ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

小泉総理の今日

2006年08月15日 | テレビから
             トンボ
        もう秋ですね。トンボです
   シルエットが面白いのでこの写真にしました
       トンボとしては小さいほうです

関西は良いお天気なのに、今朝方東京は雨のようだった。今朝はテレビを点けて新聞を読みながら小泉総理の参拝風景のニュースが流れるのを待っていました。勘は当たりました。「小泉さんやっぱり靖国へ行きはったで~」早速主人に告。「小泉さん明日行くかな?」「ふん、行ったらええねん」「行くと思うは・・・」昨夜二人で話していたから。

関西は一日中晴れていて野球の中継で「戦没者への黙祷」がありました。1991年8月15日私は富士山頂に立っていました。富士山は高いだけに良く雨が降ると聞いていた。友人のご主人は4年続けて登って雨、嵐で頂上までいけなかった。そこで富士登山の話が出た時に「何時に?」と考えた。この高校球児の「黙祷」の姿を思い出した。あの黙祷のシーンではいつもかんかん照りだった。もしかしたら8月15日は「晴れの得意日(10月10日の体育の日が有名)」かもしれない。この勘は当たり、富士山からのご来光を拝む事が出来た。一度でご来光を拝めるのは珍しいそうで、ジムでも3回続けてツアーを組んたが雨で途中から下山、それ以来ツアーも中断したようだ。

小泉総理靖国神社に行かれた。事、靖国問題に関しては小泉総理と同じ考えです。

今日実行した理由として、(1)中国、韓国は何時行っても干渉し問題視する。それなら8月15日でも同じ。他国の言いなりにならないで欲しかったし、「日本は言いなりになる国では無い」と言う、これから付き合う為にも必要最低限の事を態度で示せて良かった。

(2)特定の人の為の参拝ではない。A級戦犯に礼を尽くすのがいけないと、それ一つに集中しているが、田舎に行った時「忠霊塔」や「役職名の付いたお墓」を見かけるが、そのお墓の守をしている遺族は何処に魂は帰っていると思っているのだろう。身近な家族のお墓だと思うのですが。

靖国神社(1869年設立)千鳥ケ淵戦没者墓苑(1959年)があり、靖国神社は「招魂社」として片や遺骨はあるが遺族に渡せなかったお骨を収めている所。いずれに在るとしても、実際には故郷のお墓に帰っていると思うのですが、だから「名前のみが合祀」されているのを、どうしてそんなに大騒ぎするのだろうと思うのです。国の代表者が礼を尽くすのに1ヶ所に集めたほうが良いからと単純に考えてはいけないのだろうか。

生きている者が同期会等で集うように、死者も国の代表の礼拝の在るその日に集ってくる場所とは考えられないのだろうか。魂があるのなら、絶対故郷に帰りますよ。「靖国で会おう」が合言葉であっても、魂ならいつでも自在に行き来出来ると思うのですが。出雲大社だって年の内1ヶ月だけ全国の神様の集まる場所ではないか。

私は何故兵隊さんだけなのか?と思うんです。戦いの為に未来を生きれなかったのは兵隊さんだけではありません。内地で空襲で命を落とした方々の未来も同じだと思うのです。

私が疎開から帰って住んだ町は全く焼けていません。私は焼け跡に行って其処を掘りました。出てきたのはギヤマンの小鉢2個と象牙の小さな果物ナイフだけです。今でも大切に持っています。焼ける前の生活に繋がる物はこれしかないのです。

(3)憲法違反ではない(19条に違反しているとか)。毎年伊勢神宮にも参拝し、神式に則って参拝しているが、そちらについては何も言わない。内政干渉と思われる国々がどの様な態度に出るのか、毅然とした態度で対したいですね。



コメント (4)
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