名城信男、判定負け。試合後に引退表明したと聞きました。
初回、名城が先手を取り、王者テーパリットのジャブを受けつつ攻めきりましたが、
2回以降はテーパリットがしっかり身体全体を使って打つジャブに突き放されます。
手応えのあるパンチを打てる距離を失った名城は、前に出ようと単調になったところを
多彩なパンチで迎え撃たれ、また突き放され、の繰り返し。
テーパリットのジャブに対し、強い右を叩いて抑え込むことが出来ず、後手後手。
7回までは、文字通りのワンサイド。名城が立て続けに失点を重ねました。
挑戦者としては最後のリング、つまり敗北イコール引退と公言しての一戦は、
私が今まで見てきた名城信男の試合の中で、もっとも厳しい内容と結果、
つまり「惨敗」へと突き進んでいるように見えました。
しかしやはりというか、さすが名城というか。
中盤まで時折叩いていた左ボディが徐々に効いたのか、序盤から好ペースだった反動か、
徐々に動きが落ち、突き放すジャブの伸びも少しずつ落ちてきたテーパリットに、
名城が猛然と反撃。場内一気に沸き返り、観衆は配布されたメガホンを叩き出す。
そのリズム、音響に乗って、名城がテーパリットを追い回し、打ちまくる展開となります。
8回、左ボディが再三好打。右の追撃がテーパリットを脅かす。
9回、打ち合いで右の応酬、名城ワンツー、左ボディ。
10回、名城のボディが効いたか、テーパリットのジャブは、突き放す威力と伸びを失い、
名城にさらなる攻勢を許す。
11回、テーパリットのグローブのテーピングが二度にわたって緩む。王者陣営、実にベタ。
さらに名城攻勢。テーパリットのジャブの伸びが僅かに甦るが、名城攻め続ける。
最終回、名城さらに攻める。場内メガホンの大音響。右ヒット、ボディも入る。
大歓声の中、ゴング。
後半の攻勢時には、正直に言って私も思いきり手を叩き、あれこれ叫んでおりました。
何を言っていたのかは、記憶にありませんが、少々乱暴な言葉を使っていたかも知れません。
前半の苦境を耐えて凌いでの逆襲、こういう試合を「彼らしい」と表現することには
ちょっと抵抗も感じるのですが、最後まで諦めない闘志が見えた、良い試合でした。
私の採点は、名テテテ テテテ名 名名名名 というところで、114-114。
しかし判定は2-0で王者テーパリットを支持しました。
やはり、競った試合では、先にジャッジに好印象を与えた者が有利なのでしょう。
しかし、惨敗の予感も感じた試合を、ここまで惜しい「惜敗」に変えた名城の健闘に、
場内からは惜しみない拍手が送られ、名城が控え室に去った後も、客席にはその場を
すぐには去りがたい、という風情で立ちつくす人々の姿が見られました。
会場の住吉スポーツセンターは、思った以上の盛況でした。
どの程度「実売」だったかは知りませんし、私には関係のない話ではありますが、
もし「ちょっと見てみようか」という感じで会場に足を運んだ方々も、
ボクシングが発する熱量のようなものに触れられたのではないか、と思います。
名城信男が最後に闘ったのは、そんな試合でした。
彼は今現在の自分自身の全てを尽くして闘いました。
その闘いが放った熱は、それを直に見た者の心に、確かに残ったことでしょう。
怪物のように強かったルーキー時代から、様々な苦悩と疲弊を抱えて闘った現在まで、
名城信男の試合に、私はたくさんの夢を見せてもらいました。
それが時に実現されて歓喜となり、時にかなわぬ望みで終わることもあったけれど、
初めて世界王者になったときの「もっともっと強くなりたい」という言葉で語られた
名城信男の追い求めた夢を、勝手ながら私も一緒に見せてもらえたように思います。
そして、どんなに素晴らしい夢も、いつか終わりが来るということでしょう。
それが今日にはなってほしくないという思いで、思い切り応援しましたが、
結果として、最後の応援となってしまいました。
名城信男、本当にお疲れ様でした。悔い無き闘いだったと思います。
しかし、私には最後に悔いがひとつあります。
私もメガホン叩いて応援すりゃ良かったな、と。
思い切り拍手し過ぎて、ちょいと手が痛いですよ、ホントに。
デビュー4戦目の竹田津孝戦から、本田秀伸、田中聖二、プロスパー松浦、そしてマルティン・カスティーヨと闘っていたころの名城には、「最短記録は拙速である」という批判など無意味に思わせるだけの、説得力のある強さがありました。強くて頑健なだけでなく、巧くて狡猾で、柔軟かつ多彩、変速な攻め口を持っていて、なおかつ強打者である。相手から見れば撃ちにくい的であり、闘いにくい選手でした。この頃の名城は、闘うたびに相手のレベルが上がるにも関わらず、これらの試合において、こちらが想像しうる以上の内容と結果を出し続けました。彼の試合を見る度に、こちらが抱きうる期待のさらに上を行き続ける名城には、ただただ驚嘆させられてばかりいたことを思い出します。
あまり言いたくないことですが、良いときの名城なら、テーパリット程度の相手に、どんな展開であれ負けることはなかったでしょう。単にカスティーヨあたりと比較しても、明らかに格下です。ジャブで突き放して、入ってくるところを迎え撃とう、という、ただそれだけのボクシングに対して、上体を立てたままブロックのみで対応せざるを得ず、後半攻める展開でも、身体の回転が利かず決定打が出ない姿には、悲しみさえ感じたのも事実です。
私は、名城のキャリアを変えたものは、結果としては最短記録狙いの弊害だった、と思っています。少ない試合数で大きな試合を戦う過程で、練習や試合での身体的負担が大きくなり、それが腰痛などの故障によって現れた、ということなのでしょう。
しかしその反面、彼がかつて見せた試合振りを知る者としては、陣営や周囲が、そのような路線を求めたのも仕方なかったのかな、と思っていたりもするのです。もちろん結果的にそれは間違いだったのですが。それほどにかつての名城は強く、そのキャリア構築に対する「説得力」は、後の八重樫東や井岡一翔などとは、比較にならないほどのものがありましたね。
メキシカンでは、キャリア序盤から世界戦ばりの強豪と試合をしてキャリア序盤に負けをつけながらも、機が熟して世界戦を迎える選手もいたりしますが、日本では最短世界獲得狙いでのキャリア序盤が名城にとって悪影響があったと思われますか?
しかしながら、世界を二度もとれたのですから、充分すぎる結果ですけれども。さうぽんさんの思いの詰まった観戦記を読み、改めて良いボクサーだと思いました。
デビュー当時からつぶさに見てきた者の目には、今の名城はピーク時の6割程度、という風に見えました。腰痛やその他の怪我の影響か、ロングのストレートパンチをダックして低い姿勢から強いリターンを返すことが全然出来なくなっています。ムニョスの長い右、カサレスのアウトサイドからの右フック、今回のテーパリットの左、良いときの名城なら大半を外して、飛びかかるような左のリターンで逆に相手を脅かしていたでしょう。
田中聖二戦の心理的影響については、それを扇情的にくどくどと書いた記者の記事に辟易したものですが、当然事実としてはあることでしょうね。適切な言葉かどうかわかりませんが、あの試合を境に「殺傷本能」のようなものが名城から消えた、と感じるのも事実ですね。
しかし、そうした過去の自分の強さを失い、その現実を抱えた上で、懸命に闘い抜いた名城に対して、私は最大限の敬意を払いたいと思います。ナニワの怪物ボクサーとして、世界のリングでドネアやアルセやダルチニアンと伍して闘ってほしい、という、かつて私が抱いた期待は実現されませんでしたが、辰吉丈一郎と同じように、かなわなかった夢の壮大さと共に、名城信男の勇姿が私の心中から消えることはないでしょう。良いボクサーの全キャリアを見終えて、良い夢を見せてもらえたな、と改めて思っています。