今まで、テレビ見てました。
「ホームレス中学生」です。
ベストセラーになった本は読んでないので
このドラマで初めて内容がわかりました。
このドラマ見ていて、何回も涙が出ました。
年とったせいでしょうかね。
それぞれの立場が解って、気持ちを感じてしまいます。
このドラマの中で、裕は11歳の時に
亡くしたお母さんの死を受け入れることが出来なくて
泣くことをしなかった。
母親の死を認めたくないから
泣いてはいけないと思っていた。
中学生になって、友人のお母さんの葬式の席で
友人の泣いている姿を見て、泣くまいとしていた自分も涙を流します。
親切にしてくれた友人の母親の死によって
自分の母親の死を再確認出来たんですね。
それから、堰を切ったように母親のとの思い出があふれ出て
何度も涙を流しています。
母親を亡くして以来、初めてどっぷりと
悲しみにくれることが出来た時間。
この時間はとても重要な時間で
大切な人を亡くした時、どうしても通らなければならない
時間だと思います。
この時間は「グリーフワーク」と呼ばれています。
「どうして、死んじゃったの」
「僕を残して死んだの」
「僕がいけない子だったの」
「死ぬ人が何で僕のお母さんなの」
「死んだらお母さんにあえるかな」
何もする気が起きず、全てが無駄に見え
誰にも訴えられず、食欲もなく、寝られず
そんな時間を過ごす事が、大切な人を亡くした時に
与えられる時間だと言われています。
だから「グリーフワーク=喪の仕事」と呼ばれているんです。
この時間の中で、少しずつ諦めが持てるようになるのですが
悲しみがこれで終わる訳ではないんです。
辛苦だけでなく、幸せだった事や楽しかった事も思い出してきて
「いい人だった」「感謝している」の気持ちも持てるようになる。
家族を亡くした私の友人は「悲しみはあるけど、悲しみの質が変わってきた」と
表現していました。
子供って、恐ろしく感性が鋭くて
大人が感じないような事を考えるんです。
自分が悲しむことを家族に悟られないようにしたり。
自分が悲しむ家族を救わなくてはと考えたり。
健気なんです。
このドラマの中でも
お兄ちゃんやお姉ちゃんも裕と変わらぬ悲しみを抱えたはず。
そして、お父さんもです。
家族の中で亡くした人の話が出来ない時間があるんです。
話すのが辛くて、相手の悲しみが察せられて
その話しをお互いが避ける時間です。
お互いに話を避けて、10年後初めて当時の話をした家族もいます。
これも遺族の方の話ですが
「怪我をするとそこが痛いでしょう。
お互いに怪我をしていると、抱き合う事も痛くて出来ないでしょう。
そういう状態なのよ、家族は。」
時間が薬とは好く言ったものです。
でも、これは「結果そうなった」事であって
他人がこれを言って慰めると、返って傷つけてしまいます。
このドラマの兄弟はすごい兄弟でしたね。
皆、辛いはずなのに思いあっている。
ドラマだから、いい事しか演じてないかもしれないけど
でも、大筋はきっとこうなんでしょうね。
解る気がします。
この兄弟、「有難う」の気持ちが一杯ある。
人に向けた感謝もさることながら
裕は一月暮らした公園を去るとき
黙ってお辞儀をしてましたね。
エライ!!!
見習わなくっちゃ。
「ホームレス中学生」です。
ベストセラーになった本は読んでないので
このドラマで初めて内容がわかりました。
このドラマ見ていて、何回も涙が出ました。
年とったせいでしょうかね。
それぞれの立場が解って、気持ちを感じてしまいます。
このドラマの中で、裕は11歳の時に
亡くしたお母さんの死を受け入れることが出来なくて
泣くことをしなかった。
母親の死を認めたくないから
泣いてはいけないと思っていた。
中学生になって、友人のお母さんの葬式の席で
友人の泣いている姿を見て、泣くまいとしていた自分も涙を流します。
親切にしてくれた友人の母親の死によって
自分の母親の死を再確認出来たんですね。
それから、堰を切ったように母親のとの思い出があふれ出て
何度も涙を流しています。
母親を亡くして以来、初めてどっぷりと
悲しみにくれることが出来た時間。
この時間はとても重要な時間で
大切な人を亡くした時、どうしても通らなければならない
時間だと思います。
この時間は「グリーフワーク」と呼ばれています。
「どうして、死んじゃったの」
「僕を残して死んだの」
「僕がいけない子だったの」
「死ぬ人が何で僕のお母さんなの」
「死んだらお母さんにあえるかな」
何もする気が起きず、全てが無駄に見え
誰にも訴えられず、食欲もなく、寝られず
そんな時間を過ごす事が、大切な人を亡くした時に
与えられる時間だと言われています。
だから「グリーフワーク=喪の仕事」と呼ばれているんです。
この時間の中で、少しずつ諦めが持てるようになるのですが
悲しみがこれで終わる訳ではないんです。
辛苦だけでなく、幸せだった事や楽しかった事も思い出してきて
「いい人だった」「感謝している」の気持ちも持てるようになる。
家族を亡くした私の友人は「悲しみはあるけど、悲しみの質が変わってきた」と
表現していました。
子供って、恐ろしく感性が鋭くて
大人が感じないような事を考えるんです。
自分が悲しむことを家族に悟られないようにしたり。
自分が悲しむ家族を救わなくてはと考えたり。
健気なんです。
このドラマの中でも
お兄ちゃんやお姉ちゃんも裕と変わらぬ悲しみを抱えたはず。
そして、お父さんもです。
家族の中で亡くした人の話が出来ない時間があるんです。
話すのが辛くて、相手の悲しみが察せられて
その話しをお互いが避ける時間です。
お互いに話を避けて、10年後初めて当時の話をした家族もいます。
これも遺族の方の話ですが
「怪我をするとそこが痛いでしょう。
お互いに怪我をしていると、抱き合う事も痛くて出来ないでしょう。
そういう状態なのよ、家族は。」
時間が薬とは好く言ったものです。
でも、これは「結果そうなった」事であって
他人がこれを言って慰めると、返って傷つけてしまいます。
このドラマの兄弟はすごい兄弟でしたね。
皆、辛いはずなのに思いあっている。
ドラマだから、いい事しか演じてないかもしれないけど
でも、大筋はきっとこうなんでしょうね。
解る気がします。
この兄弟、「有難う」の気持ちが一杯ある。
人に向けた感謝もさることながら
裕は一月暮らした公園を去るとき
黙ってお辞儀をしてましたね。
エライ!!!
見習わなくっちゃ。