとき作った洋服は6着。日本のデザイナーの評判は、カナダでもひじょうにいいので、おこづかい全部はたいて作ったんだそうだ。こんどの来日では何着作るかな?
「中一時代 1974年10月号」はPart2に続きますが、この記事を読んで、みなさまはどう思いましたか?
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
最新情報
♪その1
前回紹介いたしましたネット・オークションの「Rene Simard concert au Japon」がめでたく落札されました♪ また、ずっとオークションに繰り返し出ていたルネのレコードが何枚もあったのですが、ここ1か月の間に同じ方が落札してくださっていて、私はとても嬉しく思っています。
それは、熱烈なルネ・ファンの方がいらっしゃることが分かったから。そして、ルネのグッズに需要があると分かれば、出品する方が増えるということですから! 今後のネット・オークションに期待!!
♪その2
1年以上休止状態だった「Passionルネ・シマールAuJapon」が再開しそうですよ♪ しゃむねこさんのルネ記事に乞御期待♪
♪その3
男性のルネ友さんが2名増えました♪
ルネのファンは女性がほとんど。だからこそ、男性からコメントをいただいたり、コミュのメンバーになっていただけると、ルネ・シマールが可愛いだけのアイドルだったのではなく、真に実力のあるアーティストとして認められていたのだと実感できるのです。こんな時、ブログをやっていてよかったと思うシマ姉です。
でも、お気に入りやメールのアドレス帳などを作り直すのに時間がかかりそうです★ この記事をお読みのルネ友さん、メール入れてくださーいっ!!
…という訳で、その日アップするはずだった記事が今日になってしまいました★ それにしても、毎日欠かさずチェックしていたブログを確認できずにいた(職場で2度ほどチェックしましたけど…笑)1週間は、何カ月もブログから離れていたように感じました。今日からはまた、週末1記事のペースでアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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さて、今回紹介いたしますのは、前回の続き「中一時代 1974年10月号」のPart2です。
この記事を読んで思うことは、ルネ・シマールのイメージを、「ミドリ色の屋根」の歌詞で描かれている少年とシンクロさせてしまっているということです。
ルネの生い立ちを紹介したこの記事のもととなっているのは、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「普通の子供ーUn Enfant Comme Les Autres(ルネ・オン・メロディ)」です。ルネ・シマールのサクセス・ストーリーとして作られたこの映画では、シマール一家がパパの病気のために、生活保護を受けたりしていたことなどはほとんど語られませんでした。しかし、「中一時代」の記事では、『貧しさの中でも明るさを忘れない』とか、ルネがグランプリを受賞した第3回東京音楽祭世界大会で情感を込めて「ミドリ色の屋根」を歌ったことも、『これまでの苦しかった日々を、まるできのうのことのように思い出して泣いていた』などと、ルネを可哀想な子どものように書いていて、どうしても好きになれません。
当時、少女漫画や小学館の学習雑誌では、薄幸の少女や、貧しくても清く正しく生きようとする母娘等の物語が必ずといっていいほど掲載されていました。私も小学生時代、『白鳥の歌』という漫画を毎月楽しみに読んでいましたが、ルネの生い立ちを、そういった悲しい物語とイメージを重ねることによって、読者の興味・関心をそそり、感動につなげようと考えて書いたのかもしれません。でも、こんな書き方をされたから、ルネのイメージが固定され、以前紹介した「愛の翼をひろげて」の評価のように、明るいイメージはルネの個性に合わないような書かれ方をされる原因になってしまったのだと思います。
ミドリの自然の中で育ったルネ
それでも明るい天使
広い舞台のまん中に立った13歳の少年。肩までたらした長い髪、そばかすだらけの顔、クルクル動く瞳、そのあどけなさがからだじゅうから不思議な魅力となって伝わってくる。
”どうしてそんなに悲しい顔で
毎日お空ばかり
見つめているの……”
ガラスをふるわせるようなすきとおった歌声が、場内に高らかにひびきわたる。
天使の歌声………このルネ=シマールが、赤いスポットライトにくっきりと浮かびあがり、会場をうめた観客が、感激の涙をぬぐう。
第三回東京音楽祭でのこのシーンは、いつまでも私たちの胸にやきついて離れないだろう。
しかし、泣いているのは観客だけではなかった。このルネ少年もまたこれまでの苦しかった日々を、まるできのうのように思い出し、泣いていたのだった。
ルネはカナダのケベック市から川をへだてた島に、七人兄弟の四番目として生まれた。お父さんは、木材労働場のコックをしながら、少ない収入をおぎなうために、教会の聖歌隊のリーダーをつとめていた。
家庭環境は、音楽への芽生えを十分にそなえていたが、生活苦が一家につきまとって離れなかった。
それでも、どんなに苦しくても笑顔を忘れないルネは、七歳のとき聖歌隊にはいり、おとうさんの指導をうけるようになった。
ルネの美しい声はますますみがきがかかり、島じゅうに、”天使の歌声”とたたえられていった。
しかし、そのころ、おとうさんが病気で倒れ、働くことができなくなってしまった。
そのため、ルネ一家は、二階建てのアパートの家賃が払えなくなり、アパートの地下のうすぐらい四へやにひっこし、パンと牛乳だけですごす毎日がはじまった。
そのとき八歳になっていたルネは、ひとつ年上の兄ルジといっしょに働こうと決心した。
少しでもこの苦しい生活の手助けをしようと、放課後、両親にないしょで、近所のバーで歌いはじめたのだ。ルジのギターの伴奏にあわせて歌い、帽子をもってテーブルをまわり、お金を集めた。
それに、ルネ兄弟にはもうひとつけなげな願いがあったのだ。それは苦しい生活をだまって支えてくれるやさしい母親のために、ふるさとに家を建ててあげることだった。
ルネより耳より情報
待望のルネの第2弾『小さな生命』が9月10日に発売される。
讃美歌に似た美しいバラードを、ルネがドラマチックに歌いあげたすばらしい新曲だヨ。ぜひ聞かなくっちゃ。
ルネがこの前来日したとき作った洋服は6着。日本のデザイナーの評判は、カナダでもひじょうにいいので、おこづかい全部はたいて作ったんだそうだ。こんどの来日では何着作るかな?
「中一時代 1974年10月号」はPart2に続きますが、この記事を読んで、みなさまはどう思いましたか?
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最新情報
♪その1
前回紹介いたしましたネット・オークションの「Rene Simard concert au Japon」がめでたく落札されました♪ また、ずっとオークションに繰り返し出ていたルネのレコードが何枚もあったのですが、ここ1か月の間に同じ方が落札してくださっていて、私はとても嬉しく思っています。
それは、熱烈なルネ・ファンの方がいらっしゃることが分かったから。そして、ルネのグッズに需要があると分かれば、出品する方が増えるということですから! 今後のネット・オークションに期待!!
♪その2
1年以上休止状態だった「Passionルネ・シマールAuJapon」が再開しそうですよ♪ しゃむねこさんのルネ記事に乞御期待♪
♪その3
男性のルネ友さんが2名増えました♪
ルネのファンは女性がほとんど。だからこそ、男性からコメントをいただいたり、コミュのメンバーになっていただけると、ルネ・シマールが可愛いだけのアイドルだったのではなく、真に実力のあるアーティストとして認められていたのだと実感できるのです。こんな時、ブログをやっていてよかったと思うシマ姉です。