ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

家の小修理

2006年12月11日 | 今日この頃
           京都府立植物園
        メキシコ原産 沖縄の芙蓉
         蕾の時は上を向いていて
     徐々に俯いて開花するので「頷き」の名
      雌しべにねじ込むように巻きつくので
       これ以上開きません。是で満開

台所とそれに続くフロアーとで10畳ほどの修理をすることにした。1箇所ギシギシと気になる箇所があったので。今日と明日の二日間で済むという。その初日が今日、私は何にもしたわけではないのに疲れる・・・。是も加齢現象かな?・・・。

人は一生の内三度は家の建て替えをするという。私は3度済ませている。一回目:部屋数は変わらないが、広縁を作って子どもの遊び場を作った、20代の終わり。2回目は二階家に建て替えた、30代半ば。3回目は姑を見送って一階だけ改築した、40代の半ば。それ以後はチョコチョコと修理をするだけ。1日か半日で済む程度。

2回目の建て替えの工務店との打ち合わせの夜、台風の様な雨風だった。よせばいいのに、約束だからとタクシーで乗り付けた。約束を守らなければという気持ちだけで私は行ったのだが、その行為を高く買ってくれた棟梁は「建て前」の時私に言った「打ち合わせの日を守ってくれた奥さんの気持ちが嬉しかったので、予算では使えないが、基礎?柱を太いのを使っといた。是だけの柱を使っとけば地震が来ても大丈夫だよ」って。そのお陰かどうか震災に遭わずに済んだ。もう一つ幸いしたのは「屋根の葺き替え」をしたばかりだった。だから瓦もずれなかった。

建て直しの時は間取りも自分で考えた。主人は東京勤務で「建て前」の時帰ってきただけで(毎週末には帰っていたが)平日は私1人だった。小学生の息子二人と庭に立ててもらった掘っ立て小屋で、荷物に埋もれるように暮らした。3ヶ月ぐらい掛かったように思う。

でも疲れは感じなかった。若いって凄いな~と思う。もう一つ、今思い返してもぞ~っとするが、全財産を叩いて建てたのである。ローンではない。家が出来上がった時、私達の預金はゼロ。あの当時は「投資信託」に10年預ければ倍になった時代だからできた事だと思う。

柱以外は安普請だったから、その10年後に一階だけ改造した。2階はそのままで窓だけアルミサッシに変えた。リタイアした時、主人が退屈だったのだろう、天井、柱を洗い、壁は塗り替えた。説明書に書いてある使用量の倍ぐらい使うのである。不器用な人なので出来上がりはあまりよくない。ふすまも張り替えてくれたが、間もなくめくれてきた。2台目を入れるために作ったガレージ(屋根なし)のセメントも陥没し始めている。専門家に頼んだガレージ(屋根つき)の方はビクともしていませんよ。

昔はハンドルを奪い合うようにしてドライブ旅行をしたのだが、今はもうだめです。疲れる。電車がいいです。「ジバング」に入っていますから3割引ですし。
唯ね、荷物を持たなければならないのが辛いかな~。だからひっきりなしにロッカーを使います。旅には100円玉が欠かせなくなりました。若い頃は勿体無いと思ったものですが、体力のなさには勝てません。

だんだん旅の回数も減るのでしょうね。家が良くなりますね。適温の部屋で、美味しいものを食べて、テレビを見て、パソコンで遊んで、本を読んで・・・って。

そうなると益々ジム通いをしなければ運動不足になりますね。ジムに行くと「おはようございます」って数え切れないくらい言いますしね。序でに「お口の体操」もしましてね。元気に「唱歌の学校」にも通ってね。夜はブログを書いてコトンと寝ます。
コメント (2)
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