ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

親の責任か?

2007年11月20日 | 新聞から
           こうようの赤ちゃん
           (阪急武庫之荘)
         葉っぱとはいえ赤ちゃんは
           瑞々しくて可愛い

昨日は娘と母親について書きました。今日は息子と母親です。親にとって子供は何時までたっても子供です。この気持ちを否定する人はいないと思います。「親を思わぬ子は在っても、子を思わぬ親は無い」

今朝の新聞です。69歳の高校講師の男性。
「親の女優“追及”は筋が違う」三田佳子さんの次男の問題です。
『有名女優の次男が覚醒剤所持で逮捕された。・・・中略・・・それにしても母親がマスコミの前で涙ながらに弁明、謝罪する姿に、私は日本社会の未熟さと特異性を感じた。

逮捕されたのは28歳の大人である。責任は百パーセント本人にある、母親が釈明会見する必要はない。マスコミも母親を詰問すべきではないと思う。・・・中略・・・親も世間も大人に成って本人の自立を促し、責任も本人に取らせればいいのであって、養育の失敗だとか、小遣いが多すぎるとか、やっかみ根性に基づいた騒ぎ方はいかにも軽薄だ。

私は、親は当人の責任ですといって沈黙を守ればいいし、マスコミは司直(法律によって事の曲直を裁く職にある人。裁判官、検察官)を通じてニュース取材をすべきだし、罪は本人が償えばいいと思う。其れが成熟した大人の社会ではないか』

母親は「28にもなった息子を如何すればいいのか分からなくて・・・」父親は「人には変なやつに見えても、私には可愛い・・・」本当なら、美人で働き者の親を持ち、何不自由なく育てられて、幸せな人生のはず。何処で如何間違ったのか「薬物」に手を出してしまったのが18歳の時、それから今度で3度目。

18歳の時共に間違いを起こした人たちの全てが、再犯を犯しているのではないのだろう。一度手を染めると、抜けるのに大変だとは聞きます。其れは本人の意思の強弱による事であって、親の責任だろうか?

育て方が悪かったと言うが、次男と言うからには、長男がいる。兄は普通の生き方をしておられるのだろう。同じ環境にあっても、気質も違えば、周りの人の輪も違うだろう。親は何処まで責任を取ればいいのか? 28歳の息子の行動の責任を親が取る必要があるのだろうか? 責められるべきなのか?

数ヶ月前、私の長男が駐車場にとめていた車から、楽器を置き引きされた。その楽器には「印」をつけてあった。ネットでオークションに出すのではないかと思った。オークションされている楽器を見つけた。決め手は「印」がはっきり写っていた。警察に事情を話して盗難届けを出して、犯人は捕まった。10数万円する楽器を1万円で売りに出していたらしい。その時、犯人に代わって親が「5万円なら都合がつく」と言われた。其れを聞いて私は言った「30代の息子の罪まで、親が償わなければならないの?そんなのおかしいよ。それにその5万円がその親にとっては大切なお金だとしたら、そんな責任を親が取る事ないと思う」

息子の罪が少しでも軽くなるようにとの親心から出た申し出だと思う。弁護士からの電話もあった。本人からの改心の手紙も来た。皆少しでも罪を軽くする為のものなのだ。結局買い戻してくれたのは警察だそうだ、警察はこの場合のように本人や身内に支払い能力のないときのための保険を掛けているそうで、そこから支払われ楽器は無事手元に戻った。

我子が犯罪者と言われるようになると考えて子育てした親はいない。幸せな人生であると信じて育てるのよ。子供達よ真面目に生きて!
コメント (2)
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