緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

静かな夜に-前奏曲とフーガ1曲-

2020-05-29 21:35:57 | ピアノ
「前奏曲とフーガ」と言ってもバッハやショスタコーヴィッチではない。
日本の作曲家、原博(1933-2002)によるピアノ曲である。

原博のことを知ったのは1990年代の半ばのことだった。
たまたま買った現代ギター誌で、サークル紹介という連載記事があり、アマチュアのギター合奏団体の紹介の中で、このサークルが原博のギター合奏曲を練習していることがレポートされていた。
そしてこの合奏曲のある楽章に「挽歌」と名付けられた曲があり、確か悲痛な重々しい雰囲気を持つ曲だと紹介されていたような気がするのだが、その当時私は邦人作曲家のギター独奏曲を探し求めていたので、この「挽歌」という曲に何となく関心が向いたのである。

その後しばらくして、この「挽歌」の楽章がギター独奏曲として単独の楽譜が出版されていることを知り、早速出版元のギタルラ社に買いに行ったのである。
その頃はこの曲の録音もなかったし、Youtubeなども無かったから、この曲がどんな曲であるか全く分からなかったのであるが、ともかくもこの曲を弾いてみたいと思った。
ギタルラ社でこの楽譜を買うためにレジの前に行ったら、丁度レジのところにギタルラ社の当時の社長の青柳さんがいて、私が精算するために渡した「挽歌」の楽譜を見ると、穏やかな口調でこう言ったのである。
「この曲、ものすごくいい曲です」、「原さんは去年だったかな、亡くなってまもないんですよ」
そして家に帰って早速この曲を弾いてみたら、確かにものすごくいい曲だった。
これが原博の音楽に触れた最初の体験だった。
(原博は、このギター合奏曲の中の「挽歌」の楽章をギターソロ用に直したのは、ギタルラ社の青柳さんからの勧めがあったことを話している)
ちなみにこの「挽歌」は、東京国際ギターコンクール本選課題曲に少なくとも2回(もしかすると3回?かもしれない)選出された。

下は「挽歌」の楽譜。
度重なる(?)譜めくりで、楽譜の端に黒い染みがついてしまっている。







その後原博の曲をもっと聴きたくなり、2曲目のギター曲「オフランド」の楽譜を買ったり、ギター曲以外のCD、例えば「ヴァイオリンと弦楽のためのシャコンヌ」(和波孝禧演奏)、「シャコンヌ」、「ヴァイオリン協奏曲」(天満敦子演奏)、「交響曲」、「ピアノソナタ」、「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」などのCDを集めていった。

原博の音楽で好きなのは、「挽歌」の他に「ヴァイオリンと弦楽のためのシャコンヌ」と「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」だ。
「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」のCDは、原博のCDを集め出した当初は新品でも手に入ったが(高田馬場駅前のムトウレコード店で売っていたのを見たことがある)、買いそびれているうちに廃盤、その後中古を探してもなかなか見つからず、7,8年くらい前に中古でやっと手に入れた。



2種類の録音だが、これらの中古CDも滅多に見かけない。
それほど原博の音楽は長い間、関心を持たれていなかったということであろう。
「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」の楽譜もずっと長い間絶版になっていて、2、3年くらい前だったかに偶然、ディスク・ユニオンの中古楽譜売り場で中古楽譜を見つけたが、これは運が良かったとしかいいようがない。
しかしこの楽譜は2019年5月に復刻されたようだ。
実に33年振りの再発だそうだ。

Youtubeも数年前に覗いたときも原博の曲の投稿はわずかだったし、長い間投稿に変化が無かった。
確か10も無かったと思う。
しかし今日久しぶりにYoutubeを覗いてみたらかなり数が増えていた。
残念ながら「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」の全曲演奏は投稿されていなかったが、24の曲のうち1曲だけ投稿されているのを見つけた。
演奏されている方はアマチュアなのかプロ(教室の先生?)なのか分からないが、今日偶然この演奏者が開設しているホームページでの「原博」に関する記事を見つけた。
原博についてはかなりの知識を有し、研究もされている方だった。

一応リンクフリーのようなので、下記にリンクを貼らせていただく。

Hiroshi Hara : 24 Preludes and Fugues for Piano, No.17 A flat major






「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」の北川暁子氏の演奏CDの解説の中に、原博の古くからの友人が、死の床で「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」を繰り返し聴きながら逝ったという話が載っていた。

現代ギター誌の古いバックナンバーに、原博の特集があったが、原博は若い頃にフーガを徹底的に研究したようだ。
「フーガを究めないと、作曲家になれないんだ、という気持ちが強くて、一生懸命だった」と言っている。

「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」はバッハのイメージを捨てて聴いた方がいいと思う。
あくまでも原博のオリジナリティーを感じるようにして聴くのがいいと思う。

恐らくであろうが、原博はこの曲集を、自身の曲のなかで一番完成度の高い、高い評価を下した曲なのではないかと思う。

※敬称は省略しています。
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作詞:五木寛之、作曲:信長貴富 合唱曲「青春譜」を聴く

2020-05-28 20:51:38 | 合唱
合唱曲に目覚めたのは確か2009年の秋だったと思う。
まだそんなに寒くない頃だった。
ちょうど会社の管理職研修で、新潟の当間という所へバスで連れていかれて、ホテルに缶詰めにされ、会社に忠誠を誓い、会社を儲けさせるための戦士となるよう洗脳教育を受けた頃だ。

その研修の少し前に、中学3年生のときに合唱大会で歌った「木琴」という曲に何十年かぶりに偶然出会い、衝撃を受けた。
何十年も行方不明だった親しかった人と再会したときに味わうような感情だった。
この体験をきっかけに、それまで全く聴きもしなかった合唱曲(高校生の演奏)にのめり込んだ。

そうだ、この頃から私は加速度的に心理的に楽になっていった。
重たい重しが乗っかっていた心が徐々に軽くなっていくのを感じた。
同時に感情的放出も凄かった。
音楽を聴いてこれをやった。
やろうとしてやったのではなく、川の水が流れるように、今まで心の奥底に眠っていた感情がとめどもなく自然に湧き起っていた。
その頃は毎日Youtubeで合唱演奏を探し出しては何度も聴きまくっていた。
その矢先で出会った曲が、今日紹介する、作詞:五木寛之、作曲:信長貴富、「青春譜」という曲だった。
この曲がNHKの合唱コンクール(Nコン)、平成20年度(2008年)の大会の課題曲だと知ると、このNコンの全国大会の録音CDを初めて買って、出場校全ての演奏を何度も聴き比べしたものだった。





しかし当時、この全国大会の演奏を何度も聴き比べしても、強い感情を感じさせる演奏に出会うことはなかった。
この曲はとてもいい曲だと思ったのだが、実際、合唱曲の中では一番の人気曲だと聞いたこともあるほどの曲なのだが、私は何故かこの曲をそれ以来聴くのを止めてしまった。
特段の理由があったわけではないが、10年間一度も自分から聴くこともなく封印してきた。

数日前にふとこの曲を聴きたくなり、Nコン全国大会のCDを取り出して10年前のように聴き比べしてみた。
改めて聴いてみると、果たして10年前に聴いたときとほぼ同じような印象であったが、ただ11の高校の中で素晴らしいと思える高校があることが分かった。
その高校とは、福島県立安積黎明高等学校と長野県立長野高等学校の2校だった。

福島県立安積黎明高等学校の演奏は、10年前に聴いたときもいい演奏だなと感じていたが、何か、強いインパクトに欠けているように感じていた。
しかし今回10年ぶりに聴いた印象はかなり違っていた。
表面的には地味でインパクトの薄い演奏に聴こえるのであるが、心をまっさらにして静かに聴いていると、実はこの演奏は、本当に様々な感情の集合体で構成され、その感情が単純に表にストレートに出されているのではなく、裏に秘められているような形で表出されているような演奏であることが分かったのである。

その感じ方は次の部分を聴いていて分かった。
冒頭の序奏が終り、ピアノの短い間奏の後テンポが速まるが、歌詞でいうと、

孤独という 旅の途上に いつか
きみは出会う 愛の光
息をとめ みつめあう
言葉もなく
時のかなたへ

の部分を聴いたときに、上手く形容できないが、演奏者たちの歌の裏から放出されてくる感情の強さを痛いほどに感じたのである。
また、すぐあとの歌詞、

この風を この光を この歌を
感じてる みつめてる 忘れない

の部分。
この部分の演奏者たちの歌声の裏から伝わってきたのは、まさに「純粋なやさしさ」というものだった。

思うに、合唱演奏って、絶対にうわべだけで聴いても本当の価値は分からないものなのだ。
この全国大会の11校の演奏の中にも、表面的には素晴らしい音量、音質、技巧を誇っている演奏がいくつかあったが、私にとっては一瞬「上手い」としか感じられなかった。
その後でもっと繰り返し聴きたいという気持ちにはなれなかった。
実は、合唱演奏で最も難しい演奏法というのが、演奏者たちの純粋な生の感情が、聴き手の心に意識されずに刻み込まれるような演奏なのではないだろうか。
しかも、演奏者たちもそのことを意識せずとも自然に成し遂げているという演奏。
私はこのような演奏こそが本物だと思っている。
なおここで言う感情のエネルギーとは、物理的なパワーで感じられるものではない。

演奏以前に、演奏者自身が普段、純粋な気持ちで日常を送るような生活を送っていないと、きっと達成できない演奏なのだろう。
演奏家に最も必要で大切なことがこれだと思う。
心に葛藤や苦しみがあっても構わない。
しかしその人の心の核の部分がクリーンになっていないといけないと思う。

この安積黎明高等学校(旧安積女子高等学校)は、この平成20年くらいまでは、先に述べたような演奏をしていたと思う。
しかしその後の大会の演奏は殆ど記憶に残っていない。
演奏に対する考え方が変わってしまったのか。

安積黎明高等学校は女声三部であったが、混声では長野高等学校の演奏が良かった。
ただ、長野高等学校の演奏はやや感情の変化や強さ(パワーではありません)に乏しく感じるのがやや残念。
しかしとても素晴らしい演奏だと思う。

Youtubeで「青春譜」の演奏を検索したら、意外にもこの人気曲の投稿がほとんどなかった。
何故なのか。
演奏が難しいからなのか。多分そうなのだと思う。
ピアノ伴奏も素晴らしい。
完成度の高い名曲だと言える曲だが、理想の演奏を達成できるのは極めて少ないのかもしれない。

Youtubeで幸い、安積黎明高等学校と長野高等学校の演奏があったのでリンクを貼り付けさせていただく。
しかし音は非常に悪い。
この音で本当の演奏の価値は分からない。
聴くのであれば、絶対CD、それと何も高級でなくてもいいから、それなりの再生装置が必要だ。

安積黎明高等学校 「青春譜」 Nコン2008


青春譜 長野高校


【追記202005292327】

今日改めてこの曲の福島県立安積黎明高等学校の演奏を聴いてみたが、やはり凄い演奏だ。
この高校の演奏の真価は、何度も聴かないと分からない。
それも聴く側も純粋な気持ちで臨まないと感じられない。
それほど繊細さが多様に表れている演奏なのだ。
真価が分かるまで10年以上かかったが、この演奏を繰り返し何度も聴いていく私のお気に入り曲の中に入ったことは嬉しい。

【追記202005300012】

この全国大会(第75回)の演奏で、上位入賞の多い実績の高校と安積黎明高等学校の演奏を改めて聴き比べしてみた。
演奏に対する考え方、信念というべきものだろうか、そういったものが根本的に異なっている。
次元が全く違う演奏だと言っていい。
私は安積黎明高等学校の演奏の方が本物だと確信している。
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家の中に雑草が生えた?

2020-05-24 22:16:06 | 植物
今日、朝目覚めて朝刊を取りに玄関に行き、引き戸を開けようとした瞬間、玄関の隅に緑色のものが一瞬目に入ってきた。
その怪しい物体は、大きな工具箱の後ろに隠れていた。

下はは巨大な(でもないか)工具箱。



何だろうと思って、よーく見てみたら、何と雑草だった。



コンクリーとの割れ目から生えてきていた。
それにしてもほこりまみれの玄関だ。
しかし凄い生命力だ。

この雑草はそのままにしておこう。
綺麗な花を咲かせることを期待している。
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帰山栄治作曲「ソロヴァイオリンとマンドリンオーケストラのための協奏詩曲」を聴く

2020-05-24 21:08:16 | マンドリン合奏
帰山栄治の曲で、ヴァイオリンとの協奏曲を見つけた。
しかしオリジナルは、ソロマンドリンとマンドリンオーケストラの為の協奏曲だったようだ。
帰山栄治のマンドリンオーケストラ曲は難解な曲がほとんどであるが、この曲はわかりやすい。
冒頭のヴァイオリンの旋律が美しさが際立っている。
その後、帰山栄治らしいリズムの刻みと和声進行が現れるが、また冒頭の美しいヴァイオリンの旋律が再現される。
しかし美しい旋律だ。
その後、テンポが急変し、リズムの刻みの激しさを増す展開となるが、ここでもヴァイオリンがあくまでも主役で、マンドリン系楽器は抑制されている。
後半に、ギターの高音のアルペジオのもとに、また美しく、しかも前にも増して切なさが感じられるヴァイオリンの旋律が奏でられる。
終結部は一層テンポが速まり、ヴァイオリンは終始技巧の要する素早い弓さばきが要求される展開へと移り、最後までそれが持続されて曲を終える。

Youtubeの演奏では、作曲者が自ら指揮をしたライブ録音がある。
ヴァイオリン・ソロ:平田文

平田文氏はクラシックギターとのデュオの活動もしているようだ。
第22回マウロ・ジュリアーニ国際ギター・デュオ・コンクールにて第2位の受賞歴有り。
ヴァイオリンの旋律の音はとても美しく感じた。

この曲のオリジナルのソロマンドリンとの協奏曲版も聴いてみようと思う。
ヴァイオリン以上の切ない音を出すことは果たして可能だろうか。

ソロヴァイオリンとマンドリンオーケストラのための協奏詩曲


Youtubeの再生回数が少ない。
もっと注目されていい曲だと思う。
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とんこつ野菜ラーメン作ってみた

2020-05-24 14:06:36 | グルメ
外はくそ暑い。
今日も料理に挑戦だ。
今日の昼に作ったのは、とんこつ野菜ラーメン。
インスタントラーメンだが、だだのインスタントではない。
ちょっと自分なりに工夫した。

まずは道具の紹介。
鍋は先日の金属シリーズで記事にした、総アルミ製鍋。
弟の方の15cmサイズだ。



内側はルイボスティーによる大量の染みが付いてしまっている。



次に、具を炒めるフライパン。
総鉄製の厚底フライパンで24㎝サイズ。





このフライパンはもう25年以上使っている。
昨日の親子丼を作ったときに使った15cmサイズのフライパンと同じ材質、形状のもの。
サイズを比べてみる。



兄弟にしては、差があり過ぎる。
親子と言うには大きさにあまり開きが無い。
年の離れた兄弟か、体の小さな親と子供、といった感じか。

次に材料。
メインのラーメン。



福岡県の「くりき(栗木)」というメーカーの「屋台風ラーメン」という商品。
もちろんとんこつ味だ。
パッケージの屋台のイラストがいいね。

具の野菜。
もやしやきゃべつなどをカットして袋詰めしたもの。
セブンイレブンで値引きして売っていたのを買った。



次に卵。ゆで卵にする。
1つじゃ物足りないので2つにした。
床が傾いていて、そのまま置いていたら転がっていってしまうので、くりきラーメンで堰き止める。



いよいろ調理だ。
まず、ゆで卵を作る。
アルミ鍋に水を1リットルほど入れて沸かす。



お湯が湧いたら火を弱め、お玉で生卵を1つずつ、卵の殻が割れないようゆっくりとお湯の中にいれていく。



13分程ゆでる。
13分程経って火を止めたら、すぐにお湯を捨てないで、そのまま2、3分放置する。



2、3分経ったらお湯を捨て、鍋に水を入れて冷ます。



卵が冷めたら、皮を剥いてどんぶりに入れる。



昔、ゆで卵を作ったら、ゆでた後に皮を剥くとき必ず殻の内側に白身がくっついてしまい、殻を全部剥き終わったときには、ゆで卵が無残な姿になってしまったものだが、10年くらい前に、新聞の読者投稿覧でたまたま、殻がくっつかないゆで方を指南する投稿を目にして、実際にやってみたら本当に殻にくっつかないで綺麗に剥けたので、以来この方法でやっている。ありがたい。

次に具の野菜をフライパンで炒める。
フライパンに油をひき、火をつける。



フライパンの中央部に、何やら茶色いものが見える。
これは油ではない。
これは、以前、フライパンを洗った後に横着して水をよく拭かずにしまいこんだことが原因で発生した赤錆びを、剥離した後で出来たアバタである。

カット野菜を袋から取り出し、フライパンに乗せる。
24cmサイズでないと、溢れてしまう。



併せて鍋に450ミリリットルの水を入れて沸かす。
野菜は、炒め半分のところで、塩を少量振りかける。



鍋の水が沸騰したら、くりきラーメンを入れる。



野菜がだいぶしなってきたので、この辺で火を止める。
野菜炒め完了。



鍋のラーメンをほぐし、3分程ゆでる(もうちょっと短い方がいいと思う)。
ゆで上がったら火を止めて、粉末スープを入れる。



粉末スープをかき混ぜて、どんぶりに流し込む。



そして野菜を手早くその上に乗っける。



完成!。

肝心の味はどうか?。
めんがややのび気味。
ゆでる時間は3分と書いてあったが、もっと短い方がいい。
(手早く出来る人なら短くしなくてもいいのだろうけど、自分の場合は無理)

以前御茶ノ水で食べた、神田明神の元祖とんこつラーメンみたいに固めんでないけど、細さは同じくらいか。
スープはなかなか。

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