緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

境界線を持つことの重要性

2024-07-15 21:37:32 | 心理
今から35年くらい前だったであろうか。
うつ病、対人恐怖で苦しんでいた20代半ばの頃に読んだ加藤諦三氏の著作の中に、「他人の不快感情の責任を持つ必要はない」という一文があったのだが、その言葉が何故かずっと心に残り続けてきた。
他の内容ことは殆ど記憶に残っていないが、何故だか分からないけど、ある言葉だけが記憶にずっと残り続けることがある。
そういう言葉というのは今から考えると、自分にとってとても重要な意味を持ち、必要であることを知らせてくれるものではないかと感じるのである。

今日たまたま、Youtubeでこの「他人の不快感情の責任を持つ必要はない」という言葉の意味を腑に落とさせてくる投稿に出会った。
投稿者は橋本翔太さんという方。
見た投稿は「相手の機嫌や感情に振り回されしまう人の解決策。HSP、相手の怒りや感情に反応してしま人の境界線の作り方」というタイトルの投稿。

橋本さんは、幼少期からの親との問題を乗り越え、大学院で臨床心理学や音楽療法を学び、公認心理士として多くの悩める方の問題を解決してきた方だ。
この動画の冒頭で彼が言っている言葉に強い感情が沸き起こってしまった。
ずっと心に引っかかっていた冒頭の言葉の意味が本当の意味で分かった。

彼は言う。
「相手の機嫌が悪いことに対してあなたは責任をとる必要はないし、そこで責任を取ろうというのはある意味相手をコントロールしようとすることでもあるんです。
相手の機嫌が悪い、ブスッとしている、怒っている、口をきいてくれないというのは相手が選んでやっていることなので、そこから先私たちはその相手に対して踏み込む必要はないし、踏み込んではいけないんです。
そのくらいの気持ちを持たないと境界線が弱い人はあっという間にここ(心)が侵食されてしまうのです。」

幼少期に不機嫌な親に育てられた人は、親の不機嫌の原因が自分であると解釈してしまう。
自分に何ら落ち度も責任もないのに、何の悪意もないのに、たまたま起きた出来事に対し他人が示した不快感情の原因が自分にあるという反応が無意識的に出てしまうのである。
不機嫌だけでなく、嫌み、中傷、冷遇、叱責、嘲笑など、そのような人の不快感情の発生原因を自分に結び付けてしまい、自分の責任と感じ、自分を傷つける。
自分のせいだと受け止めても何故か釈然としない気持ち、モヤモヤ感が残る。
この「釈然としない気持ち」というのが重要な感情だ。
釈然としないというのは、間違った受け止め方をしているということを教えてくれているということなのだ。

相手のマイナス感情の真意を見極め、客観視する。それが境界線を引く、ということであろう。
他人の心理に対し、境界線を引くことが出来なければ、早晩、心を病むことになるに違いない。自分がそうであったように。

この考え方ってものすごく重要だと思う。
人間心理は諸刃の剣である。
人生を穏やかに幸福に生きていくために、最重要な考え方のひとつだと言える。
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心理職に求められるもの

2024-06-29 20:46:24 | 心理
私が初めてカウンセリングを受けた今から35年前には、心理職に関わる国家資格というものは一切なかった。
民間資格ではあるが「臨床心理士」の資格が出来たのはその5年後くらいだったと思う。
心理療法というのは、医療など国家資格を有する者ものが行える独占業務でないことから、素人の方でも簡単に看板を掲げて営業することが出来たのである。
35年前の当時、心理療法というと、カール・ロジャース派の来談者中心方法か、いかがわしい催眠療法しかなかったと記憶している。

ロジャース派の来談者中心方法は、カウンセラーの人間性、人間力に依るところが大きく、クライアントの心に深く踏み込んでいける能力に乏しいと、表面的な会話に終始し、問題が解決されずに延々と回を重ね、時間とお金を浪費していく。
私の経験ではこの能力が十分に備わっていない、未熟なカウンセラーが少なからずいた。殆ど全てと言っていい。
心に深刻なダメージを受けたクライアントに対し、来談者中心方法(傾聴中心の非指示的療法)が有効だという話は殆ど聞いたことはない。
傾聴による受容は重要ではあるが、何かが足りないということだ。

「心の苦しみ」はさまざまなものであると思うが、おおざっぱに集約すると、「マイナス感情が恒常的に心に起きることによる苦しみ」ではないかと思う。
マイナス感情とは、怒り、憎しみ、恐怖、不安、悲しみ、孤独感、絶望感、強迫感、劣等感、不信感、不満などである。
これらの感情が、24時間常に、強く発生しているとしたら、ものすごく苦しいのではないだろうか。
しかし心に深刻なダメージを受けている人は、例外なく、自分ではどうすることも出来ないこのようなマイナス感情に日常、常に苦しめられていると言える。
そこで、人はこの苦しみから逃れるために、ある人は犯罪に手を染め、人の大切なものを奪うことで怒り、憎しみなどの感情を解放しようとし、また別の人は麻薬やアルコール、ギャンブルに依存することで不安や孤独感、喪失感を癒そうとし、またパワハラ、モラハラ、カスハラ、DV、いじめ、誹謗中傷などで劣等感などの不快感情を解消しようとする。
しかしまた一方である人は、どうすることも出来ないこの苦しみを抱えながら、誰にも言えずに耐えながら不幸な人生を歩み、早死にしたり自殺したりする人がいる。
これらの人たちの前者の人たちとの大きな違いは、ついに「良心」を捨てきれなかったということである。
自分がどんなにボロボロになっても、死んでも「良心」だけは守りとうそうとした人たちなのである。しかも意識せずにである。

私は「心理職」という職業は、このような人々のためにあるべきではないかと思う。
しかしそのためには来談者中心方法には無い、何か有効な方法が必要だ。
傾聴による「受容」だけでは解決できない何かがある。

心の苦しみは、幼少期から青年期にかけての壮絶なトラウマ体験での記憶情報、心に深い傷を負う体験に対する「認知(=受け止め方、解釈)」とそれに結び付いたマイナス感情により起きていると、私は自らの体験で感じている。
やっかいなことにこの記憶情報は無意識の深いところに沈みこんでおり、自動回路のように反応し、マイナス感情が起きるように強固にプログラミンされているということだ。
この「負」のメカニズムが潜在意識で起きていることに自らが気付かなければ、死ぬまで永遠にこの自動プログラムに苦しめられ続けるのである。
来談者中心方法が難しいのは、この自動プログラムに気づかせることが出来ないのと、この自動プログラムを破壊、停止させることが出来ないことにあると思う。

しかし、来談者中心方法が最も優れていることは、心に厚い鋼鉄の壁を築いているクライアントに対し、その壁に穴を開けることを手助けすることが出来る可能性が高いという点にある。
心に厚い鋼鉄の壁を築いている人に対し、壁を破壊するということは容易ではないだろう。ものすごく難しいことだと思う。
しかし、これを可能にすることことが出来る人はどんな人であろうか。
恐らく、純粋に根源的な優しさを持った人ではないだろうか。
利害、野心、功名心といったものを克服、超越した人、人間だれしもが生まれながらに持っていると言われる、根源的な優しさを発見し、それを実行できる強さを持った人ではないかと思う。
このような人は、別に心理職でなくても、人の心の奥深くに愛情のエネルギーを突き刺すことが出来る。
どんなに硬い、暑い壁であっても、ひびを入らせ、削り取り薄くすることが出来る。
それにより心を閉ざした人も少しずつ少しずつ人に対する見方が変わってくる。ひびが入り薄くなった壁に自らの努力で穴を開けていけるようになる。

何か月か前に、少年犯罪で初の死刑を受けた受刑者に対し接見した弁護士が、その死刑囚の印象として「凍てついた氷の鎧を身にまとって、必死に自分を守ろうとしている」という言い方をしているのをテレビで聞いたことがあった。その死刑囚ももし、純粋に心優しい人が放つ強いエネルギーを受けて、氷の鎧が少しでも溶かされたならば、人生をいい方向に向けることが出来たかもしれない。

心理療法で必要なもう一つの重要な側面はここにあると思う。
真剣勝負で臨まないとクライアントの苦しみに変化をもたらすことは出来ない。だから心理職というのは大変な仕事なのだ。
昨今、ひとりひとりのクライアントに向き合うことを避け、多人数から多くの収入を得ようとする手法を採用した心理ビジネスと言われる商売が台頭してきているが、このようなもので心の苦しみの本質的解決は望めないのではないかと思っている(実際に受けた経験あり)。

「臨床心理士」という資格があるが、資格を取るためには心理学科のある大学院卒業が必要となる。資格を取るのに医者と同程度の努力が必要なのに、何と平均年収は420万円だそうだ。
最大の要因は、心理職としてこの資格を持たない素人でも営業可能であるからであろう。
また、心理療法がこれをやれば確実に心の病や心の苦しみが解決されるという確実性のあるものに乏しいからである。行ってみれば確実性のある療法が確立していないからだ。

しかし、この分野をもっと有効ならしめるためにも、有効で確実な療法の確立とそれを実行できる能力の資格化が必要と思う。
ビジネス目的の商売や、確実解決の自信もない療法家にひっかかって、無駄な時間とお金を浪費しないためにも。
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自己肯定感を取り戻すには

2024-06-07 23:18:47 | 心理
今日の夜、4年前の講習会で親しくなった仙台在住の友人とzoomで会話をした。
いつもはライン電話で話すのであるが、今回zoomにしたのは友人の提案で、私のギター演奏を聴いてくれることになったためだ。

目的は演奏時の緊張緩和だ。友人の計らいで、数か月後に控えている演奏会で弾く難しいパッセージをzoomでの対面で聴いてもらった。
友人は現在も心理に関する講習を受講している。

zoomが終わったあとに、Youtubeでうつ病の根本原因について解説した動画をたまたま見つけた。
この動画によると、「うつ病の原因は、自己肯定感を失うこと」と説明している。
そして、自己肯定感を失った人はある思考パターンを持っているのだという。
その思考パターンとは、まず1つ目として「自分は必要のない人間である」ということがあげられていた。
次に挙げられていたのは「世の中は自分に味方してくれない」ということ。
このような思考パターンによりうつ病になっている人は、薬物療法が効かないのだという。

では薬では治らないこのようなうつ病から回復するにはどうしたらよいのか。
動画の解説はこのように述べる。
「自己肯定感を回復させるには人から大切にされることが必要である」
「小さな喜びの体験を積み重ねること」
「癒されることが必要。自然に回復するのを待つ」

薬物療法が効くうつ病は、セロトニンが一時的に減少しているような生物学的な要因による場合であり、自己否定、いじめや虐待などによるトラウマ体験により形成された否定的な観念(継続的な自動思考)とそれに紐づくマイナス感情の蓄積による原因の場合は全く効果が無い。
慢性的なうつ病は、不幸な人間関係、環境により自己肯定の能力が失われ、自己否定の構えが自動形成されることで生じ表出されなかったマイナス感情の堆積で起きるものだと言える。
このような重いうつ病から回復させるには先に述べたように、自己肯定感を回復させることが重要であることは確かではあるが、これは口で言うほどそう簡単に出来るものではない。
自己否定の構え、ネガティヴ思考、否定的観念といったものが無意識の領域で根を張り、自動的に発動していることに気付かなければ、いくらポジティブ思考を意識的にしてみたり、プラスのアファメーションしてみても無駄な努力に終わるだけであろう(実際に試したことがある)。
ネガティブな自分を嫌い、そのような自分を変えることを目的にポジティブ思考を意識的に行うと、逆にますますネガティヴな思考や感情が強化されるのだと言われている。
否定されたネガティブな自分が自分を守るためにますます抵抗するからである。

私自身の体験から考えると、最も重要で最優先されるべきことは、「無意識でなされている自己否定、ネガティブな思考、観念への気付き」と「そのような自分になるに至った生き様の振り返り」と「そのような自分になってしまったことに対する無条件の受け入れ、肯定、癒し」ではないかと思っている。
それにしても「自分は誰からも必要とされない人間である」、「世の中は誰も自分に味方してくれない」という感じ方が心を支配しているとは、何と不幸なことであろうか。
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演奏時の緊張対策について(1)

2024-05-11 23:34:07 | 心理
Youtubeでよく心理系の動画を見るが、膨大な投稿の中でとても有益なものに出会うことがある。
そのほとんどが自らの苦しみの体験を乗り越え、幸福なり喜びをつかみ取った方々である。

お金をかけずにこのような方々が発信する情報を得て自分の悩みや問題解決のために活用出来るのはありがたい。
ただ膨大な情報量の中で、どれが本物であり、確実性が高いかある程度判別できるようにしておきたい。

1か月ほど前からHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)を改善した方が、人間関係をテーマに投稿した動画を見ているが、感心するしとても参考になる。
私が自分の体験から得た解決方法と殆ど同じなのだ。
多くの投稿を見ていると、解決方法として同じようなことが述べられていて、かつ私自身もこの方法こそが本質的解決に導くものだと感じられるものが複数あることに気が付く。
それによって、自分の考えに対する確信度を高めることが出来る。
自分が長年模索してきた心の苦しみに対する解決方法はかなり整理され、絞り込まれてきている。

前回の記事で、人前での演奏時の緊張についてちょっと触れたが、このテーマについてもYotubeには膨大な投稿を見出すことが出来る。
そこで言われていることは様々であるが、私自身の体験を元に、「何故、人前での本番演奏で、著しく緊張してしまうのか」というを考えてみると、以下の原因があるのではないかと思う。

・音楽作品を聴いてもらうという本来の目的からかけ離れ、失敗することで自分の評価を落とすということに対する恐れ
・オーケストラやアンサンブルでは、自分が失敗することでメンバーに迷惑をかけてしまうことに対する恐れ(しかしこれは、つきつめれば、表向きメンバーに対する申し訳なさという側面以上に、失敗したことでメンバーから悪い目で見られることに対する恐れの要素の方が上回っていると思われる)。

他にもいろいいろあるだろうが、純粋に音楽に集中し、その音楽の素晴らしさを観客と共有するという喜びの体験を得るという目的を離れ、「高い評価を得たい」、「成功して注目されたい」という野心が強くなることにより、逆に観客を審査員、批評家のような存在にすることで、「絶対に失敗してはならない」という強いプレッシャーを自ら課すことで強い緊張状態を自ら生み出していることが過緊張の原因ではないかと思うのである。

Youtube以外では以下の書籍を買ってみた。
まだほとんど読んでいないが、自らの体験の元に解決方法を紹介した内容のようである。
今日はもう遅いので後日、あらためて感想などを記事にあげたい。



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人間関係が楽になるために「人を正確に見る」

2024-04-30 23:37:29 | 心理
人間関係に悩むことのひとつの原因としては、「人を正確に見ることが出来ていない」のかもしれない。
世の中には、誠実で、暖かく、人にさまざまなプラスのものを与えてくれる人もいれば、人に破壊的に悪影響を与える人もいる。
人間関係に悩み、疲弊しきっている人は、後者の「人に破壊的に悪影響を与える人」と日常的に関わっている可能性がある。

パワハラ、モラハラ、嫌み皮肉をいう、嘲笑する、マウントを取る、貶める、利用する、誹謗、中傷する、陰口をたたく、密告する、足を引っ張る、裏切る、ウソの情報を流す、などの行動を取る人は、残念ながらどこにでも一定数いるものである。
私は以前、このようなタイプの人間のえじきになっていたことがあった。
そして恐ろしいことに、このような人物の方が正しく、自分の方が落ち度があり悪いのだと本気に受け止めていた。
人間関係に悩み、苦しみ、自分を変えよう必死になり、心を病んでいく人は、殆ど例外なく、このような人物と日常的に関わりを持っているといえる。
彼らの真実の正体を見抜くことができなければ、不幸な人生を抜け出すことは出来ない。

このような人たちは、実際は心に深刻な問題を抱えている人たちなのである。
毎日毎日、24時間、苦しい、苦しいと心の中で叫んでいる人なのである。心から膿が絶え間なく出続けている人なのである。
この苦しみに対し自分で正面から向き合うことをせずに、無関係の他人を利用してたまった膿を吐き出し解消を図ろうとするような人物なのである。

このことが分かれば、このような人物に対し冷静に対峙することが出来るようになる。
このような人物の心の苦しみが透けて見えてくれば、怖くなくなる。この人は、心が苦しくて自分ではどうすることも出来なくて、私を利用して苦しみから逃れようとしてこのような言動を取っているのだ、ということが手に取るように見えてくれば、恐れずに対処することが出来る。

ただ、ここまでくるには、自己否定を解消し、自己肯定がある程度出来るようになっていることが必要だ。
自己否定が解消されれば、人を正確に見ることが出来るようになる。
自己否定の強い人が人間性を取り戻し、幸福な人生を歩むようになるまではまさに「いばらの道」であり、長い年月を要するが、必ず、実現出来るものであると信じている。
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