今熊のバス停に咲いているモッコウバラ
50余年前私が現在地に越してきた時の住所は大阪府南河内郡狭山町大字今熊であった
通勤する最寄り駅は南海電車高野線金剛駅、この駅前から南海バスに乗り10数分
バス停から徒歩2分
南海電鉄が「太陽と緑の丘」のキャッチフレーズではじめて開発を始めた住宅地
話を聞いて初めて現地に行ってみた
殺風景な赤茶けた土(元はブドウ畑だったそうだ)の中に家が建つ建売住宅であった
売り出されたのは約50戸
バスの通る道の途中に帝塚山学院女子大学があった
バス停の名前は「今熊」であったがいつのまにか帝塚山学院大前になった
リタイヤして地元でいろいろ活動するうちに大学へもよく行った
私が参加していたゴスペルコーラス「ジョイフル」と大学のゴスペルコーラス「リンクス」
が交流し、他の音楽クラブと一緒になって金剛の駅前のスタジオで音楽祭も開催した
10年程前には男女共学になり「帝塚山学院大学」になった
自治会の役員になってからは毎年8月の「すずかけ夏まつり」に参加してくれていた
20数年前には陶器山トンネルが出来、大阪狭山市と堺市が繋がり自由に行き来できるようになった
やがてトンネルを越えたすぐ近くに帝塚山学院高等学校が出来、大学の新しい学部も新設され
徐々に拡大していった
そして今年の3月、狭山キャンパスに残っていた3,4回生も全員堺キャンパスに移り
大学は空っぽになりバス停も昔の「今熊」に戻ってしまった
近畿大学医学部、附属病院も数年後には堺市に移転が決まっている
大阪狭山市の議会も「維新の会」の議員が増えており
いずれ大阪狭山市は堺市に吸収合併されてしまうのではないだろうか
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