ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

1975年1月7日

2010年01月07日 | 3回目の来日
 今日は冬休みの最終日。今日から3学期という所も多いようですが、みなさんのお住いの地域はいかがですか。

 今から35年前の1975年1月7日、カナダのスーパー・スター、ルネ・シマールが来日しました。3回目となるこの来日は1月7日から20日までの14日間。ルネはカナダと日本に加え、アメリカとフランスでも活動していたので、多忙を極めていた時期でした。

 この頃すでに日本のファン・クラブ「メープル・メイツ」に入会していた私は、来日や新曲の情報を事前に得ていました。ルネの来日に先駆けて、1974年12月21日に発売された新曲『愛の翼をひろげては、地元のレコード店に予約して発売日に購入。年末にTV放映されたファースト・コンサートは、大掃除をほったらかし、母に呆れられながらもしっかり見ました。

 ファースト・コンサートを行った2回目の来日では、1974年8月22日にルネが羽田空港に到着した時、一夜にして日本のアイドルとなったルネ・シマールを一目見ようと、詰めかけた大勢のファンや報道関係者によって空港は騒然となり、押し寄せる人波から逃れるように、ルネはガードマンにガッチリ守られて空港を出たのでした。その時の様子はファン・クラブや出版社によって記事にされ、ルネ・ブームの凄さと日本での活動について、様々な雑誌に掲載されましたが、3回目の来日の時はどうだったのでしょうか。2週間という短い滞在だったため、当時の芸能雑誌を見ても、前回ほど話題になっていなかったように思います。 



 そして、第3弾となる新曲『愛の翼をひろげてについて言えば、明るくリズミカルな曲に仕上がっていました。先に発売された2枚のシングル・レコードのB面である『雨上りのデイト』と『僕の国へおいで』も、同様に楽しくさわやかな曲でしたが、圧倒的な歌唱力で日本人の心に衝撃と感動を与えた、第3回東京音楽祭世界大会グランプリ受賞曲『ミドリ色の屋根』の印象が強烈すぎたため、ルネの声の良さを生かし切れていないと評価されてしまいました。ルネが教会の聖歌隊だったことから、天使の歌声を意識して作られたファン待望の第2弾『小さな生命』でさえも、特にファンでなかった人にとっては印象が薄かったようなのに、3回目の来日で『愛の翼をひろげて』をヒットさせるには、滞在期間が短か過ぎたのかもしれません。
 しかし、当時の私はルネに夢中でルネしか目に入らず、来日したことがただただ嬉しくて、出演番組を見逃さないようにするので精一杯。その上、ファン・クラブからの情報が全て。同級生からいただく切り抜きによって、遅れて入ってくる芸能雑誌の情報など知るはずもありませんでした。そして、たとえそれを知ったとしても、そんな世間の評価など、私にはどうでもよかったのです。

 前回も紹介いたしましたYouTubeで同曲をお楽しみください。
♪YouTube映像「愛の翼をひろげて ルネ・シマールさん」http://www.youtube.com/user/minokeiken1355?gl=JP&hl=ja#p/f/6/yfSacaldV2A


 過去ログ「ルネとNHK紅白歌合戦」で紹介した明星1975年2月号付録『Young Song』の今月の新曲に、『愛の翼をひろげて』の歌詞と楽譜とともに、《ひとこと採点》として同曲に対する評価が3段階で出ていましたが、結果は星2つと1つ。「シャンソンの『ダイアナ』にそっくりというのもどうか」とも書かれていました。



          《ひとこと採点》
遠藤 いつものように精一杯歌っているのは、気持ちよく聞けます。………★★
千秋 明るく軽快でいい曲だが、ルネの個性とは異質な感じがする。……★★
小西 曲の軽快さと、まっとうなルネの発声のバランスが悪い。………………★
藤中 シャンソンの『ダイアナ』にそっくりというのもどうか。ルネの個性が消えた。★



 しかし、《ひとこと採点》に「ルネの個性」とありますが、どのようにとらえられていたのでしょうか。
 素顔のルネ・シマールは、家族思いで頑張り屋さんだけど、腕白でいたずらっ子。いつも明るく元気一杯なごく普通の男の子でした。それなのに、「ミドリ色の屋根」の印象が強すぎたのでしょう。歌詞の中の、母親を支えて生きていこうとする健気な少年と、第3回東京音楽祭世界大会ファイナルの時の可憐な姿があまりにもピッタリだった上に、きちんと歌詞の内容を理解し、天使のような美しい声で情感を込めて歌ったため、そのイメージだけが一人歩きしてしまったのだと思います。何故なら、同曲はルネ自身のことを歌った曲なのだと誤解していた人が、私のまわりでさえたくさんいたのですから…。

 また、中央の枠の中には、「『明星』で募集した『ルネとカナダでクリスマス・パーティーをしよう!』に当選した5人の女の子たち。12月18日に東京を出発。今ごろ、ルネと楽しいクリスマスをすごしている。きっと、スキーのできない子も、ルネが「バッチリ教えであげる。」っていってたからだいじょうぶだネ。さてルネが今度来日するのは1月7日ごろだって」と書かれていました。でも、この『Young Song』が付録の「明星2月号」が発売になったのは1974年12月ですから、記事が書かれたのはそれ以前。実際の出発はもっと後で、ルネと一緒にスキーをするスケジュールなど組まれていなかっただけでなく、ルネは風邪のため、パーティーでは歌も歌わなかったとのこと。そのことにつきましては、同ツアーに参加されたルネ友、マリアさんからいただいた情報とその時の写真を、過去ログで紹介していますのでご覧ください。

     
     ▲マリアさんの写真から 

※過去ログ「3回目の来日」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/304.html
※過去ログ「ルネとカナダでXマス・パーティー♪」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/199.html
※過去ログ「ルネとカナダでXマス・パーティー♪②」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/248.html



 シャンソンの『ダイアナについては、うっすらと曲のイメージがあって確かに曲のアレンジとか似ている気がします。インターネットで検索しても、ポール・アンカの『ダイアナ』やダイアナ妃、ダイアナ・ロスが出てくるだけ。シャンソンの『ダイアナ』についてご存じのかたがいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。

コメント (5)
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