ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎市議会(2)

2007年12月20日 | 思い出話
            木製のツリー
        ジムの会員さんの手作りです
       受付のテーブルに飾ってあります

昨日は2/3位の席は埋まっていたと思います。やはり「退職金問題」が人を呼んだのだなと思っていました。若い女性が割りと多かったので「?」と思っていました。そのはず「保育所」問題もあったのです。それで・・・と気付きました。

財政難の今、民間に委託出来る物は委託しようと言うのが、白井市長の方針です。尼崎には公立の保育所が9ケ所あるそうで、そのうちの2ヵ所が手始めに予定されているようです。その保育所に預けている人が「何故?私達の保育所から?」と問うているのです。もし私立の保育所と大きな金額の差があるとすれば、自分達の子供を預けている保育所は民間委託されるにしても、その最後であって欲しいと願うのは人情でしょう。

今までも白井市長との話し合いはあったようです。しかし変更は認めてもらえなかった。そこでそのことを議員が代表意見を述べているらしい。

私には何故まず2箇所が手始めに選ばれたのか解らないが、色んな条件がそろっての事だろう。現状のままと民間委託との差はどのように違ってくるのだろうか?市からの補助が多いとか、もしもの責任は市が受けてくれるから安心だとか?何も解らないので意見はない。

しかし、一つ気になる事があった。かいつまんで言えば、保育所の通わせている親は、今までの予算は減額せずそのまま保育所に使って欲しいという事。しかし、白井市長は保育所に入っている子供だけが、恩恵を受ける使い方ではなく、家庭で、親元で育っている子供にも、何らかの形で、平等に予算を使いたいという事らしい。

良くぞ言ってくださいました。私の様にせめて3歳までは母親の手元で、と思っている人間には、良くぞ気付いてくださいましたという感じです。働きたいから預かって欲しい。だから保育所が欲しい。でも保育所に預けるから市の予算から補助が出て、家で育てているから、何も要らないでしょうでは片手落ちかな?それなら、保育所の器(建物)は市の予算で、運営費は親の負担にすれば、不公平がないし、在宅の子への気遣いも要らないかな。

家で育てている人にも色んな事情があって、働きに出たいが出られない人も居るだろう。今まで考えたこともなかったが、在宅の子供は何か恩恵を受けているのだろうか?受けていないとすれば不公平だと思う。

共稼ぎする家庭も、昔とは事情が違ってきているような気がする。家計を助ける為と言うより、自分が働きたいから、生活にゆとりが欲しいからと言う人が増えているような気がする。「遣り繰り」何て言葉は忘れられようとしている。

何時だったかの会合で老人が「私達に使うお金があるなら、未来のある子供達に廻してやって」って物分りの良い事を言っていた。でも老人だって補助を受けないと生きていけない人だっているんです。計画性のない生き方をして来たかもしれないのだが。

老人の健康増進で医者通いを少なくしようと言う目的で、ジムに通う者に補助金が出ていた。白井市長になって直ぐ予算は削られた。初めは不満が出た。前の市長が良かったって。でも今は誰もその事を言わない。

熟考の上の配分なら思うようにやって欲しい。我々は目の前の木を見て森を見ていない。全ての責任の中心にいる市長は常に森を見ておられるだろう。一番いけないことは意見に左右されて中心を見失うことです。物事を理解してもらうには時間が掛かるかもしれない、でもその日は必ず来る。


コメント
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