緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

シフトブーツカバー装着

2018-06-30 22:21:25 | 
今日はとても暑い1日だった。
今週は勤務地が東京の本社に変わり、生活リズムも大きく変わった。
今まで長い間工場勤務で、自宅から車で30分という通勤時間であったが、今度は2時間半。
バス+JR+地下鉄であるが、結構きつい。
本社は広いフロアーに300人近くいるようだ。
人の多さに圧倒される。
東京都心はものすごい人の数だ。
歩くのもストレスだ。大丈夫だろうか。
幸い本社には知っている人がかなりいた。
今まで工場勤務だったけど、営業や企画関係の業務の人たちとはかなり交流があった。
知らない人もたくさんいるけど、どこかしらのエリアに行けば、立ち話できる人がいる。
今後知らない人とも交流できればなと思っている。

息抜きにヤフオクで車のパーツを見ていたら、自分の車に合わせて作ったというシフトブーツカバーが出品されており、値段も高くはなかったので購入することにした。
それがこれである。





合成皮革製だ。

1970年代頃までのシフトブーツカバーは革製が多かったと思う。
手持ちの「絶版車カタログ」の写真をみると、殆どが革製だ。
下の写真は絶版車カタログから転載したもの。



しかし1980年代以降は樹脂製に変わった。コストダウンのためであろう。
コストを重視するかわりに、パーツは味気なくなった。
それはしかたがない。
でもこういうレトロな商品が出品されているということは、ユーザーの中に昔の旧車の品質の高く、デザインに優れたパーツを取り付けたい人が少なからずいるのだと思う。
車のデザインだって今の車は、思わず吹き出してしまうような車が多い。
横っ腹の出た中年太りのような車(そういう自分も横っ腹は出ているが)、正面のグリルが変な形でしかものっぺらとした車など、こういっちゃ悪いけれど、思わず笑ってしまう。

車のデザインは1970年代から1980年代初めまでで完成の域までいってしまったと思う。
この時代の車のデザインを見ていると洗練されているし、余計な要素を感じさせない美しさがある。
地味な中に個性を主張しているという感じだ。
車だけでなく、鉄道やバスもそうだった。

今日の夕方、暑さも引いたところでこのシフトブーツカバーの取付作業に取り掛かった。

交換前のブーツ。
樹脂製の成形品だ。今はこのタイプが殆ど。





ブーツをはがすにはシフトノブを外さなければならない。







外したシフトノブ。



ブーツを固定しているフランジ付きの六角ボルトを取り外す。
今まで付いていたブーツは取り外さず、その上からかぶせるようになっている。
購入したブーツだけだと、ほこりなどが侵入し、シフトレバーの付け根を損傷してしまう恐れがある。
ここが今回のこの商品でややがっかりしたところ。
ただの飾りだけのような気もするけど、いいか。着飾るという感じもするけど。

ボルト外しはメガネレンチだとやりにくいので、ラチェットレンチを使用した。



取り外しの過程で、クラッチを踏むとサイドブレーキ警告ランプが点灯するという最近発生したトラブルの原因らしきものが見つかった。
クラッチとボディの接触部のカバーが破損しており、その破損部にサイドブレーキ警告ランプの配線が通っていたからだ。
これについては後日修理することにした。







ヤフオクの商品説明ではワッシャを付けた方がいいと書いてあったが、奥のボルトは、ワッシャを挿入するとボルトの長さが足りず、ボルトが締められなかったので断念。
フランジ付きのボルトなので多分大丈夫だと思う。

新しいブーツを付けたところ。



シフトノブを元通りに取り付ける。



シフトレバー底部のカバーを敷き直す。



完成。



トランスファーのシフトレバー用のカバーはさすがに出品されていなかった。


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太田キシュ道子 2018年一時帰国ピアノリサイタルを聴く

2018-06-25 01:40:38 | ピアノ
今日(24日)は東京でマンドリン合奏の社会人団体の練習があったが、終了時間の1時間前に退出し、千葉の検見川浜駅近くにある美浜文化ホールへ向かった。
太田キシュ道子 2018年一時帰国ピアノリサイタルを聴くためである。

太田キシュ道子氏の演奏を初めて聴いたのは丁度1年前の6月、2017年の一時帰国リサイタルであった。
この時のプログラムはショパンやリスト編曲のシューベルト歌曲集であったが、ピアノの生の音で、こんなに美しい音を聴いたのは初めてであった。
このリサイタルの感動を記事にしたのであるが、確か半年前ほど前にこの記事に対し、太田氏ご本人がコメントを下さったのだ。
コメントで今回のリサイタルのことを教えて下さったが、去年のコンサートで聴いた音をまた聴きたいと思っていたので、自ら今年のコンサートの情報を収集したに違いにない。
いずれにしても今日のコンサートを聴けたことは自分にとって収穫だった。

千葉は自宅から遠く、コンサートが終って家に着いたのが真夜中。
明日は仕事なので、あまり夜更かしは出来ないが、コンサート直後の感動はすぐに書いておかないと時間が経過するうちに思い出せなくなるもの。
本当はもっと各曲ごとに具体的な感想を書きたいのだが、時間が足りないのが残念だ。

今日のプログラムは下記のとおり。

シューマン:子供の情景
メンデルスゾーン:無言歌集より14曲、カプリス作品33-3
ドビュッシー:子供の領分
チャイコフスキー作曲、プレトニョフ編曲:組曲「くるみ割り人形」

彼女の演奏で最も素晴らしいと感じるのは「音」だ。
ピアノという楽器が持つ鍵盤楽器特有の「音」を最大限に引き出している。
高音は突き抜けるような艶のある音。もちろん芯のある音だ。
一方でしなやかさ、繊細さもある。
今日聴いた高音の分散和音などは柔らかく、しなやかで絹の生地のようなイメージがする。
そして低音が重厚で力強い。
各音が織り重なりなるように響いてくる。
決して力任せに弾いているわけではない。
脱力している。楽器と格闘していない。
しかし聴こえてくるのは、様々な音が調和されて織り重なった力強い低音なのである。
このような音は録音でも聴ける奏者は限られるが、生の音で聴くと一層、その音の魅力に惹き込まれる。
つまりピアノの音は何百万も投資して立派な再生装置を通して聴いても、生の音には決してかなわないのである。
再生装置にお金をかけるより、ピアノは生の音を聴いた方が絶対にいい。
太田氏の音を聴きながら、そんな考えが頭によぎった。

また太田氏の演奏は流れが自然なのだ。
今日の演奏を聴きながら、自我というか、頭の意識的なものを乗り越えていると感じた。
作曲家の創造物そのものが表すものに身を任せるというのだろうか。
つまり曲の価値をそのままに自然に、また最大限に自分に同化させて演奏しているように感じた。
ここまで到達するのは大変な修練を要するのではないか。

音楽を表現するって、とてつもなく奥が深いと思う。
自分も楽器を多少やっているので、少しは分かるのだが、楽譜に書かれたことをいくら頭を使って解釈したところで、その曲の本質に到達できるわけはないのだ。
その曲の放つもの、それは人間の感情だったり、「美」そのものであったり、人の心を浄化するものだったり、そのようなものを感じ取れる能力が演奏家にとって何よりも大切であることを考えさせられる。
音楽の本質に立ち返ればおのずと大切なものが見えてくるように思う。

組曲「くるみ割り人形」はピアニストであり指揮者の編曲であるが、難曲だ。
太田氏はテクニックも凄い。
アンコールで最後に弾いたチャイコフスキーの曲で、彼女の持つあらゆるものが集約、凝縮されて表現されていたと感じた。

コンサートが終り、帰りの電車の中で気持ちが満ち足りていた。
いいコンサートを聴いた時はいつもそう感じる。
音楽が自分にとって必要なものだと感じられる瞬間だ。

来年も一時帰国リサイタルを行うことがプログラムに書いてあった。
実力者なのにコンサートや録音が少ないのは残念。
来年も太田氏の音を聴きに行きたい。

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ブローオフバルブ交換(3)

2018-06-23 21:33:28 | 
社外品のブローオフバルブが、固定板から外れて、筐体の一部がエアコンの配管と接触していることに気付いた。
接触部の筐体の隙間からブローバイが漏れて配管を汚していた。
固定金具から外れていたのはかなり以前からで、メーカーの不具合と思われる。
ゴムで振動を吸収する構造になっているが、そのゴムが経年劣化すると固定金具から簡単に外れてしまう設計になっていたからだ。
やむを得ず針金で応急的に固定していたが、針金が振動で切れてしまっていた。

社外品はSUS製だが、ブローオフバルブで筐体をSUSにする必要性があるのだろうか。
熱の影響を受けたり強度を要する場所に取り付けられているわけではない。
過剰品質だと思う。付加価値を付けて見かけ上高級感を出すのは社外品によくあること。

ブローオフバルブを社外品にしたのは、笛吹音の解消のためだった。
ブローオフバルブを純正品ではなく、立派で強度のありそうな社外品にすれば笛吹音をしなくなると思ったからだ。
しかし交換しても笛吹音は解消しなかった。

数年前にブローオフバルブを純正品に戻したことがあった。
この純正品はヤフオクで中古で買った。
今まで付いていた純正品とは違う純正品にすれば笛吹音がなくなるかもしれないと思って、期待しながら交換したものの何の効果はなかった。
その後、元の純正品に戻したり社外品に交換したりを繰り返した。
無駄なことと半ば分かっているのに、でもやってしまう。

今日交換するまで付いていた社外品はスプリングの強度を少しだけ上げるためにねじを若干回していた。
社外品のブローオフバルブの殆ど全てといっていいが、スプリングの強度を調整するためのねじが付いている。
識者によってはこのねじは回さない方がいいという意見もある。
でもスプリングがへたってしまった場合はどうするのであろう。
新しい純正品に交換するという手もある。
けちらないで最初から新品の純正品に交換しておけば、とも思った。

今日は午後から雨とのことだが、降る前に作業に取り掛かった。

社外品のブローオフバルブ。
取付金具から本体が外れている。



エアコン配管と接触し、ブローバイガスが出ないようにするための蓋の隙間から漏れたガスが配管に付着している。





外した社外品のブローオフバルブ。







交換用の純正品。
以前ヤフオクで買った中古品。





社外品の取付金具を外そうと12mmのメガネレンチを試したが、柄がぶつかって回せない。
したがって首振り式のラチェットレンチを使うことにした。
同じ12mmで柄の長いラチェットレンチがあったことに後で気付いたが、今日は柄の短いものを使用。
(柄の長い方が作業性が良かったかもしれない)





外した社外品の固定金具とナット。



ナットはエアクリーナーボックスを固定するボルトと共用する構造だ。

ここで純正品のブローオフバルブを固定するブラケットを取りけるのだが、工具が入らない。
エアクリーナーボックスが邪魔で、これを外さないと取り付けられないことに気付く。
すんなりいかない。

12mmの首振り式ラチェットレンチでエアクリーナーボックスを外す。



ブラケットを六角ボルト2本で固定する。





純正のブローオフバルブをブラケットに取り付ける。



ターボへのゴムホースを取り付ける。



この後、外したエアクリーナーボックスを元どおりに固定しようと思って、ラチェットレンチで六角ナットを回そうとしたら、サクションパイプと干渉してレンチが回せない。
しかたないので、サクションパイプを外す。
やれやれだ。





ブローオフバルブ上部から延びる細いゴムの配管と、エアクリーナーボックスまで延びる太いゴムの配管を取り付ける。







この太いゴムの配管を取り付けないと車検に通らない。

社外品の殆どは大気解放で、ブローバイガスを吸気側に戻さない。
プシューという音を出すためである。
ブローバイガスは環境に有害なので大気解放は禁じられている。
そのままだと車検に通らないので、車検の時は純正品に戻さなければならない。

笛吹音対策も万策尽きた感じだ。
あとは新品の純正のブローオフバルブに替えるかどうかだ。

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ジャン・ミコー演奏 ショパン ワルツ第3番Op.34-2を聴く

2018-06-15 23:37:12 | ピアノ
久しぶりにショパンを聴いた。
ワルツ第3番Op.34-2、イ短調。
演奏はジャン・ミコー(Jean Micault 1924-)。
この数か月、マンドリン音楽漬けだったこともあり、ピアノの音を聴くと新鮮に感じる。

ショパンの中で、聴く頻度が圧倒的に高いのがワルツであり、特に好きなのが、第10番Op.69-2 ロ短調と第3番Op.34-2だ。
共に陰鬱で暗く、悩ましい曲だが、純粋な美しさを持っている。
飾りも何も無いが、そこが好きだ。
静かな夜更けに聴く曲。
これらの曲はこれまで数多くの奏者の演奏を聴いてきたが、フランスのピアニスト、ジャン・ミコーのものが最高だ。
第10番は以前記事にしたが、第3番の演奏も素晴らしい。

音楽の流れが自然で、力みがない。とても繊細で、感情に満ちた音を出す。







ジャン・ミコーというピアニストがどういう人間か、聴いていて感じられてくる。
曲がシンプルなだけに、奏者の感受性や人間性といったものがストレートに出るのだと思う。

自分はギターを弾くが、器楽としての音楽を学ぶのであれば、ジャン・ミコーのような人に教わりたいなと思う。
(もちらnアマチュアの私には無理な話だが、願望として)

CHOPIN, Valse op. 34 n° 2 - Jean MICAULT, piano.



【201806222330】

やはり何度聴いても感動する。このワルツの演奏は凄いと思う。
ジャン・ミコーは円熟期の演奏がいい。
ジャン・ミコーを初めて知ったのはフランスの古い1枚のレコードだったが、若い時代のタッチは強靭そのもの。

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林道の権威 安細錬太郎著「林道コース大全」を読む

2018-06-10 23:46:51 | 林道
今日は2週間前に初めて参加した社会人マンドリン合奏団体の練習に参加。
前回の練習で殆ど弾けなかったイタリアの難曲も今日は5割くらいは弾けるようになった。
演奏会まであと1か月であるがぎりぎり間に合うか。
今日はこの団体が発足した70年代の頃から続けている方と話す機会があり、マンドリン合奏の団体のメンバーが意外にも色々なところでつながりがあるなど興味深い話を聞けた。
またパートメンバーの方から、こちらから聞かなくても譜面の変更点について指摘してくれたり教えてくれたり、助けていただいた。とてもありがたい。
今日は、演奏していて楽しい気持ちだった。いつもこうならなおさらいいのだが。
1週間後は母校マンドリンクラブ50周年記念演奏会の合同練習に参加するために札幌に行く。
今はマンドリン合奏漬けの日々となってしまっている。

しかしこのマンドリン合奏漬けの日々も7月の演奏会が終ってしまうと、一段落で練習も無くなるようだ。
ちょっと寂しいが、反面、今までできなかったことを再開できる期待もある。
ここ数か月間のマンドリン練習漬けの日々の間、ときどき頭に浮かんできたのは、また林道を走りたいという気持ちだった。

20年くらい前に小型の四輪駆動車を中古で買った。
550ccの軽である。インタークーラー無しのターボ付き。
以来、同じメーカー、同じ車種の小型四輪駆動車を中古で買い替え、今は3台目。
660cc、現走行距離16万キロ。まだまだ元気。笛吹音有り。
目標走行距離20万キロ。

20年前は、毎週のようにこの小型四輪駆動車で林道に行った。
初めて行った林道は中津川林道。
この林道を皮切りに4年間で結構な数の林道を訪れた。

中津川林道(H11.5.8)
田代山林道(H12.6.17)
真名畑八溝林道(H11.9.25)
林道小中新地線(H11.5.23)
林道北榛名山線
林道妙義荒船線(H12.6.13)
林道中之岳線(H12.6.13)
林道千駄木基幹作業路線二号線(H12.6.13)
御荷鉾スーパー林道(H11.11.21)
川上牧丘林道(H12.6.3)
水ヶ森林道(H11.5.8)
林道木賊平線(H13.7.21)
大野山林道(H13.7.21)
樫山林道(H13.7.21)
小森川林道(H13.7.21)
広域基幹林茂来線(H12.5.21)
西荒川林道(H11.5.30)
西前高原林道(H11.5.30)
横根林道(H11.7.18)
近沢林道(H11.5.159
秋鹿・大影林道(H14.10.13)
万沢林道(H14.10.13)
前日光林道(H11.5.16)
赤城山林道(H11.5.23)
黒川林道(H12.5.21)
中の沢林道(H12.5.21)
七久保橋倉林道(H11.11.21)
名無林道(H11.11.21)
四日市場上野原線(H11.12.24)

これらの林道は地図に記録を残しておいたものだが、これ以外にも走った林道がある。
また北海道でも3か所走ったが地図がどっかいってしまった。

これらの林道で最も記憶に残っているのが、妙義荒船林道。
林道に入ってしばらくすると、暗く狭いトンネルに入る。
夜に肝試しが出来そうな所だ。
そして支線の林道千駄木基幹作業路線二号線に入ると、奥に進むにつれ暗く狭く荒れた道になり、登れるかと思うほどの急こう配の坂がある。
ギアを1速にしないと登り切れない。
またこの 妙義荒船林道は奥の方が土砂崩れで道が塞がっていたと記憶している。
普通はここで引き返すのであろうが、20年前の自分はここで、四駆のギアをローに入れてがれきの山をゆっくりと慎重に乗り越えたことがあった。
たしかこの林道だったと思うが、20年前なので違うかもしれない。
あとはこれもどの林道だったか忘れたが、通行止めの柵が脇に寄せられていたので、好奇心からその道に入っていったら、とんでもない悪路だった。
車体が横に倒れるかと思うほどの傾いた狭い道を下っていったら、オフロードバイクが物凄いスピードで対向してきたが、まさか自動車に対面するとは思っていなかったらしく、急坂を途中で登り切れず倒れてしまった。ちょっとかわいそうだったが、この後ふもとまで引き返して再チャレンジしたのであろうか。
あとは真名畑八溝林道が面白かった。
また北海道の林道、これも地図が無いので名前を確認できないのだが、頂上付近で片側が崖で切れ落ちている所があり、そこを通りすぎるときに、怖い思いをしたことがあった。
登山でいうと鎖場を歩くときの心境だ。

今日紹介する安細錬太郎著「林道コース大全」は20年前に林道にさかんに行っていた頃に買ったものだ。
もう1冊別の安細錬太郎氏の著作を買ったが引越しの際にどこかへしまいこんでしまったので、今手元に無い。
安細錬太郎氏は1933年生まれ。
自動車専門新聞の記者を務めたあと、フリーになり、林道の権威として知られていたようだ。
この「林道コース大全」は日本全国各地の林道を、著者が実際に訪れ、走った体験をレポートしたものだ。
250ページほどの著作で、膨大な数の林道が写真入りで紹介されている。
安細錬太郎詩はこの本のまえがきで、何故林道を走るのかについて、「未知の風景を見たいから」と言っている。
林道は日常の風景とはまるで違う。
まず人が入り込むことは無い。
メジャーな林道は少ないながらも人や車と出会うことがあるが、マイナーな林道は一人の人間も、一台の車も出会わないことがある。
日常から遊離し、周りから隔絶した空間がそこにある。
とりたてて美しい風景があるわけでない。
荒れた砂利道、薄暗い林、崩れかかった山肌。
しかしそこは自然が生み出したままの風景が広がる。
人が手を入れていないのだ。
人工物は一切無い。
粗末に切り開かれた道が続いているのみ。
こういう道をゆっくりと窓を開けて走るのが好きなのだ。
夏でもエアコンは入れない。
ここを走るとありのままの自然に触れられる。気持ちがいい。

安細錬太郎氏の車は四輪駆動車でない。
小型の普通乗用車だ。そこが驚きだ。何故四輪駆動車にしない?
林道に重装備した車は不必要だからだ。
ここが凄いところ。林道の権威と言われるのもうなずける。
つまり林道を走るのは車が主役でないからだ。
林道を走りたいという人間が主役。車ではない。
狭い林道をパジェロだの、ハイラックス・サーフだの、ランクルだので、走っている人がいるが、
これは場違いだ。
こんな車は砂漠へ行ってくれと言いたくなる。
こんな車で狭い林道を走る人は、車を見せたがっている人。
林道を楽しむ人はこんな車は乗らない。
また小型の四輪駆動車でも、ウィンチ付けたり、重装備で廃道を荒らしながら走る人がいるが、こういう走りかたも好きではない。
廃道は自然の宿命。荒らすべきではない。そっとしといてあげるべきだ。
廃道に行きたければ、車を降りて、歩いて楽しめばいい。

私の林道の走りかたは安細氏と同じだ。
山を登るのとおんなじだ。
非日常の景観、未知のルートに入っていくときの高揚感。
静かにゆっくりと楽しむのがいい。

マンドリン合奏練習が一段落したら、さっそく林道に行くつもりだ。
安細氏の紹介する林道をこれからどれだけ訪れることができるか。














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