ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

老後の幸せ

2006年08月31日 | 新聞から
             アプチロン
     赤、黄、ピンクと三色でバーゲンで買いました
      余り窮屈そうなので盛夏に植え替えたので
       この色を残して涸れてしまいました
        頑張り屋のピンクちゃんで~す

図書館が整理日でお休みなのを昨日まで覚えていたのに、今日はすっかり忘れて行きました。ジム開館まで時間があるので、仕方なく公園を散歩しました。ツクツクボウシが寂しげにないていました。木陰のベンチには一人ずつお年寄りが座っています。たまに二人で語り合っている人を見るとほっとします。皆一人になりたくて来ているのかしら、やっぱり人恋しいのでは・・・そんなこと考えながら歩いていると、一人のおじいさんが「ほ~いほ~い」と声を出すと鳩が一杯集まってきました。何処から来たのかしらと言うほど沢山です。毎日呼んでいるのでしょうね。

こんな投書を思い出しました。「シングル同士支えあえれば」
70歳の女性です。

主人をなくして、一人息子が遠くの地で所帯を持ってから、一人暮らしをしている。3人の孫にも会えるのは年に1,2度だけ。それでも職場に行っていた頃はなんとも思わなかったが、昨年末退職した途端、わびしさがこみ上げてきた。仕事人間だったため、近所にも親しい人は僅かしかいない。体調を崩して辛い日が続いた夜中、苦しくて目を覚ましても誰も居なかった。こんな思いをしているのは私だけだろうか。いや、世の中には同じような境遇の人が居るはずだ。そういう人達が手を取り合えないだろうか。誰かが発案して「シングル・シルバーの会」とでも言うグループを作り、金銭を越えた、人の痛みの分かり合えるもの同士がお互いを支えあうようになれないか。電話で声を掛け合う事だけでもどれほど心丈夫だろうか。若い世代のシングルには華はあろうが、シルバーのシングルにも何かがあっていいはず。心のつながりを男女を問わず求めたい。

「誰かが発案して」と言う言葉にこの方の受身の心が感じられる。グループを組むという事はまず人選からして大変だ。受身の人に出来る事ではないかもしれない。何か趣味を見つけて同好会に入れば直ぐに友達は出来る。でもここでも自分からも積極的に話しかけないと仲間に入れない、それに趣味の友達は元気な時だけの友達かもしれない。でもこの人と言う人を見つけてアタックすれば「電話の友」位なら出来るのではないか。

息子さんは遠方で余り行き来が無いようだが、息子一家と仲良く行き来している人を私は幾人も知っている。嫁姑にも相性が在り、幸いにお嫁さんと相性が良いという事だろう。実の息子でも意見の違いが在るのだから、お嫁さんと意見の食い違いはあると思う。でもそれを乗り越えて電話を掛け合ったり、メールをしたり、旅行をしたりの話を聞くと私まで心がふんわり温かくなる。

70歳といえば私と同い年、一人暮らしは寂しいだろう。でも私の友人は「メリーウィドウ」である。何となく未亡人同士の集まりが出来て、誰に束縛される事も無いので、それこそ時間に関係なく、夜でもどこかの家に集まって楽しむと言っていた。やはり待ってばかりいては友情は育たない、求める事も大切だと思うが内向的な人には無理だろうか?

後1時間足らずで私の70代の1年が過ぎようとしている。今年の一番の思い出はやはり「ブログの開局」だ。71歳も身体を労わりながら積極的に「ひだまりの幸せ」を求めて行きたいと願っている。



























コメント (4)
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