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ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

大好きなルネに囲まれて

2014年05月25日 | ミドリ色の屋根の頃
 今日は私の誕生日。
 もちろん誰に聞かれても「永遠の14歳」ですってばっ!!

 年友様、早々と誕生日メッセージありがとうございましたsymbol1
 やんばるQ様、毎年素敵なバースデイカードをありがとcat4
 昨年からいろいろありましたが、自分にご褒美も兼ねて、またオフ会いたしましょうね!!

 主人からはカジュアルな真珠のネックレスをいただきました。シマ姉家では、今日はゆっくり家族で過ごします。

 そして今回は、ルネの来日があった頃のお気に入りのポスターとピンナップの話です。

 

 この頃は弟と2段ベッドで寝ていましたので、下のスペースはルネと私だけの世界になっていましたflag11

 上左のポスターは一人暮らしの時も飾っていたポスターで、当時は枕元、右の壁、そして上のベッドの裏側に貼って、3人ルネの笑顔に囲まれて眠れるようにしてました(爆)。何故このポスターかというと、友だちに頂いて何枚も持っていたからです。ポスターが傷つかないように、綺麗なパッチワーク柄のラッピングペーパーで裏打ちして、裏側にテープを貼って飾っていました。ずっと貼っていたので日焼けしていたり劣化していて…。現在も当時のまま持っていますが、山口百恵さんと対になっている、状態のいいものもヤフオクで購入して所有しています(裏面はコンサートの西城秀樹氏)。

 右のピンナップは、年友さんがfacebookでプロフィールに使っていらっしゃるルネ。私はこのルネの笑顔がとっても好きです。このルネは、2回目の来日で行った京都での1枚。「京都の休日」ということで、たくさんの取材陣に囲まれて撮ったものではないからでしょうか、ルネの表情もリラックスして見えますね。

 コレクションが増えていくと、気に入ったものは飾ったりせずに大切に保管するようになってきて、複数あるものは1番状態の良いものとそれ以外のものを分けて、綺麗にビニール袋に入れてしまっていました。現在もそのままルネBOXに収めて管理しています。このコレクションは、ルネ友の皆さまはご存知のとおり、ブログで紹介しています。facebookでは、アルバムとしてまとめてご覧頂けるようになっていますよ。



 こちらの3枚のルネは、同じ取材で撮影されたルネで、4曲入りLP「君のすべてがほしい/愛の翼をひろげて」やルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」のジャケット、『中一時代』の記事にも使われているものと別アングルです。向かって左と中央のものをベッドの右壁に貼って、ルネとクローバーの草はらに寝転んでいる気分を味わったものです(笑)。その想い出もあって、私のfacebookのプロフィール写真には、シマ姉家のすぐ脇で撮ったクローバーが使われていますclover



 こちらのルネもお気に入りのルネの1枚heart
 別冊『デッカイ明星 '75オールスターカレンダー特集』の2月後半と3月前半のカレンダー。『月刊明星』の1974年10月号で表紙に使われた、アグネスとのツーショットの時のもの。ピンクが似合っていてとっても可愛くて大好きですitem2 好きすぎて(?)、当時のコレクションだけでは満足できず、完品の『デッカイ明星』もヤフオクで落札してしまったルネ馬鹿です★
 余談ですが、facebookのお友達のお誕生日メッセージに貼り付けたところ、「これはナタリー?」とカナダのファンの方からコメントが入ったりしました。それくらい女の子みたいで、本当に可愛いですよね!!(ルネ本人としては、13歳の男の子ですから、「女の子みたいに可愛い。」は決して嬉しくない賛辞でしょうけれど…)。


 他には、ファースト・アルバムの付録だった大型ポスターに、雑誌の表紙等のルネの部分を切り抜いて貼り、ルネがいっぱいにしてみたり(切ったものは、現在もフエルアルバムに貼って保管 完品はヤフオクで落札 爆★)、以前も紹介いたしました、現在も運転免許証に一緒に入れているルネのブロマイドとルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会員証(2枚ある内の1枚)などもありますが、今回はこの辺で…。


 最後にもうひとつ、金曜日に久々にアクセス数がいつもの2~3倍に。アクセス数が跳ね上がる時は、ルネの曲がラジオ等で流れた時や、ルネやルネに関係する話題が取り上げられた時です。何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください!
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ふたりのアイドル⑧

2013年01月20日 | ミドリ色の屋根の頃
 今から38年前の1975年(50年)1月20日は、ルネの3回目の来日最終日でした。


 3回目の来日でルネは、「ルネとカナダでクリスマス・パーティー」ツアーのファンと交流した後、バンクーバーで1泊してそのまま日本に向かうというハード・スケジュール。カナダだけでなく、フランスとアメリカでも活動していたので、たとえカナダ政府から仕事時間を1日5時間と決められていたとしても、当時まだ14歳だったルネには、相当の負担を強いていたことでしょう。ちなみに、ルネはこの来日を挟んで、12月と2月はパリに行っていました。

 この来日では、1974年12月21日に発売された新曲「愛の翼をひろげてのキャンペーンとTV番組等への出演が主な活動でした。日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツのスケジュール予定には書かれていなかったのですが、FMラジオにも出演していました。ものすごく楽しみにしていたのに、夜遅くの放送だったため、暖かい布団の中でイヤホーンで聴きながら、ルネが出演する番組を録音の準備も万端で待っていた私は、ついうたた寝をして、気付いた時にはルネのコーナーは終了★ 自分の不甲斐なさに涙した苦い想い出があります。記憶が定かではありませんが、そのラジオ番組の放送日は平日ではなかったように思います。それは放送時間的に、平日ならまだ勉強をしている時間だったと思うからです。夜の10時から11時位だったでしょうか…。もちろん14歳のルネがこの時間に生出演することは、日本でも許されていないので、録音されていたものでしょうけれど、どなたかこのFMラジオを聴かれた方はいらっしゃいませんか? もしいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。

※ルネの3回目の来日については、カテゴリ「3回目の来日」でご覧ください。
 


 さて今回は、前回「ルネのデビュー裏話」で紹介いたしましたスペインの子役スターで歌手でもあったジョセリトと、ケベックの人気歌手でルネを発見したと報じられたパトリック・ザベについてです。

 下のルネとジョセリトの写真をご覧ください。ルネが「第2のジョセリト」と言われたのは、歌唱力が素晴らしかったからだけでなく、外見も髪型も、テレビに初出演した頃のルネが、ジョセリトに似ていたからだったのでしょう。どうです、とてもよく似ていると思いませんか? たまたま選んだ画像は、前髪の乱れ方までそっくりです。
 それから、パトリック・ザベ氏については、ビジュアル的にも、歌のジャンル的にも、私の好みのタイプではなかったので(笑)、さっくり紹介いたします。

         ▲デビュー当時のルネ(10歳)

▲ジョセリト             ▲デビュー前のルネ(9歳)

※YouTube映像”joselito-- el ruiseñor”


Joselito:ジョセリト
 1950 年から1960 年代に一般的に知られていたスペインの子役スター。

・本名:José Jiménez Fernándezホセ・ヒメネス・フェルナンデス
・生年月日:1943年2月11日生まれ (69歳)
・出身地:ペアス・デ・セグーラ ハエン 東北アンダルシア
・13 歳で映画デビュー
・主な出演映画
  "El Pequeño Ruiseñor"
  "Saeta del Ruiseñor"
  "El Ruiseñor de las Cumbres"
  "Escucha mi Canción"
  "El Pequeño Coronel"
  "Aventuras de Joselito en America
    (ジョセリトのアメリカ冒険記)"
  "Los Dos Golfillos"
  "Bello Recuerdo"
  "El caballo blanco (白い馬)
     ーアントニオ・アギラールと共演ー"
  "Pequeño Ruiseñor"、"Ruiseñor" など
・大変特徴のある声の持ち主で、人気少年歌手として活躍
・代表曲
  "La Campaneraラ・カンパネラ"
  "Dónde estará mi vida"
  "Gorrioncillo pecho amarillo"
  "En un pueblito español"
  "Clavelitos"
  "Doce Cascabeles"
  "Las Golondrinas"
  "El Pastor"
  "Granadaグラナダ"
  "Ave Maríaアヴェマリア" など
・メディアの起業家になるが、1990年、銃と麻薬密売容疑でアンゴラ当局によって逮捕。スペインに強制送還の後、投獄される
・刑務所が今まで彼に起こった最高のものとし、薬物中毒を克服したことで異なる人生観を得た経験を書く
・2002年、"La Jaula del Ruiseñor"をリリース
・2002年、伝記「ジョセリトの人生」を出版
・テレビシリーズ「サバイバー」のスペイン語版に参加
・ Utiel(バレンシア)在住

         ノーベル・レコードのヒット曲集 ルネは”Baby Blue”、ザベ氏は”Agadou-dou- dou”(ルネの向かって左下)
 ルネが1975年にパリに行った時、ギー・クルティエ氏はルネと同じくらい力のある男性歌手に付いていたので、ルネ・アンジェリル氏を彼の代わりに同行させました。3回目の来日も同様でしたが、その男性歌手というのはザベ氏だったのか? はたまたこのジャケットの2人の男性歌手の内の1人なのか?


Patrick Zabé:パトリック・ザベ
・本名:Jean-Marie Ruskジャン=マリー・ラスク
・生年月日:1943年12月12日
・1960年から1970年代、カナダ、ケベックで大変人気のあった歌手
・1966年からはギー・クルティエ氏がプロデュース。
・「ロスト・ストーリー」の第3版に出演したキム・ラスクの父
・音楽のジャンルはポップスとロック


 ジョセリトのYouTube映像”AVE MARIA”をfacebookでもリンクしたところ、当時からのジョセリト・ファンの男性からコメントをいただきました。また、いろんなことがあったようですが、ご本人が現役で活動中なのは嬉しいことですね。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 先週月曜日の積雪は、みなさんのお住まいの地域ではいかがだったでしょうか?
 私は凍った雪を砕いての職場の除雪作業で二の腕が筋肉痛です(笑)。一般道よりも、まずそこに出るまでの上り坂が一番の難関であるシマ姉家★ 火曜日の朝は、家から出てすぐの坂道でスリップ(もちろん、スタッドレスタイヤは12月から装着)★ その日の夕方6時から臨時招集された、息子が通う小学校の体育委員会の話し合いに出席するため、息子を児童クラブに迎えに行ってから出かけようとすれば、凍った坂で滑って道まで出られず立ち往生★ たまたま買っておいた塩化カルシウムをまき、スコップで凍った雪を砕き、ゴザを敷いて奮闘すること30分★ やっと道に出ることができました。体育委員会の会議は、スキー教室の参加希望者が、2度の募集にもかかわらず16人しか集まらなかったため、中止にするかどうかの話し合いでした。すでに終了してしまったかと思って到着すれば、参加を希望していたお母さんが1人で実施すべきと頑張っていて、結局委員会が終了したのが9時…と、いろいろありましたが、積雪での怪我や事故には至らなかくて良かったです。でも、今週の火曜にも降雪の予報! よりによって夜の会議が7時から予定されていて…★ 今年の積雪でもっと大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃいますが、みなさんも怪我と事故には十分気をつけてくださいませ。

         cloverシマ姉のグリーン・ライフclover
▲2012年12月の職場の鉢植えの一部(左:ブチトマトの花は現在実になっています 右上:カランコエと寄せ植えの鉢…この時はまだホウセンカは咲いていません 下中:冬眠中のアマガエル…まだ起きていた時 下右:パッションフルーツの葉の上のキリギリス)

 この雪の中、日当たりの良い職場の部署では、昨年の晩秋に寄せ植えした植木鉢でホウセンカが咲いています。パッションフルーツ(日本ではトケイソウ)はグリーンカーテンにした方が良いかと悩むほどツルを伸ばし、興味本位で植え替えたプチトマトが鈴生りです。暖房は基本朝1時間だけで、延長も1時間までなのですが、昨日やっていた「世界一受けたい授業」で、鉢植えは蓄熱するので、寒さ対策には有効と言っていました。別の鉢植えで冬眠しているアマガエルが元気なのもそのせいなのでしょうか。さすがに12月に見つけて鉢植えに非難させたキリギリスは、年末年始の休暇中に天国に旅立ってしまいましたが、たくさんの鉢植えが花盛りな部署は、鉢植えのお陰で他より暖かかったのですね。
 そして、夏から飼っているジグモのその後ですが、お隠り中でその様子は一向に不明です。実は昨日、夏休みの理科研究で提出していた「ジグモの研究Ⅱ」が郡の理科展で優秀賞を受賞し、展覧会を見に行って来ました。その受賞を知らせてくれた担任の先生に、現在も観察中だと話すと、「来年もこれでばっちりですね!」と言われてプレッシャー★ 土を入れた観察器の卵嚢からコグモが湧いて出るかもしれない春のXdayも怖いです(笑)!
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ふたりのアイドル③

2012年11月03日 | ミドリ色の屋根の頃
 3日遅れですが、10月31日はハロウィーンでした。

 クローディーヌとダニエル・バシャン姉妹が書いたルネと妹ナタリー・シマールの本から、今回はハロウィーンらしく、ルネとフランケンシュタインのツーショット(?)写真を紹介いたします。余談ですが、アメリカを襲った巨大ハリケーン、シンディーは「フランケン・ストーム」と呼ばれているようですね。ある意味タイムリーな話題?

ふたりのアイドル③
フランケンシュタイン編


 ルネは遊園地が大好きでしたが、ここは何処のテーマ・パークなのでしょう? 背景には漢字で「花鼓飯店」(…と読めます)と英語で「FLOWER DRUM SO…」とありますが、日本ではない? 漢字を使っていて建物が中華風なので中華街? アメリカのロサンゼルス、チャイニーズ・シアターという線もあるのでしょうか? ご存じの方、またはお心当たりのある方は、情報をお寄せください。よろしくお願いいたします。

▲ルネとホラー映画のアイドル、フランケンシュタイン

 ちなみに「フランケンシュタイン」は、この怪物の名前ではありません。この怪物を生み出した科学者の名前です。
 映画「フランケンシュタイン」の第1作は、メアリー・シェリーによるゴシック小説の名作『フランケンシュタイン(Frankenstein)』を原作に、アメリカのユニバーサル映画が1931年に製作しました。この映画は世界的な大ヒットとなり、ホラー映画史上不朽の名作として伝説的な作品となりました。「フランケンシュタイン」は次々と映画化され、私が好きだった「ドラキュラ映画」のピーター・カッシングとクリストファー・リーのコンビでもシリーズ化されました。最近ではロバート・デ・ニーロが演じて話題になっています。
 モンスター(クリーチャー)は、怪奇スター、ボリス・カーロフの演じた首にボルトが刺さったままのモンスターが有名で、「別冊マーガレット」に掲載された亡き和田慎二先生の「わが友フランケンシュタイン」のサイラスも、これが原型になっています。この作品は、醜い姿と美しい心を併せ持つ怪物サイラス( フランケンシュタインの怪物)をめぐる人間たちの愛憎のドラマを描いた連作短編シリーズで大好きでした。

<「フランケンシュタイン」のあらすじ>
 男爵家の嫡男である若き科学者ヘンリー・フランケンシュタインは、生命創造の研究に没頭していた。助手のフリッツと共に墓地から盗み出した死体を接合し、雷光の高圧電流を浴びせ新たな人間を創造するという実験を行う。だが、その肉体には犯罪者の脳が埋め込まれてしまったため、凶暴な怪物が誕生してしまう。怪物は研究室から脱走し、村で無差別に殺人を犯す。怒れる村人たちに風車小屋に追い詰められた怪物は、燃え盛る小屋諸共崩れ去った。


 当時私が好きだったホラー映画は、ピーター・カッシングが吸血鬼ハンターのヴァン・ヘルシング役で主演、ドラキュラ伯爵をクリストファー・リーが演じた「吸血鬼ドラキュラ」シリーズ。カッシングとリーは共に世界的知名度を持つ怪奇映画の大スターで、多くの作品で共演、この分野の黄金コンビと称されました。
 その他には前出の「フランケンシュタイン」、「ミイラ男」に「カーミラ(女吸血鬼)」など、西洋の怪物が怪奇映画の主流でした。最近中国のキョンシーが流行っているようですが、ゾンビやキョンシーはまだ登場していませんでした。
 ドラキュラは伯爵だけに気品があり、他のモンスターとは違っていて、ハンサムな人気俳優が演じるちょっとホラーから離れたような作品もたくさんありますね。私はドラキュラ映画を怖いと思って見たことはなくて… やっぱり一番怖いホラー映画は、架空の怪物が出てくる西洋映画より、人の念や霊が現れる日本映画でしょう。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

            最新情報

 カナダのローラさんの最新YouTube映像です。
 ルネの来日が無くなり、日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツ」が閉鎖された頃の、私たちが一番会いたかったルネの画像がたくさん紹介されています。ルネと一緒のローラさんもご覧いただけます。

René Simard - Make Music 1970s

René Simard 1970s - some of my own photos (marked)

 それから残念な報告です。
 アクセスされた方はご存じだと思いますが、シャンタルさんのルネ写真集は彼女自身が削除してしまったため現在購入できません。何があったのかは彼女が多くを語らないので分かりませんが、たくさんのコレクションを所蔵し、有名なビッグ・ファンである彼女はいろいろ風当たりが強いようです。
 シャンタルさんからは、当ブログで画像をアップすることを許可されていますから、ウォーターマークの入っていないシャンタルさんのコレクションを紹介できます。これから少しずつ日本のファンが会いたかったルネを紹介していく予定です。楽しみにしていてくださいね♪

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ルネとカナダでXマス・パーティー♪③

2012年10月07日 | ミドリ色の屋根の頃
 今回紹介いたします情報は凄いですよ~! 何たって、「ルネとカナダでXマス・パーティー」のツアー参加者しか知らないことですからね! 当時、このツアーに参加したいと切望し、詩を応募したルネ・ファンの女の子は、それはそれはたくさんいたことでしょう。

 この貴重なルネとの想い出をお寄せくださったラウランさん、本当にありがとうございました!!   


 flag11ルネとカナダでXマス・パーティー ♡ ラウランさん編flag11

 ファーストコンサート渋谷公会堂に行きました。
 その時に会場で、藤田トラベルサービス主催の「ルネとカナダでXマス・パーティー」ツアーのチラシが配られました。「行けたらいいなあ~」と夢を見ていたら、その後「月刊明星」でルネの詩の募集がありました。


 本当にラッキーなことに当選し、バンクーバーでルネと会うことができました。当選した詩…その時私は高2でしたが、中学の国語の授業で書いたものがルネのイメージに合うように思い、迷わずに応募しました。今読み返すとかなり拙いものなので、運が良かったのでしょう。
 明星の当選発表に住所も掲載されたので、全国のルネファンの方々からお手紙を頂きました。手編みのマフラーをルネに渡してと、自宅まで訪ねて来て下さった方もいらして…もちろんルネにお渡ししました。

 私たちは1月2日に日本を出発し、ロサンゼルスを観光した後、ポートランドからバスでバンクーバーに入りました。
 1月5日、いよいよルネと会う日。私たちはホテルからバスで、空港にルネを迎えに行きました。ルネの到着は12:30pm。ルネとお姉さんのリーン、マネージャーのルネ・アンジェリルさんとダニエル・バシャンさんは定刻より少し遅れて出て来ました。
 ルネの姿が見えた時からどきどき、ソワソワ! 出てきたルネに、1人1人お花をあげました。ルネは日本語で「どうもありがとう!」 私たちは皆にこにこ! ルネはリーンを連れて来て”This is my sister."とお姉さんを紹介してくれました。

 当時バンクーバーでルネのことを知っている人はあまりいなかったように思いました。知っているのは日本人旅行者だけで、同じホテルに泊まった女子大生がルネにサインを求めていました。ルネは東部のFrench Canadianのアイドルだったのでしょう。

 さて私たち一行はバスでスタンレーパークへ行き、ルネと写真撮影をしました。明星に掲載されたスタンレーパークでの集合写真で、緑色のコートを着ているのが私です。 


<ルネと私達5人の会話>

 ルネが私達に「空手できる?」と聞いたので全員「No!」
 「Do you like Hideki?」 と尋ねたら「Yes!」と言って、西城秀樹の「傷だらけのローラ」を歌ってくれたり、ブルースリーの物真似をしたり、お茶目なルネでした。


 その晩の6時から8時までがルネとパーティー。
 私たちはプレゼントを持ってホテルにある会場へ…ホテルでのディナー・パーティの時もルネは愛嬌たっぷりでした。
 私はルネの席の近くにならないように座ったら、そこがルネの真向かいの席でした。緊張してお料理はほとんど食べられなかったです。
 ルネは食事中も端から目で合図したり、手を振ったり…。恥ずかしがっていると、その子のマネをしたり、サービス精神にあふれていました。
 デザートにアイスクリームが出た時のこと…上にピーチが乗っていて、ピーチが落ちそうでとても食べにくかったのです。私たちはルネの前で恥をかかないように、冷静かつ真剣にアイスクリームと格闘していました。けれどルネは、いきおいよくピーチをテーブルの上に落としてしまったのです。そしたらルネは日本語で「どうも失礼しました」ですって。可愛いですよね!
 パーティの最後にフランス語と日本語で「ミドリ色の屋根」を歌ってくれました。マイクなしで全くの生の声です。初めにちょっと発声練習をして、それから笑いをこらえるのに必死になってほっぺをたたいて…でも歌いだしたら真剣そのもの。小さな身体なのに声量がすごくて驚きました。美しい歌声は部屋中に響きました。

 ルネからのプレゼントはサイン入りクリスマスカードとカナダのカレンダーでした。プレゼントを渡してくれる時、桜田淳子の「青い鳥」の一節を口ずさんでいました。

 翌日の午前中ルネを空港まで送りに行きました。バスの中でもいろいろとお話ししました。「モモエ!モモエ!」と言っていたのでルネは百恵ちゃんのファンだったようです。
 空港でお別れする時に、ルネは握手をしながら日本語で「また会いましょう」と言ってくれました。

 ルネは1月15日にTBSの「モーニングジャンボ」という番組に出演したので、帰国後、詩が当選した友人とTBSのスタジオまで観に行ってしまいました。メープルメイツの会員でもありましたし、おっかけもしていました。

 当選した私達の詩が、その後のルネの歌詞に採用されたということはありませんでした。
 押入れを探していたら、旅行のパンフレットやルネからもらったクリスマスカードなどが出てきました。全国から100名を超えるルネファンからお手紙や小包が届き、当時私がファンの方に出した手紙によると、クリスマスの予定だったパーティが1月に延期になったのは、パリでシルヴィー・ヴァルタンとのコンサートがあったためと記されていました。

 レポートを書いていて38年前の頃を思い出し、気持ちがすっかり若返りました。ルネ効果ですね。

     ▲シルヴィー・ヴァルタン・ショーで


 ♪「ルネとカナダでXマス・パーティー」についての追記♪

・詩の入選者は5名
・カナダでルネとクリスマス・パーティー、そしてロサンゼルス、ハワイ9日間の旅《12月18日(水)~26日(木)》へご招待
 ※実際には1月2日~1月11日に変更
・応募締め切りは昭和49年11月10日。発表は11月24日発売の月刊明星1月号)誌上。5名の入選者には11月18日までに通知。
・詩の審査員は、作詩家=さいとう大三氏、CBSソニー企画制作部次長=松尾修吾氏、集英社宣伝部長=中原祥一氏、『明星』編集長=岡田朴氏の4名。
・この「ルネとカナダでXマス・パーティーそしてロサンゼルス、ハワイ9日間の旅」は、(株)藤田トラベルサービス主催、ルネ・ファンクラブ、日本航空後援によるもので、『明星』当選者5名は特別ゲストとして無料で招待された(渡航手続き費用約6千円は本人負担)。なおこのツアーには、各地の歴史や地理を教えてくれる有名学校の先生、医師も同行した。

 「この時ルネは風邪を引いていて歌を歌わなかった」とグータラのまりあさんは言っていたのですが、「ミドリ色の屋根」を歌ってくれていたのですね。また、まりあさんの情報と画像から、過去ログで推測したことが正しかったことが分かりました。それは、ルネ一行がバンクーバーでのパーティーの後、その足で来日していたことです。ルネがラウランさんたちと交流したのは1月5日。空港で見送ったのが翌1月6日。そしてルネの3回目の来日は1月7日から20日までの14日間だったからです。
 また、ルネがアイスクリームのトッピングのピーチをテーブルに派手に落としたのは、ここで自分が失敗すれば、ファンの女の子たちもリラックスして食べることができるだろうと考えたからだと思います。きっとルネは、真正面で緊張してお料理をほとんど食べられずにいたラウランさんに気付いていたのでしょう。ピーチをわざと落としておどけてみせ、場を和ませようとしたのだと思います。ファンを大切にするルネらしい、さりげない心遣いを感じさせるエピソードですねsymbol1

※過去ログ「ルネとカナダでXマス・パーティー♪」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/199.html
※過去ログ「ルネとカナダでXマス・パーティー♪②」  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/248.html
※過去ログ「3回目の来日」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/304.html
※過去ログ「1975年1月7日」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/385.html


▲シルヴィー・ヴァルタンとパリ見物の記事 シルヴィー・ヴァルタン・ショー同様、2回目の来日時に着ていたコスチュームのルネ

 この情報をいただいた後、ラウランさんから入選したルネの詩と、プロの漫画家になっているというツアー参加者のお二人について教えていただきました。
 ラウランさんの詩は、とても夢のある、純真な少女らしい素敵な詩でした。私が審査員でも絶対選んだと思います。また、漫画家になっているお二人は、このツアーの後間もなく、集英社系の少女漫画雑誌でマンガスクールを経てデビューを果たし、現在もレディース・コミック誌で活躍していらっしゃいます。ルネ同様、現役で活動中なのが嬉しいですね!
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ルネと「カモメのジョナサン」

2012年09月09日 | ミドリ色の屋根の頃
 新学期が始まりました。残暑がまだまだ厳しい中、息子は熱中症対策の水筒持参で登校しています。来週は運動会! 練習も追い込みです。今年は何故かPTAの体育委員長になってしまったため、息子の競技をゆっくり見られるかどうか不安★ また、主人が仕事で行けなくなってしまったため、例年なら地域別の応援席にテーブルセットとパラソルを置いているのですがそれもなかなか大変★ ああ、今から心配…


   ルネと「カモメのジョナサン


▲可愛い世界のアイドル<ルネ>の小さな秘密がいっぱい! ヒット曲でつづる<ルネ>のすべて!
                (※1)映画の特別割引券


 先日ヤフオクで、ルネの「ルネ・オン・メロディ」と「カモメのジョナサン」の特別割引券(※1)を入手いたしました。「ルネ・オン・メロディ」が「汚れなき悪戯」と同時上映されたことはポスターやチラシで知っていましたが、「カモメのジョナサン」と同時上映した映画館があったことは、この割引券で初めて知りました。テアトル土浦のみだったのか、それ以外にも同系列の映画館で同時上映されたのか、この割引券だけでは分かりません。
「この券ご持参の方御一名様に限り窓口料金より100円割引いたします。尚、御父兄御同伴の場合は御同率に割引いたします」とありますので、小中学生に春休みの映画鑑賞券として配られたものなのでしょう。上映期間も4月1日から4月7日でした。
 でも、半券は「ルネ・オン・ステージ」になっていたりして、うーん★…です。

 また、同時期に落札したルネが表紙の「VIVA! FOURTEEN」(※2 『中二時代』1974年10月号付録 当時のものはルネの所だけ切り抜いてフエルアルバムに保管してあります)の中で「カモメのジョナサン」特集が掲載されていました。「スクリーンガイド」というコーナーですが、映画の紹介というよりは、小説の内容の短縮版という感じでした。
 当時この映画は、ベストセラー小説の映画化ということで大変話題になっていました。また、この当時2本立てというのは珍しくなく、田舎町の映画館など3本立てで上映したりしていましたから、スーパー・アイドルのセミ・ドキュメンタリー映画と話題の映画の2本立ては、興行収益が確実に見込める最高の組み合わせだったことでしょう。
 この映画が話題となり、原作小説がベストセラーになっていたことは知っていました。しかし、わざわざ買って読むだけのお小遣いが無かった私は、後にテレビのロードショーで放映された時もちょっと観ただけでした。
 ルネの来日のあった頃読んだ本というと、話題になったものは、「わたしは13才~なぜママになってはいけないの?」というイギリスの女の子の手記。当時では考えられないセンセーショナルな内容に一大ブームを巻き起こしました。また、動物好きだった私は、映画で観たジョイ・アダムソンの「野生のエルザ」の文庫本を買って読んでいたことを覚えています。それから、読書の時間に読むために、1人1冊ずつ家庭から持ち寄って常設していた学級文庫の本で、誰も選ばず残ってしまった「三国志」(特にこの頃は女子の選ぶ本ではなかった)にはまったりしていました。もちろん、カナダが舞台の「赤毛のアン」は外せませんね!

カモメのジョナサン」については、割引券のおまけにいただいたチラシと「VIVA! FOURTEEN」からこの映画について紹介したいと思います。 

    
    ▲(※2)「VIVA! FOURTEEN」


<カモメのジョナサン>

飛べ! ジョナサン その愛の翼で 心から心へ
 いまブームをまきおこしている「カモメのジョナサン」。映画と同名の原作は四年前に発行されて、アメリカだけで1200万部を売りつくしたという超ベストセラー。美しい写真入りのこの本は、すでに十数か国語に翻訳され、アメリカでは「風と共に去りぬ」をしのぐ売れゆきで、聖書なみのベスト・セラーとなっている。日本でも五木寛之の翻訳により6月22日初版本が出されたが、発売と同時に五万部が売り切れたという大変な人気である。
 原作はリチャード=バックという元パイロット。なにしろジョナサンというカモメが主人公で、人間は一人も登場しない原作だけに、映画化もむずかしいと思われていたが、製作・監督・脚色のホール・バーレットは、原則のもち味をみごとに映像化している。レコードも発売され、小説、映画、レコードと三段構えのジョナサン・ブームということになる。(解説は「VIVA! FOURTEEN」より)


☆映画館のチラシより

・カモメのジョナサン(原作「Jonathan Livingston Seagull ジョナサン・リビングストン・シーガル」)
・1970年初版発刊。
・日本では1974年に新潮社版が五木寛之訳で発刊。3か月で100万部を突破。
・25か国語に翻訳され、各国でベストセラーになっている。

・上映時間1時間39分
・一切人間を登場させず、撮影はオールロケで、セットも用いない。
・高度3000フィート上空の雲海。大波が砕け散る瞬間をとらえた上空からのヘリコプター・ショットなど、オープニングからパナビジョンの大画面いっぱいに素晴らしい映像をみせてくれるのは、ジャック・コウファーとヘリコプター撮影を担当したマクギルブレー・フリーマンのコンビ。
・音楽(作詞・作曲・編曲・歌)ニール・ダイアモンド

☆あらすじ
 かもめのジョナサン・リビングストンは一風変わっていた。仲間たちが海岸やゴミ捨て場で半分腐りかけた餌をあさり、その日一日を生きることにあくせくしているときに、ジョナサンは群れから遠く離れた大空で誰よりも高く誰よりも速く飛ぶ練習に余念がなかった。かもめだって、神から与えられた翼を十分に生かし、大空を自由自在に飛び廻ることを覚えれば今までのようにゴミをあさって飢えを満たし、寒さにこごえ死ぬような思いをすることはない・・・それがジョナサンの考えだった。仲間のかもめたちは、そんなジョナサンを気狂いとあざ笑い、群れの長老たちは若いかもめたちがジョナサンの影響を受けることを怖れていた。ジョナサンは両親の忠告もあって、1度は群れに戻る決心をするが、腐ったゴミを啄んで生きる屈辱には耐えられなかった。彼は再び大空高く舞い上がった。急降下の練習をしているとき、ジョナサンはスピードのコントロールを乱し、海面に激突した。半ば意識を失ったままジョナサンは波のまにまに漂っていた。十数時間後、ジョナサンは奇跡的に海面から飛び立った。この事故以来、ジョナサンの飛翔力は一層冴え、限界突破や夜間飛行など不可能と思われていた技術を身につけ、彼は自分が体得した技術を仲間にも教えようと群れに戻るが、彼を待ち受けていたのは長老たちの“終身追放"宣告だった。ジョナサンは放浪の旅に立った。大陸から大陸へ、大洋から大洋へ。春が過ぎ、夏が来て、短い秋が終わると厳寒の冬がやってくる。ジョナサンの心にいつの間にか芽ばえた孤独感が胸一杯に広がり始めた頃モーリンと出会った。彼女はジョナサンを見知らぬ世界に誘いそこで老師チャンに引き合わせた。ジョナサンは、チャンほど見事に飛翔するかもめを見たことがなかった。チャンは飛翔の究極の術ともいうべき、時と空間を超越して飛ぶことをジョナサンに教えた。チャンの教えをむさぼるように吸収したジョナサンは、それを離れてしまったもとの仲間たちに教えたいと思い、愛と平和に満ちた理想郷をあとにした。だが、長老たちの怒りはさめておらず、ジョナサンは群れに近づくことが出来なかった。そんなある日、やはり彼同様、仲間から追放された若いフレッチャーに出会う。ジョナサンとフレッチャーの飛行訓練が始まった。それを見た数羽の若いかもめたちが追放を覚悟でジョナサンのもとに集まった。ある晩、フレッチャーは皆の前で、飛行術を見せるために飛び立った。が、その瞬間予期せぬ出来事が起こった。海面めがけて降下するフレッチャーの眼の前に、子かもめが飛び出したのである。思わず身をよけた彼は断崖に激突し、息絶えた。そして信じられぬことが起こった。ジョナサンが横たわるフレッチャーに何かを語りかけると彼が息を吹き返したのだ。騒然となるかもめたち。この事件がきっかけでジョナサンは若い弟子たちを群れに返し、再び放浪の旅に立っていった。

※wikipedia「カモメのジョナサン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%82%E3%82%81%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%B3


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ルネとマリージョセの基金活動
la Fondation Sourdine pour l’École oraliste de Québec pour enfants malentendants ou sourds




 ルネ・シマールと妻マリージョセが、「Ècole Oraliste de Québec Pour Engants Sourdsケベックオーラリストスクール」(聴覚障がいを持つ子どもたちが手話を使わず、リップリーディング(読唇術,視話)と発声による会話を習得するための学校)の第1期基金活動のスポークスマンを5年間務めることになりました。5年間での目標は250万ドルだそうです。このことについてはしゃむねこさんが彼女のブログサイトで詳しくお書きになっています。それに関連した「ルネの子どもたち」については、当ブログの記事をリンクしていただいておりますので、ルネの活動についてお読みください。

※しゃむねこさんの”Passion ルネ・シマール au Japon”参照http://renesimard.blogspot.co.nz/2012/08/la-fondation-sourdine-pour-lecole.html
コメント (2)
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