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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

東京

2006年08月11日 | ちっちゃな旅
           ノウゼンカツラ
          (この花見~つけた)
        あちこちで咲いている夏の花
       強力な光が当たらないと蕾は落ちる

7ヶ月ぶりの東京へ孫娘と一緒の1泊の小さな旅、第一目的は10日に予約した「三鷹の森ジブリ博物館」だ。前日を何処に行こうかと考え、今人気スポット・お台場に決めた。

朝が早い為、前日の夜から泊まりに来る事になっている。8時頃の予定だった。
夕方何気なく携帯を見て驚いた。本人からその母からその兄からのメールや電話が入っている。直ぐ母親に電話する「おばあちゃんに連絡したが出ないので一人で行く」今度は本人に電話した「今何処?」「もう直ぐ尼崎」「その電車西明石行き?」「そう」これで安心間もなく着く、やれやれ。

9歳(2月生)だし、乗り換えの一つや二つあっても我家に来れるとは思うが、今の世の中途中で事故に巻き込まれてもと言う事で大阪まで迎えに行っていた。夜遅いときはマイカーで送ってきた。帰りは大阪駅に母親が出迎えた。

「子供用イコカ」が残高0円だと言っていたので「切符は?」「カードに1,000円入れた」補充する時は彼女がしていたので大丈夫だった。大阪駅は今月に入って様変わりしているし、西明石行きに乗らないと、尼崎から三田方面に行ってしまう。「よく乗り場解ったね?」「駅員さんに聞いた『XXに行くのは何処から乗りますか?』親切に教えてくれた」初めての経験、彼女は無事着いた。

此処でも文明の利器「携帯」が役立った。我家に向かっている時もその現在位置が解ったので安心して待てた。彼女は両親が共稼ぎに近い為、連絡用に携帯を持っている。

昨日から台風7号が関東地方に上陸の可能性在りと報じている。気になったが「ジブリ美術館」は予約制で切符を買っているし、心配の一方では過去には「旅行中は晴れ」だから今回も「晴れ」だろうと暢気に考える。パラパラと雨は落ちたが持参の傘は差さずに済んだ2日間だった。

幸いな事に往復とも富士山が見えた。富士山を始めて見る彼女は大喜びである。頂に雪はなくとも、なだらかな山形にその山と理解したらしい。帰りにもまた富士山に会った。暮れなずむ空に浮かぶようなシルエットでその姿は在った。この感じは私も始めてである。スピードの速い新幹線が恨めしい一瞬だった。

東京着、新橋から「ゆりかもめ」に乗りお台場へ。「お台場冒険王」と言う「フジテレビ」の中をうろうろする。雑誌には「もしかしたらスターに会えるかも?」と書いてあったが、会えるわけがない撮影場所に入れるわけではないし、誇大広告もいいとこだ。彼女の見たい所だけ見て隣のビル(メディアージュ)に食事に行った。

「マクド」のマークを見つけた彼女はそこに行くといい、関西風お好み焼きの字に「お好み焼き」の私と意見が分かれた。じゃんけんで私が負けて「マクド」へ。

このビルに「ソニーエックスプローラーサイエンス」が在るのでそこに行った。簡単な科学の不思議を実体験できた。フジの番組で「脳内エステIQサプリ」の部屋があり色んな問題を解くようになっていた。此処も彼女は気に入ったようだ。私は解答を見て初めてなるほどと頷けるがちっとも解らなかった。

十分に楽しんで、宿は朝食のみなのでファミレスで食べるつもりだったが、歩き疲れたので、コンビにで「おにぎりとデザート」を買って行こうと意見が一致、宿に向かった。  また明日・・・


































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A級戦犯 東条さん

2006年08月07日 | 読みました
              アッツ桜
           5月の中頃咲きます
        あら不思議!雌しべ雄しべが何処?

主人が「これ面白いで、良く解るで~」息子の部屋から持ってきた。パラパラとめくると字の沢山書かれた漫画である。文章だけでは硬くなりがちの事を漫画で読むと簡単に理解できるというので、息子達の時代から歴史も漫画で書かれているのを読んでいた事を思い出した。「唱歌の学校」でも譜面を読めるようにと月一度の授業のテキストは「ドラエモン」が教えてくれる本だった。

   いわゆるA級戦犯   小林よしのり  幻冬舎

幻冬舎のものは割合よく読んでいる。小林よしのりさんは田原総一郎さん司会の「朝までテレビ」でお見かけした事がある。なにやら気骨のある人のように見えたが、こうゆう作家とは知らなかった。

「東条英機 一切弁解せず、天皇のため」戦後も天皇は必要である、その為に全ての責任を一手に引き受け、天皇に累が及ばないようにしたと言うのだ。私もなんとなく「何故天皇に戦争責任がないのか?」と言う疑問は持っていた。全てを飲み込んで自身に付いては一切弁解もせず国民の憎しみを一手に引き受けた、東条さん。

東条さんが陸相時代に出来たのが、悪名高き「戦陣訓」である。しかし東条さんの発案でも執筆でもない。軍規風紀の粛正を望む軍上層部の要望で、内外の意見も取り入れ、今村均中将の主宰で作成したものだ。私は「死して虜囚の辱めをうけず」だけを知っている。戦後29年目にフィリピンルバング島から帰国した小野田寛郎陸軍少尉の帰国後の言葉として始めて知ったと思う。1年早く28年目にグアム島から帰国した横井庄一さんは「・・・・恥ずかしながら生きて帰って参りました」と言われた。

中国は東条さんを極悪人と非難するが、東条さんは満州事変、支那事変の開戦決定には関わっていない。昭和15年(55歳)に陸相になるまで政治に関わった事がない。

マッカーサーの一声から始まった東京裁判は2年半に亘る裁判を「トウジョウ・ヒデキ、デス・バイ・ハンギング」の判決で11月12日幕をとじた。

昭和23年12月23日 今上天皇の誕生日の日に東条さん(64歳)の命は絞首台の露と消えた。絞首台が5台しかなかったがため2組に分かれて行われた。

辞世
    我ゆくも またこの土地に かえり来ん
              国に報ゆる ことの足らねば

    さらばなり 苔の下にて われ待たん
              大和島根に 花薫るとき

奥様への歌

    さらばなり有為の奥山けふ越えて
           弥陀のみもとに行くぞうれしき

    明日よりはだれにはばかるところなく
           弥陀のみもとでのびのびと寝む

家族には
    「弁解をせず、沈黙を是とせよ」

「東京裁判」のビデオを取ってある。日本人である限り見ておくべきかなと思ったが、やはり何となく気が重くまだ見ていない。是非近い内に見たいと思っている。

戦犯A級B級C級は罪の重さをランク付けしたものではない。現にA級戦犯は7人が死刑になったが、BC級でも1061人が死刑になっている。
『A級』とは戦争を遂行した国家指導者など
『B級』とは戦場で命令する立場に居た指揮官など
『C級』とは実行した兵隊など・・・と連合国が便宜的に分類したにすぎない。
しかもB級C級区別ははっきりせず、ほとんど『BC級』と一括されて呼ばれていた。

少しずつ解ってきたようだ。本は1/3も読んでいない。読み終えた頃には自分なりの思いが出来ているだろう。私は今年1月に靖国神社に参拝したが、今問題の場所を確かめたいという気持ちであった。こうして歴史を紐解いて後なら、また違うであろう。

  ★明日8月8日~8月10日までお休みいたします。













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いずこも同じ・・・

2006年08月06日 | 新聞から
      ねずみもちの木の根方にひっそりと咲いていた
       水撒きをしていて、この紫が目に入った
        何処から来たのか芍薬との間に
          ひっそりと咲いていた

暑い暑い日々が始まったばかりと言うのに、早明日からは残暑お見舞いです。

高校野球が始まりました。若いっていいですね。あ~、若者っていいな~って画面を見つめています。元気で溌溂としていて、瞳に光が漲っていて、打ち込むものを持った若者の笑顔が眩しい。勝負だからどちらかが負けるわけで、どちらにも勝たせてあげたいと思ってもこればかりはねぇ・・・でも感情の規制が出来ないのか幼子の様に泣くね。涙は男らしく瞼の淵で止めてほしい。女々しいぞ!

たまちゃんのお孫さんが中学生で地域の野球部(有名らしい)のアンダースロー・ピッチャーで、試合の度にあちこち追っかけている。ご主人が元野球部員だから
「亭主の好きな赤烏帽子」って所かな。こんな老後も張りがあっていいのではないかと思っています。

こんな投書が出ていました。
「娘にしごかれパソコン習う」59歳男性
・・・前略・・・( ワープロが使えなくなり)電気屋さんに走りましたが店頭に並ぶのはパソコンだけ。二十年以上のワープロ党でしたが、文章作成の必要に迫られ、パソコンに転向するしかありませんでした。先生はわが娘。月謝は無料でしたが「何で出来ないの」「おとうさん、この前も言ったでしょう」と、しごかれながらの日々、教えてもらいながらも心の中で「一人で大きくなったような顔して,えらそうに言うてからに」悪戦苦闘の毎日でした。 ・・・後略・・・

私もワープロからの転向組です。使えなくなって買い換えたのではなくパソコンの字に憧れて替えました。年賀状を見ても、ワープロとパソコンでは字の美しさが歴然としている。あの綺麗な字を使いたいという願望達成の為買い換えました。それとマウスにも憧れました。触ってみたくて触ってみたくて堪りませんでした。

パソコンを娘さんに習った男性は半年間指導を受けられたようですが、私は購買時のセッティングはしてもらったけど、使い方を教えてもらったのは数えるくらいです。「家に息子さんがいて、解らないところが直ぐ聞けていいわね」と良く言われます。私はしれっとします。息子に「教えを請う」と何遍頭を下げなくてはならない事か。その時男性と同じく心の中で「偉そうにして、一人おおきなったような顔して、一寸ぐらい教えてくれてもバチ当たらんやろ!」と嘯きます。

でも結局は帰りの遅い息子に教えてもらうより、自分で指導書を買ってポチポチやる方が早いとの結論に達して、それ以来自力本願。

友人のしげこさんもとうとうワープロが駄目(第一もう部品がありません)になり、娘さんにパソコン購入からお任せで、指導して貰いに娘さん宅に通うそうです。そう言えばたかこさんも娘さん頼りだわ。こちらは来て貰うのを待っている。

自己学習の欠点は、自分に必要な事しか出来ない事。先日「H.P学習」で思ったことですが、習いに行くという事は自分に必要ないと思う機能でも触ること(目から鱗状態の喜び)、同じ到達点にも色んな方法があることを学ぶ事です。

今度はデジカメの事習ってみようかしら・・・写真プリント、CD作成等、それなりに出来ているのですが、もっといい方法があるのかもしれない。でも公の講習は「初めての人」対象だし、初中級を卒業した人のグループに入れてもらいたいと言ったら、卒業した人対象だからと断られたし。何処か近くにパソコンのお仲間いないかな~。






























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鮎川哲也賞

2006年08月05日 | 読みました
           芙蓉(この花見~つけた)
         我家にも在ったが消えてしまった
      朝色薄く夕方色の濃くなる「酔芙蓉」が欲しい

今日大阪の梅田芸術劇場で孫娘と「ピーターパン」を見てきた。彼女と「ピーターパン」を見るのは初めてではない。幼稚園児の頃、母親同伴で、今は無くなった「近鉄劇場」で見た。同じ作品でも時代によって、音楽、ダンス、舞台装置等変化するので結構楽しめた。彼女も盛んに拍手していたが、出演者が客席に降りてきて子供達と握手をしてくれるが彼女は手を出そうとはしなかった。「握手!」と言われてやっと手を差し出した。お転婆の様で人見知りするところがあるようだ。

          
            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七姫幻想   森谷(もりや) 明子

ホームドクターのご長男夫人の書かれた物だ。さだこさんが貸してくださった。借りて思い出したが新聞の紹介欄で見た記憶がある。題名に心引かれたと記憶している。とても読みやすかった。何だか引き込まれるような感じで読み終えた。登場人物がそれとはっきり書かれていないが、歴史上のあの人だと解ったり、最後に和歌が載せられているが、その歌から物語を起されたのかとか、七夕に寄せて7人の姫物語なのかとか、色々読者の想像力を掻き立てる等、上手だな~と思いながら読んだ。

物語は古代より水辺に住み、機を織る美しい女達、罪の匂いを纏う織女をめぐる、機を織る一族の話から始まる。宮廷悲劇を独自の「千夜一夜物語」に織り上げた王朝ミステリー。何処かに繋がりを感じさせながら、棚機(たなばた)伝説をモチーフにした7作の連作短編である。

書評:
ミステリアスな雰囲気と女性でえがかれた連作短編集。この人は上手いと思います。

たなばた(棚機)の七姫と和歌を見立てた短編ミステリー7編で第1~第7まで千年ほどの時を隔てて、それぞれが微妙な糸でつながっているという、壮大で巧みな構成。

見事な連作。古典なのにミステリ的な要素がしっかりあって物語として面白い。

この作品ではないが「千年の黙(しじま)異本源氏物語」で2003年に鮎川哲也賞第13回を受賞している。

鮎川哲也氏を私は知らなかったし、その方が「賞」を出しておられる事も勿論知らなかった。鮎川氏が「賞」を作ろうと思われた理由を見つけた。『現在は未曾有の推理小説ブームとの事で、新人賞が乱立しており、中にはテレビ局の後援を得て、多額の賞金を出している所もあるが、私の愛する本格物を出す有望な新人を発掘しようとする気概には程遠いと思うのは、私の偏見であろうか。少なくとも私の名を冠したこの賞だけは未来の本格作家の砦として初志を忘れず続けて欲しいと切望するものである』と記して居られる。因みに「正賞」はコナン・ドイル像。「賞」は「印税全額」だそうだ。

鮎川哲也賞は創元推理文庫で知られるミステリ出版の老舗「東京創元社」が主催する文学新人賞。1988年鮎川氏が東京創元社から「鮎川哲也と13の謎」を刊行した際13番目の椅子を新人公募し、この企画を発展する形で1990年に東京創元社が創設。創意と情熱に溢れる鮮烈な推理長編に与えられる。

70年も生きながら、知らない事の多い事。これだからもっとモット生きていて、本を読みたい、知識を得たい気がする・・・











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秋篠宮眞子さま

2006年08月04日 | ネットニュースから
        花後思いがけなく種が面白いものがある
            ランタナもそうである

ネットニュースを見ていると秋篠宮眞子さまの全身写真が出てきた。すらっとお背も高そうで、美人の条件の一つ腕も長い。前髪をすっきりと上げて額を出して、すっかり大人びてこられた眞子様に驚いた。もう少しお子様だと思っていたのに、中学3年生、来年には高校生になられる。本当に女らしくおなりだ。

秋篠宮眞子さま、夏休みでオーストリア旅行へ出発
秋篠宮眞子さまが、ホームステイのため、出発された。学習院女子中等科3年生の眞子様は夏休み初めてお一人で海外旅行を体験されます。オーストラリアは紀子様が1977年から1979年に父・川嶋辰彦氏とウイーンに滞在した際に知り合った人の家にホームステイする。秋篠宮さまや出産を控えた紀子さまは成田には行かれず、3日朝、東京・元赤坂の秋篠宮邸で、眞子様をお見送りされました。

眞子さまウイーンにご到着
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま(14歳)=学習院女子中等科3年=は3日、ホームステイのため、成田発の民間機でオーストリアに向けてご出発。ドイツ・フランクフルトを経由し、日本時間の4日未明、ウイーンに到着された。

眞子さまはチェックのワンピース姿でバッグを持ち、周囲に会釈をしながら航空機乗り込まれた。紀子さまが父、川嶋辰彦氏の仕事の関係でウイーンに滞在されていた頃から知るオーストリア人夫妻宅に滞在し、美術館や歴史的建築物を見て回るなどして過ごされる。16日に帰国される。

美人になられた。お妹の佳子さまがお生まれになった時から余りに整ったお顔立ちゆえ、眞子さまは余りお目立ちにならなかったが今日のお写真から拝見すると美しく、たおやかに成長された。

お小さい時から思っていたが天皇家のお顔立ちではない。かといって特に紀子様似とも思えない。さてはて・・・今日のお写真を見つめる内に「正田家のお顔」だと気付いた。元々お父上の秋篠宮さまが美智子さま似だ。これは美智子さま似の美人になられるに違いないと美智子さま贔屓の私は喜んでいる。今の皇族の中でも美智子さまはダントツの美人でいらっしゃると思っているので、これから眞子さまが若かりし頃の美智子さまにそっくりに成長されるのを楽しみにしている。

眞子さまのお印の「モッコウバラ」は江戸時代に中国から入って来た。花は2~3㎝と小ぶりで白と黄色の八重咲きがある。花は白色のみ良い香がする。バラ科ではあるが棘は無い。丈夫な蔓性で種は出来ず刺し芽で増やす。

「モッコウバラ」は一般には余り知られていなかったが「眞子さまのお印」になってから有名になった。「しかし昔から自然美を愛するバラ愛好者に人気が高く『最後には原種を育てるようになる』と言われるバラ愛好者の行き着くところです。モダンローズの様な派手さはありませんが、素朴で繊細な美しさは何処か儚げな所が魅力です」と記されています。

「欲しい、育ててみたい」気持ちになっています。ネット販売で調べたところ「在庫なし」です。同じ育てるなら香の良いほうがいいですから「白」を探しましょう。花期が4~5月、さし目の適期が6月ごろだそうですから、秋ごろ売り出されるかな?と思います。

誰かの家にあったような気もするのですが、誰だったか思い出さない。情けないね。






































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夏休み

2006年08月03日 | 新聞から
               喋々
      今年春先に庭に飛んできたのはこの一頭のみ
    喋々は「一頭」と数えるのは標本体として数えるからだ
     昔は「ちょうちょう」は「てふてふ」と書いた 

兵庫県篠山市の8歳の女の子の「おばあちゃん今年も泳ごう」と言う投書がのっていた。「私の毎年の楽しみは、おばあちゃんの住んでいる西のみやのプールに家族全員でいくことです。水が流れるすごく長いすべり台と、いろんなプールがあるのも愉しいです。学校のプールはせまいし、一つしかないからです。一番大きいプールのそこにはイルカやサメの絵があります。 ・・中略・・ 何よりもおばあちゃんと一年に一回およげるのが一番の楽しみです。今年も行こうね」

埼玉県ふじみ市のプールでの悲しい出来事のあった翌日、紙上に載っていました。
何時もなら、なんと微笑ましい、こんなに孫娘に思われたおばあちゃんとの愉しい一日がもう直ぐかな?で終わるはずでした。

こどもは水が大好き、その水遊びの最中に起こった悲劇、それは大人の仕事への熱意の無さが引き起こした事故。吸水口の柵はねじ止めでなければならないのに、暫定処置のように針金でくくられていた。それも6年前からだという。外れたさくを持って上司に指示を仰ぎに行った監視員(アルバイトの女性)、他の監視員もその吸水口のそばに立たないで上から声だけで「危ないから近寄るな」と言っていた。女の子が吸い込まれるのを見て、自分では何も出来ないでいた監視員。下請けに丸投げしていた工事施工会社と警備会社。委託していたからとあたかも責任は無いとばかりの市の責任者。みんなの責任の無い、いい加減さが7歳の女の子の命を奪った。

気付いたお母さんが引き戻そうとしたようだが、水の力は一人の大人の力でどうなるものではない。一番近くにいて目撃した監視員が即行動を起こしていれば、それにお母さんの力が加われば、他の人も気付くだろうし死にまで至らなかっただろうにと残念に思う。運営会社の社員に言われて吸水口のそばで近寄らないようにと監視していたのは4人の監視員の内の1人だけだったそうだ。言われた通り吸水口のそばに立っていれば潜水してきた女の子に気付くはずだ。

ただお金ほしさのアルバイトで、その任務については無関心だった監視員。アルバイトだと安いし何の予備知識も与えず任に付かせた運営会社。大人のお座成りな仕事への態度が幼い命を奪ってしまった。子供の命は大人が守ってやらなくて、誰が守るのか・・・

私は金槌ではないけれど水中では自分の身を守る事で精一杯だ。だからプールには連れて行かない。孫娘が「プールには連れて行ってくれるけれど、誰も私を海に連れて行ってくれない、海で泳ぎたい」と言った。彼女の希望をかなえてあげるべく、去年は「白浜」に、一昨年は「屋久島」に連れて行った。私は自信が無いので泳ぎは主人におまかせだ。遠い「屋久島」迄行ったのは「綺麗な海」で泳がせたかったのと、時期的に「海がめの孵化」が見られると思ったからだ。

これからが夏本番、プールに海に子供の歓声が聞こえるだろう。愉しかったと絵日記に書ける夏休みを過ごさせてあげたいものだ。
                            (120回)































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ダヴィンチ・コード

2006年08月02日 | 映画の話
               ???
       花の会から頂いた花、名札が何処へか・・・
        花びらの直径2㎝程花の長さ5~6cm
             葉は韮のよう

行って来ました。やっと・・・「ダヴィンチ・コード」。初日に行った息子に「良かった?」と聞くと「う~ん、まあまあや」と言う答えに、見たい心が萎えていた。今日主人が運転免許書書き換えの為の講習を受けに神戸に行くので、私は大阪に映画を見に行く事にした。

行って見ると切符売り場は大変な人ごみ「???」「今日は水曜日でご婦人が1,000円で見られる日だったのです。「えらい日にきてしまったわ」「今日はましですよ昨日(1日は映画の日で誰でも1,000円)はものすごい人でしたよ」とチケット売り場の人。何時もは「シニア1,000円」のチケットが今日は「婦人1,000円」のチケットだった。こんな時だけは「男女同権」と叫んで振り上げる拳は後ろに隠すんだ。

あんなに長い小説を2時間半と言う時間に押し込めるのにはやっぱり無理があった。「風と共に去りぬ」だって前編後編なのに、小説の長さは「ダヴィンチ・コード」の方が長い様に思うが、切り刻んで無理してる。「あんな場面あった」「こんな場面あった」と思い出したけれど結局は小説を読んだ時の様な面白さは感じなかった。

今私の心に残っているのは終わりの方でパリの夜景の場面、エッフェル塔の天辺にサーチライトがぐるぐる廻っていて、「エッフェル塔にはサーチライトが付いているんだ!」と筋とは関係ない所に感心しただけだった。東京タワーの天辺はどうかな?付いてるかな?

ヨドバシカメラに「動画はプリント出来ないか」と訊ねに行った。主人が旅行中の写真を間違って「動画」にしてしまったのでプリント出来ないのである。3~4年前、前のカメラで私も間違った事がある。その時は出来ないと言う答えだった。

しかし今回は違った。「動画を静止画にするソフト」が売り出されていたのである。「お幾ら位するのですか?」と聞くと、後ろを指差して「会社によって色々ですので・・・」そこには売り出し中らしく「動画を静止画にするソフト」が四角く堆く積まれていた。値段は8,000円~10,000円する。たった4枚の写真の為に、普段は静止画しか取らないので高すぎるので買わないで帰って来た。パソコンの周辺機器も日進月歩しているんだ。光線を感じて動く手持ちの計算機が光を感じなくなり計算出来なくなったので、一番安い(275円)小さな計算機と印画紙を買って帰って来た。







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なるほどと納得

2006年08月01日 | 備忘録より
              浜木綿
          7月28日に見つけた花
     少し咲ききっていましたがどうにか撮れました
         よく見れば一寸変わった花です

今日も「言葉」と言う私の備忘録からの抜き出し

     インストール  綿矢りさ

ハードスケジュールが自分の有能さと人気の証だと勘違いして、利用されているだけなのに、それと気付かない、つまらない粒々の仕事を全部押し付けられて緊張している。

  「インストール」は2001年17歳の高校生の時の作品。
  第38回文芸賞受賞作品
  「蹴りたい背中」で2004年20歳の時芥川賞受賞。

この言葉を読んだ時、ど~んと背中をどやされた様な、身体中をゆすられた様な気がした。当時私も手帳を持って空白を埋める事を楽しみにしていた嫌いがある。「有能さと人気の証」の勘違いである。もう直ぐ70歳に手が届こうと言う時である。私はまだ「勘違い」しながらウロウロと忙しがっている。高校生のりささんに懇々と言って聞かされた感じ。りささんの周りにも老若男女に関係なく「勘違い」している人が居たのだろうか。

「手帳」を持ってせっせと空欄を埋めている人、皆が多かれ少なかれ持っている「勘違い」である。「勘違い」で動いている人、私の周りにも沢山いる。「類は類を呼ぶ」の例え通りだ。「解っているけど止められない」で徐々に減らしはしたが
抜け出すのに4~5年掛かっている。

グループの力、中心になって行動する事が悪いのではない。本当に中心になれる人は少数なのに、自分もと「勘違い」するのが間違っているのである。「勘違い」の中にいる時には気付かなかったのに、飛び出してみて初めて「納得」できる言葉である。結論としては同じグループに永年居ると「勘違い」しやすいという事かな。

私はグループに属すると、10年は居続ける。そうするとなんとなく「そのグループ」の事はよく知っていて、自分が抜けると戦力が落ちるのではないか?なんて気持ちになるのも事実だ。今までの経験から言えば古参になればなるほど「頭を垂れよ」と言うことだ。

あ~ぁ「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」かな・・・

     朝日新聞 人生相談(2005-10-25) ピーコ

自分の限度を知りながら、引き受けてしまうのは「人望が集まる」「人から信頼される」と言った「欲」があるから信頼や人望は一つずつ物事をきちんとやり遂げてこそ得られるもの。

綿矢さんの「勘違い」と何処やら似ている。言葉は違うが言わんとする事は同じではないか。

ピーコさんが眼球摘出した時、友人からカラフルな義眼のプレゼントが多かったという。それを読んだ時、今までピーコさんを偏見の目で見ていた事に気付いた。ちゃらちゃらした人だと思っていたが、それは売りの部分でもあり、本当はいたって常識人なんだと。芸能界で友人が多いという事がそれを示している様な気がする。この回答を読んだ時その私の感に間違い無いと確信した。人は見かけで判断してはならないと。コミュニケーションをとって見なければ実像はわからないと・・・。でも直感が正しい事も多々ある・・・さて?どっち?







     
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