緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

山陰・山陽・大和地方小旅行記(8)

2021-12-26 22:21:46 | 旅行
(12月24日の記事からの続き)

9月22日(水)
5:30起床。外を見ると路面は濡れていたが、雨は降っていないようだ。
予定の時間より早く出ることにした。
広畑駅に着くと、運よく待ち時間無しで電車が来た。
飾麿で姫路方面の電車に乗り換えるために下車。
向かい側のホームに人がたくさん並んでいたので、このホームで乗り換えの列車を待つことにした。
しばらくして電車到着、乗車。
2,3駅を過ぎると姫路駅に着くはずだ。何駅か過ぎたところで異変に気付いた。
結構時間が経過しているのに、いっこうに姫路に着かないのだ。
これはなんかおかしいと思って路線図をスマホで調べたら、何と反対方向の三宮、梅田方面の電車に乗ってしまっていたことが判明。仕方がないので高砂という駅で降りて引き返すことにした。
これだから、普段から用意周到に細部にわたって綿密な計画性を持って行動するという習慣を身に着けていないからこういうことになるのだ。
姫路よりも三宮や梅田の方が大都市だったのだ。だからこっち方面行きのホームにたくさん人が並んでいたのである。めんどうくさがって感覚で決めるという普段の習性が見事に間違いという成果を生みだした。

今日の訪問地、法隆寺までの時間を再検索すると計画に対して15分遅れとなる。それでも15分短縮できたから良しとしよう。
失敗を取り戻そうとやっきになって、山陽姫路駅からJR姫路駅まで小走りで向かい(そんなに急ぐこともないのに!)、切符は買わずにスイカで改札に入り、7:35発野洲行きの快速列車に乗った。次は大阪で乗り換えだ。
通勤時間帯のためか人が多い。しかし座席には座れた。

大阪まで疲れと睡眠不足のせいか居眠りをする。大阪で下車。
通勤時間帯を過ぎているが、まだかなりの人手だ。新今宮方面の列車に乗り換える。
新今宮で奈良方面の大和路線に乗り換え、法隆寺で降りる。
列車の窓から見ると、外は陽射しが出てきたがこの時間のみで、10時過ぎからは雨となる予報だ。

9:51、法隆寺駅に着く。有名な法隆寺ということもあり観光地らしい大きな駅を思い描いていたが、意外に小さな駅だった。
スイカで改札を出られたのは良かった。改札を出てすぐ左に小さな観光案内所があったので、そこでマップをもらい、法隆寺までの道順を教えてもらう。
コインロッカーの場所を訊ねると、なんと改札の中だと!。駅員に言えば改札内に入れるとのことで改札に行ったら案の定駅員はいない。
インターホンがあったのでベルを押して呼び出したところ、ちょうど駅員が戻ってきたところだった。
改札を通してもらい、ロッカーに荷物を入れ、財布の中から小銭を探したら何と100円玉が足りない。
スイカが使えない古いタイプのロッカーで函数も少ない。これは意外だ。法隆寺は世界的観光地ではなかったのか。
仕方ないので駅員に言って500円玉を崩してもらう。再びロッカーに戻り荷物を預け、必要なものだけを小さなバックに詰め込み、改札を出た。幸い雨は降っていなかった。

駅を出ると駅前は意外に閑散としていて車や人の往来はほとんど無い。民家や小さな商店が立ち並んでいるような町並みだ。
観光地という感じは全くしない。少し歩くと交通量の多い通りに出たが、この道を真っすぐ行って左に曲がってまもなくの所に法隆寺があり、徒歩で約20分かかるとのことだった。
この大きな通りも観光地という感じは全く無く、普通の町並みだ。想像していたイメージとかなり異なる。

20分程歩いて法隆寺の参道の手前に大きな観光案内所があったので、そこでパンフレットやマップをもらってルートを確認する。
参道を歩くと両側にレストラン、土産物屋、宿が立ち並ぶがその数は少ない。
大型のレストランが2軒あったが、いずれも営業していなかった。
1フロア何百人も入れるような大きなレストランだったが、電気は付いておらず、暗く、かなり寂れていた。建物や設備の老朽化からするとコロナ禍だから営業していない、という感じはしなかった。

今日は祭日と祭日の間なので観光客は少なかった。
外国人も含めもっと大勢の人が来ているかと思ったが、考えてみると未だ緊急事態宣言中なのだ。少ないのが当然であろう(なんと能天気なのだろう)。

南大門に入る前に藤ノ木古墳に行ってみることにした。
ここまでは普通の民家の立ち並ぶ所を歩く。法隆寺のすぐそばに民家があり、民家と民家の間には田んぼや畑も多い。
民家は古い造りもあれば新しいものも混在しているが、それにしても国際的に有名な観光地のすぐそばにこんな普通の景観が広がっているとは全く予想していなかった。







藤ノ木古墳は古墳といってもそんな大きなものではなく、小さな円い、土を盛ったような形状のもので、1か所扉があって中を覗くことができた。





石棺(?、字が汚くて判読不能)が見えた。
古墳のあとは斑鳩文化財センターに行ってみたが、今日は定休日だった。
南大門に向かって進んでいくと昨日までローカル線に乗っているときに車窓からいたる所で見かけた、あの朱色の花が咲いていたので近くで撮影することにした。



この朱色の花は何というのか。今が丁度お彼岸の頃だから「彼岸花」に違いない。
関東ではなかなか見かけない。関西では至るとこで咲いているようだ。
八村義夫のピアノ曲「彼岸花の幻想」が頭に浮かんでくる。
春秋社から出ているこどものためのピアノ曲集に、1曲のみ、こどもが絶対弾くことはありえない浮いた曲があった。それが八村義夫の「彼岸花の幻想」だ。
恐ろしく暗く不気味で難解で激しいピアノ独奏曲だ。
八村義夫はこの朱色の花を見てどのようなインスピレーションを感じたのか。

(次回に続く)
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ある日の「スペイン舞曲第5番アンダルーサ」

2021-12-26 13:35:16 | ギター
このところ「悲愴」鑑賞に練る間も惜しんで費やしていたが、睡眠不足で睡魔に襲われ電車で読んでいた本を何回か床に落としてしまう始末。
ギターの演奏のほうもご無沙汰だったが、今日の午後ちょっと暗譜で弾ける曲を録音してみた。

グラナドス作曲:「スペイン舞曲第5番アンダルーサ」
いままで何度か録音してきたが、少しずつではあるが前進している感触だ。
ハーモニックスの部分をとちったのと、和音の移動に若干間が空いてしまうことも課題として残っている。
あとは全体の速度も少し速いほうがいいかもしれない。

完成に向けて途中経過を録音していけばいろいろ課題も見えてくるので、これからも続けていく。
納得のいく演奏が録れたら、ライブラリーに載せたい。

ハーモニックスとちった、近くに加湿器とエアコンの騒音に邪魔された、「スペイン舞曲第5番アンダルーサ」の録音、2021年12月26日13:15
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ウラディーミル・フェドセーエフの「悲愴」

2021-12-26 01:42:58 | オーケストラ
この3週間で40枚あまりのチャイコフスキー「悲愴」のCDを聴いてきたが、ロシアのウラディーミル・フェドセーエフという指揮者の「悲愴」にかなり共振するところが大きい。
CDでは1981年と1991年のいずれもモスクワでの録音を聴いたが、今回、DVDで、ドイツ、フランクフルトのオペラ座での1991年のライブ録画を聴いてみた。

聴くだけでなく、観るのもいい。
完全に曲と同化した指揮。
とくに第4楽章の演奏は本物だと思う。

映像をよく注視してみると、フェドセーエフの目に光るものが見えた。





yOUTUBEにはこの録画はないようだ。

【追記202112260235】

小林研一郎指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏CDの解説に、こんな一節が記されていた。
甥に宛てた手紙の中で、「私は心の中でこの交響曲を作曲している間、なんども激しく泣きました。」

第4楽章はうつ病の苦しみから出てくる感情の表現に相違ないと思う。
辛い感情を心にいっぱいためこんできた状態に現れるものだ。
中間部で出てくる部分は、チャイコフスキーの過去のいっときの栄光、幸福だったときを回想するもので、とくに(自らの)死の直前に湧き起ってくるものだと思っている。
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中央大学マンドリン倶楽部第121定期演奏会を聴く

2021-12-25 22:57:48 | マンドリン合奏
今日(25日)埼玉県所沢市の所沢市民文化センター・ミューズにて、中央大学マンドリン倶楽部第121定期演奏会が開催され、聴きに行ってきた。

中央大学マンドリン倶楽部は歴史の長い日本有数の団体であり、実力も全国トップクラスである。
私は第109回定期演奏会、この時は鈴木静一のシルクロードが演奏された時であったが、初めてこの団体の生演奏を聴いて以来、ほぼ毎回会場に足を運び聴いてきた。
ただこの2,3年は社会人マンドリンクラブの練習と重なったり、案内葉書が来なくなってから開催されていることに気が付かなったりと、つい聴く機会を逃していた。
ただ今日は、学生時代に演奏した、鈴木静一「大幻想曲 幻の国 邪馬台」がメイン曲として演奏されるので是非とも会場での生演奏を聴きたいと楽しみにしていたのである。

今日のプログラムは以下のとおり。

第Ⅰ部

雪~ロマンツアとボレロ  作曲:H.ラヴィトラーノ
夜の静寂  作曲:P.シルヴェストリ
幻想曲第1番イ短調 作品22  作曲:久保田 孝

第Ⅱ部

大学祝典曲「栄光への道」  作曲:鈴木静一
大幻想曲 幻の国「邪馬台」

今日の曲目を会場で聴いて最も聴き応えがあったのが、鈴木静一の大学祝典曲「栄光への道」。
曲中に中大校歌が挿入されるなど、中央大学ゆかりの曲でもあるが、山を愛した鈴木静一が初めて北アルプスに足を踏み入れたという穂高岳への登山の情景をモチーフにした曲となっている。
ちなみに私も若い頃少しの間登山をやっていた時があり、就職して間もない頃、会社の山岳部に入り、9月の連休を利用して奥穂高岳に登ったことがあった。
夜行バスに乗って朝早くに上高地に着き、中腹の山小屋で1泊、頂上の山小屋で1泊した記憶がある。
初めての登山だったためか高山病にかかり食欲不振と頭痛に悩まされたが、奥穂高岳の頂上から見下ろす晴天の景観は素晴らしいものだった。
今日の中央大学の演奏は迫力があり、生き生きとしていて胸がすくような素晴らしいものだった。
自然と拍手に力が入る。

さて今日のメイン曲は、鈴木静一作曲の大幻想曲 幻の国「邪馬台」。
この曲は、大学3年生の時、母校マンドリンクラブの定期演奏会のメイン曲として弾いた思い出の曲でもある。
鈴木静一の曲の中では、交響譚詩「火の山」に次いで好きな曲だ。
歴史上に伝わる人物、邪馬台国の女王、卑弥呼の生涯をテーマにしたマンドリンオーケストラ作品の屈指の大曲だ。









この曲はマンドリン愛好家の中では、鈴木静一の「交響詩 失われた都」に比べ人気が今一つのようであるが、今日久しぶりにこの「幻の国」を中央大学の演奏であらためて聴いてみると、旋律の美しさ、音楽物語としての構成力、情景描写の鋭さ、リアルさ、古代の歴史に思いを馳せたであろうその情熱、といった諸要素を冷静に鑑みると、この曲が聴く者にとって「失われた都」以上の感動のバリエーションを提供するものだと感じたのである。
実際この曲の長い中間部、Appasionato(卑弥呼身を隠す)からpoco piu mossoを経てLento mento,
そしてAndantino(岩戸神楽と卑弥呼の帰還)、Strettoに至るフレーズに流れる各種管楽器で奏される旋律は非常に日本的で根源的、郷愁的ノスタルジーを思い起こさせるものであり、Lento(果てなき夜)でギターのアルペジオが奏でられる部分や、Lento mentoに入る直前の部分などは抑えがたい涙が出てくるほどだ。
今日の中央大学の演奏はこの部分を非常に情感を持って演奏していた。

しかしこの部分に聴くと、純日本的な旋律、それは日本古来の独特の夜の静寂、侘しさ、抑圧から生れた「忍ぶ」という独自の美徳、はかなさ、無常といった、現代では感じることが失われた感情を、この曲を通じて疑似体験できる。
現代では全く経験することの出来ない感情だ。
このような日本独自の類をみない感性、情感を聴く者に甦らせることの出来る曲がなんと少なくなったことか。
日本人のDNAに刻み込まれた、拭い去れないこの感性、この感情の素晴らしさを、鈴木静一の曲を通してこれからも絶やさないようにして欲しいし、自分自身も演奏を通してそれを実現させたいという気持ちが湧き起ってきた。これはとても嬉しいことだ。

今日の中央大学のこの曲の演奏で物足りなかったことがあるが、これはあくまでも私の感じ方であるが、もっと炸裂するようなエネルギーを出せないだろうか、ということだ。
例えば、Appasionato(卑弥呼身を隠す)に入る前の部分、これは終局部近くに出てくるAllo wadertoと同じであるが、それとAllegretto wanderatoの部分などだ。
もう弦が切れてもいいから、というくらいの炸裂するエネルギーが欲しい。
これがないと中間部の夜の静寂の美しいとの対比が出てこない。単調、一本調子に聞こえる。
あとAllegro furiosoからクレッシュンドしていく部分の速度はもう少し落として、弦系パートの細部の表現を余すことなく明確にした方が良かったと思う。
この部分はパーカションと管楽器の力に押されて弦楽器の音が聞こえてこなかったのが残念だ(部員数が少なくなってしまっているも十分に分かるのですが)。

今日家に帰ってから、今から30数年前の学生時代のこの「幻の国」の演奏テープを聴いてみたが、やはり今の学生団体とはだいぶ異なる演奏であった。
当時は凄まじいほどのエネルギーが発散されていた。体の芯からカッーと熱くなってくるような。

今日、中央大学の演奏を聴いて、この団体の曲に対する誠実な取り組みを改めて確認することができた。
それはステージ上での演奏者たちの澄んだ目や身体から放たれるものから伝わってくるものである。
マンドリン曲を演奏することに心から喜びを感じている、これがまさに聴き手に感動を呼び起こすのである。
学生時代のわずかな期間であるが、この時代にマンドリン音楽にひたむきに情熱をもって取り組んだ経験は必ず後になって何等かの形となって生きてくると私の経験上確信している。
欲を言えば、演奏会では燃え尽きるほど、全てのエネルギーを出し切って欲しい。
今日は演奏会が終ってから、会場を出た後駅に向かう道のりで、晴れ晴れとした気持ちになっていた。
こういうことは滅多にない。
今後の中央大学マンドリン倶楽部の一層の精進を願ってやまない。

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ヘルマン・アーベントロートという指揮者

2021-12-24 23:17:57 | オーケストラ
「悲愴」の聴き比べもあいかわらず続いている。
恐らく過去に録音された演奏を全て聴くまで続くに違いない。

今日聴いたのは今回新たに購入した録音ではなく、30数年前の今だから言える、あのもがき苦しんだ時代に聴いた「悲愴」の中の1枚だった。
意外にも、30数年前には殆ど印象に残らなかった演奏であったが、今日30数年振りに聴いたらこれがなかなかの演奏。
ヘルマン・アーベントロート指揮、ライプツィヒ放送交響楽団。1952年録音。

1883年、ドイツ、フランクフルト生まれ、1956年没。
「悲愴」は感情の起伏が激しく、また経験した人でないと感じることのできない深く複雑な感情が潜在的に隠されている曲だから、作曲者の曲に託した思いを再現することは非常に難しい。
だから第3楽章のような曲は上手く表現できても第4楽章が物足りない演奏も多い。
この3週間で40枚ほどのCDを聴いたが、心の深いところから感情が引き出された演奏はわずかである。

ヘルマン・アーベントロート指揮の演奏はどうだろう。
第1楽章で、12月3日にムラヴィンスキーの1960年の録音を聴いて以来の感情が起きてきた。
もう少し繰り返し聴き込んでみないと、未だその真価を正確に評価できないが、今日2回聴いた限りでは悪くない。
第4楽章はかなりのスローペース。
楽譜の指定速度はアダージョだが、初演時の自筆譜はアンダンテだったという。出版されるまでに別人の手により改ざんがなされたようだ。
しかし私はあまり速度の違いは気にしていない。
どれだけ、チャイコフスキーの人生過程での、癒し難い、どうすることも出来なかった精神的、心理的な苦しみが共感として感じられるか、そのことだけが私にとっては重要なポイント。この感情が伝わってくるかが。
この曲にチャイコフスキーの生き様の全てが現れているように思える。


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