晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

生野銀山と神子畑選鉱場跡(2)

2017-11-22 22:22:22 | 国内旅行
     
     2015年11月の新聞を見てここへ行ってみたいと思った。
     しかし行ってもどこまで観られるのか具体的なことが分からず
     そのままにしていた。


     
     先月ジパングクラブのツア-での企画を見て即申し込んだ。

     
     素晴らしい日本遺産だ。

     
     生野銀山からバスで約30分。
     山の斜面にむき出しのコンクリ-ト土台が十数段。
     操業時にはこの土台の上に東洋一と称された22段の階段状建物があり、
     昼夜24時間操業が続き「不夜城」と言われていた。
     しかし2004年老朽化で三菱マテリアルが建物を撤去してしまった。


     
     貨物や人を乗せて台車が上下したインクラインの線路跡。

     
     建物が撤去される前の写真。
     
     
     神子畑選鉱場は銀と銅を産出する鉱山として開拓されましたが
     次第に産出量が減り、大正6年に閉山。
     大正8年明延鉱山から運び込まれた鉱石を山の斜面を利用した
     選鉱場として生まれ変わりました。
     しかし昭和62年、明延鉱山も円高の進行で競争力を失い閉山。
     神子畑選鉱場も操業を終了しました。   
     

     
     神子畑選鉱場跡は、幅110m、高低差75mの巨大な廃墟のままです。

     
     「一円電車」。   
     明延鉱山で採掘された鉱石や人を運ぶために造られた電車。
     乗客数を把握するため一人一円にしていたことから
     「一円電車」と言われた。
     トンネルの中を通るため、男女は別々の車両に乗り、
     日本最初の女性専用車でした。

     
     
     鉱山で採掘された銅の原石。

     
     フランス人地質家ム-セの居宅。
     生野には、お雇い外国人官舎3棟、長屋2棟があった。


     
     液体に混じる個体粒子を分離する「シックナ-」という設備。
     直径30mのものは、百尺シックナ-と呼ばれていた。


     

     

     

     
     ここまでは今までも車で来て見学して帰ることが出来ました。
     私たちは今回JTBと朝来市の企画でマイクロバスに乗り換えて
     山の上に上ることが許されました。


     
     バスで山に上って行きます。
     この山の高さは同じ朝来市にある竹田城よりも高いそうです。


     

     

     

     
     フランス人技師、「ム-セの旧宅」が真下に見えます。
     
     百尺シックナ-。

     

     
     明延鉱山で採った鉱石を最上部で砕き、
     急斜面を生かした階段状の工場内を下りながら、すりつぶし、
     薬品での分離、重さによる選別などを経て選り分けられた。
     錫は生野へ送られ、銅は香川県の直島、亜鉛は秋田県で精錬した。
     初めてなのでガイドさんも居らず、現場で仕事に従事していた82歳の方が
     詳しく説明してくださった。


     

     

     

     

     
     さっき下から見上げたインクラインの山上からの眺め。
     
     インクラインの終点、操作室。
     
     周りの山々は紅葉が進んでいます。
     
     今回は初めてのことなので、朝来市の市役所の人も同道、
     竹田城とセットで観光地として売り出そうとしているのだろう。


     
     日もトップリと暮れた生野駅。
     18時17分発の「特急はまかぜ6号」に乗車、
     20時05分大阪駅に戻ってきた。
     長い充実した一日であった。
     
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