緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

youtubeで音楽の魅力を楽しめるか

2013-07-28 18:44:48 | 音楽一般
こんにちは。
夕方になると雷雨になったり、なりそうな日がずっと続いています。
先日youtubeでベートーヴェンのピアノソナタの動画がないか検索したところ、478,000件もヒットしたのでびっくりしてしまった。
しかも投稿者自身が演奏した音源なり映像の投稿ではなく、市販のCDやDVDのコピーが殆どである。
ベートーヴェンのピアノソナタの録音では希少価値の高く、CDではなかなか手に入らないジョン・リル(John Lill)やアニー・フィッシャー(Annie Fischer)の演奏の録音までもが投稿されているので驚きである。



こういう市販のCDやDVDをyoutubeに投稿して著作権法に触れないのだろうか。
ちょっと調べてみましたが、youtubeはJASRACという、著作権団体と管理契約を交わした機関(団体?)が管理する曲であれば投稿しても問題ないとのことですが、これをもって全ての市販CDやDVD等がyoutubeにコピーされても問題ないということはないと思います。
まさかこの曲は投稿されていないだろうと思って、佐村河内守氏の交響曲第1番を検索したら、あったので驚いた。
この曲のCDを先日中古で見ましたが2,000円の値がついていました。
先日の新聞でこの曲のCD発売の広告が出ていましたが、作曲者やCD製作会社、その関係者はこのことを決して好ましく思わないでしょう。
新聞に莫大な広告を出してまでCDを売りこんでいるのに、多くの人がCDを買わずにyoutubeで済ましてしまったら、今まで苦労して作りあげて来た努力が水の泡になってしまいますから。CD販売店やCDレンタルショップも死活問題ですね。
もし現在販売中、または再発する可能性のあるCDが平然とコピーされてyoutubeに公開されて世界中の人々に無料で配信されたら、音楽という商売や仕事は衰退するに違いありません。
数年前だったか、フェデェリコ・モンポウの自作自演の映像がyoutubeに投稿されていたので、お気に入りに追加したが、しばらくしてこの映像を見ようとしたら、著作権侵害で訴えがあったので削除されたとコメントされており、その映像は完全に消えていました。
Nコンの全国大会などの動画もコピーを派手にyoutubeに公開していたものがありましたが、これもNHKから訴えられてアカウント自体が削除されていましたね。
これはもう当然だと思います。人の作り上げた創作物を他人が勝手に無断で世界中に公開するのは著作権云々以前に常識的にも問題だと思います。
古い録音物でもレーベルからCDが再発される可能性のあるものも公開すべきでないと思います。なぜならばもしレーベルがこの録音物がyoutubeに公開されていることを知ったならば、再発しても商売にならないから断念してしまうであろうからです。
CDの音を聴きたい人にとってもこれは迷惑な話なのではないだろうか。
自分の映像なり、音をyoutubeに投稿した方ならわかると思いますが、オリジナルの音源をyoutubeに投稿した後の音を聴くとオリジナルの音に対してかなり劣化します。
市販の音楽ソフトを公開するのであれば、youtubeに取り込むために録音媒体を変換するのでコピーが繰り返されることになり、オリジナル音源からますます遠ざかることになります。
だからyoutubeの音を聴いても本当の音を知らずに終わってしまうということです。
これは致命的だと思いますね。コピーを繰り返した音でその演奏家の真価など理解できないです。
私はそこまでやっていませんが、オーディオにものすごい投資をしてまでもCDやレコードの音を最大限に再生させて聴こうとする人もいれば、古い録音でCD化された音は本当の音が伝わってこないと言って、中古レコードの初回プレスものを月賦で買う人もいます。
録音技術の無かった時代は、音楽を聴くためには生の演奏を聴くしかなかった。
例えばギターの有名な曲、アルハンブラ宮殿の思い出がどんな曲か聴きたいと思ったら、この曲を演奏できる演奏家を探して、彼のコンサートが開かれこの曲がプログラムに採用されるのを待たなければならなかったでしょう。そしてこの曲をコンサートで聴くためのお金を得るために節約したり、いつも以上に働かなければならなかったと思います。コンサート会場までの旅費も必要だったでしょうから。
またSPレコードが聴けるようなってもそれは大金持ちだけが所有できるだけで、ほとんどひとは所有するはおろか聴く事も非常に困難だったに違いありません。
LPレコードになってから徐々に家庭に普及しはじめ、私がLPレコードを初めて買った1970年代ではおこずかいでも買えるようになった。
でも私の場合は1年に1枚買うのがやっとでしたが、この頃にレコードを買った時の記憶は35年くらいたった今でも鮮明に覚えています。
買った店の店内の様子とか、帰りの電車でうきうきしたこととか、家に帰って初めてそのレコードをジャケットから出した時の光景とか。
当時はセゴビアにしてもブリームにしても、とにかくギター曲を聴く為にはレコードを買うか、FM放送で彼等の演奏が放送されるを待つか、演奏会に直接行くしかなかった。
しかしギターの演奏会など私の生まれ育ったところでは皆無だったし、FM放送で彼等の録音が聴けるのは数年に1度という頻度でした。
またクラシック・ギター聴く人が学校で私しかいなかったので、レコードを貸し借りしてカセットテープに録音することもできなかった。映画音楽はよく友だちから借りて録音しましたが。
たしかギターを始めたばかりの中学1年生の頃、セゴビアの演奏がFMで放送されことがあったのですが、その時ちょうどインフルエンザで39度以上の高熱を出して寝ていて、聴ける状態でなかったのですが、それでも聴きましたね。カタロニア民謡の商人の娘という曲を熱にうなされながら聴いたことを憶えています。
でもこうやって子どもながらにも苦労して聴きたい演奏を手に入れた時の喜びはとても実感として残っています。
だから手に入れた録音はとても大切にした。今でも中学校時代や高校時代にFMラジオなどから録音したカセットテープをとってあります。もちろんレコードも大切にしまってあります。
こういう経験からなのか、youtubeでクラシック音楽のCDのコピーを真剣に聴きたいとは思いません。聴いてもサンプルで聴く程度の聴き方になってしまう。元々の音が失われているから。
多分、youtubeで氾濫する無数とも言える演奏を次から次へと聴いていくようになると、いい音楽を聴く感覚を失っていくと思う。
苦労もせずお金も投資せず溢れんばかりの数の演奏を聴いても本当の感動を得ぬまま通り過ぎていくに違いないと思う。
そこにはその演奏を創り上げた人々、演奏家はもちろん、音楽プロデューサー、ディレクター、録音技師、ジャケット製作者、レコード会社、販売者などの人知れない苦労、またその録音を聴く為にお金を節約したり、仕事をがんばった自分の苦労を意識せずとも感じる取ることはまず無い。なぜならばその創造物を自分の力で実際に手にすることができないからだ。
毎年世界各地で開かれる国際コンクールで多数の優勝者が輩出されるが、CDを出したり演奏会を開いたりして、こういう凄い人が出てきたという話も聞かれなくなった。
これはtoutubeで無数の演奏を無料で聴けることと無関係ではないと思う。
わざわざCDを買ったり、演奏会に足を運ばなくても、気軽にすぐになにもお金を使わずして聴きたい曲を選び聴く事ができるからだ。





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高橋悠治作曲 しばられた手の祈り を聴く

2013-07-27 22:48:19 | ギター
こんにちは。
今日はお昼過ぎから雷雨が続き不安定な天候でした。花火大会も中止になったようです。
先日自分の手持ちの楽譜の中から何かいい曲はないかなと探していたら、高橋悠治が1979年に作曲した「しばられた手の祈り」という楽譜が出てきました。





この楽譜はギターのものですが、オリジナルはピアノ曲です。ギターへの編曲は作曲者である高橋悠治だと思います。
全音ギターピースとして出版された楽譜ですが、全音ギターピースが1980年代半ばに出版取りやめになると聞き、邦人作曲家を中心に買っておいたものでした。私が大学生の頃です。
この時初めて高橋悠治の存在を知りました。しかしこの時は彼が作曲家だけだと思っていましたが、後でピアニストでもあることを知りました。
楽譜を買ってすぐに弾こうとしましたが、運指が一切付いていなく、和声が難解で当時の私には曲想をつかもうにも能力をはるかに超えていました。
そこでピアノを弾ける姉に初見で弾いてもらって曲のイメージをつかもうとしましたが、最後のEフラットの和音が意表をついていたこと意外は印象に残らず、結局弾くのを断念してしまいました。
先日30年ぶりにこの楽譜を取り出し、弾いてみました。
やはり和声が難解でしたが、なんとなく曲のイメージがつかめました。
そしてこの曲がyoutubeでないか探したところ見つかりました。オリジナルのピアノ演奏です。



やはりピアノの方が全然いいですね。和声が独特でとても美しい。
ギター版はかなり和声を簡略にしているので、この曲の持つ真価はギターでは感じ取れないでしょうが、でも悲しいながらも美しい曲なので是非ものにしたい。
下の部分はギターでは単音ですがピアノでは和音が続くところで、ギターとしての楽器の限界を感じる。



この曲は韓国の金芝河という人の詩をもとに高橋氏が作曲したようです。
高橋悠治は1978~85年にアジアの抵抗歌を独自のアレンジで演奏する「水牛楽団」の活動をしたことが下のCDの解説に載っていました。
もしかして「しばられた手の祈り」もこの活動の中で作曲されたのかもしれません。



上のCDは高橋悠治が1970年代に録音した現代音楽の演奏ですが、このCDの中の「ヘルマ」(クセナキス作曲)という曲はすごいですね。
クセナキスが高橋悠治のために1962年に作曲したそうですが、恐ろしく難解な曲です。
このCD、2年前に買ったのですが、結局1回しか聴かずにずっとしまってあったのですが、しばられた手の祈りを聴いたことがきっかけで何度か聴いてみました。
難解な哲学書を読むような感じを受けるが、抵抗はないですね。作曲者が何を感じ、意図してこの曲を作ったのかじっくり考えてみるのも興味が湧いてくる。
高橋悠治のギター曲は先の「しばられた手の祈り」の他に「メタテーゼ第2番」という曲があります。
この曲も先の「ヘルマ」と共通したような音の運動をテーマにしたものであるが、理解するのは難しい。





この曲はギタリストの佐藤紀雄氏による録音があります(1976年)。



高橋悠治氏は、現代音楽だけでなくモンポウの沈黙の音楽やバッハのゴルトベルク変奏曲も録音しており、今度本格的に聴いてみたい。



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ベートーヴェン ピアノソナタ第32番を聴く(2)

2013-07-20 21:23:49 | ピアノ
こんにちは。
今日は真夏のような暑さは無く、すこし涼しい乾いた穏やかな風の吹く気持ちのいい1日でした。
前回のブログで上野の音楽資料室で偶然出会ったロシアの女流ピアニスト、マリヤ・グリンベルグ(1908~1978)の弾くベートーヴェンのピアノソナタの話をしました。
私が音楽資料室で聴いたのはトリトン(TRITON)というレーベルの録音で、ソナタ第32番と第31番でした。
帰宅してから同じCDが販売されていないか探しましたが現在は廃盤で、やっと中古品を見つけ注文しました。
同時にロシアのベネチアというレーベルから出ている彼女のベートーヴェンのピアノソナタ全集も注文し、前回のブログではこの全集で録音された31番を紹介しました。
トリトンの方のCDも届いたので、睡眠時間を削って繰り返し聴きました。
このせいでこの1週間は仕事中睡魔に何度も襲われました。
今日紹介するのは第32番ですが、ベネチアの全集での録音でなく、トリトンの録音の方です。録音は1961年。



ベネチアの32番の録音は彼女が恐らく最盛期を過ぎた年代での演奏だと思います。心臓病などの持病を患っていたようですが、残念ながらエネルギーを十分出せていない演奏でした。
トリトンの方は1961年なので53歳の頃の演奏ですが、恐らくこの頃が音楽的にも技量面でも精神面でも彼女が最も充実していたのではないかと感じられる最高レベルの演奏です。
この第32番の演奏の中ではミケランジェリと共に超名演中の超名演と言っても言いすぎでないと私は思っています。
まず第1楽章の音の力強さに圧倒されます。
この力強さは名だたる男性ピアニスト以上のものです。この音を出せるピアニストは故人も含めて数えるほどしかいないのはないか。
力強いといっても実に音楽的な魅力のある音です。これほどの音を楽器から引き出せるというのは本当に凄い!。ポリーニなどの無機的な強い音とは全く次元の違うレベルですね。
特に下の部分のクレッシェンドの部分はただ激しいだけでなく、作曲者の魂まで伝わってくるようだ。



第2楽章のアリエッタは高音と低音の対比が素晴らしいです。



低音は地の底から響き渡ってくるような深く、重厚な音で、この音がマリヤ・グリンベルグの最も魅力を感じるところです。アルトゥール・シュナーベルの重厚な音とはまた違った独特の音です。
高音は悲しみが伝わってくるような澄んだ音ですね。
そして低音も高音も明瞭に響き、音の伸びもあります。
この対比は下の部分に移ってからも明瞭に感じられ、特に低音の深い重厚な音はより一層響き渡ります。



そしてこの曲の最も躍動する部分である下記の部分の演奏は物凄い歓喜、興奮、激しい情熱、エネルギーの炸裂が感じられるものであり、この部分をこのように演奏できるのはミケランジェリとグリンベルグしかいないのではないか。



この激しいエネルギーは最後の長いトリルに入る直前の、低音のアルペジオのもとに弾かれる高音の強い和音でクライマックスを迎えます。



この部分のグリンベルグの高音の和音の強さがすごい。心に突き刺さるような渾身の音で弾いています。

そして最後のトリルは素晴らしいです。全ての苦悩を受け入れ幸福の境地に至ったベートーヴェンの気持ちを、この天から降り注いでくる光の粒子のような極めて美しい音で表現しています。この部分もこのように美しく表現できる演奏家は殆どいないと思います。



このマリヤ・グリンベルグの演奏は偶然ともいえる中で出会ったが、誰かから紹介してもらったり、演奏批評などを目にすることなく出会えたことが私にとってはとても嬉しかった。聴きたいと強く思う気持ちにまかせて時間もお金もかかったが、自分の求めている演奏をする音楽家を探し当てることは何よりも嬉しいです。
マリヤ・グリンベルグの奏でる音楽の流れはとても自然であり、人間的な魅力があります。私の求める音楽と波長が合います。
前回のブログで少し述べましたが、彼女はとても苦労したのだと思います。
だから音楽に作曲者の心情を重ねることができるのだと思います。
彼女の演奏は、楽譜や原典にただ忠実に表現することが作曲者の意図や真意を伝えるといった考え方とは全く次元の違う演奏です。

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ベートーヴェン ピアノソナタ第31番を聴く(2)

2013-07-15 21:45:54 | ピアノ
こんにちは。
三連休の時は連休前日の夜に仕事を終えてから、東京まで出て1泊して連休初日を朝早くから過ごすことがよくあります。
今回の三連休も金曜日の夜遅くに1泊しました。利用するのはカプセルホテルです。
三連休の前日の夜ということもあって、遅くまで飲み歩いて終電を逃した中年サラリーマンたちがたくさん泊まっていましたね。そこらじゅう大きないびきが響き渡っていました。
耳栓がなかったら一睡もできなかったでしょう。
翌日の土曜日の朝はスターバックスでコーヒーを飲んでくつろいでから、かねてから行きたいと思っていた図書館に行き、調べごとをし、夕方新宿で買い物を済ませてから、いつも東京へ出たら立ち寄る上野の東京文化会館資料室へ行ってきました。
資料室ではCDを聴かせてもらえるので、最近全集の聴き比べを始めたベートーヴェンのピアノソナタをパソコンで検索してみることにした。
検索結果が表示されたが意外に少なく、出てきた中で何気なく聴いてみようと思って選んだのが、マリヤ・グリンベルグという女流ピアニストの録音でした。
今まで名前を聞いたり目にしたことのないピアニストです。

・演奏者:マリヤ・グリンベルグ(1908~1978、ロシア)
・CDタイトル:ロシア・ピアノの巨匠たち ベートーヴェン・ピアノソナタ集 VOLⅢ
・レーベル:TRITON
・収録曲:
  ①ピアノソナタ 第25番 ト長調 作品79 (録音1950年)
  ②ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110 (録音1962年)
  ③ピアノソナタ 第32番 ハ短調 作品111 (録音1961年)

まず第32番から聴いてみたが、度肝を抜かれました。
第32番はミケランジェリの演奏以上の演奏はまずないだろうと思っていましたが、このマリヤ・グリンベルグの演奏は、ミケランジェリと双璧をなすほどのレベルの高い、感動的なものでした。
特に低音が凄い。女流ピアニストとは全く思えないほどの力強さ。地の底から響いてくるような深く、重厚な低音と、突き抜けるような高音の対比に圧倒されました。
また各声部が明瞭に聴こえるのもこのピアニストの特徴でもありました。
時間が無かったので32番と31番を1回づつ聴いて終わりにし、家に帰ってからグリンベルグのCDが販売されていないか早速検索しました。
文化会館資料室で聴いたCDは残念ながら廃盤となっていましたが、中古品を見つけました。ただ値段が普通の中古CDの相場の4倍ほどで、買うかどうかためらいましたが、まず今後そんなに出ることはないだろうと判断し、思い切って注文しました。
またこのCDの別の年に録音されたと思われる彼女のベートーヴェン、ピアノソナタ全集も意外に安い値段で出ていたので、これも合わせて注文しました。
そして今日この全集が先に届いたので、第32番、第14番、第31番を聴いてみました。



第32番は文化会館で聴いた録音とは別録音でした。グリンベルグの恐らく最盛期を過ぎた頃に録音されたに違いないその演奏は、文化会館で聴いたものとは大きくかけ離れたものでした。
しかし第31番はもしかすると文化会館のものと同一録音かもしれませんが、聴いていてとても惹き込まれました。
初め、パソコンを見ながら聴いていたのですが、途中でパソコンを見ていられなくなりました。
まず第1楽章ですが、高音部のメロディの音量が実にこの曲にかなっており、また下の部分は譜面どおりスタカートをかけているのが素晴らしい。



また終盤の下記のトリルでクレッシェンドしてフォルテまでもっていく部分が重厚で実にいい。



第2楽章アレグロ・モルトはリヒテルのライブ録音よりも速いテンポであるが、低音の迫力はリヒテル同様で、下の部分などは聴いていて興奮すらしてくる。



そしてこの曲の最も聴かせどころある第3楽章、アダージョ・マ・ノントロッポのアリオーゾの部分ですが、この第31番のこの部分の演奏で、彼女以上にこれほど悲しい音を出す演奏を聴いたことはありません。



感覚を研ぎ澄ませてじっくり聴くと感じられますが、音にすごい悲しみがこもっています。
彼女はスターリン体制下に夫と父親を処刑されたという不幸な境遇をもつと言われているが、このアリオーゾの悲しい音はこのことと無縁ではないように思われる。
そしてフーガに移っては彼女独特の持ち味である低音の響きが堪能できますが、アリアの出だしは静かであり、これがまた素晴らしいところです。



最後のクライマックスは息を呑むような凄い演奏で聴き終わると感動でいっぱいになります。



マリヤ・グリンベルクは先に述べたように家族が反体制だったために不幸な目に遭っただけでなく、ピアニストとしての活動も著しく制限されたようです。
その点、ロシアのピアニストのアナトリー・ヴェデルニコフも同様の人生をたどったが、幸いにもグリンベルクの録音は多く残っているようです。
しかし多くが廃盤となり、中古品は高値がついているのでなかなか手に入らないと思います。






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キース・ジャレット スタンダーズ・スティル・ライブを聴く

2013-07-15 17:24:11 | ジャズ
こんにちは。
三連休も今日で終わりです。
前回、20代初めに聴いたチック・コリアのライブ録音を久しぶりに聴いたことを話しましたが、ついでに今回もジャズの話題にします。
20代前半に始まったジャズ熱もわずか2年ほどで冷めてしまったが、それから10年くらいたったある日、秋葉原の石丸電気で見つけたのがキース・ジャレットの1986年のミュンヘンでのライブ録音でした。



ジャズからすっかり遠ざかっていたので、何でこのCDを買ったのか思い出せません。
誰かがいい演奏だよ!と薦めてくれたような気もします。
ピアノがキース・ジャレット、ベースがゲイリー・ピーコック、ドラムがジャック・ディジョネットというトリオでのライブ。
キース・ジャレットが40歳を過ぎたあたり、ゲイリー・ピーコックが50歳過ぎ、ジャック・ディジョネットが40代前半の頃ですね。彼らが最も脂の乗っていた頃だと思います。
キース・ジャレットのこのトリオの演奏は、20代前半にスタンダードvol.1とvol.2のレコードを聴いていたので、初めてではなかったのですが、スタンダードvol.1を初めて聴いたときに驚いたのはキース・ジャレットの奇声を伴った歌声であり、せっかくピアノの演奏が素晴らしいのに何てぶち壊すようなことをするんだと感じたものでした。
先のミュンヘンでのライブにおいてもキース・ジャレットの奇声が終始聴こえてきますが、全然気にならなくなりました。昨日、今日と久しぶりに聴きましたが、むしろこの奇声があったほうが盛り上がるくらいですね。
さてこのアルバムのお勧めは2曲目の「枯葉」、後半の「あなたと夜と音楽と~エクステンション」、「イントロ~いつか王子様が」、「ビリーズ・バウンス」の3曲。
特に枯葉は最高ですね。
枯葉はジャズでも最もポピュラーで古くはビル・エヴァンスの名演がありましたね。私もレコードを買って何度か聴きました。
しかしこのキース・ジャレットトリオのライブはビル・エヴァンスとはかなり趣きが違っており、冒頭のテーマが流れてすぐにゲイリー・ピーコックの長いベースソロが続きます。
ゲイリー・ピーコックのベースは本当に魅力的です。彼の弾き方は独特ですね。官能的というか。他のベース奏者と違うからすぐに彼の演奏だとわかります。
ジャック・ディジョネットのドラムはソロが少ないのに激しい部分を決して強く叩きすぎないところが超一流だと思います。
トリオでのドラムの役割を完全に会得した素晴らしい演奏。
このライブ演奏ならジャズを聴いたことのない人も必ず感動すると思います。
クラシック音楽ばかり聴いている方にはお勧めです。

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