緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

園田高弘のベートーヴェン・ピアノソナタ「月光」を聴く

2013-12-28 01:12:31 | ピアノ
こんにちは。
今日は仕事納めです。明日から9連休に入りますが、連休の前日に感じる安堵感や開放感がまたいい。
前回、前々回と園田高弘の弾くベートーヴェンのピアノソナタの演奏録音を紹介したが、昨日また新に第14番「月光」を聴いたので感想を述べたい。



第1楽章アダージョ・ソステヌ-トはかなりゆっくりしたテンポだ。だが「遅い」という感じは受けない。テンポは殆ど常に一定であり、速度に大きな変化をつける箇所はない。
楽譜に極めて忠実であり、独創的な解釈はしていない。ここで言う楽譜に忠実とは譜面に書かれたことに対して機械的に従って演奏しているという意味ではない。作曲者の意図するものに忠実であろうとしているというより、作曲者が音楽で表現した感情そのものを演奏という行為に変換しているのだと思う。そのような意味で園田氏の演奏は誠実さを感じる。
第1楽章中間部に下記の上昇音階と下降音階が現れる部分があるが、ケンプやグルダを始め多くの奏者が上昇部をクレッシェンド、下降部をデクレッシェンドで弾いている。



しかし譜面にはこの強弱の指定は無い。この部分を上記のように変化をつけて弾くのは第1楽章終わりに現れる同様の音型のフレーズにおいてクレッシェンド、デクレッシェンドの指定がなされているからであろう。



譜面どおりに大きな変化を付けずに弾いている奏者はゲザ・アンダ、エリー・ナイ、ソロモン・カットナー、バックハウス、アニー・フィッシャー、クラウディオ・アラウなどである。ただアラウは強弱の変化はつけていないがやや強めの音である。
園田高弘がこの部分をどのように弾くかとても興味があった。私自身としてはこの部分を強弱を付けずに静けさを保って弾くのが正しいと感じているのであるが、はたして聴いてみると園田氏の演奏はそのとおりの表現であった。
私は第1楽章は全体的に終始静かに流れるように弾き、部分的にもあまり強い音は出さない方が良いと思っている。グルダなどが随所でかなり強い音で弾くのを聴くと何か違うな、と感じる。
園田氏のCDの解説書にこの「月光」の作曲の経緯として、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」のなかの騎士長がドン・ジョバンニの剣に刺されて死んでいく場面の音楽を嬰ハ短調に移調したスケッチが残されていることと関係していることが記されていたが、この騎士長の死を悼む感情、葬送を動機とした曲ではないことは間違いないと思う。
この第1楽章を何度聴いても人の死を悲しむ感情を感じ取ることはできない。ベートーヴェンはたまたまモーツアルトのオペラの一幕に流れる音楽を聴いて、何かひらめくものを感じてこの曲を作ったのではないか。このオペラの内容とは関係なく、そこに流れる音楽から連想して感じ取ったものを土台に創り上げたのではないかと思う。
この第1楽章は終始確かに悲しい曲想なのであるが、その悲しみとは親しい人を失ったり、不幸な出来事に遭遇した時に感じる激しい感情とは違う。昇華された悲しみというのか、ただ「悲しい」というものが存在しているだけである。それは静かな暗黒の夜の時を刻む鼓動から生まれてくるものであり、「夜」そのものを表しているように思える。ガブリエル・フォーレの夜想曲第1番の悲しい曲想もまさにこの「月光」と同じ種類の悲しみを感じさせる。
この「月光」第1楽章の演奏の聴き比べをしていると、曲の速度、強弱やアクセントの付け方などが奏者によりさまざまであることに気づく。人により感じ方が多種多様であることによるが、作曲者のこの曲に込めた感情を真に理解して表現しているかどうかを見極められるようになるにはとても長い時間と数多くの演奏を聴くことが必要だと思う。
第2楽章アレグレット中間部のトリオの低音部の園田氏の音が実にいい。fpは強すぎず、多層的な音だ。この低音の使い方が第2楽章の最大のポイントだと思う。
第3楽章は誰もが知っているようにテンポが速く、超絶技巧を要し、また強い情熱的なアクセントも要求される楽章である。
第1楽章、第2楽章が良くても第3楽章の演奏で失望させられたものも多い。この園田氏の録音は60代半ばで録音されたものなので、技巧面の衰えや情熱感の薄らいだものになっていないか気がかりであったが、実際の演奏はいい意味で完全に裏切られた。技巧面でいうならば私が今まで聴いたこの曲の演奏の中でもトップクラスである。ゲザ・アンダのテクニックと比べても遜色はない。これには度肝を抜かれた。曲の求める速いテンポを終始保ちながらもテクニックがぶれることは全くなく、力強く、情熱に満ちた演奏である。60代半ばでの演奏とは思えない。最後のクライマックスなど息を呑むほどである。
園田氏の演奏は、特異な表現、テンポや強弱も大げさなことはせず、堅実で正統的とも言える演奏スタイルであるが、譜面にただ忠実であるという次元ではなく、作曲者の曲に託した心情を正しく理解しているものだと感じている。
園田氏の演奏は何度でも聴きたくなる魅力を持っている。それは地味に聴こえても実は聴く者に深いものを与えているからだと思う。
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園田高弘のベートーヴェン・ピアノソナタを聴く(2)

2013-12-25 22:57:04 | ピアノ
こんにちは。
今日はクリスマスです。会社の同僚たちも今日はいつもより早めに帰宅していました。私も久しぶりに早く帰らせてもらうことにした。
先日、園田高弘の弾くベートーヴェン・後期ピアノソナタの感想を述べたが、彼の40歳ごろに録音されたピアノソナタ全集の中の一部が手に入ったので早速聴いてみました。
聴いたのは第8番「悲愴」、第23番「熱情」、第5番の3曲。
1960年代終わりの古い録音で、聴いた第1印象は響きの悪いスタジオで弾いているな、と感じたこと。でも録音自体はストレートで悪くはない。
例のごとく録音を聴きながら別の事をすることで、演奏の印象度を試すことにした。
園田氏の演奏は地味でオーソドックスで堅実であり、おおげさな表現、変わった解釈などは見られないが、聴いていて心にスーと入ってくるものがあった。音が地味だと聴いていて殆ど心に残らないことが多いが彼の演奏は違う。
先日彼の晩年の録音を聴いたときも堅実で地味でありながら、何か心から離れないものを感じた。今日聴いた録音もそうである。静かで深い感動というべきものだろうか、不思議な感覚である。
マリヤ・グリンベルクを聴いているときもそうであるが、演奏から聴こえてくる音楽と実に波長が合う。人と人との相性も理屈では説明できない次元のものであるが、聴き手と演奏者との相性も同様なのであろう。園田氏の演奏を聴いているとその音楽に親しみを感じる。
きっと心の深層で感情的、人間的な共鳴という現象が起きているのだと思う。
相性のいい演奏家を探すことは大変なことであるが、また1人そのような出会いが得られて良かった。久しぶりにいい夜を満喫できた。
園田氏の録音については別の機会に具体的に紹介したい。
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爪磨きの改善(2)

2013-12-23 21:46:15 | ギター
こんにちは。
三連休も終わりとなりました。
あと4日我慢すれば正月休みです。
久しぶりにギターの話題ですが、ギターを弾くには爪が必要です。
ギター弾きにとってはあたりまえのことですが、意外に爪をベストの状態にして、いい音を出せるのは少ないです。
年とともに爪が薄くなったり、弾いているうちに部分的にささくれたりして思うような音が出せないのが現状です。
それでも爪をできるだけきれいに磨いて少しでもよい音を出そうとしてきました。
若い頃はサンドペーパーに対し45度くらいの角度で一定にして、左右に、サンドペーパーに平行となるような動きで磨いていました。
しかしこのやり方だと常に同じ角度で爪が磨かれるので、磨いた面の内側の角が尖ってしまい、この尖った角が弦に引っかかってしまうので、念入りに磨いたわりには、何で音が悪いの?、となってしまったわけです。
そこで気づいたのはサンドペーパーに対し角度を一定にせず、また左右に動かして磨くのではなく、サンドペーパーを谷向きにたわませ、下に革などを敷いて手の平に乗せ、爪を上下にあたかも弦を弾くような動き、つまり指の関節を曲げたり伸ばしたりしながら磨く方法に変えました。
この方法は以前のブログで紹介しました。
この方法で角度を上下左右につけながら磨くと、爪の磨いた面が平らにならず丸みをおびるので、磨き面の内側が弦に引っかからず、音も良くなるというわけです。
しかしこの方法だとサンドペーパーの面積を広く使ってしまうので、タミヤの値段の高い仕上げ用のペーパーなどはすぐに無くなってしまい不経済でもありました。
そこで今日みつけたのは、写真の「みがきクロス」というもの。



まず600番の安いサンドペーパーで形を整え、1200番のこれまた安いサンドペーパーで上記の弾弦方式で磨きます。
そして仕上げはこのみがきクロスで爪の内側だけでなく外側もまんべんなく磨いていきます。
このみがきクロスは研磨剤が微量に入っており、磨く素材により何種類かあります。
私は銅・真鍮用を買いましたが、他に、金、銀、プラチナ、アルミ、プラスチック、木材用などがありましたが、違いはいまひとつ分かりません。
ワックスが含浸しているので、爪を磨いたあとに手を洗う必要があります。
値段は近くの小さなホームセンターで298円。
2000番、3000番などのサンドペーパーや研磨フィルムよりも効果があると思います。

【追記】
くれぐれもこのクロスで「ギター」を磨かないよう注意して下さい!
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園田高弘のベートーヴェン・後期ピアノソナタを聴く

2013-12-22 22:24:33 | ピアノ
こんにちは。
三連休も半分を過ぎました。暖かい穏やかな天気に恵まれました。
昨日日本人ピアニストで素晴らしい方の演奏に出会いました。
その方というのは園田高弘氏(1928~2004)のことです。
ベートーヴェンのピアノソナタ30~32番を聴いたのですが、とにかく素晴らしい演奏でした。



これまで日本人のピアニストには全くというほど関心がありませんでした。その理由は日本人のピアニストに優れた人はいないという先入観です。
しかし今年の秋に仲道郁代のコンサートでベートーヴェンのピアノソナタの生演奏を聴いて少し考え方が変わりました。そしてこの園田高弘の60代後半に録音された演奏を聴いて全く見方が変わりました。園田氏の名前もベートーヴェンのピアノソナタを本格的に聴くようになるまで全く知りませんでした。
園田氏の録音にはベートーヴェンのピアノソナタ全曲が3種類あると言われています。
しかしその録音は殆ど全てが廃盤になっておりなかなか聴くことができません。これは非常にもったいないです。確認していないがもしかするとyoutubeに投稿されているかもしれませんが、やはりLPかCDでじっくり聴くべきだ。園田氏の演奏はとてもデリケートで職人的な完成度があるので、きちんとした録音媒体で聴かないと真価は分からないと思います。
園田氏の演奏を初めて聴いた時、ミケランジェリやマリヤ・グリンベルグを聴いたときのような強い衝撃はなかったが、何か強く惹きつけられるものを感じました。また聴いてみたいという感覚です。そして数回聴いてみて、この人の演奏は派手さはなく堅実であるが、静かでありながら深い感動を与えてくれるタイプの奏者であることがわかった。
例えば31番の下記の部分などは、とても瑞々しく生気に溢れています。70近い年齢とは思えない感受性だと思います。



次の32番第1楽章の部分はベートーヴェンの苦しい叫び声がリアルに伝わってくる。



また低音の使い方も独特で、タッチは強くないが下記の部分のように低音の音色が多層的に聴こえてくるのが彼の音の特色だ。

(31番)


(32番)


日本のギーゼキングと言われた時代があったようですが、このピアノソナタを聴く限りでは全く見当違いに思えます。当人もこの言い方に戸惑っていたようだ。
園田氏は作曲者が演奏者に要求することを極力誠実に表現しようとしています。とくに技巧面では淀みやごまかしのない妥協のない職人的な演奏をします。園田氏のこの晩年の録音を聴くとまずその高い技巧に驚くに違いありません。ベートーヴェンのピアノソナタはトリルが多用されているのですが、園田氏の演奏は乱れが殆どありません。32番の最後のトリルなどのミケランジェリと遜色ないと感じるほどだ。このトリルの部分は私が今まで多数聴いた演奏のなかでもトップレベルです。最後のトリルはマリヤ・グリンベルクの1961年の放送用録音(全集ではない)と共通のものを感じた。とても美しいです。
個人的には低音にもう少し強さと、32番第1楽章は強い情熱があるといいと思ったが、園田氏の演奏スタイルは感情的なものを強く前面にだすタイプではないと思います。じわじわと聴く者に感動を与えていき、気づいた時にはまた何度聴いてみたいと感じさせる不思議な魅力を持っている。
園田氏のこの後期ソナタの演奏は私が今まで聴いてきた録音のなかでも上位に入ります。
園田氏は幅広いレパートリーを持ち、亡くなるまで演奏活動を続けたと言われているが、ピアニスト人生を賭けて最も力を入れて研究したのがこのベートーヴェンのピアノソナタに間違いないと思います。彼の晩年のこの録音を聴くと何十年という長い時間をかけて到達した年輪のような積み重ねの厚みを感じます。その演奏にはどっしりと地に根をはやしたような確信のようなものが伝わってきます。

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ドビュッシー 月の光を聴く

2013-12-15 23:23:05 | ピアノ
こんにちは。
昨日東京で買った中古CDでドビュッシーの「月の光」を収録したものがありました。
月の光はベートーヴェンやフォーレのピアノ曲のようにたくさんの演奏家の聴き比べをしたわけではありませんが、今まで手持ちのCDや人から聴かせてもらった演奏の中で最も強く心を打たれたものに出会いました。
演奏者はヴァレリー・アファナシエフという旧ソ連出身のピアニストです。
録音は1991年のモスクワでのライブ録音。
テンポはかなり遅いです。しかし例えようもない暖かい感情が伝わってきます。
こんな繊細でやさしさに満ちた「月の光」を聴いたのは初めて。

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