水上源一
昭和十一年五月十日
最終陳述
私の氣持ちは、學理的に観察しては判りませぬ。
檢察官は、尊皇絶對の信念は等しく同胞の堅持するところなりと言われましたが、
牧野伸顕は加藤寛治大將の帷幄上奏を阻止して統帥權を干犯し、
これが帝國議會の問題となるや時の内閣總理大臣加藤友三郎は、兵馬の權は議會にありと明言したのであります。
私は、陛下にあらせらるゝと判斷するものであります。
また、天皇機關説問題にしても、陛下は會社の社長と同様なりや。
なお、満洲事變後、政治家は軍部より頭を押えらるゝところより軍民離間策を講じ、
軍部が國防充實の爲めに相當の軍事費を豫算に計上せむとするや、
時の大蔵大臣高橋是清は農村疲弊の現狀を見ろと絶叫したのであります。
これらの例をしても、なおかつ尊皇絶對の信念は全國民の等しく抱懐せるところとなりと言い得るでしょうか。
斷じてしからずと答えざるを得ないのであります。
何れにせよ、國民はひとしく私らの行動に對して感謝しており、
從って、これがため軍隊に對する信頼を裏切ることなく、依然軍隊を絶對に信頼するものと思います。
ただ、宸襟を悩まし奉ったことについては、恐懼に堪えませぬ。