天王寺七坂歩きに参加した
生玉神社北門
北門から千日前通りへ下る坂が真言坂
七坂で唯一南北に通じる短い坂
千日前通りが出来るまでは高津宮の参道まで続く長い坂であった
付近に真言宗のお寺が多かったのでこの名前がついた
坂の西側に「右京道・天保十五年」の道標があり
熊野街道から八軒屋を右に折れ京街道に通じていた
京の字の中に一を加えた俗字、昔は字数で縁起を
担いだため足らないときには「一」を加えた
生玉神社に入る
生玉の杜
敷地内には織田作之助や井原西鶴の銅像がある
生玉神社本殿
大鳥居 寄進者はサントリーの社長
参道
近くの公園のそばに水戸藩士「川崎孫四郎自刃の所」の碑
生玉公園の中にこんなものがあった
戦争中に造られた防空壕の通気口だそうだ
この防空壕は空襲に備えるため「都市防空壕」として、
一般には入手できなかった資材を使って大阪市が建設、
内部の構造はアーチ状で鉄筋コンクリート造り、2階建て
広さ203㎡、体育館くらいの広さがあったそうだ
戦後はホームレスの住処になり内部で煮炊きなどされ
破損もひどくなったので入り口は完全に塞がれ内部には入れない
生玉神社を抜けて高津宮へ向かう
こんなところに天王寺高校 開校の地がある 昔の天中、
大阪に府立の中学校が出来たのは1873年、一中が北野、
その後二中堺(三国丘)、三中八尾、四中茨木、五中天王寺、
六中岸和田、七中市岡と続き、ここまでがナンバースクール
戦後は府立高校になっている
高津宮
去年から何度も来ている
お祭りがあるようで「わら舟」が作られている
「とこしえの舟」と言うそうで藁は近江舞子から運んだ藁を
宮司や参拝者達が舟形に結って造った物
船の中に境内の土を敷き詰めた上に2万年前の地層から
出てきた神代杉(真ん中の黒いもの)を乗せて完成
七坂の一つを歩いただけで昼食のため谷九へ戻った
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