お寺の一年を締めくくると同時に、一年のはじまりでもある行事。
このご案内をもって今年の「遊煩悩林」もつぶやき納めになりますでしょうか。
「除夜の鐘」と「修正会」、いちおう時間設定は区切っておりますが。
かつては、除夜の鐘が終わってからの修正会。
鐘楼にて鐘を撞く順番を待つ人がいなくなるまで。
からの修正会。
時には1:30からだったり2:00からだったり。
最後までお参りくださるのは鐘を撞いてくださった方の1〜2割の方々。
さて、近年はご参詣の皆さん鐘撞きの合間に境内の火を囲みながらスマホを片手に新年のカウントダウン。
スマホのそれがそれになった瞬間「おめでとうございまーす」と。
今年は「アレ」でしたが、来年は「ソレ」か?などと。
獅子吼の余韻の中で、つまり「ごぉーーーん」の「ーーー」の響きの中に、終わりとはじまりが繋がっているところに「除夜の鐘」の醍醐味はあるのかと思ったりしておりますが。
「終わり」と「はじまり」の混然一体化。
ならば。
境内に鐘の音が響いている最中に、堂内では修正会が同時的に勤まっているという演出もありか、という時間設定になっております。
夜半の鐘の音を仏の声と聞くか、騒音と聞くか、難しい時代社会に生きていることを実感しつつ、私はこのように聞こえた、このように聞かせていただいたということが何かあれば。
私はこの年に何を聞いてきたのか。
これまで何を聞いて生きてきたのか。
また明くる年に何を聞こうとしているのか。
憶えば自分の都合に合う聞き方しかしていないし、仏の獅子吼さえ自分の都合次第。
そのご指摘だけは聞こえている。
それで?
どうなんだということがないまま。
という締まりのないつぶやきに今年もお付き合いくださりありがとうございました。
来年も落とし所のみえないつぶやきをよろしくお願いします。
拝