緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

アドルフ・ドレッシャー ベートーヴェン ピアノソナタ第32番を聴く

2015-04-26 01:16:57 | ピアノ
今まで何度か取り上げてきたベートーヴェンの32のピアノソナタ。フォーレの夜想曲と共に私の最も好きなピアノ曲である。
この曲集を本格的に聴くようになったきっかけは、何となく買ったTESTAMENTのCDで、ハンガリーのピアニスト、ゲザ・アンダ(Geza Anda)の弾く「月光」を聴いたことによる。
1950年代の古い録音であったが、身が震えるほどの感動を味わった。
それ以来「月光」の聴き比べを起点に、32曲の聴き比べにのめりこんだ。現在は第2番の聴き比べをしているが時間がかかる。
この聴き比べの過程で、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリとマリヤ・グリンベルクという偉大な、素晴らしい演奏家と出会った。この2人との出会いは大げさかもしれないが自分にとっては衝撃的だった。
自分の感じ方と波長の合う演奏家は探せばいるものである。
それは作曲家で同様であるが、フォーレやベートーヴェンの音楽も自分の気持ちと共有できる頻度が高い。
ここに挙げた彼らは既にこの世にいないが、残された音楽や演奏で彼らの気持ちや考え方に触れることができる。
音楽や演奏に感情が流れているからである。
ベートーヴェンの伝記をいつか買ったが、読まずじまいだ。彼の人生を知るためには必要であろう。
ベートーヴェンのピアノノナタの聴き比べをしていると、演奏者の中にはベートーヴェンの気持ちと共有された感情が伝わってこないものがある。有名な演奏家で、素晴らしいテクニックで弾いているのに。
32曲のソナタの中では三大ソナタと呼ばれている「月光」、「悲愴」、「熱情」も素晴らしいが、私は最後の2曲、Op.110(第31番)、Op.111(第32番)の2曲が好きで、この2曲でいい演奏が無いか常に探し求めている。
ギター曲の場合、録音数が少ないので、比較的短期間で気に入った曲のベスト盤を見つけ出すことはできるが、ピアノ曲はそうはいかない。
とにかくピアノ界はあまりにも広く深い。埋もれてしまった録音も含めると膨大な数である。
有名ピアニストの録音は容易に手に入るが、マイナーだが優れた演奏を残した録音の殆どは廃盤であり、中古CD、中古レコードを気長に探していくしかない。Youtubeで聴くという手もあるが、気軽に聴ける反面、苦労して探し出したという実感は得られない。コピーであるから音も変わってしまっている。
第31番や第32番でいい演奏が無いかと古いレコードを店で漁っていると、聴いたことのないピアニストの録音が出てくることがあるが、このようなレコードを買って後で聴いてみたら大したことなく、がっかりしたこともある。
最近はこういう聴いたことのない演奏家については、Youtubeに投稿されているかどうかを確認して1回聴いてからレコードなりCDを買うか判断することにしている。
1回しか聴かないのにそれなりのお金を払うのは贅沢なことだし、置き場にも困るようになる。
今日(と言っても日付は変わったが)、中古CDショップで例のごとく、ベートーヴェンのピアノソナタの埋もれた録音を探していたところ、アドルフ・ドレッシャー(Adolf Drescher 1921~1967)の弾くベートーヴェンピアノソナタの第21番ワルトシュタインと第32番を収録したレコードが見つかった。



アドルフ・ドレッシャーなる演奏家は初めて聴くし、録音は1962年と古い。
Youtubeで確認してから買ってもいいかと思ったが、値段が962円とそれほど高くなかったので、後でがっかりするかもしれないことを覚悟で買って聴いてみることにした。
第32番を聴いてみた。1回聴いた時の感触は、地味であるが堅実な演奏。
第2楽章アリエッタの第3変奏の激しく難しいリズムを正確に刻んだ演奏は少ないが、このアドルフ・ドレッシャーの演奏は殆ど正確に刻まれていた。
また第2楽章最後の神秘的なトリルは、非常に上手く弾いている。有名なピアニスト、例えばウラジミール・アシュケナージのトリルよりも素晴らしいと感じた。
このトリルを正確に乱れることなく、途切れることなく弾き続けることは至難である。
モノラル録音で録音年も古く(1962年)、音が良く再現されていない。しかしピアノらしいいい音だ。このピアノらしい音の魅力が聴けることがいいのである。
奏者の中にはピアノと格闘して、ピアノ本来の魅力ある音をわざわざ潰してしまっているかのような演奏をしている方がいるが、このアドルフ・ドレッシャーの演奏はピアノ本来の音を引き出そうとしていることが聴いていて伝わってくる。リストのピアノソナタロ短調の聴き比べをしていた時に、フランスのジャン・ラフォルジュ(Jean Laforge)が出していた芯のある音を思い出した。
上声部と下声部の音の流れも分離して聴こえてくる。生の感情も入った演奏であるが部分的に抑制された表現もあり、欲を言えばここはもっと強く感情を出してもいいのに、と感じる部分も無くはない。
3回連続して聴いたが、また繰り返し聴きたくなる演奏である。
最近海外のマイナーレーベルで、過去の古い埋もれた録音の数々をCDに復刻して発売しているのを見かけるが、日本のレーベルはどうしたのだろう。
日本の大手レーベルは2000年頃までこのような古い、陽が当たっていなかったけど凄い演奏を発掘してシリーズものとして発売していたことがあったが、近年はさっぱりそのような動きは少なくなった。
特に期待したいのは、アリーヌ・バレンツエンのベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音を発掘してCD化してくれることである。
熱情、月光、悲愴など、SPやLP時代に録音されたものが今でも聴くことができるが、特にLP時代の演奏は素晴らしい。彼女の暗い音が何とも魅力なのだ。
コメント (2)

タチアナ・ニコラーエワ演奏 ベートーヴェン ピアノソナタ「熱情」を聴く

2015-04-19 21:55:24 | ピアノ
ロシアの巨匠、タチアナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924~1993)はバッハの演奏で知られているが、ベートーヴェンのピアノソナタにも思い入れがあったようだ。
1983年と1984年にモスクワでピアノソナタ全曲演奏会を開き、その音源はORINPIAやSCRIBEDUMといったレーベルでCD化された。
しかしこの1983年と1984年のライブ録音はいいものもあるが、全体的に出来はあまり良くない。
先日紹介した1987年のザルツブルグ音楽祭でのライブ録音の出来があまりにも良かっただけに残念である。
先日東京へ出た時、中古CDショップで ニコラーエワのピアノソナタのスタジオ録音を偶然見つけた。
彼女が69歳で亡くなる3か月前の1993年8月にスイスで録音されたものだ。



ベートーヴェンのピアノソナタ第21番(告別)と第23番(熱情)の2曲である。
同じロシアのマリヤ・グリンベルクもこれらの2曲を得意とし、全曲録音の前の50代初めの頃に録音している。
ニコラーエワのこのスタジオ録音は1990年代の録音であるが優秀な録音である。楽器から出る音が忠実に再現されている。
69歳なので演奏家からするとまだ若いのかもしれないが、この録音の3か月後に亡くなったということは、持病を抱えていたのかもしれない。そのためテクニックは往時の切れがないが、この演奏は音楽にとって重要なことを伝えてくれている。
例にごとく、演奏の感動度を試すために、録音を聴きながらパソコンでちょっとしたもの書きなどをやって、あえて気をそらしてみた。
最初の告別から演奏の方にどうしても気になりつつあったが、トラックが「熱情」の第1楽章、第2楽章に進み、第2楽章の次の部分まできたところでパソコンどころではなくなってしまった。





凄い音の力である。力と言っても物理的な力ではない。感情の力と言っても良い。
強烈な感情が音に伝わっているのである。
そして聴いている方も強烈な感情が沸き起こってきた。「熱情」でこれほど強い感情を引き出させる録音は殆ど無いと言っていい。
ベートーヴェンのピアノソナタ名盤の紹介も随分長い間中断しているが、ラスト3に3大ソナタの「悲愴」、「熱情」、「月光」を取り上げたいと思っている。何年先になるかわからないが、このニコラーエワの録音がベスト盤に入るかもしれない。

このニコラーエワの「熱情」を聴き終わってもまた聴きたくなる。最近、ある演奏が何故何度も聴きたくなるのか、その理由の一つが分かってきたように思う。
それは音に強い感情がこもっているからである。
聴き手は無意識にある感情を開放したがっている。その気持ちは普段意識されていない。その感情は、過去に体験して表現されなかったもの、表現したくてもできなかったものかもしれない。またこういう感情を感じたかったけど、かなわなかったものかもしれない。
いずれにしてもその感情は聴き手の無意識の奥深くに眠っている。
この奥深く埋没した本人が意識していない感情、それは作曲者自身の感情でもあるのだが、その感情を引き出す力のある演奏が、何度も聴きたくなる演奏であり、名演といえるものなのではないか。
聴き手の奥深く眠っている感情を引き出すために、それを特段意識していなくても自らの使命として厳しい修練を積んできた演奏家が巨匠と言えるのではないか。

ニコラーエワのこの録音を聴くと、ピアノからあまねく音や響きを出していることが分かる。それも芯のあるタッチからでないと生みだせないものであろう。
軽い鍵盤で、ものすごい力で叩いても貧弱な音しか聴こえてこない演奏家がたくさんいる。
先日Youtubeで80歳を超えたであろうセゴビアのライブ演奏(自宅での録音?)で、グラナドスのスペイン舞曲第10番の編曲を聴いたが、このニコラーエワと共通のものを感じた。
すごいとしかいいようのない演奏であったが、セゴビアの音楽に対する信念にゆるぎないもの、確信に満ちたものを感じさせてくれた。
ニコラーエワの演奏はとても暖かいものを感じる。バッハの演奏はまだあまり聴いていないが、このような気持ちがバッハの曲にどのように生かされているか興味深い。
コメント (4)

アニュエル・ブンダヴォエ:バッハ名演集 を聴く

2015-04-12 00:46:57 | ピアノ
ふとしたことから殆ど知られていないけど凄いピアニストをまた見つけた。
名前はアニュエル・ブンダヴォエ(Agnelle Bundervoet 1922~)というフランスのピアニスト。
パリ・コンセルバトワールでラザール・レヴィに師事した。
現在入手できる録音は少なく、バッハやリスト、ブラームスなどの曲集数点に限られる。
今回聴いたのはバッハの名演集のCDであるが、数多くあるバッハのピアノ演奏の中でも最高レベルに属するものだと思う。
収録曲は下記の4曲のみ。
コラール《目覚めよと呼ぶ声あり》(ブゾーニ編曲)
シャコンヌ(ブゾーニ編曲)
トッカータとフーガ ホ短調
トッカータとフーガ ニ長調

プゾーニ編によるシャコンヌはは有名で、私はアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの演奏で初めて聴いたが、あまりにも原曲とかけ離れていたので、好きになれなかった。
しかしこのプゾーニ編のシャコンヌはミケランジェリのほか、アルトゥール・ルービンシュタイン、シューラ・チェルカスキー、アリシア・デ・ラローチャなどのピアノの巨匠も弾いている。
これらの巨匠達が何故自編のシャコンヌを弾かずにプゾーニ編を弾くのか。これは疑問であるが、何となく分かるような気がする。
プゾーニ編は聴いたことがあるならすぐに分かると思うが、かなり原曲に手を加えている。最後のニ短調の和音はニ長調で終わる。
これらの手の入れようは原曲を尊重した範囲内とは感じない。オリジナリティを超えるものであろう。オリジナルをベースに自分の求める感性で新たに音を加え、リズムを変更し、曲を作り変えているとも言える。
このような編曲を恣意的だとして、許せないという方もいるかもしれないが、何度か聴いてみると恣意的とだけ解釈するには勿体ないほど、素晴らしい編曲であることに気付く。
多分先述の巨匠達は、この編曲がピアノという楽器の魅力を存分に引き出し、奏者の感情を高揚させる何か特別なものを秘めていると感じたから弾いてきたのではないか。
今日Youtubeで検索してみたらプゾーニ自身の演奏もアップロードされていた。
全く、Toutubeは全く苦労することなく、何でも録音を探し出せてしまう。あっけないが音楽の楽しみは薄らいでしまう。
料理屋を何件も探し出し、目当ての料理を苦労して稼いだお金で味わうといったような楽しみは味わえない。
料理屋をくまなく探さなくても無数に目の前にたくさんの料理が用意されていてお金を払わなくても自由にそれらの料理を好きなだけ味わうことができる。しかしその料理は本物ではない。
一昔前からすると夢のような話であったが、Youtubeは本物でないにしてもそれはそれなりに有益な情報をもたらしてくれるは事実である。手に入らない貴重なライブ映像などもすぐに見ることができる。短時間でお金をかけずに多くの求める演奏を聴くことができるのは、それはそれでメリットは感じる。
ブンダヴォエの演奏は力強く、妥協を許さない厳しさがある。完璧を求めるタイプであろう。
しかし頭で解釈して演奏に移すタイプではない。ハートで演奏するタイプだと思う。
一見クールのようなのだが、熱いものが感じられる。音が強靭で、強い音が苦手な人は好きになれないかもしれない。倍音をあまり使わず、一音一音を明確するタイプだ。昔のピアニストにはこういうタイプが少なからずいることに気付く。
バッハのシャコンヌはギターにも編曲されている。セゴビアが確か1930年代にギター用に編曲して広まったが、その編曲はオリジナルを尊重する範囲内のものである。
その後イエペスが独自の編曲のもとに録音を出したが、プゾーニ編ほどでないにしても原曲からかなり離れている部分もある。
イエペスが若い頃、セゴビアの講習会に参加して自編のシャコンヌをセゴビアの前で披露したところ、セゴビアから「バッハを勉強しなおしてこい!」と罵倒されたという。
セゴビアが、たとえばラローチャの弾くプゾーニ編のシャコンヌを聴いたとしたら、どのように感じるのであろうか。
ギターを弾く人で、シャコンヌに取り掛かる際に、ギター演奏の録音だけでなく原曲のバイオリンの録音を数多く聴いて研究する方はたくさんいる。
このプゾーニ編のシャコンヌを研究する人は少ないかもしれないが、バッハのこの名曲を違った観点で捉えられるのではないか。
原曲に忠実に編曲しなければならない、という一種の厳格なルールのようなものから離れてみると、編曲という作業の難しさや、その芸術性が浮き彫りにされるかもしれない。



このCDのジャケットは昔のLPレコードのジャケットをCDサイズにしたようなもので結構好きである。
コメント (2)

笛吹き音 その後(2)

2015-04-05 01:25:41 | 
今乗っている車から笛吹き音がし出したのは8年前頃であろうか。
丁度、ジープサービスというブリヂストンの大口径タイヤを履いた後だと思う。
大口径タイヤを回すにはかなりのトルクが必要なので、吸気か排気のどちらかの経路での接合部の劣化した部分で、その隙間から漏れて出ている音ではないかと思っていた。
笛吹き音はさほど大きな音ではなかったが、大口径タイヤでパワーが落ちたのは、この漏れが原因ではないかと思い、考えられる箇所の部品を自分で交換してきた。
まずやったのが、ブローオフバルブを純正品から社外品に替えたことであった。
ブローオフバルブ(エアーバイパスバルブ)のメーカー純正品は空気が漏れやすいと書いてあるのをどこかで見た記憶があったので、金属製のしっかりとした造りのバルブに替えれば空気漏れは解決すると考えたのである。
そこで確か1万円以上もする社外品を購入して交換してみたが、笛吹き音は依然として鳴り続けた。
次にやったのが、エキマニ(エキゾースト・マニホールドの略称)を純正品から社外品に交換することであった。
エキマニは排気をターボ(過給器)に出す経路にある部品であるが、純正品が鋳鉄製であるのに対し、社外品はステンレス製のパイプを曲げて溶接で繫ぎ合わせ、フランジと溶接したものであり、手間がかかることからかなり高価なものであった。
いわゆるタコ足と呼ばれるものであったが、部品持ち込みで整備工場で純正品と交換してもらった。
外した純正のエキマニを見てみると、表と裏にかなり大きなクラックが入っていた。
ステンレス製の社外品に比べて重量も重く、見かけはしっかりとした感じがするが、意外に弱いものだ。
クラックが入っていたということは、排気ガスがそこから漏れていたはずであるが、気付かなかった。
高価なステンレスのエキマニに交換すれば、さぞパワーも上がり、笛吹き音もしなくなるだろうと期待した。
パワーが上がった走りを想像しながら整備工場に車を受け取りに行き、結構な料金を払って帰路についたが、期待していたほどのパワーは感じられなかった。これにはかなり落胆した。
しかも笛吹き音が鳴り続けているではないか。
この社外品のエキマニは、遮熱板が取り付けられず、むき出しとなるので、プラグコードが溶けてしまうのである。
そこでプラグコードの周りに耐熱テープや耐熱チューブを巻き付け、熱対策をしなければならなかった。
社外品のエキマニに交換してから7年くらい経ってから、整備工場からエキマニにひびが入っており、そこから排ガスが漏れている、と指摘された。
自分ではそれまで気づかなかったが、言われてみると少し排気ガス臭かったのと、エンジンからの音が大きくなっていることが分かった。
ただその整備工場ではステンレスの溶接が出来なかったため、別の整備工場に持ち込み、このエキマニを溶接してもらうことにした。
整備工場から電話がかかってきたが、予想以上にかなり割れが多く、ひどくなっていたとのこと。それでも何とか溶接で補修してもらうことができた。
それからも依然として笛吹き音はなり続けたが、今から1か月程前に、今までの笛吹き音に混じって空気の漏れるような音がすることに気付いた。同時に加速時のパワーも落ちていることも分かった。
この空気漏れの音は、1年ほどまでにインタークーラへ接続するゴムホースが破れて出た空気漏れの音とは違っていた。
そこでボンネットを開けてエキマニ周辺を見てみたら、何とエキマニとターボとの結合部のフランジを固定するボルトの1本が外れていたのである。





このままではやばいと思い自分で締め付けようとしたが手持ちの工具ではボルトを回せない。やむを得ずすぐに近くのディーラーに車を持ち込んで見てもらった。
しかしディーラーの整備士から、ボルトの穴がずれているため、ボルトが入っていかないとの返事。また他のボルトも外そうとしたが折れるかもしれないとのことである。
そこでディーラーでのボルト締めを諦め、エキマニのひび割れを溶接してもらった整備工場に再取付を依頼した。
整備工場に預けて1週間経ったが電話が来ない。そこでこちらから電話してみると、エキマニに穴が開いていて、そこから排気ガスが漏れているがどうしますか、とのこと。
すぐに整備工場に行って確かめてみる。エンジンを掛けて、その穴の付近に手をかざしてみると、かなりの勢いで排気ガスがその穴から噴き出しているのが確認できた。
もうそのタコ足のエキマニの寿命は限界だと悟った。穴を溶接で塞いでも、他の部分が穴のあく可能性があるからだ。そのくらい金属が駄目になっていると思われる。
交換となると社外品か純正品かという選択になるが、迷わず価格の安い鋳鉄製の純正品への交換に決めた。
遮熱板は前回社外品に交換した時に外したものを持っていたので、新品に交換せず、これを再利用した。
EGRパイプも前回取り外したものを取ってあったので、今回再利用することができた。
今日、整備工場へ車を取りに行って交換後の走りを確かめた。
いくらなんでももう笛吹き音はしないだろうと思った。この笛吹き音の正体こそが、この社外品のフランジ部分のボルトの緩みや外れに起因するものだと確信していた。
整備工場を後にして、アクセルを強く踏んだ。当然音がしないと思った。
しかし無情にも笛吹き音は鳴り続けた。
その時の笛吹き音は、そう簡単に解決されてたまるか、と言わんばかりにあざ笑うかのように聴こえた。

下の写真が社外品のエキマニ。ステンレス製。





小さな穴が開いている。



フランジ付近にクラックが入っている。エンジンの振動が原因か。整備士によると今の車はエキマニにクラックが入ることは殆ど無いそうだ。



下は純正のエキマニ。社外品に交換した時に外したもの。



クラックが入っている。




エキマニとターボのフランジとの間に入れるガスケット。


コメント