花後の斑入りアジサイ
花の咲いているときはこんなに綺麗に斑は入りません
額アジサイです
二日掛かりの決勝戦、両校に優勝旗を持って帰ってもらいたい気持ちでした。早稲田実業は出場88回目にして悲願の初優勝です。病に伏す大先輩さん王貞治さんへの「一番の薬は僕達の優勝」良い言葉ですね。グーときますね。この言葉を聞いた後の王さんの喜びは大きいでしょうね。後輩からの「一番良く効くお薬」飲んで早く良くなって下さい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ナツコ 沖縄密貿易の女王 奥野修司 文芸春秋
これも評論家 竹村健一さん推薦の本でした。若い頃はパイプを銜えて人を小ばかにした様な語り口好きではなかった。この頃は違う。お仕事柄色んなものを読んでいて、優しく解説してくださるので楽しみにテレビ見ています。
読み始めた頃高校野球で沖縄代表「八重山商工」が活躍していました。まさにその八重山の出身なのですナツコは。その地では有名で在りながら、職業が「密貿易」と言う事でその名を書き残されていない人だ。
沖縄がアメリカに占領されて、そのキャンプの荷(窃盗でありながら『戦果』と呼んでいた)を元に密貿易していた女性。アメリカの取締りが強化されて密貿易を止めて、商売する為のビルを建築中、頭皮ガンで38才の若い命を閉じた。何度逮捕されても続け沖縄密貿易の頂点に君臨した人。密貿易の為に生まれ生きたような人。そんな人なんですナツコさんは。
終戦後三宮の闇市に砂糖を運んで来た人のもナツコだという。日本人のテキ屋(盛り場に店を出し、如何わしい物を売る人)か戦勝国民の華僑や在日朝鮮人は第三国人といわれ、日本の警察権力など物ともせず神戸の闇市を仕切っていた。阪神の食品関係やレストランはほとんど台湾人の経営だった。彼らは戦時中から金を溜めていた。資金が豊富で販売ルートもあったので、食料品は一括して買ってくれたという。
戦後日本人の9割に回虫が寄生した。驚いた米軍が駆除に乗り出した。その時に飲んだ薬「マクリ」の元の海藻もナツコが八重山から、後には香港から運んできた。
ナツコは日本の真珠湾攻撃を聞くと「この戦争は負けるよ。沖縄は全滅する」といって尾行が付いていた。ナツコは新婚をマニラで過ごし、暑ければ冷蔵庫の水を飲み、蛇口をひねれば水が出、スイッチ一つでガスの火がつく、その当時の石垣島では夢の又夢であった。植民地のマニラがこうなら本国のアメリカはもっと進んでいるに違いないという理由からだ。
私が一番に驚いたのは「与那国が国境の島」と呼ばれている理由である。空には領空のほかに防空職別圏があり、空の軍事的境界線は領空より500キロより外側にある。与那国島の真ん中に東経123度線が走っているので、島の東側が日本の防空識別圏で西側が台湾の防空識別圏になる。戦後沖縄、韓国、台湾に駐留していた米軍は琉球列島の西端は石垣島だと思い小さな与那国は計算外で適当に空域を分けた。それが現代まで続いているという。123度より西側にある与那国空港は日本の領土であるのに、台湾の防空識別圏にあり、定期便はいいが自衛隊機などは与那国周辺を飛んで、台湾の戦闘機にスクランブル(緊急発進。防空識別圏に敵機または国籍不明機が進入した時迎撃戦闘機が最短時間で離陸する行動)を掛けられることがあるという。
沖縄本土の基地問題も大切だが、この与那国の事は何故問題視されないのだろう。
こんな八重山列島から来ていたのです、八重山商工は・・・。
花の咲いているときはこんなに綺麗に斑は入りません
額アジサイです
二日掛かりの決勝戦、両校に優勝旗を持って帰ってもらいたい気持ちでした。早稲田実業は出場88回目にして悲願の初優勝です。病に伏す大先輩さん王貞治さんへの「一番の薬は僕達の優勝」良い言葉ですね。グーときますね。この言葉を聞いた後の王さんの喜びは大きいでしょうね。後輩からの「一番良く効くお薬」飲んで早く良くなって下さい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ナツコ 沖縄密貿易の女王 奥野修司 文芸春秋
これも評論家 竹村健一さん推薦の本でした。若い頃はパイプを銜えて人を小ばかにした様な語り口好きではなかった。この頃は違う。お仕事柄色んなものを読んでいて、優しく解説してくださるので楽しみにテレビ見ています。
読み始めた頃高校野球で沖縄代表「八重山商工」が活躍していました。まさにその八重山の出身なのですナツコは。その地では有名で在りながら、職業が「密貿易」と言う事でその名を書き残されていない人だ。
沖縄がアメリカに占領されて、そのキャンプの荷(窃盗でありながら『戦果』と呼んでいた)を元に密貿易していた女性。アメリカの取締りが強化されて密貿易を止めて、商売する為のビルを建築中、頭皮ガンで38才の若い命を閉じた。何度逮捕されても続け沖縄密貿易の頂点に君臨した人。密貿易の為に生まれ生きたような人。そんな人なんですナツコさんは。
終戦後三宮の闇市に砂糖を運んで来た人のもナツコだという。日本人のテキ屋(盛り場に店を出し、如何わしい物を売る人)か戦勝国民の華僑や在日朝鮮人は第三国人といわれ、日本の警察権力など物ともせず神戸の闇市を仕切っていた。阪神の食品関係やレストランはほとんど台湾人の経営だった。彼らは戦時中から金を溜めていた。資金が豊富で販売ルートもあったので、食料品は一括して買ってくれたという。
戦後日本人の9割に回虫が寄生した。驚いた米軍が駆除に乗り出した。その時に飲んだ薬「マクリ」の元の海藻もナツコが八重山から、後には香港から運んできた。
ナツコは日本の真珠湾攻撃を聞くと「この戦争は負けるよ。沖縄は全滅する」といって尾行が付いていた。ナツコは新婚をマニラで過ごし、暑ければ冷蔵庫の水を飲み、蛇口をひねれば水が出、スイッチ一つでガスの火がつく、その当時の石垣島では夢の又夢であった。植民地のマニラがこうなら本国のアメリカはもっと進んでいるに違いないという理由からだ。
私が一番に驚いたのは「与那国が国境の島」と呼ばれている理由である。空には領空のほかに防空職別圏があり、空の軍事的境界線は領空より500キロより外側にある。与那国島の真ん中に東経123度線が走っているので、島の東側が日本の防空識別圏で西側が台湾の防空識別圏になる。戦後沖縄、韓国、台湾に駐留していた米軍は琉球列島の西端は石垣島だと思い小さな与那国は計算外で適当に空域を分けた。それが現代まで続いているという。123度より西側にある与那国空港は日本の領土であるのに、台湾の防空識別圏にあり、定期便はいいが自衛隊機などは与那国周辺を飛んで、台湾の戦闘機にスクランブル(緊急発進。防空識別圏に敵機または国籍不明機が進入した時迎撃戦闘機が最短時間で離陸する行動)を掛けられることがあるという。
沖縄本土の基地問題も大切だが、この与那国の事は何故問題視されないのだろう。
こんな八重山列島から来ていたのです、八重山商工は・・・。