ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

あ~疲れた!!

2013年10月31日 | 一寸そこまで





今日は大きな鉢の「デュラン」や「月下美人」を植え替えてあげました。ウンコラ
ウンコラと鉢を運びました。今度植え替えるときは、一人では無理だろうな~、
と考えながら…。

10月30日(水)今月の初めに、勤め先でのグループで、今まで続いている
4人組の内の一人のご主人が亡くなられたので、少し日を置いてから行きまし
ょうということになっていて、其の訪問日でした。

JR朝霧の駅で待ち合わせて、3人で行きました。私たちは1年半振りですが、
ご主人を亡くした友とは、もう何年も会っていません。いくら誘っても出てこな
かったからです。

腰を痛めているのは知っていましたが、同道した二人も、足腰を痛めて、座れ
ない、すぐには立てないというので、3人ともソファーに、私一人座っていまし
た。

座卓を出すのも、お茶を出すのも、彼女が不自由そうですので、私一人が立
ったり、座ったりでお手伝いです。

1年半という年月が、彼女たちを身体不自由にしていました。

まだまだ疲れが取れていないだろうから、昼の気を使わせるのも悪いから「昼
過ぎに行きましょう」と提案したのですが、二人が、11時で1時間ほど居て、
帰りに、食事をしようと決めてしまいました。

「昼は、息子が造ってくれるというから、ゆっくりして行ってね」ということでした。
息子さんが、学生時代、居酒屋さんでアルバイトをしていて、そこでみっちり
仕込まれて、自分も「居酒屋」を開いていたのでした。

彼は、中学時代、「体操選手」でした。兵庫県代表で、地区大会に出るから、
テレビ見て、と見た事を思い出しました。地元の高校に行きましたが、「奈良
・天理高校」から「体操選手」として、入学のお誘いがあったようです。

其のころから見ていません。それまでは子供ずれで、春休み夏休みは4軒を
廻り持ちで会っていましたから、よく知っていました。

其の子が、もう50近くなって、幼顔は残しながらも、私たちにお弁当を作って
持ってきて(歩いて10分ほどのお店から)くれました。「近頃はお弁当は作っ
ていないので…」と言いながら、「天だし」まで添えてありました。

「いい料理人になったんだ」「手に職を持て偉いな~」と思いました。見た目も
綺麗に、煮物も薄味でおいしく、私は「はなまる」を付けました。

彼女には、もう一人、娘も居ますが、北京で働いています。今は娘を持っても、
バリバリ海外に出て働くので、頼れないこともあるのですね~。

これはとても嬉しかったのですが、このお食事を挟んでの4時間、「病気の話」
ばっかり。私だって、決して健全ではありませんが、病の話を微に入り細に入
り話されるのには、聞く私はほとほと疲れてしまいました。こんなに「病気の話」
ばかり聞くのだったら、もう集まりたくないな~と思ってしまいました。

よっぽど疲れていたのでしょう、帰りの電車で気がつけば寝てしまって、「塚
本」という声で目が覚めました。「塚本?」「塚本って、どこだったっけ?」「そ
~だ!寝過ごしたんだ!」と朦朧とした頭で考えているうちに、ドアは無常に
も閉まり「次は大阪」のアナウンスです。「せっかく大阪に着くのだから、下り
て買い物でも?」と考えたのですが、疲れが、其の気持ちを打ち消しました。
往復30分の乗り越しで、やっと我家に着きました。疲れた~!!

     ☆ 明日お休みします。


コメント
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