あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

最期の陳述 ・ 竹嶌繼夫 「 斯くすることが大御心に副い奉る所以なるべしと考えたのみであります 」

2020年09月13日 18時41分03秒 | 暗黑裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


竹嶌繼夫
昭和十一年六月四日
最終陳述


今まで公判廷で申上げたことは一點の僞もありませんが、
これが最後と思いますから、他の者に及ばぬかも知れませんが、
考えて居ることを述べます。
私どもの蹶起により上京し事實においては種々な謀議をやっていますが、
豊橋の最古參として仮令たとえ自分の與あずからぬ計畫があっても責任を負う考えであります。
絶對に民主革命を企圖したものではありません。
自分の心が大御心たりとの不逞の根性はありません。
ただ 斯くすることが大御心に副い奉る所以なるべしと考えたのみであります。
勝手に判斷して大御心を僭上したのでは絶對ありません。
大臣告示、戒嚴司令官の隷下に編入せられたことは、大光明に照らされたような氣がいたしました。
故にその後の行動は軍隊としての行動であります。
頑張って一定地域を占拠したものではありません。
告示は戒嚴司令部が説得要領としてた鞏弁せられますが、
われわれは神聖なる告示と考えました。
また 二十九日まで總ての者が説得したように鞏弁せられますが、
激励ばかりを皆の人から受けたのであります。
兵力使用の點については、豊橋において 皆 必死に議論いたしました。
これが統帥權干犯なることは明かでありますが、
統帥權の根源を犯されていては、
統帥權全部が駄目になるが故に末を紊みだして根源を擁護せんとしたのであります
ちょうど毒蛇に噛まれ手首を切斷し 命を助ける同筆法であります。
もちろんそのことに對しての責任は充分に負います。
殘虐な殺害方法だとのお叱りを受けましたが、殘虐をなすつもりでやったものではなく、
若い者が一途に惡を誅するための天誅の迸ほとばしりに出たことで、
一概に殘虐と片づけるのは酷なことと存じます。
本年 命を終るに際し、
事志と違い 逆賊となり、
修養の足らぬ心を
深く 陛下にお詫び申上げる次第であります。
以上
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1、社會民主革命ヲ實行セントシタル云々ノ點ハ香田ノ申立ニ同ジ。
2、私等ノ行動ガ陛下ノ御宸襟ヲ悩マシ奉リタルコトハ眞ニ恐懼ニ堪ヘズ。
3、豊橋方面ノ關係ニ附テハ自分ガ先任者ニテ指揮下令シタルニ附、
 自己ニ全部其責任ヲ負ハシメラレ度。

・・・憲兵報告


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