勤め先の勤務が明日で節目を迎え、明後日から勤務形態が変わることになった。収入も減る。
37年間の勤務であったが、あと5年間は働かせてもらうことにした。
とくにこれといって感慨というものはない。
ただ心の弱かった私にとってはよく続けてこれたな、と感じるのみだ。
勤め先は製造業であるが、もし私が金融業界(銀行、証券、保険など)に就職していたら、かなりの確度で駄目になって居たと思う。途中で辞めていただろう。
卒業した大学の卒業生は当時、多くが金融業界へ就職していた。
38年前に就職活動をしていたときに銀行も受けたが見事に落ちた。「あなたのような人は要らない」という感触であった。
ある意味で、これは幸運だった。
当時私はゼミで原価計算や管理会計を専攻し、この分野に関心を持っていたので、製造企業も何社か受けた。
そのうちの1社に受かり、就職出来たわけだが、製造業は自分にとって正解だったと思う。
ただ、37年間のサラリーマン人生で常に充実していたなんてことはない。
20代半ばでメンタルをやられ、数年間満足に働けない状態になった。今なら休職制度を利用できたであろうが、当時はそんなものはなかったのと、その時期は親も兄弟も誰も信じることが出来なくなってしまっていたので、生きるという選択をしたならば、会社に行くしかなかったのである。
しかし会社に行っても、耳が聞こえず、周囲の視界も狭まっていたので、自分に周り半径50cmに要塞を築いたような異様な雰囲気で、勤務時間内にずっと手帳に苦しみを書き続けていた。誰も寄ってくるなというオーラ(?)を放っていたと思う。
その時の手帳は今でも残してある。膨大な量の文字が綴られていた。勤め先の会社組織がいかに問題をかかえているか、というようなこともかかれていた。
書くことでしか自分を維持することが出来なかった。
転機は28歳のとき、工場に転勤となったことだった。
生産管理部門に配属されたが、人が敬遠するような仕事をさせられた。
若かった私は30代の初め頃に、今のままではだめになる、転職するしかないと思い、転職の準備をした。
転職の準備が進んでいたとき、たまたま職場の同僚が突然退職した。
そしてその方がしていた仕事を私がやることになり、忙しくなった。
意外にもその仕事は地味ではあるがそれまでの仕事に比べればやり甲斐のあるものだった。ここであっさりと転職は断念されることになった。
ただ、他の同僚がやっているような花形の仕事はこの時点は手が届かなかった。
それから10年近く、延々と下積みのような仕事を黙々とやった。他人からすると、あー、これ絶対やりたくないなー、という種の仕事である。
でもこの10年近くの間、不思議なことに殆ど休まなかった。5年間一度も休まなかったこともある。
今から思えば、この時期が積み重ねがあったから、今の自分があると思える。
第二の転機は、この時の私の仕事ぶりを傍から見ていた複数の他部門の管理職の方が、私を抜擢してくれたのである。
会社が経営危機で希望退職などリストラが行われ、大きな組織変更があった時にであった。39歳になった頃である。
この時から猛烈に働いた。平日は朝誰よりも早く出社し、夜は殆どが誰よりも遅くまで、また毎週のように休日出勤をする生活を本社に異動になる54歳まで続けた。
基幹系システム導入の際は4か月間、全く休みがなかった。しかも毎日深夜まで勤務。
しかしこの時代に、1つの特定分野の業務について、かなり自由に自分の裁量で仕事をさせてもらえたのは幸運だった。
振り返れば地味な仕事だったと思う。
人にこういう仕事だと、口でなかなか説明出来ない仕事でもある。話しても誰も興味を示さないであろう。自分でも特段面白いとは思わない。
でも自分にとってはこれが適性だったのだと思う。これが自分に見合う仕事だった、ということだ。
この37年間で自分で学んだことは何だろう。今日の夜、千葉マンドリンクラブの合奏練習の帰りの電車の中で考えてみた。
「プラス・マイナス・ゼロ」
こんなキーワードが浮かんできた。
どんな出来事もプラスとマイナスの側面を同じだけ持っているということだ。
仕事でミスをした時、正直に報告し謝罪し誠意をもってリカバリーすることで、どんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
仕事でミスをした時、悪い評価、評判が付くのを恐れて、上手く隠ぺいし乗り切ることで、どんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
役員に昇りつめ、高収入を得られることでどんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
末端の現場の仕事で会社人生を終えたことでどんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
私は工場勤務時代に、銀縁メガネをかけた真面目そうな中年の女性の外注業者の方が工場のトイレを清掃する姿を見ていたく感動したことがあった。
これ以上ないというくらい、便器をくまなくたわしで何度もまんべんなくこすり、作業するその姿が真剣そのもので妥協を許さない厳しさを感じたからである。
今でもその姿は鮮明に覚えている。
どんな出来事、物事に価値の差は無い。あらゆる出来事、物事に、プラスの価値とマイナスの価値が等しく同時にあるだけのことなのではないかと今では感じるのである。
【追記】
ささやかだけど、自分にお祝いした。
私の好きな日本酒、「弁天娘」。これを燗にして飲んでみた。
37年間の勤務であったが、あと5年間は働かせてもらうことにした。
とくにこれといって感慨というものはない。
ただ心の弱かった私にとってはよく続けてこれたな、と感じるのみだ。
勤め先は製造業であるが、もし私が金融業界(銀行、証券、保険など)に就職していたら、かなりの確度で駄目になって居たと思う。途中で辞めていただろう。
卒業した大学の卒業生は当時、多くが金融業界へ就職していた。
38年前に就職活動をしていたときに銀行も受けたが見事に落ちた。「あなたのような人は要らない」という感触であった。
ある意味で、これは幸運だった。
当時私はゼミで原価計算や管理会計を専攻し、この分野に関心を持っていたので、製造企業も何社か受けた。
そのうちの1社に受かり、就職出来たわけだが、製造業は自分にとって正解だったと思う。
ただ、37年間のサラリーマン人生で常に充実していたなんてことはない。
20代半ばでメンタルをやられ、数年間満足に働けない状態になった。今なら休職制度を利用できたであろうが、当時はそんなものはなかったのと、その時期は親も兄弟も誰も信じることが出来なくなってしまっていたので、生きるという選択をしたならば、会社に行くしかなかったのである。
しかし会社に行っても、耳が聞こえず、周囲の視界も狭まっていたので、自分に周り半径50cmに要塞を築いたような異様な雰囲気で、勤務時間内にずっと手帳に苦しみを書き続けていた。誰も寄ってくるなというオーラ(?)を放っていたと思う。
その時の手帳は今でも残してある。膨大な量の文字が綴られていた。勤め先の会社組織がいかに問題をかかえているか、というようなこともかかれていた。
書くことでしか自分を維持することが出来なかった。
転機は28歳のとき、工場に転勤となったことだった。
生産管理部門に配属されたが、人が敬遠するような仕事をさせられた。
若かった私は30代の初め頃に、今のままではだめになる、転職するしかないと思い、転職の準備をした。
転職の準備が進んでいたとき、たまたま職場の同僚が突然退職した。
そしてその方がしていた仕事を私がやることになり、忙しくなった。
意外にもその仕事は地味ではあるがそれまでの仕事に比べればやり甲斐のあるものだった。ここであっさりと転職は断念されることになった。
ただ、他の同僚がやっているような花形の仕事はこの時点は手が届かなかった。
それから10年近く、延々と下積みのような仕事を黙々とやった。他人からすると、あー、これ絶対やりたくないなー、という種の仕事である。
でもこの10年近くの間、不思議なことに殆ど休まなかった。5年間一度も休まなかったこともある。
今から思えば、この時期が積み重ねがあったから、今の自分があると思える。
第二の転機は、この時の私の仕事ぶりを傍から見ていた複数の他部門の管理職の方が、私を抜擢してくれたのである。
会社が経営危機で希望退職などリストラが行われ、大きな組織変更があった時にであった。39歳になった頃である。
この時から猛烈に働いた。平日は朝誰よりも早く出社し、夜は殆どが誰よりも遅くまで、また毎週のように休日出勤をする生活を本社に異動になる54歳まで続けた。
基幹系システム導入の際は4か月間、全く休みがなかった。しかも毎日深夜まで勤務。
しかしこの時代に、1つの特定分野の業務について、かなり自由に自分の裁量で仕事をさせてもらえたのは幸運だった。
振り返れば地味な仕事だったと思う。
人にこういう仕事だと、口でなかなか説明出来ない仕事でもある。話しても誰も興味を示さないであろう。自分でも特段面白いとは思わない。
でも自分にとってはこれが適性だったのだと思う。これが自分に見合う仕事だった、ということだ。
この37年間で自分で学んだことは何だろう。今日の夜、千葉マンドリンクラブの合奏練習の帰りの電車の中で考えてみた。
「プラス・マイナス・ゼロ」
こんなキーワードが浮かんできた。
どんな出来事もプラスとマイナスの側面を同じだけ持っているということだ。
仕事でミスをした時、正直に報告し謝罪し誠意をもってリカバリーすることで、どんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
仕事でミスをした時、悪い評価、評判が付くのを恐れて、上手く隠ぺいし乗り切ることで、どんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
役員に昇りつめ、高収入を得られることでどんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
末端の現場の仕事で会社人生を終えたことでどんなプラスの側面とマイナスの側面が考えられるであろうか。
私は工場勤務時代に、銀縁メガネをかけた真面目そうな中年の女性の外注業者の方が工場のトイレを清掃する姿を見ていたく感動したことがあった。
これ以上ないというくらい、便器をくまなくたわしで何度もまんべんなくこすり、作業するその姿が真剣そのもので妥協を許さない厳しさを感じたからである。
今でもその姿は鮮明に覚えている。
どんな出来事、物事に価値の差は無い。あらゆる出来事、物事に、プラスの価値とマイナスの価値が等しく同時にあるだけのことなのではないかと今では感じるのである。
【追記】
ささやかだけど、自分にお祝いした。
私の好きな日本酒、「弁天娘」。これを燗にして飲んでみた。