坂井直
昭和十一年六月四日
最終陳述
罪ハ自分一個ノモノナラズ何処ニアリヤヲ考エマス。
反省スベキハ五月四日勅語ヲ賜リタル者タチデアリマス。
( 第六十九特別議會開院式ノ勅語ニ
今次 東京に起レル事件ハ朕ガ憾うらみトスル処ナリ
我ガ忠良ナル臣民朝野和恊文武一致 力ヲ國家ノ進暢しんちょうニ致サムコトヲ期セヨ トアル )
論告ヲ一貫シテ観察スルトキ、正義ハイズレニアリヤヲ疑イマス。
事件ノ眞相ハ二十六日以後ニアリマス。
私ハ謀議シタコトハアリマセン。
二十三日ノ晩、點呼報告ノタメ週番司令室ニ行ッタトキ、安藤ヨリ計畫ノ一端ヲ聽カサレタノミデアリマス。
二十六日午前八時頃、眞崎大將ガ大臣ト會談シタアト參内シテ伏見宮ニ拝謁シ、ソノ上 上奏セラレマシタ。
ソノ後ニナッテ大臣ガ上奏セラレ蹶起趣意書ヲ陛下ノ御前ニテ朗讀セラレタトノコトデアリマス。
コノコトハ、軍ガ責任ヲ負ウ決意ヲ表明シタモノデアリマス。
秩父宮ハ 常ニザックバランニオ話シ申上ゲテイマシタガ、
同志間ニハ蹶起シタ場合、同宮ノ御同行ヲ仰イデ宮中ヘ參内スルヨウナ話ガアリマシタカラ、
國内ノ惡イ奴ヲ斬ルタメニ軍ガ飛ビ出シ御迎ニ行ッタトキ、
殿下ハ護良もりなが親王ノ立場ニ立チ 渦中ニ立タレマセンカトオ伺シマスト・・
( ト 言イカケ 裁判長ヨリソノ御答ハ後デ聽クト制止セラレタリ )
二十六日カラ二十九日マデノコトヲ一體トシテ考エテモラワネバ、今回ノ事件ノ眞相ハ判明シマセヌ。
奉勅命令ヲ傳達シナカッタコトモ、犯罪デアリマス。
全部私ガ仕向ケタノデアリマスカラ、私ガ死刑ニナレバ 高橋、安田、麥屋、下士官兵ニ罪ナシト斷言シマス。
北島ハ不起訴ニナッタソウデアリマスガ、長瀬ニ對スル取扱イハソレニ比較スレバ不公平デハアリマセンカ。
( 註・歩三第一中隊ノ歩兵伍長 長瀬一ト北島弘。齋藤内大臣ト渡邊敎育總監襲撃ニ參加シテ
豫審ニ附サレ、四月二十四日、長瀬ハ起訴、北島ハ不起訴トナッタ。ノチ北島ハ追起訴ニナリ、二人トモ禁錮ノ實刑ヲ受ケルコトニナル。)
率直ニ申上ゲルト 兩人ハ大差ハアリマセン。
北島ハ頭ガ良イノデ訓示ヲ聽カナカッタト言ッタモノト思イマス。
部下ヲ率イテ行動ニ參加シタノデアリマスカラ長瀬ト差ハナイハズデアリマス。
公平ナ御取調ベヲ願イマス。
私ハ中學時代狂人ニナッタコトガアリ、
蹶起前ニハチョウド陸大受驗
二十三日週番勤務中 安藤ヨリ決行ヲ聽キ 非常ナ刺激ヲ受ケ、狂人ノヨウニナッテイマシタ。
コノヨウニ常軌ヲ逸シタ人間ニ率イラレタ部下ニハ罪ハナイト思イマス。
以上
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1、安藤、栗原等ノ陳述ト大同小異ナルモ、時局認識ニ附、
秩父宮殿下ニ對シ奉ル談話ニ言及シ、裁判長ヨリ注意サル
2、妻帯直後ノ犯行ニ附、一身上ニ附、當時ハ陸大ノ受驗勉強中、週番トナリ、
身心共ニ困憊こんぱいシアリ、
且ツ安藤大尉ハ自重論者ナリシ爲 此ノ様ナコトハ惹起ナシト確信シ居タルモ、
安藤大尉ノ命ニヨリ間違ヒナキモノト信ジ 一路御維新ニ邁進セル 旨開陳シ、
且 小學校時代ニ異動アリタル
コトヲ供述ス
( 約一時間三十分 ) ・・・憲兵報告
石本寅三裁判長
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第二十一回公判狀況
覺
二 ・二六事件第一公判廷 第二十一回公判開廷狀況 ( 五月三十日 )
昭和拾壱年五月卅日
澁谷憲兵分隊長 徳田 豊
東京憲兵隊長 坂本俊馬 殿
午前九時石本裁判長ハ開廷ヲ宣シ、
香田元大尉以下二十三名ノ呼名點呼ナシタル後、
法務官ハ今次被告事件證據調ヲナスト前提シ、
首相、文相、陸相、鐵相、農相 各官邸、警視廳、山王ホテル、幸楽、
華族會館等ノ被碍狀況竝齋藤内大臣、松尾大佐、高橋蔵相、渡邊敎育總監、
伊藤屋旅館、鈴木侍從長及朝日新聽社等檢證調書、死體檢案書等ヲ讀ミ聽タル後、
各團體證人豫審官ノ訊問調書竝司法警察官ノ訊問調書ノ要點ヲ讀聽カセタルガ、
未了ノ儘、午後四時閉廷セリ。
( 了 )
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