緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

定期演奏会を終えて

2024-09-16 20:41:43 | マンドリン合奏
記事にしようか迷いがあったが、やはり記録として残しておくことにしたい(だいぶ暗く堅い文面になってしまったがご容赦を)。

去る9月8日、東京マンドリンクラブの定期演奏会が終わった。
この団体に所属したのが2018年5月。マンドリン合奏を30数年ぶりに再会した年でもあった。
この団体を選んだのは何故? 多分、直感的にいい人が多いのでは、という感じがしたからだ。大規模演奏会の打ち上げで他の団体からも誘いがあったが、私はこの団体を選んだ。
以来この団体で、コロナ渦の2020年を除き6回目の定期演奏会に出演することが出来た。

今回の演奏会は今までに出演したどの演奏会にも増して練習に力を入れた。
実際、睡眠と仕事以外の殆ど全てといっていいほどの時間をマンドリン合奏の練習に費やしてきたと言っていいと思う。
しかし家での個人練習や合奏練習の時間は楽しく、苦痛とは無縁だった。

今回の曲目の中で他楽器が担当する一部のフレーズをギターに移して演奏するというチャレンジグな役割をいただいた。
今回の演奏会ではこの箇所の練習に最も力を入れてきた。このフレーズを1日最低50回以上、のべ1万回以上は練習したと思う。
演奏会前日のゲネプロも当日のリハーサルも上手くいった。しかし、本番で臨む結果を出せなかった。
このことが正直なところ、今回の演奏会を終えて達成感や喜びを感じることが出来なかった理由である。
他の部分は概ね上手くいったが、最もこだわりを持っていたものが実現出来なかったという悔しさと、期待に応えることが出来なかったという申し訳なさの気持ちでいっぱいであった。この1週間は落ち込みと後悔の念を持ちながら過ごすことになってしまった。

たしかに演奏会の回数を重ねるごとに本番は緊張しなくなってきていたのだが、soloやsoliでの難しいフレーズではまだまだ平常心で演奏出来ない、という課題が残ったということだ。
もちろんこの心理的な課題にも向き合い、対策も十分にしてきたのではあるが、結果としては及ばなかったということである。
しかし今、だからこそ、この難題を乗り越えたいという気持ちが以前にも増して出てきているのが救いなのだと思っている。

対策は本や動画などで仕入れた思考によるものでは及ばない、というのが実感だ。
いくら家で演奏して、仕入れた思考を使っていろいろ対策を考えたところで役にたたないということなのだ。
実践の中で解決策や対応方法が見えてくるものだと考える。
最もいい方法は、ステージ経験豊富なプロの方に指導を受けることだと思う。
そして、人前で演奏する機会を増やしていくことであろう。

今回の演奏会の打ち上げで、他パートの複数の方々から、うちの団体のギターパートの音ってすごく綺麗ですね、と言われて嬉しかった、
感謝に堪えない。
確かにこの団体のギターパートはレベルが高いと思っていたし、音の美しさは突出していると以前から感じていた。
ギターで最も重要なのは「音質」だと思っている。
2018年にマンドリン合奏を再開するまで迄10年間ほど、聴き手の立場で学生団体や社会人団体の演奏会を数多く聴いてきたが、やはりマンドリンオーケストラにおけるギターパートの演奏で最も魅力を感じたのは音の美しさである。
どんなにハイレベルな技巧を聴いても音が美しくなければ聴き手の心に残らないのである。
「あの曲でのギターの音、マンドリンには無い、すごく綺麗な音だったね」と観客の心にいつまでも残り続けるような演奏が求められるのである。
だから、これからいかに美しい音、いや、単に美しいだけではなく、人の心に喰い込んでいくような純粋な音、そして多彩な音を表現出来るようにしていくことを目標にしていきたい。
こう考えていると、やることは無限にあるな、と感じる。

今回の演奏会の振り返りはいつもと全然違う趣向となってしまったが、でもいい。
こういう体験も必要だということなのだ。だからこの体験は将来のプラスを生み出すものであると信じたい。
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