緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

全日本合唱コンクール 高等学校部門Aグループを聴いた

2011-10-29 21:54:49 | 合唱
こんばんは。
今日は年に1回開催される全日本合唱コンクール(朝日新聞、全日本合唱
連盟主催)の高等学校の部 Aグループの演奏を聴きにいきました。
今年の開催地が東京であることに気付いたのが今週になってからで、チケッ
トを手に入れたのも前日の夜、仕事から帰ってきた夜10時ごろでした。
朝5時半に起き、開催地の東京、府中の森芸術劇場どりーむホールに着いた
のが9時過ぎでした。
幸いとても天気がよく、日中は暑いくらいでした。
チケットを手に入れるのも抽選で大変だということで、1席も空席が無い
くらい大勢の人が詰め掛けていると思いきや、ホールに入ってみると空席
がたくさんあり、拍子抜けしました。
この調子じゃBグループも空席がたくさんあるのでは、と思ってしまいま
すね。
実のところBグループの演奏を聴きたかった。







合唱コンクールをホールで生で聴くのは初めてです。席は前の方を選びました。
やはり歌っている演奏者たちの表情を見たいし、出来るだけ歌声の裏にある
気持ちも感じ取りたかったからです。
いよいよ開演し、最初の長野県の高校の演奏を聴いて、ホールでの生演奏は
テレビなどの映像を見るのと比べて全然違うと思いました。
特に残響が聴こえることと、演奏者のエネルギーがより身近に感じられるこ
とです。

今回聴いたAグループは演奏人数が8人以上32人以下で、Bグループや
Nコンに比べて少ない人数で演奏されます。
今年は13の高校が参加しました。
全国大会に出場するほどの学校だから上限の32人で出場する高校が殆ど
だと思ったら以外に20数人の学校も結構ありました。
私が聴いた印象では人数の少ない学校の方がかえって質の高い、演奏者一人
ひとりの気持ちやエネルギーが感じられましたね。

さて13の高校全ての演奏を聴き終えて、私が素晴らしい演奏、いい演奏だと
感じた高校は次の2校でした。

①兵庫県立神戸高等学校(女声25名)
 課題曲:けれども大地は......
 自由曲:無伴奏女声合唱のための「炎の挽歌」からⅢ 妻への挽歌
 私の結果予想:金賞(1位)
 審査結果:金賞(東京都教育委員会賞:2位)

②鹿児島県立松陽高等学校(女声20名)
 課題曲:私のいのちは
 自由曲:無伴奏女声合唱のための「万葉恋歌」から1、4、5
 私の結果予想:金賞
 審査結果:銀賞

①の神戸高校の演奏は素晴らしかったです。プログラムの学校紹介で、
自由曲について、妻との「美しい思い出、激しい嘆き、遺児への想い
などさまざまな感情を重ね、言葉にならない深い悲しみを表現できる
よう心を一つに歌います」と書いてあったが、そのとおりの演奏を聴か
せてくれた。
25名と少ない人数ながら、歌声から聴こえてくる気持ちや感情のエ
ネルギーは凄かったです。
この曲を聴いている途中で、ホールの舞台を見る視界が急に鮮明になり、
私も含めて聴いている人たちの様子が静かに張り詰めてしーんとして
いる現象が起きました。
おそらく歌い手の強い気持ちが聴き手の心の奥に伝わり共振している
瞬間だったのではないでしょうか。
これと同じ現象を過去のコンクールでも1度だけ感じたことがあります。
合唱ではないのですが、クラシックギターの国際コンクールで、課題曲
である吉松隆作曲の「風色ベクトル」という曲で、ある演奏者が中間に
でてくるあるフレーズを弾いていたとき、やはり奏者周辺への視界が
急に鮮明になって、聴き手の全てがしーんと聴き入っている気配を感じ
ました。不思議な体験だったのですが、今でもそのシーンは鮮明に覚えて
います。
この神戸高校、審査結果をホールの後ろの方で聞いていて、人数も少なく
地味ですが、なかなか好感のもてる高校だと感じました。
高い実力があるのに、驕ったり、前に出ようとしない。その謙虚な姿勢に
好感を持った。

②の松陽高校も人数が出場校中最も少ないのにもかかわらず、非常に
感情表現の幅の広い演奏で、全員が一つのものに向かって高い集中力
を見せていた。
自由曲は難曲であったが、聴き応えがありました。合唱曲を全員の
想いで一つのものに作り上げていく、その素晴らしさを強く感じさせ
てくれた貴重な演奏であった。
また特筆すべきは、女声の最低音がしっかりと聴こえたこと。
女声でしっかりとした最低音を出すことは並大抵のことではないですね。
最近は女声合唱でも、1~数名の男声を演奏メンバーに入れて、女声の
低音の弱さを補完する傾向が目立ってきたが、女声の低音と男声の低音は
本質的に違うものであり、女声合唱に男声の低音が聴こえることに少し
違和感を感じるのは私だけであろうか。

今回の審査結果も先日のNコンと同様、私の感じたものと異なる結果
となった部分もありますが、審査結果はあまり気にしないようにして
います。
審査終了後の講評で、今大会の審査員として招待されたスウェーデン
の合唱指揮者の方が、審査の難しさについて、バナナとオレンジのど
ちらが素晴らしいかを決めることに例えて、感想を述べておりました
が、なるほどだな、と思いました。

審査員によって全く逆の評価になることがあるのも当然のこと、それは
合唱だけでなく、ギターのコンクールでもあります。

あまり審査のことは考えずに、曲や歌を通して歌い手と聴き手の間に
深く気持ちが共振し合えるような演奏を目指してもらいたいと真に願って
います。

審査結果が終わった後、Bグループの演奏を聴きたい衝動にかられなが
らも、会場を後にした。
まだ日が暮れるまで時間があり、東京に出てきたこともあり、上野の
東京文化会館音楽資料室に寄って、過去のNコンのCDを聴いてきました。
平成11、12年度は聴くのが3度目ですが、今回平成9年度を初めて
聴きました。
上位の賞をとっていなくても素晴らしい演奏はあるものです。
こういう隠れた名演を埋もれたままにしておかず、もっと多くの人に聴い
てもらいたいという気持ちになっている。
今度、この隠れた名演を紹介したいと考えています。
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全日本合唱コンクール全国大会を聴きに行くことになった

2011-10-27 23:36:28 | 合唱
こんばんは。
朝起きると寒く感じるようになりました。
だんだん私の好きな季節になってきました。今の季節は朝早くと夕暮れ
どきが一番いいですね。

さて明後日の29日に朝日新聞主催の全日本合唱コンクール全国大会
が開催されます。
このコンクールはテレビで放映されないので、演奏をじかに見るためには
直接ホールに行かなければなりません。
このコンクールを聴きにいこうかな、と思ったのは1週間ほど前なのです
が、当日券がないんですね。いろいろ調べていくとチケットは抽選で
すぐに売り切れるようだ。
のんきに考えていたのが失敗でした。しかし昨日、偶然にもこの大会の
チケットが手に入るかもしれないことがわかり、個人の方からですが、
非常に良心的な価格で譲っていただけることになりました。
チケットは郵送なので、明日届く予定なのですが、ちゃんと届くか一抹
の不安を感じています。
チケットは高等学校Aグループの方です。演奏人数の少ない方ですね。

生の合唱演奏を聴くのは中学校の合唱大会以来かな? とても楽しみです。
やっぱりホールで生の演奏を聴きたいです。
どんな演奏をしてくれるのかわくわくしています。

Bグループの方は演奏人数が多い高校が出場するのですが、先日、10月
初めに行われた、NHK主催の合唱コンクール(略してNコンといいます)
で、素晴らしい演奏を聴かせてくれた東京都の高校が出ることがわかり
ました。
この高校の演奏を生で聴きたかったですね。聴けないのは残念ですが、
がんばって欲しいです。陰ながら応援しています。


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右手のタッチについて

2011-10-23 18:12:55 | ギター
こんばんは。
前々回のブログでスペインギター音楽コンクールに出場した方の中に、
音が軽くて細く、カチカチと汚い音の演奏が多かった話をしましたが、
近年このような演奏での音が増えているように思われます。
5、6年前にある大手楽器店の主催するアマチュア・ギターコンクール
を聴いた時にも同様の感じを受けました。

何故このような軽くて細くて、カチカチ言うような音がするのか、また
何故このような音を出す演奏者が増えたのか、今日はそのことについて
考えてみた。
先のコンクールで、軽くて細くて雑音交じりの音を出す演奏者の右手の
フォームとタッチをまず観察してみました。
このような音を出す人の右手の角度は下の写真のように弦に対し45度
の角度になっていることです。
つまりギターを支える右腕からそのまま同じ角度で伸びてきた右手で弾
弦しているということです。



そしてアポヤンド奏法(弦を弾いた直後に隣の弦に指がもたれかかる弾弦
法)は使わず、全てアルアイレ奏法(弦を弾いた直後に指が隣の弦に触れ
ずに空をきる弾弦法)で弾いていることです。

では何故この角度で弾くと、音が軽くなり汚い音になるのか考えてみた。
以下は考え付く理由を羅列したものです。

①弦に対し45度の角度だと、必然的に、上から見て爪の右側で弦を弾く
 ことになるが、指の先端において左側よりも右側の方が力が入らない
 ために弾弦が弱くなる。
 これは試しに例えば薬指の先端を机の上に左側(親指側)を押し付けて
 みた場合と、右側(小指側)を押し付けてみた場合とで、力の入り具合
 を比べてみたらわかると思いますが、右側よりも左側の方が力が入り
 やすいことに気付くと思います。

②45度の角度で指の右側(正確に言うと爪の右側寄り)で弾弦すると、
 弦と爪の接する部分の長さが 左側(爪の左側寄り)で弾く場合に比
 べて短くなる。
 これは右手を横に寝せているために、弦と右手の爪の接点が、爪の右側
 角のへりの部分しかなくなることを意味している。
 この結果、弦が爪の角にしかあたらないため、力の無いカチカチしたよう
 な音となる。

③右手を45度角の度で保っているということは、その角度を維持するため
 に右腕に力が入っているということで、右腕が疲労し右手や右指に負担が
 かかり痛めることになる。
 ギターを支えている右腕と、右手の力を抜くと手が幽霊の手のように下
 方向にだらんと垂れたようになる。その力の抜けた手と弦との角度はほぼ
 直角となる。これをあえて45度の角度で維持しようとすることは右手、
 右腕に余計な力が入ることにつながる。

④右手を45度に傾けるとアポヤンド奏法が出来なくなる。右指の側面で
 アポヤンド奏法が出来ないことはないが、非常にやりにくい。
 よって必然的にアルアイレ奏法しか出来なくなる。

⑤右手を45度にして弾弦すると、弦の振動がギターの響板(表面板)に対し
 水平方向となるため、表面板を十分に振動させることが出来ない結果、
 常に軽くて貧弱な音しか出せなくなる。
 試しに表面板に対し、水平方向に弾弦して出た音と、垂直方向に弾弦した
 音を比較してみて欲しい。後者の方が圧倒的に力強く芯のある音がするこ
 とに気付くに違いない。

⑥右手を45度にして人差し指(i)と中指(m)の交互弾弦や、iとmと
 薬指(a)と親指(p)を使ったアルペジオ(分散和音)を弾くと、指の
 動きが大きくなったたり、各指の動きが不揃いになる。
 これは2つ理由がある。一つは①と関連するのだが、音に力が無くなるた
 め、より大きな音にしようとして指の振りが大きくなることである。もう
 一つは、i指がmやa指よりも短いため、45度の角度で交互弾弦等をする
 とiの指が伸びた状態で弾弦するのに対し、mとaはかなり指を曲げた状態
 で弾弦することになるからだ。これはかなり不自然な動きである。
 この動きを長い期間やっていると腱鞘炎など指を痛めることにならないだろ
 うか。
 コンクールで演奏者の指の動きを見ていて、クモの足のように大きく
 ばたばたするような動きがしているものもあった。

以上が、近年増加して今や主流となった感がある、45度の角度による右手の
フォームを見て、私が疑問と危惧を抱いた点である。

一体いつ頃からこのような右手のフォームが主流となったのであろうか。
まず思いつくのは1970年代後半から80年代初めに登場したキューバの
ギタリスト、マルエル・バルエコのアルアイレ中心の奏法と右手のタッチ
です。
バルエコはそれまでのアンドレス・セゴビア(1987年に没したクラシック
ギター界最大の巨匠であり功績者)のアポヤンド中心の奏法をを踏襲せず、
独自の理念により音の均一化を図る為、殆ど全ての音をアルアイレで弾弦でする
方法を確立しました。
このバルエコの新しい奏法が出現した時、クラシックギター界は大きな衝撃
を受けました。そして多くの演奏家が、アルアイレ中心の奏法に切り替える
ようになりました。まるでセゴビアの演奏スタイルは古い、時代遅れだと言わ
んばかりの風潮でしたね。

下の写真はバルエコの右手のフォームを正面から写したものと、真上から写し
たものです。







写真が暗くてわかりにくいのですが、バルエコの右手の角度は弦に対し垂直
ではなく、やや角度が付いていますが45度までは傾いていないことが
わかると思います。
また真上から見た写真では、右指と弦の接点は指の左側です。つまりバル
エコは右指の左側寄りで弾弦しているということです。

次に下の写真はアンドレス・セゴビアの演奏フォームと右手の角度です。





一目でわかるようにセゴビアの右手の角度は垂直です。セゴビアは常にこの角度
で弾いています。
この角度ですと右指と弦の接点は間違いなく指の左側(爪の左側寄り)です。

今まで右手の角度を45%でしか弾いてこなかった方は試しに弦との角度を
直角にして、しかもアポヤンド奏法で弾弦してみて下さい。
今までよりも強く、大きく、芯のある音が得られることに気付くに違いあり
ません。
そして右手が直角になるということは先の幽霊の手のように、自然に重力
にしたがって力の抜けている状態になるので、指の無駄な動きがなくなり、
指や手に余計な力が入らず、指や手を痛めにくくなります。
セゴビアが90歳を過ぎても現役でいられたのは、この右手のフォームを維持
したことにより、指や手の機能が劣化しなかったからではないでしょうか。
因みに下の写真は私の演奏フォームにおける右手の角度ですが、完全に弦に
対し垂直でないものの、垂直に近い角度を付けています。
私はアポヤンドも頻繁に使用しますし、アルアイレでもアポヤンドに近い音が
出せるよう研鑽を積んできたし、現在も心がけています。



では何故、45度の角度が主流となったかについての問いに対する答えの2つ目
ですが、バルエコの少し後でデビューしたギタリストであるデイビット・ラッセ
ルの影響ではないかと思っています。
ラッセルはアポヤンドはいっさい使わずアルアイレのみで演奏するそうです。
そのことについてジョン・ウィリアムス(セゴビア亡き後のクラシックギター
の巨匠の一人)と激論をしたとの逸話を聞いたことがあるが、バルエコよりも
徹底したアルアイレ奏者だと思います。
下の写真はラッセルの右手を正面から撮ったものですが、45度の角度になって
います。



ラッセルが日本で知られるようになり、マスタークラスなどが行われるように
なってから後の時代に、ギターを習い始めた世代、10代や20代の方にこの
右手のフォームで弾く方が多いように感じます。
つまり今の日本のギター界で主流となっている右手のフォームと奏法はこのラッ
セルのものに準じていると感じざるを得ません。

しかし私は、この奏法をギターを始めた当初から身に付けるように指導を受ける
と一生、芯のある強く美しく、心に響いてくる音を出せるようになることは
難しいのではないかと危惧しています。
それは冒頭で書いた①~⑥の問題があるからです。生徒は何の疑問もなく先生の
言われるままに奏法を身につけます。そしてその奏法で出した自分の音が正しい
音だと信じるようになります。
しかしセゴビアの奏法で初歩を学んだ立場からすると、その音は貧弱だと言わざる
を得ません。
ラッセルはラッセルなりの試行錯誤を経て、このフォームにしたわけであり、
それが一番テクニック面で自分の手に合っているのと、自分の求める音楽に
合致することを見出したからであると思います。

私がギターを始めた頃(昭和51年)はセゴビア奏法が殆ど全てといっていい
くらい主流でした。
私が初歩の頃に使った教本に阿部保夫さんが編集したカルカッシギター教則
本がありますが、その本に出てくる右手のフォームは下の写真のように弦に
対し直角で、まさにセゴビアのフォームそのものです。そしてアポヤンド奏法
の重要性をこれでもかと強調しています。



阿部保夫さんはこの教本の中で次のように述べています。
「アポヤンドだから強く、アルアイレだから弱くということはない。どちら
も同じように強くも弱くもひけねばならない。アポヤンドしたいが和音の
関係その他でできない場合も多い。そのときでもやはりアルアイレでアポ
ヤンド奏法と同じような音を出さねばならない。これはむずかしいことだが
できなければいけない。しかしこれもアポヤンド奏法、特に音階等の訓練
を充分やることによりはじめてできるものである。」

この文言の最後の部分が重要です。アルアイレで芯のある強く美しい音
が出せるようになるためには、その前提としてアポヤンド奏法による基礎
訓練の積み重ねが必要だということです。
つまりアポヤンド奏法による訓練なくしてラッセルやバルエコのような音
を出せるようにはならないということです。
アポヤンド奏法とて、ようやく芯のある音が出るようになるまで私の場合、3
年以上かかりました。

現在45度の角度で弾いていて、自分の発する音が貧弱だと認識している
方がいましたら、ぜひセゴビア奏法、とくにアポヤンド奏法によるタッチ
を研究してみてください。
その奏法を最終的に採用するかどうかは別として、今の自分の音をもっと
改善するための有益な経験を与えてくれることは間違いありません。



コメント (13)

鮎川信夫の詩集を買った

2011-10-23 00:13:29 | 読書
こんばんは。
今日はあいにくの雨降りでしたが、以外に暖かく、外では久しぶりに秋の
虫がたくさん鳴いていました。
いつも音楽の話なのですが、今回は本の話をしようと思います。
会社の行事や提案活動の褒賞としてもらった図書カードがたまっていたの
で、何か本を買おうという気持ちになりました。
本といっても文庫本のような安い本をたくさん買うのではなく、一生読める
ような格調高い文学書を買うことに決めました。

私は子供の時から文系で理系のものには殆ど興味が湧きませんでした。
中学時代は理科の授業が本当に苦痛でした。理科の先生も理科のできない
生徒は気に入らないらしく、私は出来ない生徒としてよくさらし者にされ
ましたね。

横道にそれましたが、子供の時から本を読むのは好きでした。小学校時代
は学校が終わると日が暮れるまで外で遊ぶ毎日だったのですが、冬になり
雪がふる直前の季節、11月頃かな、に友だちと時々町の図書館に行って
本を読んだり借りたりしました。晩秋の夕暮れの明るいオレンジ色の夕日
が差し込む静かであまり人のいない図書館の風景を今でもはっきりと覚えて
います。

その図書館で借りたのは、ポプラ社から出ていた江戸川乱歩シリーズですね。
夢中になって読みました。

中学時代はあまり文学は読みませんでしたが、高校入試の国語の試験に、
有島武郎の確か「生まれ出づる悩み」か「小さき者へ」のどちらかの抜粋
が出題されていたのをきっかけに、高校に入ってからはずいぶんと文学
を読むようになりましたが、あまり理解できないのに無理して読んでいた
という感じですね。

大学時代は殆ど文学書は読まなくなりましたが、社会人になりたてのころ、
ふと書店で赤と緑で区別された上下本が目に付き、最初の部分を立ち読み
したらなかなかよさそうだったので、買いました。それが村上春樹氏の「
ノルウェイの森」だったんですね。それから村上春樹の本を読みまくりまし
たが、それも20代半ばで終わりました。彼の小説はそれ以降いっさい読んで
いません。

その後はミヒャエル・エンデの本を読んだり、4、5年前には庄野英二氏の
全集を古本で手に入れました。
庄野英二さんの「星の牧場」という本は不朽の名作です。ご存知の方もいる
と思いますが、素晴らしい本です。いつか詳しく紹介したいと思います。

かなり本題から外れてしまいましたが、結局図書カードで買ったのは鮎川
信夫氏の詩集です。





買う前から誰のどの本を買おうと決めていたわけではありません。
とりあえず大きな書店にいって、良さそうなのがあればそれを買おうと
いう気持ちでした。
最初東京の八重洲ブックセンターに行きましたが、この書店はあまり文学
書を置いていないんですね。それで御茶ノ水まで出て東京堂書店に行きました。
そして見つけたのが鮎川信夫氏の本です。
初めて目にする名前でした。
後でインターネットでどんな人なのか調べてみましたが、戦後の現代詩の分野
では一貫して重要な存在だったようです。
本屋で一部を立ち読みしてなかなかいいんじゃないかという感触があった
のと、装丁が布張りで、しかも色が私の好きな緑色だったので、これを買う
ことに決めました。この布張りの緑色は若草色というのかわからないが、
色々な緑色がある中で一番いい色ですね。なんか優しい自然な感じ。

殆ど外見だけで決めて買いましたが、家に帰って早速読んでみたら、一見
平易な内容に見えるにもかかわらず、言わんといていることが非常に難解で
あることに気が付きました。
難しい表現ではないのに、読みとるのに大変苦労する詩ですね。
たぶん深く理解できるようになるまでに一生かかると思います。
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2011年スペインギター音楽コンクールを聴いた

2011-10-16 10:59:02 | ギター
こんにちは。
昨日は休日なのに出勤でしたが、今日は休みです。
いつもなら夜遅くに日記を書くのですが、今日は昼から書くことになりました。
さて、先日10月9日に年一度開催されるスペインギター音楽コンクールを
聴きに行きました。
秋はコンクールが多いですね。8日にはNHK合唱コンクールが開催され、今月
末には朝日新聞主催の合唱コンクールも開催されます。
そして来月には東京国際ギターコンクールが開催されます。1年のうちで最も
充実した時期ですね。
このスペインギター音楽コンクールは国内のコンクールとしては最高峰と言われて
おり、出場者のレベルもなかなかのものです。
このコンクールで入賞してプロとなり、活躍している方もたくさんいます。
プロを目指す方にとっては、それだけ重要性の高いコンクールでもあるのです。



前日に夜中の3時に寝たので、眠くてしょうがなかったのですが、第2次予選
の途中からホールに入りました。
第2次予選の課題曲は、F.タレガ作曲のアラールの華麗なる練習曲です。



楽譜の一部しか載せられないですが、アルペジオ(分散和音)が終始連続する
難曲です。左手がちぎれそうに痛くなる曲です。
この練習曲は、19世紀のフランスの作曲家であるアラールというヴァイオリ
ニスト兼作曲家の練習曲を、タレガ(名曲アルハンブラの想い出の作曲者)
がギターに編曲したものだと言われています。
この曲の録音でお勧めは何といってもアンドレス・セゴビアです。
なおセゴビアの演奏では冒頭のハーモニックスは省略されていますが、原曲の
楽譜を見ると確かにハーモニクスの部分の音はなく、すぐにアルペジオから
始まっています。

難曲だけあって上手く弾けている人は殆どいませんでした。
第2次予選を聴いてちょっと気になったのは、演奏前のチューニング(音合わせ
)で、クリップ式の電子チューナーを使っている人が少なからずいたことです。
これはあまり感心しなかった。なぜならば音を耳で聴いて合わせることは、
音の正確さを見分ける能力を鍛えるのに最適な方法であるからです。
確かに目でメーターを見ながら音を合わせるのは便利だし、より正確に調弦
できるかしれないが、音を聞き分ける能力は退化していくのではないか。
これについては別の機会に意見を書きたいと思う。
また次に感じたのは、演奏者の音が軽く、細いうえにカチカチするような音
が目立ったということです。これは奏者の右手の角度とタッチの方法に起因
するのですが、これについても別に機会に述べたいと思う。
いずれにしても私には例年よりもレベルが低かったように感じられた。

次に、本選ですが6名の奏者が選出され、課題曲1曲と10分以内の自由曲
(曲数自由)で審査されます。
課題曲はF.ソル作曲の「マルボローの主題による変奏曲」です。



この曲は技巧的にはそれほど難曲というほどの曲ではないうえに、旋律も明解
で親しみやすい曲なので、音楽表現をどこまで深くできるかが審査のポイント
になったのではないかと思われます。
因みにこの曲は元々フランスの民謡(歌唱曲?)で、「マルボロー将軍が戦場に
行った」という曲をテーマにしてソルが変奏曲付きで作曲したといわれています。
ソルはスペイン人ですが、ある事情をきっかけにフランスに行くことを余儀なく
され、その後は一生スペインに戻ることなくパリに没したと言われています。
恐らくこの曲はソルがフランスに移ってからフランス庶民の歌を聴いて感動し
これを変奏曲にしたのではないかと思います。

次に自由曲ですが、演奏された主な曲は以下のとおりです。

①ファンダンゴ(ロドリーゴ作曲)



②ソナチネ(トローバ作曲)



③コンポステラ組曲(モンポウ作曲)



④内なる想い(アセンシオ作曲)※写真は最終楽章



⑤スケルツオ・ワルツ(リョベート)



⑥祈りと踊り(ロドリーゴ)



楽譜が一部しか掲載できないのですが、⑤を除いてはどの曲も演奏会や録音
で頻繁に取り上げられるスペインの名曲です。

今回の課題曲と自由曲の演奏を聴いて、本選も技巧的には不十分な演奏が
目立ち、レベルが例年よりも落ちているなという感じがしました。
しかし自由曲で④内なる想いと⑤スケルツオ・ワルツを弾いた方の演奏は
素晴らしかった。
特にスケルツオ・ワルツを弾いた方の、課題曲マルボローの演奏は、歌心が
感じられた。聴いていて楽しめた。
内なる想いを弾いた方は繊細な表現の出来る類まれな演奏のできる印象を
もったが、自由曲ではもっと強い表現が欲しかった。テクニックももう少し
という感じがした。
スケルツオ・ワルツを弾いた方の演奏は初めてであったが、将来、国際コン
クールでも十分通用するテクニックや音楽性を感じた。

当日は夜に仕事を控えていたため、審査結果を待たずにホールを出て、後で
コンクール主催者のホームページで審査結果を見たが、3~6位は想定
どおりだったものの、1位と2位は私の想定とは違う結果でした。

1位の方はコンクールの常連ともいうべき方で、最近よく目にする方ですが、
2位は初めて見る方です
私の受けた感じでは、2位の方の演奏の方が、音楽表現も技巧も大きく抜きん
出ていたと感じたのですが、予想に反しました。
コンクールの審査結果を見ていつも思うのは、初出場の方より常連者の方が
有利ではないかということです。審査員も常連者の演奏を聴く機会が多くな
れば、その人の実力や音楽性などが事前にわかるし、プロを目指しているの
であれば優勝させてあげたいという気持ちが働くのであろうか。
若くて初出場であればこれからたくさん機会があるのだからだということ
なのであろうか。今までコンクールの審査結果を見てふとそのような気持ち
になったことがある。
昔2002年のスペインギター音楽コンクールを聴きに行ったときに、本選
自由曲で先の「内なる想い」を素晴らしい演奏で聴かせてくれた女性の方が
いたのですが、私は完全に1位だと思っていたのですが結果は3位でした。
そのときの彼女はみててかわいそうでしたね。しかしその年の東京国際ギター
コンクールで日本人の中では最上位の成績をあげたし、翌年の東京国際で
は本選に出場し、これもまた日本人のなかで最高の成績を残した。
こんなことを言ってもしょうがないと思いつつ、コンクールの審査結果という
のはあまりあてにならないと思うようになっている。
1週間前に行われたNHK合唱コンクールでも同じようなことを感じたが、
人が評価するものなのでしょうがない。
あまり言うとくどくなるので、今後審査については言うことは、もうやめるこ
とにした。

しかしコンクール当日で、いつもコンクールや展示会で出会う知人と久しぶり
に再会し、情報交換を楽しめ充実した1日を感じることができた。
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