ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

囲碁

2006年12月19日 | 新聞から
            京都府立植物園
          一度は育ててみたい花
          普通は一鉢一輪なのに
         双子のように寄り添っていた
          花は見るが蕾は珍しい

「囲碁」是は主人の趣味の一つである。私はパソコンを使い始めた頃から、ゲームの中に「囲碁」が含まれていて、無料でできることは知っていた。でもそれを主人に知らせると、夢中になってパソコンを乗っ取られる恐れがある。だから教えないで、「囲碁」のソフトを買って、それでポツリポツリ、私の邪魔にならない程度にしていた。

ところがです、孫が「パソコンで無料であそべるで~」と教えたからたまらない、孫から手ほどきを受けて、覚えて朝に昼に夜にやり始めた。お陰で私の時間がぐ~んと減った。「軒を貸して母屋を取られる」である。

初めこそ遠慮がちであったが、今は隙を見て使おうとする私に文句を言う程増長してきた。時々私もヒステリックに叫ぶ「このパソコンは私のやで~。一寸遠慮し~」。二台持つ事も考えた。でもそうすれば、時間がある二人はパソコンにへばり付くことになる。それは健康の為にも良くない。私は午前中にジムに行く、主人は午後にジムにいく、その時間と夜は10時までが主人、10時からが私と言う型ができている。

しかしその10時が中々守られない事が多い。何故ならこの頃はパソコンの「麻雀」も始めたからだ。囲碁なら一局の時間が比較的短い、しかし麻雀は長いからである。時間厳守さえしてくれれば、生麻雀と違って、お金を賭ける事がないので良いのだが・・・。

囲碁は今世界中で楽しむ人が増えているそうだ。今回関西棋院からその普及の貢献で、普及功労賞をもらった人が居る。その人の名は「明田克行さん」といって、なんと我が尼崎市役所を定年退職された方である。退職後指導に回った国はモンゴル、南アフリカ、ブラジル、イスラエル、ロシア、タイなど10カ国を超えるそうだ。

明田さんは「囲碁に言葉は要らないんです。碁石を動かす手談(しゅだん:手で語る意。囲碁の異名)で出来ます」「韓国や中国などの強い国ではなく、弱い国に行って囲碁を広めたい」と思っているそうです。

11月中旬に東京で行われた第17回国際アマチュア・ペア碁選手権大会に出場した帰りに明田さんのお弟子さんたちが大阪の関西棋院囲碁サロンを訪れたそうだ。
明田さんも自分の成果を喜ばれた事でしょう。

囲碁だけではないが、自分が上手だから、人に教えられると思うのは間違いで、自身は上手でも、人に教える事の下手な人もいる。この違いは何処から来るのだろうか。その人が上手になるまでの過程にあると思う。天才的な才能で何の苦労もなく覚えた人は人の指導が下手だ。できる様になるまでに色々の壁にぶち当った人、自分でコツコツ学んだ人こそ教え上手だ。本当に好きな事と言うのは地道な努力を厭わないと言う事だ。

手仕事は「盗め」とか「習うより慣れろ」とか言うが、名人は寡黙な人が多いし、言葉で説明を受けなくとも、その仕草が示していると言う事だろう。

私がもう少しパソコンが上手になれば、良いアドバイザーになれると思う。編み物の時もそうだが、自分でコツコツと覚えたので、その人の「何故?」が直ぐ理解でき、適切なアドバイスが出来るからだ。それは私が壁にぶち当りながら前進してきた経験を持っているから(スムーズに理解できた人は「人の何故?」が理解できない)習う方の問いかけを理解し、手を差し伸べられるからだ。経験ほど尊い教えはないと思っている。
                      (250回)
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