あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

最期の陳述 ・ 香田淸貞 「 自分の氣持は捨石となることにある 」

2020年09月15日 18時45分55秒 | 暗黑裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


香田淸貞
昭和十一年六月四日
最終陳述


御宸襟ヲ悩シ奉リ恐懼ニ堪エズ。

論告ニ民主革命ヲ實行セントシタトアルモ、コレハ自分ノ考エトハゼンゼン異ナルトコロニシテ、
決行シタノハ國體ノ障碍ヲ目シタ者ヲ除キ、國體ノ眞姿ヲ顯現シ
特ニ公判ニオイテ述ベシゴトク、昭和元年ノ御勅諭ノ精神ガ實行セラレナイノデ、
御勅諭ノ精神ヲ實行スル人ガ出ルコトヲ念願シ、
ソノヨウナ人ガ出ル世ノ中ニ致シタシト希望シタルタメ。
自分ガ建設計畫ヲ有スルゴトク誤解サレタルモ、ソレハ建設計畫ニアラズ希望ニ過ギズ。

ツギニ暴力ヲ用イネバ現状打開ガデキヌヨウニ妄信シタトノ點ニツイテハ、
決シテ妄信ニアラズ、他ニ手段ナシト考エテ直接行動を是認シタルナリ。
自分ノ根本ノ考エハ、
直接行動ハデキルダケ避ケテ、昭和元年ノ御勅諭ニ現ワレタ大御心ヲ實現セントシタルモ、
ツイニコレヲ是認シタノハ、他ノ同志中ニモ策を有スルモノモナク、
マタ信ズベキ上官ニアタリタルモ策ナキヨウニ考エタルガタメナリ。

ツギニ現狀ノ認識ニオイテ、
立派ナ御世デアルノニ自分等ガ立派ナ御世デナイヨウニ考エタトノ點ニツイテハ、
昭和ノ聖代ガ立派ナコトハ認メマス。
コノ立派ナ御世ニ生レタコトヲ光榮ニ思イマス。
シカシ ナオ不足ガアルト考エタノハ、
現在ノ日本ノ使命ハ ヨリ以上ノコトヲシナケレバナラヌ時機ニ到達シテイルト考エタノト、
御勅諭ニモソノコトガ言ワレテイルノデ 左様ダト考エマシタ。

サラニ兵力ヲ使用シ 軍紀ヲ破壊シタトノ點ニツイテハ、
實行前ニソノコトハ考エタガ、前ニ言イタルヨウニ大ナル獨斷トカンガエタノデアッテ、
獨斷ノ正非ニカカワラズ、コノコトニ關シテハ陛下ノ御裁おさばキヲ受ケネバナラヌトハ考エテハオリマシタガ、
大臣告示ガ出テ、マタ 戒嚴部隊ニ編入サレテ、ソノ獨斷ノ出發點ニオイテ認メラレタト思ッテ安心シマシタ。
シカシ ソレヲモッテ全部ノ責任ガ終ッタトハ考エマセヌデシタ。

ツギニ論告ニ肅軍ニ邁進シ政府國政一新ニ嚮ッテ進ンデイルトアッタ點ニツイテハ、
私ハ蹶起ノ使命
ガ遂行サレタト喜ンデ居リマス。
刺激ヲ与エ、ソレニヨッテ國民全部ガ大御心ヲ體シ、一致シテ良クナッテイルト聽キ喜ンデオリマス。
コノ公判ニオイテ 先程ノ論告ヲ聽キ、カネテ國家ノ盛衰ニに關スル重大事件ナレバ
思イキッタ御裁ヲシテイタダキタイト思ッテオリマシタガ、ソノ御方針デ邁進シテオラレルコトヲ感ジ喜ンデオリマス。
世評ハイロイロアリマショウガ、自分ノ氣持ハ捨石トナルコトニアルノデスカラ、
ソレニヨッテ國家ノ躍進ガデキレバ満足ノ至リデス。
タダ形ノ上ヨリ言エバ一時ハ後退ニ見エルカモワカラヌガ、
前進シ居ルコトヲ先程言ワレ、證據ヅケラレテイルヨウニ思イ喜ンデオリマス。
以上

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1、論告中ニ於ケル、
 北、西田等ノ心奉セル日本改造法案ニヨリ
社會民主主義革命ヲ實行セントクーデターを斷行セントシタリトアルハ
承服出來ザル所ナリ、
何トナレバ今回ノ蹶起ハ
蹶起ノ趣意書ニ明示セル如ク國體ノ眞姿顯現ニヨリ
一路御維新ニ入ラントシタルモノナリ、
ト弁明シタル後、
其ノ他ハ大體檢察官ノ論告ヲ是認シ、
檢察官ヨリ御詔勅ニヨリ百世改マリ軍ハ肅軍ニ邁進シアリトノ言明ニヨリ
蹶起將校等の眞意は認メラレアルハ眞ニ満足スル所ナリ トシ、
行動ノ非ハ陛下ノ御宸襟ヲ悩マシ奉リタルコトハ御恐懼ノ至リニ堪ヘズ
ト結ビタリ。
・・・憲兵報告


憲兵報告・公判狀況 28 『 山口一太郎 』・・行動將校ト一処ニナツテモヨイト思ヒマシタ

2020年09月15日 05時48分49秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)


山口一太郎
前頁 兵報告・公判状況 27 『 山口一太郎 』 の続き

第四回公判狀況 

ニ ・ニ六事件第一公判廷 公判狀況ニ關スル件
七月十一日午前九時被告山口一太郎、新井勲、柳下良二出廷。
同九時七分 石本裁判長開廷ヲ宣シ、
新井、柳下ノ兩名ヲ即時休憩セシメ、前回ニ引續キ山口ノ事實審理ヲ續行セリ
法務官
「 二月十八、九日頃ニ於テ蹶起ノ様子ヲ知り、二十四日ニ於テハ全ク決行ヲ察知シタルニモ拘ラズ、
 之ヲ阻止スル手段ヲ講ゼザルノミナラズ、自ラ進ンデ週番司令室ヲ提供シタルハ、
其ノ諒解ニ苦シム処ナリ 」
ト冒頭ヨリ阻止ノ意思ナキモノナリト問詰シタルモ、被告ハ前回ノ陳述ノ通リナリトシテ、
彼等ノ動靜査察ノ爲ニハ已ムヲ得ズト 論ジ、
且ツハ過去數年ニ亘リ常ニ未然ニ防止シ來リタル例ヲ擧ゲテ、之ニ應酬セリ
續テ、
法務官  「 二月二十六日ヨリ其行動ヲ順ヲ追ウテ述ベヨ 」
「 1、二月二十六日午前四時三十分頃非常呼集ヲ行フト同時ニ聯隊長、師團長等ニ聯絡シ、
 某少尉ヲ使ツテ他部隊ノ出動ノ有無ヲ偵察シ、私物ニテ本庄大將ニ對シ靑年將校ノ蹶起ヲ告ゲ、
尚、目標ハ是々ナラント推測ノ下ニ爲シタリ。

2、午前五時頃ニ至リ聯隊長、師團長等來隊シ、情報蒐集ノ傍ラ善処スベキヲ痛感セルモ、
 何等具體的方策ナシ。

3、午前七時頃師團長ノ命ニ依リ 聯隊長ト共ニ行動部隊ノ偵察竝ニ鎮靜ニ出發シ、
 第一ニ陸相官邸ニ赴キタリ。

4、陸相官邸ニ於テハ彼等ト陸相ト面接シ、傍ニ齊藤少將、澁谷大佐居合セ、 交渉中ナリ。
 其際蹶起ノ趣意書ヲ見ル。

5、石原大佐入リ來テ斷乎彈壓スベキヲ鞏調シタルニ、澁谷大佐ウナヅキテ之ヲ聞キ、
 軍旗ヲ立テゝ討伐スル如ク言ヒタルヲ以テ、磯部憤激シテ軍刀ノ鯉口ヲ切リ、自分ハ之ヲ阻止シタリ。

6、陸相ノ質問ニヨリ、左ノ事ヲ要請ス。
 イ、市民ニ危害ヲ加ヘザルコト、
 ロ、皇軍相撃ハ絶對不可ナリ、
 ハ、速カニ善処スルコト、
ヲ述ベタリ。
時ニ午前九時半頃ナリ。
其ノ時分 眞崎大將來リ、
齊藤少將ハ盛ニ私ト同ジ様ナコトを云フテ、
只ウナヅキテ 「 ソノ通リ、ソウダ 」
トバカリ云ツテ要領ヲ得ズ。
最後ニ總括的ニ私ハ陸相ニ、
要ハ本部隊ハ義軍カ賊軍カヲ明瞭ニセザレバ速カニ解決ハ出來ナイ事ヲ鞏調セリ。

7、眞崎大將退場シ、陸相參内シタル爲メ、自分ハ小藤大佐ト共ニ一師團司令部ニ赴キタリ。

8、司令部ニ於テ 「 一師戰警第一號 」 ノ命ヲ受ケ、・・・< 註 1 >
 尚、注意事項トシテ本部隊ヲ友軍トスルノ口達ヲ受ケ、
續イテ大臣告示ノ印刷物ヲウケテ、之ヲ行動隊幹部ニ配布ス。・・・< 註 2 >

9、其後軍事參議官會議ニ列席シテ、靑年將校ノ意ヲ含ミテ申出ヲナシタルモ、
 荒木大將ヨリ叱責セラレタリ。
即チ、速ニ義軍ト認メ鞏力内閣ヲ造リ昭和維新ニ入ルコトヲ云ヒタルタメナリ。
眞崎大將ヨリモ參謀本部附近ノ撤兵ヲ要求セラレ、行動部隊將校落胆セリ。
二十七日小藤大佐ノ命ニ依リ宿營配置ヲ爲シタリ。
其夜軍事參議官中、阿部、西、眞崎ト行動將校ト會見セリ。
其際ハ殆ド全部ナルモ、栗原ノ不在ナルハ事實ナリ。
其際ノ會見要求項目ハ、
(1)  眞崎大將ニ一任ノコト、
(2)  全軍事參議官ハ眞崎大將ヲ中心トシテ一路邁進スル事、
 之ニ對シテ眞崎大將ハ、
條件ノ一ハオ斷リスル、速ニ現所属部隊長ノ命ニ依リ歸隊セヨ、
「 錦ノ御旗ニ叛クナ 」 ト八釜敷ク申シタルモ、耳ヲカスモノナシ。
阿部大將ヨリ、
今迄トテモ一致シテ來タ、
今後トモ一致スルガ、必ズシモ眞崎大將ノミヲ中心トスル譯ニハイカヌト申シタリ。

10、二十八日情勢惡化シテ奉勅命令ノ出ル氣配ヲ知リ、驚キ且ツハ殘念ニ思ヒ、
 行動將校ヲ極力説得シテ潔ク引上グル様 小藤大佐、山下少將等ト共ニ奔走セリ。

11、一方、幸楽ニアル澁川善助ハ反對意見強ク、首相官邸ニアル栗原 又之ニ應ズル色ナシ。
 爲ニ自ラ戒嚴司令部ニ赴キ
、思切ツタ進言ヲ爲シタリ。
自分トシテモ殆ンド想像ノツカナイ反狂亂體トナレリ。

12、愈々二十八日昼過ギ奉勅命令ノ出ヅルコト確實タル爲メ、
 栗原以下十數名 陸相官邸ニ於テ自決セントシ、私モ亦彼等ト共ニ処決セントシテ、
半紙ニ 「 天皇陛下ノ御命令ニ服従ス 」 ト記シ、
何事カヲ認メ、山下少將、鈴木大佐等ト共ニ號泣ス。

13、然ルニ、磯部淺一來リテ、絶對ニ自決ノ不可ヲ叫ビタル爲メ、
 行動將校中ニハ ダンダン決意モニブルニ至レリ。

14、二十八日夜愈々討伐ト確定シテヨリハ師團司令部ニアリテ、
 二十九日モ一日司令部ニ在リ。  三月一日憲兵隊ニ拘禁セラレタリ。

法務官  「 被告ノ原則ノ如ク上層部工作ヲ爲シタルモノト認メ難シ。
 殊に二十八日ノ戒嚴司令部ニ於ケル言動ハ恰モ行動將校ト同様ナリ 」 ・・・< 註 3 >
申譯アリマセン。
今迄ノ努力ガ無ニナルト思ヘバ落胆ノ餘リ 半狂亂トナツテ勅命ヲ延期スベク申シタノデアリマス。
然シ 此頃カラ殆ド行動將校ト一処ニナツテモヨイト思ヒマシタ。

裁判官  「 被告ハ、磯部、村中ニ對シテ敎育總監更迭ハ 明ニ統帥權干犯ナリト斷ジタリト云フガ、 誰カラ聞イタノカ 」
花菱中佐 ?カラ聞キマシタ。  同中佐ハ眞崎大將カラ聞イタト云ヒマシタ。

裁判官  「 否、本庄大將カラ聞イタノデハナイカ 」
違ヒマス。本庄ハ私ガ聞イタ時ニハ、今更致方ガナイトノミ言ヒマシタ。

裁判官  「 二十六日ノ朝 私物ニテ何故 本庄大將ニ通知ヲナシタルヤ。 然モ襲撃目標迄モ推測ニテ通知シタルハ輕卒ナラザルヤ 」
輕卒デアリマシタガ、參内後ハ申上グル機會ハナイト思ツタカラデアリマスシ、
尚、側近トシテ是非知ツテ戴ク必要ガアリマシタノデ、通知致シマシタ。

裁判官  「 被告ハ敎育總監更迭ノ際ハ統帥權干犯ナリト信ジタルヤ 」
信ジマシタ。」
ト 二、三回問答ヲ爲シタル後、
法務官ヨリ總括的ニ叛亂ヲ利スル目的ナリト云ヘバ、
被告ハ、結果論ヨリハ之を諒トスルモ、
其精神ハ終始一貫國家皇軍ノ前途ヲ憂フレバコソ上層部工作ヲ爲シタリ、
其ノ精神ヲ御推察下サイ
ト歎願スレドモ、法務官ハ之ニ對シテハ諒解ニ苦シミ、
其他ノ部分ヲ指摘シテ常ニ行動将校ノ爲メ 極メテ有利ニ展開セシメ、
遂ニハ其ノ將校等ト同様ノ言動ヲ爲シ、或ハ自決ヲ共ニセントシタル、
一脈相通ズルモノハ事件勃發前ヨリアリタルモノナラズヤト問詰スレ共、之ニ應ゼズ、終了セリ
午前四時十分裁判長ヨリ 次回ハ明後日十三日開廷スベキ旨ヲ告ゲ、閉廷ヲ宣セリ
( 了 )

兵報告・公判状況 29 『 山口一太郎、新井勲、柳下良二 』 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から
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< 註 1 >
一師戰警第一號
第一師團命令
(二月二十六日午後四時 於 東京)
一、第一師管ノ戰時警備ヲ下令セラル
二、師團ハ昭和十年度第一師團戰時警備計畫書ニ基キ  担任警備地域ノ警備ニ任ジ治安維持ヲ確保セントス
 近衛師團ハ其警備担任區域ノ警備ニ任ズ
三、歩兵第三聯隊長ハ 本朝來出動シアル部隊ヲ合セ指揮シ、担任警備地區ヲ警備シ治安維持に任ズベシ
 但シ 歩兵第一聯隊ノ部隊ハ 適時歩兵第三聯隊ノ部隊ト交代セシムベシ
四、歩兵第一聯隊ハ屯営ニ待機シ後命ヲ待ツベシ
五、歩兵第四十九聯隊、歩兵第五十七聯隊及戰車第二大隊ハ所命ノ地点ニ兵力ヲ終結シ、待機ノ姿勢ニ在ルベシ
六、其他ノ在京部隊ハ第一師團戰時警備計畫書ニ基キ行動スベシ
七、第一師管各衛戍司令官ハ所要ノ警戒ヲ行イ、夫々衛戍地ノ警備ニ任ズベシ
八、本警備ニ在郷軍人及防護團ハ別命アル迄使用スベカラズ
九、予ハ師團司令部ニ在リ
師團長 堀 中將
併セテ次ノ事項ヲ口達セラレタリ
一、敵ト見ズ友軍トナシ、共ニ警戒ニ任ジ軍相互ノ衝突ヲ絶對ニ避クルコト
二、軍事參議官ハ積極的ニ部隊ヲ説得シ一丸トナリテ活潑ナル經倫ヲ爲ス    閣議モ其主旨ニ從イ善処セラル
< 註 2 >

陸軍大臣告示
二月二十六日午後三時三十分
東京警備司令部
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國體顯現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國體ノ眞姿顯現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事參議モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之レ以上ハ一ニ大御心ニ待ツ
・・・ 大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」
< 註 3 >
・・・彼らは既に小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、
わざわざ皇軍相撃つような事態をひきおこそうというのは、一體どういうわけであるのか、
皇軍相撃つということは日本の不幸これより大なるはない、同じ陛下の赤子である。
皇敵を撃つべき日本の軍隊が鐵砲火を交えて互いに殺しあうなどということが許さるべきことであろうか。
今や蹶起将校を処罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべきときである。
昭和維新の黎明は近づいている。
しかもその功労者ともいうべき皇道絶對の蹶起部隊を名づけて反亂軍とは、何ということであろうか、
どうか、皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。
奉勅命令の實施は無期延期としていただきたい
・・・彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか