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遊煩悩林

住職のつぶやき

水俣病事件

2007年05月01日 | ブログ

熊本県山都町をあとにして水俣へ向かった私たちは、まず袋地区の茂道という漁村を訪ね、年間5万人が訪れるという水俣病資料館で水俣病の歴史と教訓の語り部をしておられる杉本栄子さんのご主人の水産工場を訪ねました。工場は目の前がすぐ海、この日獲れたシラスをご馳走になりました。不知火海の中でも水俣の海はかつて「魚が湧く」といわれるほど豊かな海だったそうです。1997年(平成9)の安全宣言後、水俣湾は全国で最もきれいな水質の海のひとつであるそうです。
水俣病はチッソ水俣工場が不知火海に流した工場廃水に含まれるメチル水銀が魚介類を汚染し、その魚を食べた人たちが冒された公害病です。1956年(昭和31)に水俣市で原因不明の病気の発生が確認され、工場廃水が原因として疑われても高度経済成長を支える工場はその因果関係を認めず、廃水が流され続けました。結果、住民は次々に病に倒れ、さらには母親の胎内で水銀に侵された胎児性水俣病患者の発生という悲劇が生まれます。
Img_4473 私たちは水銀を含む工場廃水に汚染された水俣湾の埋立地に足を運び、埋立地にたてられた水俣病慰霊の碑にお参りをしました。水俣湾の有害物質を含むヘドロを浚渫して埋め立てられた湾は実に58.2haに及びます。慰霊碑は水俣病公式確認50年を記念して昨年建てられたもので、水俣病で亡くなったすべての霊を慰め、環境破壊が引き起こす悲劇を二度と繰り返さないことを願いとするものです。碑の隣には祈りのことばが刻まれた「海の鐘」と「山の鐘」の2つの鐘が釣られ、慰霊碑の周囲には、魚や貝をかたどったオブジェが無数に並べられています。Img_4476水俣病の被害は人間だけでなく多くの魚介類や犬、猫にも及んでいます。慰霊碑は、人間だけのものでなくすべての生き物の慰霊施設でもありました。
  埋立地の視察を終えて宿泊先の「湯の児温泉」の旅館にて、水俣病の患者らによって結成された「本願の会」の事務局長で、胎児性の患者らとともに和紙づくりの「浮浪雲工房」を開設された金刺潤平氏からご自身の活動についてお話をいただきました。印象に残っているのは、現在の社会は「被害者が加害者にされていく社会だ」ということばです。そして「『結婚するならチッソマン(チッソの社員のこと)』という地元の女の子がいる」ということばには驚きました。水俣を訪れるまでの私の中には、水俣病を生み出したチッソは水俣の負の遺産で、嫌われ者だと思っていたからです。現在でも操業を続けているのは、水俣病の原因企業として果たすべき責任と患者への補償のためだとばかりに考えていました。ですが、1907年(明治40)にチッソの前身である日本カーバイド商会が設立されて以降、水俣は「チッソの城下町」ともいわれ「チッソが村に来てくれたおかげで家に電気が点った」というくらいチッソを擁護し奉る雰囲気が現にあるのです。「被害者が加害者にされていく」ことのひとつは患者を疎んずる雰囲気がそこにあるということです。現に、2万人にも満たない現在の水俣市に「新水俣駅」という新幹線の駅が建っているのはその象徴なのかもしれません。

つづく

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