昭和四年一月
海軍軍令部長鈴木貫太郎大將は侍從長となり天皇の側近に奉任することになった。
翌 昭和五年浜口内閣におけるロンドン海軍軍縮條約にからんで、
政府と統帥がその兵力量について對立紛糾したとき、
浜口首相は全權團よりの請訓案をのんで回訓を發しようとし、
天皇に上奏のため拝謁を願い出たのに對し、
加藤軍令部長はこれが反對上奏を行うために、同じように拝謁を願い出た。
ところが鈴木侍從長は
浜口首相の拝謁方を取り計らい 加藤軍令部長の拝謁方はこれを阻止した。
これがため鈴木侍從長の風當りはつよく、
彼は統帥權を干犯したというのでごうごうたる非難にさらされた。
これが彼がニ ・ニ六に斬奸に遭う主たる原因であった。
ロンドン條約問題
『 統帥權干犯 』
目次
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・ 統帥權と軍人精神
・ ロンドン條約をめぐって 1 『 米國の對日戦略 』
・ ロンドン條約をめぐって 2 『 西田税と日本國民党 』
・ ロンドン條約をめぐって 3 『 統帥權干犯問題 』
・ ロンドン條約問題の頃 1 『 民間團體の反對運動 』
・ ロンドン條約問題の頃 2 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (1) 』
・ ロンドン條約問題の頃 3 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (2) (3) 』
・ ロンドン條約問題の頃 4 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (4) (5) (6) 』
・ ロンドン條約問題の頃 5 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (7) (8) 』
・ 統帥権と帷幄上奏
・ 鈴木侍從長の帷幄上奏阻止
・ 小笠原長生 『 ロンドン條約と西田税 』
佐郷屋留雄
浜口首相狙撃事件
昭和五年十一月十四日 午前八時五十五分頃
総理大臣浜口雄幸が岡山県下で挙行の陸軍大演習陪観の為 西下すべく、
東京駅に至り乗車ホームに差蒐かった際、
同所に於て之を待受けて居た 佐郷屋留雄 の為め
「 モーゼル 」 式八連発拳銃を以て射撃せられ、
瀕死の重傷を負ひ、遂に翌年 ( 昭和六年 ) 八月二十六日逝去した。
佐郷屋留雄 ( 当時二十三年 ) は大陸積極政策の遂行、共産主義の排撃を綱領とし、
民間右翼団体一方の巨頭である岩田愛之助を盟主とする愛国社に身を寄せて居り、
浜口内閣の緊縮財政政策に依る社会不安を見て、
同内閣の倒閣運動に加つて居たが、
一方ロンドン条約に関し 起つた軟弱外交統帥権干犯の世論に刺戟され、
又 政教社のパンフレツト 「 統帥権問題詳解 」 及び 「 売国的回訓案の暴露 」
等を読み、委託憤激した結果この挙に出たものである。