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ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

モントリオール・オリンピック・サントラ盤

2012年08月05日 | ミドリ色の屋根の頃
 暑中お見舞い申し上げます。

 毎日暑い日が続きますが、ルネ友のみなさまはいかがお過ごしでしょうか? ロンドン・オリンピックのテレビ観戦で寝不足の方も多いことでしょう。日本選手の頑張りは、応援している私たちの胸を熱くし、元気を与えてくれます。そして日本のルネ・ファンには、36年前のモントリオール・オリンピックでルネを探して期待に胸をふくらませ、そして寂しい思いをしたあの開会式を思い出させるのです。

 前回の記事で、「1975年当時、ルネが歌った『モントリオール讃歌』の日本語版を発売するプロジェクトが進んでおり、ルネの変声によって実現しなかったのではないか。」という話を書きました。予約投稿設定をしてあったため、未完成のままの記事をお読みになった方は、再度完成版をお読みいただければ幸いです。
 そして今回は、「モントリオール讃歌」の縁でルネ友さんになったラッキーさんからの「モントリオール・オリンピック・オフィシャル・サウンドトラック・アルバム」情報を紹介いたします。でも、その前に…。


ルネの全曲集CDに
アンコールプレスリクエストをしよう




 トップ・ページで既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、現在Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて、ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」のアンコールプレスリクエストを受付中です!!
♪Sony Music Shop
https://ssl.walletsystem.jp/secure/omf1/requReg.php?site=S&ima=1211&cd=DYCL000000362&tp=ENC

 私もリクエストいたしました。1つのメール・アドレスにつき、1回しかリクエストが受け付けられないので、前回購入時に使用したメインのアドレスに加え、サブで利用しているアドレスでもリクエストしました。これはルネ友のラッキーさんの真似っこです(笑)! ラッキーさんも2つのアドレスでリクエストしています。
 前回しっかり複数購入していますが、もちろんアンコールプレスも購入いたしますよ! facebookのカナダの「おともだち」から、日本語が分からないからと、オーダー依頼が入っており、彼女の分も購入するので2つのアドレスでリクエストしていてもOKなのであります。

 前回購入を逃した方は是非リクエストしてくださいね♪ でも、厳しいことを言うようですが、「前回購入しているから今回はいらないけど、取りあえずリクエストしてあげよう。」というのは止めていただきたいです。このシステムでは、たとえリクエストが通っても、購入予約が規定数に達しなければ発売されません。リクエストばかりで購入予約が集まらなかったら、真剣に購入を望んでいるルネ・ファンは、長くつらい日々を送ることになります。もしもリクエストがなかなか通らなければ、それなりの覚悟で待つことができますが、『ぬか喜び』は生殺しです。前回でさえ、発売まで1年以上(第一報記事は2011年4月2日)かかったのですから、アンコールプレスの実現には更にそれ以上の時間を要すると予想しているシマ姉です。オーダー依頼をしているカナダのファンの方にも、購入までかなり長く(1~2年)待つことになると伝えてあります。どれだけのリクエストが集まれば、また、どれだけの数の購入予約で発売決定になるのか分かりませんが、少しでも早くアンコールプレス盤が発売になることを祈りつつ、ブログで宣伝し続ける、長い戦いの日々が始まるのです!

 どうか今回は、もっと多くの日本のルネ・ファンの方々が購入できますように!!



flag11ラッキーさん情報flag11
モントリオール・オリンピック・サントラ盤


<ラッキーさんの「モントリオール讃歌」の想い出>

 モントリオール・オリンピックが開催中、毎朝学校に行く前に必ず放送されていたTV放送のジングルで、この歌が毎回流されていたのを聞きながら家を出ていました。イイ曲だったのを思い出し、ちょっとネットで調べて見ようというところから、その曲が「モントリオール讃歌」であることを知って、こちらのサイトにたどり着きました。また、Youtubeやその他のルネの情報を探しているうちに、最初は「モントリオール讃歌」のレコードだけに興味があった自分が、徐々にルネ・シマール自身にはまって行ってることに気付きました。今は、ルネの音楽を出来るだけ幅広く聴いてみたいと思っています。





▲モントリオール・オリンピック・オフィシャル・サウンドトラック・アルバム

 このレコードは、全9曲から構成されており、その内1曲目の「オフィシャルオリンピック・アンセム」を除く8曲をモントリオール五輪の為に、作曲家のAndre Mathieu(アンドレ・マッシュー)と、Victor Vogel(ビクター・ホーゲル)のコンビが作曲した音楽です。開会式・閉会式セレモニーの曲や選手入場や表彰式での曲が収録されており、音楽としてもクオリティの高い作品です。
 勿論この2人は、ルネの「モントリオール讃歌」の作曲者で、この曲の旋律は3曲目(A面最終曲)の「閉会式のバレエ」という曲の後半部分で、男女混声コーラスとオーケストラで感動的な演奏がなされており。この曲だけでも聴く価値はあると思います。そしてアルバムの9曲目(B面最終曲)にも少し男女のコーラスで演奏されています。「フェアウェル・ソング」という曲名ですので、前出の「閉会式のバレエ」と共に会期中では終わりの頃に演奏されたメロディであったことがうかがえます。またB面4曲目に歌詞の付いた曲で「オリンピック・カンタータ」というのが収録されています。「モントリオール讃歌」よりも壮大ですが、何となく、ところどころメロディが似ています。いずれにせよこの公式アルバムにはルネ・シマールはまったく関係していないようです。
 以上、このLPレコードは未だ現在もCD化はされておらず、とっくの昔に廃番ですが、現在でもe-bayのオークションでそうは高くない価格で5点ほど出品されていたり、Amazon Canadaでこちらもリーズナブルな価格で中古品が1点販売されていることが確認できています。



 こちらの写真は、「モントリオール讃歌」の編曲者Al Baculisがリーダーを務めるAl Baculis Singersの2枚のアルバム・ジャケットの写真です。このアル・バキュリス・シンガーズはケベック州の混声ポップ・コーラス・グループで、アル・バキュリス自身はジャズ・サックス&クラリネット奏者で、この時期は放送業界で作・編曲者として活動していたそうです


 現在のアンコールプレスのリクエスト受付も、予約終了後の発売日前から週1回はソニーのサイトへメアドも変えながらリクエストを送ってくださっていたラッキーさんの努力の賜だと思います!! ラッキーさん、サントラ盤情報及び音源、そして粘り強いリクエストをありがとうございました!! 今後ともルネ友としてどうぞよろしくお願いいたします♡


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ルネ記念日2012

2012年06月30日 | ミドリ色の屋根の頃
今日は、ルネがグランプリを
    受賞した日だから『ルネ記念日


 今から38年前の1974年6月30日(日)、東京の帝国劇場で第3回東京音楽祭世界大会最終決勝大会が開催されました。
 今回は新しく入手した音楽情報誌の記事と、みなさんがよくご存じでありながらも、ちょっと珍しい画像も紹介したいと思います。


  第3回東京音楽祭世界大会
  わずか13歳のカナダの少年
     ルネ・シマールが大賞獲得!




 こちらの記事が掲載された雑誌は、音楽情報誌といっても、レコード店や音楽関係者向けに出版された専門誌。
 東京音楽祭は、全世界に向け、日本で開催された音楽祭でした。それにも増して、その豪華な審査員やゲスト、出場者の顔ぶれに、当時の音楽業界では注目の的だったようです。

 特に第3回世界大会最終決勝大会は、特別審査員としてフランク・シナトラ、ゲストにシャーリー・パッシーが出席して大変華やかな祭典となりました。
 この大会では、ザ・スリーディグリーズがグランプリの大本命であったこと、そして、無名のカナダの少年歌手だったルネ・シマールが、その予想を覆し、フランク・シナトラの一言でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したこと、一夜にして世界のスターになり、日本におけるルネ・ブームを巻き起こしたことは、ルネ・ファンなら誰もが知っている有名な話です。それについては、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報やたくさんの雑誌で大きく取り上げられました。また、以前紹介いたしました宮住俊介氏のエッセイには、当時のALFAレコードでのことが詳しく書かれていますので、氏のサイトでお読みください。

※宮住俊介
 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ!
  / (株)シュン・コーポレーション

「ルネ・シマール」http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
「ルネ・シマール その2」http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52233078.html
「ルネ・シマール その3」http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html

 そして、2010年に出版されたなかにし礼氏の小説「世界は俺が回してる」(角川書店発刊 1,890円)でも、その時の裏話が書かれています。
 「ギョロナベ」と呼ばれたテレビ業界の重鎮、亡き渡辺正文氏がどのようにして東京音楽祭を作り上げていったかも描かれており、ルネ・ファンにとって大変興味深い一冊です。
 第3回東京音楽祭世界大会については、、特別審査員に招かれたフランク・シナトラ氏のエピソードや、当時アルファ・アンド・アソシエイツのプロデューサーで、ルネの歌に惚れ込んで日本デビューを手掛けた川添象郎氏とのやり取りなどが書かれていました。その一部を紹介いたします。

 昭和49年(1974年)6月30日、東京音楽祭世界大会が帝国劇場で開催された。特別審査員にフランク・シナトラを、スペシャル・ゲストにシャーリー・パッシーを迎え、会場は異様な熱気につつまれていた。
 下手の舞台袖を歩いていると、川添象郎とばったり会った。
「ナベさん、ルネ・シマールに大賞おくれよ」
「そんなの無理に決まっているだろう。なんてったってスリー・ディグリーズの『天使のささやき』は圧巻だぜ。やつらがグランプリとらなくて誰がとるんだい」
「でもさ、スリー・ディグリーズがグランプリとったって別に誰も驚きやしないけどさ、一夜にしてスターが誕生したら大ニュースじゃないか」
 川添象郎がカナダの少年スターに目をつけ、モントリオールまで直談判に行き、その承諾を取り、日本でカラオケを作り、それを持ってモントリオールへ行ってレコーディングし、それをソニーレコードから発売するに至ったことは知っていた。プロデューサーである象郎の熱意は分かるけれど、13歳の少年が大賞に輝く場面はどうしても想像できなかった。
「象太郎、そんな夢は見ないほうがいいと思うよ」
「そうかなあ。奇跡は起きるものじゃなくて、起こすものだと思うけどなあ」
「そんなもの、起きねえよ」
 ところがである。全歌手のパフォーマンスが終わって、審査員室へ行ってみると、審査員たちの意見がスリー・ディグリーズを推す組とルネ・シマールを推す組とに大きく二分していた。
 正文はスリー・ディグリーズ派であり、フランク・シナトラも当然そうであると思い、
「この際、特別審査員のシナトラさんに決めていただきたいと思いますが、いかがでしょうか」
 みな賛成であった。
 が、シナトラは意外なことを言った。
「私はまずフランク・シナトラ賞をルネ・シマールにさし上げようと思います。したがって、グランプリはルネ・シマールがふさわしいと思います」
 審査員たちはどっと拍手した。
 司会の三木鮎郎がこれを発表した時、会場は大喝采であり、『ミドリ色の屋根』(さいとう大三作詞、村井邦彦作曲)を泣きながら歌うルネ少年の肩をシナトラがそっと抱きしめた時など、正文までが泣きそうになった。
「ナベさん、少年の魔法が奇跡を起こしたんですよ」
 象郎はにこにこしている。
 正文は、象太郎にしてやられたと思った。が、東京音楽祭は大成功であった。


 全編を通して読んでみたいと思った方は、是非お買い求めください。この小説で紹介されている歌をまとめた同名のCDも発売されています(当ブログのトップ・ページ、『最新情報』参照)。もちろんルネの「ミドリ色の屋根」も収録されていますよ♪

 

         ▲第3回東京音楽祭世界大会のちらし

 記載された内容については、過去ログ「第3回東京音楽祭世界大会のちらし」でお読みください。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/359.html

 そしてこちらは、ルネが獲得した第3回東京音楽祭世界大会のグランプリ・トロフィー♪ そして、ルネとザ・スリー・ディグリーズのサインと写真。





 今日は地元の八雲神社の「茅の輪くぐり」の日。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)といい、夏越神事「六月祓」とも呼ばれているそうです。
 先々週の土曜日から伝染性単核球症にかかって熱が続いていた息子の体調も落ち着き、取りあえず血球貪食症候群の危機は免れたようです。まだ油断できませんが、食欲も出て暇を持て余している息子を連れて、厄落としにドライブがてら、ちょっと行って来たいと考えていますが…。

 38年前のこの日、このお祭りに行っていて東京音楽祭を見逃した私は、ルネ・ファンとしてのスタートを大幅に遅らせることになるのでした。しかし、日頃からあまり歌謡番組を観ない家庭でしたから、たとえ祭に行かなかったとしても、この番組を観ていたかどうか…。ニュースか、父が好きなプロ野球のナイター中継を観ていたかもしれません。
 そして、スタートで出遅れた上に、コンサートに行くことを両親から許してもらえた時にルネの来日は無く、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」も閉鎖。そのためファン熱は不完全燃焼のままくすぶり続け、想いは色褪せることなく、「何とかの一念」で38年貫き通すことになるのですから、人生どう転ぶか分からないものです。

 余談ですが、当ブログで使っている「ルネ友」は私による造語です。同じような使い方をする(?)、「たまごっち」の『たまとも』を知ったのはずっと後のことでした。
 第3回東京音楽祭世界大会が開催された6月30日も、私にとっては特別な日ですが、カナダでは、明日7月1日のカナダ建国記念日で盛り上がっています。

 そして、いよいよ7月3日はルネのコメディー・ミュージカル「雨に唄えば」の初日です。カナダのファンの方たちはそれぞれに観に行くようです。そして、それを受けてGiseleさんとSohieさんは、Passion Rene Nathalie et Regis Simardに今年の秋から冬にかけて映像をアップするので忙しくなるということでした。facebookでルネや「雨に唄えば」の映像や画像がたくさん公開されることでしょう。ルネの第3回東京音楽祭世界大会の様子を記録した”Rene Simard au Japonも追ってアップすることを約束してくださっていますので、まだのみなさまも、是非facebookでお友だちになりましょうsymbol1
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cherienomamaさんからのルネ情報

2012年04月29日 | ミドリ色の屋根の頃
 待ちに待ったゴールデン・ウィークsymbol1 ルネ友のみなさまはいかがお過ごしでしょうか?
 シマ姉家は、第1回オフ会でも宿泊した「ペンション山日記」にお泊まりしています。この記事は予約投稿です。だって、今日は大安♡(昨日は仏滅なんですもの…)
 ペンション予約の際、当ブログ記事をご覧になっていたオーナー夫人から、昨年の大震災で被災したことを心配していただきました。昨年は仕事が忙しくて「山日記」には行けなかったのですが、この気遣いもここの魅力の1つ。だから息子にとっては「那須のおばちゃん家」なんです。美味しいお料理を食べ、ゆっくり寛いで、仕事の疲れを癒やして楽しんで来ま~す♪


 cherienomamaさんからのルネ情報

 ルネ友さんであるcherienomamaさんから、貴重なルネの資料をたくさん提供していただきましたsymbol1

 今回紹介いたします「大阪サンケイホールのスプリング・コンサートちらし」と「神戸新聞」の2つの記事の他にも、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報№1、スプリング・コンサートのプログラム、本家の閉鎖の後に活動した日本の未公認ファン・クラブ”MAPLE MATES Ⅱ”の会報3冊!! おいおい紹介していきますのでお楽しみに!!!
 


▲1975年スプリング・コンサート(大阪・サンケイホール)のちらし

 大阪公演のちらしは「メープル・メイツ」から配布されたちらしと違っているので貴重! ちなみに福岡公演のちらしは東京公演のものとデザインは同じです。

 そして、「神戸新聞」に掲載された2つの記事ですが、前者は第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した後の再来日(2回目の来日)を報じたもの。後者は、何とっ!! 「メープル・メイツ」の最後の会報に掲載された「モントリオール・オリンピック」についての記事の原文です。この記事のコピーをcherienomamaさんが「メープル・メイツ」に送ったのだそうです。37年も経った今、こんなすごいことが分かるなんて感激しています!
 でも、cherienomamaさん曰く、「この頃にはファン・クラブでもルネの情報が入っていなかったことが分かりました。」…と。現在は、facebook等でカナダのファンの方たちと気軽に交流でき、ルネ情報も簡単に得ることができます。チャットで遠く離れた人と会話を楽しめたり、インターネットの普及によって、とても便利な世の中になりましたが、だからこそ、当時の資料は大変貴重だと思います。


ルネ・シマール
胸打つ涙の絶唱

再来日、ひっぱりだこ

 ルネ・シマール…この聞きなれない少年の名前が、やがて日本のすみずみに響きわたりそうな気配だ。
 まずそのプロフェッショナル。カナダ・ケベック州の生まれ。十三歳。カナダのフランス語圏では、押しも押されもしない小さなアイドル、スーパー・スターなのだ。
 あるきっかけからはるばる日本へ。六月第三回東京音楽祭世界大会に「ミドリ色の屋根」(村井邦彦作曲)をひっさげて登場。なみいるベテラン・シンガーをおいて、グランプリを手に、特別賞のフランク・シナトラ賞までさらってしまった。
 ここまでくると、”ああ、あの少年…。”と思いだした人もあろうか。♪泣かないで、そこで暮らそう…涙をためての絶唱が、会場や視聴者の胸に”スター誕生”を確信させた。
 あるきっかけ、というのはこうだ。作曲家の村井邦彦は、国連のユニセフ(児童緊急資金)のために二年前「美しい星」という作品を書いた。日本では森山良子をはじめ、多くの歌手に歌われたからご存じの人も多かろうが、これをカナダでルネが歌いヒットした。
 村井は、この少年の澄んだ天使の声に見せられ「ミドリ色の屋根」が生まれ、東京音楽祭への出場と、ことが運んだわけだ。
 グランプリは、この少年の前に一躍世界スターへの扉をひらいた。アメリカでは、シャーリー・マクレーンのテレビ・ショーに、またかつてシャーリー・テンプルで映画化された「青い鳥」の再映画化に起用が決まり、エリザベス・テーラーと共演する。レコードもMCA、フランスのバークレーなどがとびついた。
 そして、そのきっかけをつかんだ日本ではー。先月二十二日に再来日して以来のスケジュールをのぞくと、二回のコンサートを中心にびっしり。関西テレビ系の「夜のヒットスタジオ」はじめ、各局の歌番組への出演がならんでいる。
 日本でのデビューを飾るファースト・コンサートは、四日の大阪厚生年金大ホール(後6・0)と十四日の東京・渋谷公会堂の二回。新曲「小さな生命」や、ルネが十歳でデビューしたときの「鳥」などでプログラムを組み、音楽再出場で初来日したときのドキュメント映画「ルネ・イン・ジャパン」(市川崑監修)も上映される。
 日本にはまだワラぶきの屋根と人力車があると思っていたルネ、来日してビルの林立と人間の多さにビックリしたルネ。その澄明な声と愛らしいふるまいで、どうやら日本でもアイドルになりそうである。



※記事の詳しい内容については、過去ログ「モントリオール讃歌③」をお読みください
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/117.html


 これらの貴重な資料を快く提供してくださったcherienomamaさん、本当にありがとうございました! 少しでも多く、当時のルネ・ファンの方たちにご覧いただけるよう、ブログ記事で紹介させていただきます。今後ともルネ友としてよろしくお願いいたします!!
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ルネのラジオ歌謡番組情報

2011年11月03日 | ミドリ色の屋根の頃
 今回のタイトル「ルネのラジオ歌謡番組情報」は、いろいろ悩んでつけました。何故なら、内容をストレートにタイトルにすると、「ルネの来日が無くなった理由」になるからです。

 これは、当ブログの古くからのルネ友さんであるmomoさんから寄せられた情報です。内容が内容だけに、ブログのコメント欄を避け、「シマ姉BOX」にメッセージを入れてくださいました。
ルネの来日が無くなった理由」は、いろいろな理由や原因があってのことと思います。しかし、当時のファンは、はっきりしたことが分からないままルネの来日が途絶え、日本のファン・クラブ「メープル・メイツ」も閉鎖されてしまい、ルネへの想いを持て余して途方に暮れていました。ですから、これは理由の1つに過ぎないとしても、公のラジオ放送の「芸能リポート」で報じられた、当時を知る貴重な「手がかり」として、当ブログで紹介することを承諾していただきました。その内容につきましては、私の推測とともに、この後紹介させていただきます。
 


momoさん情報メッセージより抜粋)
ラジオ番組「RKBベスト歌謡50」の「鬼さんの芸能リポート」より

 前から機会があったらシマ姉さんに聞いてほしかったことがありました。ルネの来日がなくなったことに関してです。

 私は当時毎週日曜日に放送されていたラジオ番組「RKBベスト歌謡50」というのを聴いてました。50曲のランキングが紹介されるので一曲が流れる時間はとても短いのですが、ルネの曲が公の電波に乗ることがうれしくて、また何かルネの情報が得られるのではと思い毎週欠かさず聴いていました。担当が鬼澤慶一という人で番組の中には鬼さんの「芸能リポート」というのがありました。

 ある日視聴者のルネの来日に関する質問に鬼さんが答えていたのですが、ルネ側が日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側となにかトラブルがあるような内容のことを少し言いにくそうに話していたんです。
 とてもショックでしたが、やはりそのあとパタリと来日がなくなりました。今思うと、その後予定されていたアニメのテーマソングの話もなくなりましたし…。一方的な情報で真相はわかりませんし、あまり愉快な内容ではないのでわざわざお伝えする必要もなかったかもしれません。

 しかし、シマ姉さんのルネブログへの情熱、情報収集・探究の姿勢を思うと、このような情報でもなぜかお伝えしたいなという気持ちになりました。でも、これはルネ本人の価値と無関係の話ですね。


※「RKBベスト歌謡50」
・RKBラジオで1974年(昭和49年)4月14日から1995年(平成7年)12月31日まで毎週日曜日に放送された歌謡曲のランキングカウントダウン番組。
・放送開始当初は12:15~15:55だった。
・番組のコンセプトとして、1位から50位まで全曲をオンエアするというのが特徴。
・「ザ・ベストテン(1978年~1989年、TBS。福岡地区のネット局は、RKBテレビ)」の、発案のきっかけになったのはこの番組。
・当時のDJは林 幹雄アナウンサー。
・ルネの情報は「鬼さんの芸能リポート」コーナーで報告された。

※wikipedia「RKBベスト歌謡50」
http://ja.wikipedia.org/wiki/RKB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%AD%8C%E8%AC%A150

※鬼澤慶一
 TBSの情報番組「モーニングジャンボ」の初代レポーター。 辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。ザ・ベストテンの情報提供者としても知られている。

   

 さて、私個人の推測です。

 数年前、カナダからのルネ情報の中に、ルネが日本に行かなくなったことについての内容がありました。こちらもはっきりとしたことは分かりませんが、「日本に行ったことによって、ルネにとってマイナスになるような、嫌なことがあった」らしいのです。

 ルネは日本で第3回東京音楽祭世界大会に出場し、グランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したからこそ、カナダの英語圏やアメリカ、フランスでのビジネス・チャンスをつかんだはずなのに、何故?……と、私はとても悲しい気持ちになりました。でも、momoさんからの情報によって、「理由を知るための糸口」が見えたような気がしました。


 momoさんがこの芸能リポートの情報を聴いたのは、ルネの来日が無くなってから。つまり、全国縦断スプリング・コンサートの行われた4回目の来日の後です。
 スプリング・コンサートの東京公演に行かれた年友さんの情報では、かなりの数の空席が有ったそうです。そして、momoさんが行かれた福岡公演でも空席が目についたといいます。ファン・クラブでチケットの優先販売をしていましたが、どれくらいの数が売れたのでしょう。
 また、1975年3月発売の月刊明星」5月号の「マンスリー・ジャンボ」に、『コンサートに本誌読者を100名招待』という購読者プレゼントがありました(上の記事画像を参照)。かなり切羽詰まってからの、それも先着100名に、4月7日の東京・神田共立講堂の入場券をプレゼントするという企画です。当選は発送をもってかえさせていただくというばらまき状態★ …ということは、「コンサートのチケットが当初の予定より売れなかった」ため、客席を埋めるための苦肉の策だったのでしょうか。この東京公演には、カナダとアメリカの取材カメラが入っていましたから、日本のスタッフが焦ったのかもしれません。それでもかなりの空席が有ったというのですから、東京公演だけを考えても「興行成績が悪く、採算が取れなかった」ことになります。しかし、momoさん情報では、ファースト・コンサートの時も、「週刊セブンティーン」から大阪コンサートと9月14日の東京コンサートに300名を招待する企画があったということなので、このことだけで判断することはできませんが…。

 また、ルネは母国カナダにたくさんのファンを残して来日していたので、日本での活躍を伝えるために(むしろ日本の芸能誌より詳しいぐらい)報道関係者が必ず同行していました。そして、来日の度にたくさんのスタッフも同行していました。そのため、移動にかかる交通費や宿泊費は大変な金額になったでしょう。現在でもケベックからの直行便はありませんから、当時はもっと時間がかかって、子どものルネには相当な負担だったに違いありません。日本側とどのような契約になっていたかは、当時の関係者でなければ分かりません。しかし、コンサートの収益に見合わない金額だったとしても、来日の必要経費等も含めた契約どおりの金額を、カナダ側がルネのギャラとして請求するのは当然です。それが「日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側とトラブルになっているらしい」という情報になってしまったのではないでしょうか。

 しかし、momoさんから福岡公演での空席について、追加情報をいただいて思ったのです。忙しいスケジュールの中、日本のファンのために来日したのに、コンサートでは会場に空席が目立ち、日本での人気が低迷していると知った時、ルネがどんなに悲しく思い、傷ついたことか…と。きっと勘の良いルネは、空港に到着した時から、日本の変化を感じていたのではないかと思います。何故なら、ルネがイメージ・キャラクターだった『中一時代』にも、芸能誌にも、ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報にさえ、この時の記事はほとんど載らなかったのですから、取材する報道関係者も少なかったのではないかと思います。

 もちろん年友さんのスプリング・コンサートの録音テープからも、アメリカの特集番組で紹介された映像からも、熱狂する日本のファンの様子は分かりましたが、資料の写真や記事から見て、ファースト・コンサートより舞台装飾は地味でした。さらに、東京公演の翌日は北海道公演という、カナダでは考えられないハード・スケジュール★ それでも、ルネは若くてもスターであり、プロの歌手ですから、観客の前では最高のステージを見せてくれます。しかし、同時期のカナダやアメリカでのコンサート、イベント等では、超満員の観客の前で歌っていたスーパー・アイドルのルネです。観客席に空席が有るなんてことは、あまり経験したことがないのです。その上採算の取れなかったコンサートのギャラについてトラブルになったら、嫌な思いどころではありません。
 また、カナダ側からすれば、観客を動員できなかったのは日本側の責任です。それに対し、日本側はコンサートの収益から支払うルネのギャラについて、採算が取れなかったことを理由に、カナダ側に金額の交渉を持ちかけたに違い有りません。日本ではありがちなことでも、欧米では一度交わした契約は絶対ですから、カナダ側にしてみれば日本側の契約違反になります。これではトラブルにならないはずがありません。

 ルネが「日本で嫌な思いをした」というのは、このことだったのではないかと私は推測しました。

 でも、「ルネが日本に来なくなった理由」については、このトラブルだけが原因ではありません。何故なら、TVアニメ『家なき子』の主題歌の件は放映中止が原因ですし、来日がなくても新曲は出ていたし、レコードもベスト・アルバムまで発売されていたので、日本側が契約どおりのギャラを支払うことで、トラブルは解消されたのでしょう。TVアニメ「家なき子」の主題歌などは、CBSソニーの担当者がわざわざカナダまでレコーディングのために出向いていましたし、「モントリオール讃歌」の発売も、ソニーがノーベル・レコードに交渉して実現したことです。

 しかし、コンサートの入場者数から判断し、カナダ側のスタッフが日本での活動縮小を決断したことは目に見えます。ルネ・ブームが冷めてしまった日本より、世界を狙うのに打って付けで移動も容易なアメリカでの活動に切り替えた方が良いに決まっています。そして、当時まだ14歳だったルネが、スタッフのアドバイスを受けて努力し、活動してきたからこそ、現在のルネがあるのですから…。
 ルネも過去のことに拘っている様子は微塵もありません。今はルネのファンとして、日本から応援するのみです。
 

 長々と書いてしまいましたが、これは私個人の推測ですので、お馬鹿なルネ・ファンの戯言と思って読み流してください。

 また、このことについて、当時の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非是非ご一報ください!



   


 ちなみに、当ブログのゲストさんにはご存知の方も多いと思いますが、私は両親から許してもらえず、次回の来日のコンサートに夢を託して泣く泣く諦めたのでした。「親の反対を押し切ってでも行けばよかったのに!」という方もいらっしゃるでしょう。でも、当時は親の言うことは絶対でしたし、親の反対を押し切ってコンサートに出かけたとしても、終電で帰ってこれないような田舎育ちで、翌日は始業式でしたから、今考えてもコンサートに行くことは無理でしたね…★ 私と同じような状況で行けなかったファンも多いのでしょう。

 そして追記です。
 当時、日本側のスタッフが「ルネか来日すると大金がかかる。」と言っていたそうです。確かに1回目の来日では東京プリンスホテルに泊まっていましたし、他の来日時には高輪プリンスホテル(現 グランドプリンスホテル高輪)に宿泊したそうですから、宿泊費はかなりの額になったでしょう(年友さん情報)。そのため日本側でも、来日には費用かかかりすぎるので、レコーディングもカナダで行い、レコードの発売のみにとどめたのかもしれません。

 今回情報を提供していただきましたmomoさんには、以前スプリングコンサートの福岡公演の様子についてコメントをいただきました。それ以外でも私が知らなかった当時の情報を寄せていただいたり、想い出話に花を咲かせたりしています。momoさんから初コメントをいただいてからもう丸4年! ネット上のお付き合いも5年目に突入しました。カナダのルネ・シマールという共通のスターを通じて出会い、こういう楽しい交流が出来ることはとても幸せなことです。
 momoさん、そして年友さん、いつも貴重な情報をありがとうございます! これからもルネ友としてどうぞ末永くよろしくお願いいたします。



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票が100%を達成し、2ndステージに進みました! 予約受付期間は2011年5月18日から2011年6月22日までから、11月9日までに延期になった期限も迫ってきました! 現在、ほぼ週1パーセント・ペースという亀の歩み。それでも確実に予約数を増やしています。すでにどっぷり長期戦になっていますが、みんなの力で是非商品化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばっ!

           

 現在商品化決定まで55パーセントです。

 ♪Sony Music Shop 購入予約はこちらからお願いします!
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5333&cd=DYCL000000362&lay=omf&link=cvAWWz0LzlQ-XvH18xZaSDMZWiALefsPwg
♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html

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ルネとニール・リード

2011年07月24日 | ミドリ色の屋根の頃
 カナダのスーパー・アイドルだったルネ・シマールが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、日本にルネ旋風を巻き起こす2年前の1972年、「Mother Of Mine ママに捧げる詩」で日本でも大ブレイクした少年がいました。



 それは、英国の少年歌手ニール・リード

 日本では何かと比較される2人ですが、幼い頃から歌が上手で、オーディション番組で勝ち抜いて優勝したことがデビューのきっかけだったり、若くしてゴールド・ディスクを獲得したことなど、共通点がたくさんあります。
 ニールの父親は学校教師で、ルネの父は教会の聖歌隊のリーダー。どちらも小さい頃から音楽に親しむには恵まれた家庭環境だったかもしれません。しかし、ニールはフォークソングで、ルネは聖歌隊のリート・ヴォーカルというところは大きく違っていますね。家庭的にも、ニールは教師の家庭で2人兄妹のため、どちらかといえば裕福だったでしょう。ルネの方は、コックの父が喘息で働けなくなって生活保護を受けたこともあり、その上7人兄妹で、生活面ではかなり苦労しています。

 「ママに捧げる詩」についていえば、仏語詞も日本語詞も、英語詞を忠実に歌詞にしている のに、ニールはその歌唱力を十分に生かして堂々と歌いきっているのに対し、ルネも日本のアイドルたちも、どこかもの悲しい感じに歌っているのが興味深いところです。ニールが歌う映像を見ると、にこやかに「お母さんありがとう♡」と感謝の気持ちを前面に出し、両腕を差し伸べて母親を抱きしめる感じがします。逆にルネの方は、映像は無いのですが、母親が思わず抱きしめてあげたくなるような可憐な感じがします。それはルネが、当時ケベックのお母さんのアイドルからスタートしたことに関係していると深読みしてしまう私です。これは私の勝手な想像ですが、やり手のマネージャー、クルティエ氏の戦略でないかと…。

 そして、2人の一番大きな違いは、2人とも驚異的な人気で活動しながら、変声を迎えたのを機に、ニールはプロの歌手を引退し、ルネはヴォイス・トレーニングやダンス・レッスンを積みながら大人の歌手に成長し、現在も芸能活動を続けていることです。現在ニールは、ランカシャー州ブラックプールに住み、Independent Financial Adviserとして働いているそうですが、大人になったニールの歌声も聴いてみたいですね。


<ニール・リード Neil Reid>

・1959年5月5日生まれ。
・スコットランドのランカシャー・マザーウェル出身。
・家族は学校教師の父、母と妹。
・幼い頃から歌がうまく、近隣の町まで有名になっていた。地元のフォークコンサートでも歌っていたが、1971年7月、地元の名歌手カラム・ケネディーがグラスゴーのキングス劇場でのショー「Calum's Ceilidh」に1ヶ月間出演させた。
・1971年11月2日 TV「ジュニア・ショータイム」に初出演。
・同年11月8日からITV局のオーディション番組「Opportunity Knocksオポチュニティ・ノックス」に連続6回出演して優勝。
・1stシングル「Mother Of Mine ママに捧げる詩」は、英国で250万枚、日本では40万枚を売上げ、英国で72年1月に最高位2位を記録(当時11歳)。
・同年12月13日 1stアルバム『NEIL REID』発売、ゴールドディスク受賞。UKアルバムチャートのトップに躍り出たとき、彼はまだ12歳9か月で、英国チャート1位の最も若い歌手となった。
・1972年 第3回世界歌謡祭「ボクの子犬」を歌った。
・1974年 変声を機にプロ歌手を引退。

※同曲は、1955年公開のスペイン映画 「汚れなき悪戯」 をイメージして作られたそうです。




Mother of mine

Mother of mine, you gave to me
all of my life to do as I please
I owe everything I have to you
Mother, sweet mother of mine.

Mother of mine, when I was young
you showed me the right way
Things have to be done,
with all of your arms, where would I be
Mother, sweet mother of mine.

Mother, you gave me happiness
much more than words can say
I pray the Lord, that He regret you
every night and every day.

Mother of mine, now I am grown
and I can watch great all on my own,
I’d like to give you, what you gave to me
Mother, sweet mother of mine

Mother, you gave me happiness
much more than words can say
I pray the Lord, that He regret you
every night and every day.

Mother of mine, now I am grown
and I can watch great all on my own,
I’d like to give you, what you gave to me
Mother, sweet mother of mine

Mother, sweet mother of mine.



 英語版はニール以外のYouTube映像がありますのでご覧ください。


♪Neil Reid - Mother Of Mine (1971)
http://www.youtube.com/watch?v=43-n0fSafMo&feature=related

♪Mother of Mine - Florence Aguilar
http://www.youtube.com/watch?v=C_tOFsFpxXk&feature=related

♪Mother Of Mine- Jimmy Osmond-jackrex/JKRX001
http://www.youtube.com/watch?v=OYwhXjjmt50&feature=list_related&playnext=1&list=AVGxdCwVVULXcGvxI8IBU_A2m1OOq5hE2d



ママに捧げる詩

作詞・作曲: Bill Parkinson、日本語詞: 若谷和子

ママ ママ 優しく僕を愛してくれたね
わがままをゆるして 僕のかあさん

ママ ママ 正しく生きてゆく事を
教えてくれたね 僕のかあさん

しあわせをくれた かあさんの為に
僕はお祈りをしてるよ 昼も夜も

ママ ママ 今ではこんなに大きくなったよ
恩返しするから 僕のかあさん

ママ ママ 優しく僕を愛してくれたね
わがままをゆるして 僕のかあさん

しあわせをくれた かあさんの為に
僕はお祈りをしてるよ 昼も夜も

ママ ママ 今ではこんなに大きくなったよ
恩返しするから 僕のかあさん

僕のかあさん




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♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html



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ルネがゲームの問題に!

 ゲームのことは全く分からないのですが、サイトの管理人さんからOKをいただいて、昨日の全国大会初日の戦績を伝える記事から、ルネの問題の画像を紹介いたします。管理人様、どうもありがとうございましたsymbol1



「芸能並べ替え」

 1974年に日本でのデビュー曲『ミドリ色の屋根』をヒットさせた、当時13歳だったカナダの少年歌手の名前は?

 答え:ルネ・シマール


※「ドラえもんか好きなQMAプレーヤーの日記」
『第2回全国大会初日の戦績』より

http://blogs.yahoo.co.jp/km_math_doraemon/10567078.html

コメント
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