ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

夏休み

2006年08月03日 | 新聞から
               喋々
      今年春先に庭に飛んできたのはこの一頭のみ
    喋々は「一頭」と数えるのは標本体として数えるからだ
     昔は「ちょうちょう」は「てふてふ」と書いた 

兵庫県篠山市の8歳の女の子の「おばあちゃん今年も泳ごう」と言う投書がのっていた。「私の毎年の楽しみは、おばあちゃんの住んでいる西のみやのプールに家族全員でいくことです。水が流れるすごく長いすべり台と、いろんなプールがあるのも愉しいです。学校のプールはせまいし、一つしかないからです。一番大きいプールのそこにはイルカやサメの絵があります。 ・・中略・・ 何よりもおばあちゃんと一年に一回およげるのが一番の楽しみです。今年も行こうね」

埼玉県ふじみ市のプールでの悲しい出来事のあった翌日、紙上に載っていました。
何時もなら、なんと微笑ましい、こんなに孫娘に思われたおばあちゃんとの愉しい一日がもう直ぐかな?で終わるはずでした。

こどもは水が大好き、その水遊びの最中に起こった悲劇、それは大人の仕事への熱意の無さが引き起こした事故。吸水口の柵はねじ止めでなければならないのに、暫定処置のように針金でくくられていた。それも6年前からだという。外れたさくを持って上司に指示を仰ぎに行った監視員(アルバイトの女性)、他の監視員もその吸水口のそばに立たないで上から声だけで「危ないから近寄るな」と言っていた。女の子が吸い込まれるのを見て、自分では何も出来ないでいた監視員。下請けに丸投げしていた工事施工会社と警備会社。委託していたからとあたかも責任は無いとばかりの市の責任者。みんなの責任の無い、いい加減さが7歳の女の子の命を奪った。

気付いたお母さんが引き戻そうとしたようだが、水の力は一人の大人の力でどうなるものではない。一番近くにいて目撃した監視員が即行動を起こしていれば、それにお母さんの力が加われば、他の人も気付くだろうし死にまで至らなかっただろうにと残念に思う。運営会社の社員に言われて吸水口のそばで近寄らないようにと監視していたのは4人の監視員の内の1人だけだったそうだ。言われた通り吸水口のそばに立っていれば潜水してきた女の子に気付くはずだ。

ただお金ほしさのアルバイトで、その任務については無関心だった監視員。アルバイトだと安いし何の予備知識も与えず任に付かせた運営会社。大人のお座成りな仕事への態度が幼い命を奪ってしまった。子供の命は大人が守ってやらなくて、誰が守るのか・・・

私は金槌ではないけれど水中では自分の身を守る事で精一杯だ。だからプールには連れて行かない。孫娘が「プールには連れて行ってくれるけれど、誰も私を海に連れて行ってくれない、海で泳ぎたい」と言った。彼女の希望をかなえてあげるべく、去年は「白浜」に、一昨年は「屋久島」に連れて行った。私は自信が無いので泳ぎは主人におまかせだ。遠い「屋久島」迄行ったのは「綺麗な海」で泳がせたかったのと、時期的に「海がめの孵化」が見られると思ったからだ。

これからが夏本番、プールに海に子供の歓声が聞こえるだろう。愉しかったと絵日記に書ける夏休みを過ごさせてあげたいものだ。
                            (120回)































コメント (3)
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