緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

久しぶりの日本酒(14)

2020-01-31 20:30:39 | グルメ

今日は意外にも風が冷たく寒かった。

でも1年前の頃のように体が芯まで冷えるという感覚は無い。

1年前の冬は、勤め先の異動により通勤手段と通勤時間と起床時間が大きく変わり、また職場環境も工場からオフィスビルになったということもあるのか、何となく体の調子が悪いような感じがしていた。

多分、免疫力が低下していたのだと思う。

免疫力が落ちているかどうかのバロメーターは、自分の場合寒さを感じる度合いだ。

1年前の冬は、長袖の下着(上下とも)に使い捨てカイロを貼って、厚着をしてもなお体の芯が冷えるように感じ、いわゆる悪寒に近い感覚だった。

しかし今年は半袖の下着(上のみ)、カイロなしでも全然平気だ。

体の芯が冷えているとう感覚は無くなった。

食事に気を使うようになったからだと思う。コンビニ食はもう止めた。

しかし睡眠時間は相変わらず4時間半くらい。

途中で体のかゆみで目が覚める。

困ったことに、勤務時間中に睡魔に襲われる。 先日、勤め先の上役から、この居眠りに対し叱責と中傷を受けた。

最後に「みんなその居眠りを見てるんだからな」というおまけつきだった(そんな、みんながいっせいに2、3秒ほどの居眠りの瞬間を見れるわかがないではないか)。

しかし、この睡魔というやつはいくら意思を強く持っても回避できない。

10年くらい前だったか、関越自動車道で長距離バスの運転手の居眠りで乗客の何人かが亡くなった事故があった。

この時の運転手も今の私と同じ状態だったと思う。

ひどい時は、電車のボックス席の向かい側の人の膝に、気が付いたら頭が乗っかっていたこともある(よく怒られなかったな)。

じゃ、早く寝ればいいではないかということになるが、そうはいかない。

やりたいことがいっぱいなのだ。

ギター、音楽鑑賞、読書、ブログ書き、等々。

去年の秋からスポーツも始めた。

勉強もしたい。 「レレバンス・ロスト」、「ギルマン会計学」、「完全簿記教程(沼田嘉穂著)」、「標準原価会計論(ギレスピー著)」、「サムエルソン経済学」、「総解英文法(高梨健吉著)」と言った書物が読まれるのを待っている。

もっと時間が欲しい! 話しは変わるが、今日は寒いこともあって、日本酒を買って飲んでいる。 今回飲んだのは、「早瀬浦」という特別純米酒だ。

 

精米歩合55%だから、吟醸酒と言ってもいいだろう。 福井県の酒だ。

最近やたらラベルを現代風のデザインにした日本酒が氾濫しているが、こういうラベルは日本酒に全然似合っていない。

やはり日本酒は昔ながらの伝統的なデザインがいい。

こういう伝統的なラベルを頑なに変えない酒蔵は、何百年も続く、その製法や味、ラベルといったものを何よりも大切に保持していこうという強いスタンスが感じられる。

流行に左右されて、安易に外見や中身も変えてしまうようではだめだ。

日本酒は徹底して伝統を守る姿勢が大切だ。

日本酒を選ぶとき、私はまず純米であることはもちろんであるが、ラベルが伝統的なデザインかどうか、酒造メーカーが株式会社ではなく、有限会社とか合資会社かということも参考にしている。

必ずしも当てはまるとは言えないが、株式会社の場合、大量に生産しているから、味に深みが無いものがある(大量生産するようになった、あの山口県の獺祭のように)。

この「早瀬浦」は昔ながらの日本酒の味の部類だ。

精米歩合が55%なので、若干甘みがある。もうちょっと甘みを抑えていれば、本当においしいと感じたであろうが、それでもいい味だ。 値段はちょっと高かったが。

 

明日の朝は米粉パンにバターだ。

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今年の抱負2020(5)

2020-01-26 21:13:42 | 音楽一般
4.ピアノ

昨年の趣味の活動で最大の失敗、後悔は太田キシュ道子さんのピアノコンサートに行かなかったことだった。
所属している社会人マンドリンクラブの定期演奏会直前の練習とかぶってしまったのだ。
マンドリンクラブの練習の出席率が100%近かったので、今から思えば休んでも良かったのである。
1時間でも練習に出て、それからコンサートに行っても良かった。
これだからくそまじめは困るのである(でも正直マンドリンクラブの練習に出たかったのも事実。両立は無理だけどとても断念)。
しかしそれより1週間前に開催された、トークコンサートは聴くことが出来た。
普通のコンサートと異なり、太田さんの留学時代の逸話(ザルツブルクの小さなホテルに滞在した時の思い出)や、シューマン・ハウスでコンサートを開いた時の苦労話などを交えた印象に残るコンサートだった。
1週間後のコンサートのプログラムのメイン曲は、シューベルトのピアノソナタ第21番だった。
この曲は私の最も好きなピアノ曲の1つであり、是が非でも聴きたいと思っていただけに、なおさらに残念だった。
第1楽章中盤に出てくるあのフレーズ、太田さんはどう表現したのだろう。
太田さんの解釈を聴きたかったな。
思えば、数多くあるピアノソナタの中でも、このシューベルトのピアノソナタ第21番と、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番と第32番の3曲は凄い曲だ。
私はこれらの曲を聴くと、体中の水分が出っぱなしになってしまう(どういうこと?。だから乾燥肌になった?)。
ああ、本当に聴きたかったなあ。
今年も太田さんは帰国コンサートをやるのであろうか。
思い出すのは3年前、太田さんのコンサートを初めて聴いて、その間近で聴こえてくるピアノ生の音に初めて感動し、それ以来、毎年楽しみにして聴きにいった。
昨年のトークコンサートでコンサート後に太田さんから思いもよらず話しかけられて、驚いたと同時に嬉しくもあった。
メールアドレスも教えてくれ、メールしてもいいと言って下さったり(まだ一度もメールしていないが)、私のギターも聴いてみたいとも言ってくれた。
私にとってはこういうことは初めてだったので本当に幸福感を感じたね。
今年も恐らく帰国コンサートを開催するとは思うが、必ず聴きに行きたい。

昨日の夕刊に瀬川宏さんというピアノ調律師のことが載っていた。



天才調律師、村上輝久さんの後任に抜擢され、ミケランジエリの調律を担当したと言う。
「キャンセル魔の変人という先入観を覆す、音色の優しさと繊細さに驚いた。終演後のパーティーで、人生初のシャンパンを一口。うめー!。緊張がほどけ、いつしかソファに沈みこんでいた。明朝5時、目が覚めると巨匠(ミケランジエリのこと)が傍らに。血の気がひいた新米に、笑顔で、「少年、起きたか。では帰ろう。」疲れを気遣い、待っていてくれたのだ。あの音のぬくもりはこの人のそのものだった。人間性と音楽は別物なんて、ウソだ。響きの向こうにある芸術家の真実の心を伝えることを、自分の仕事と定めた。」
本当にそう思う。
ミケランジェリの演奏を初めて聴いたのは今から10年近く前に聴いた、ベートーヴェンのピアノソナタ第32番のライブ録音(1988年1月15日)だったが、凄いとしか言いようもない、衝撃的出会いだった。
これをきっかけにベートーヴェンのピアノソナタにのめりこんだ。
さっき、このライブ録音を久しぶりに聴いたが、今まで数えきれないほど聴いたこの曲の録音の中でも全く別次元の演奏と言っていい。
これほどの演奏は、1961年のマリヤ・グリンベルク(トリトン盤、原盤はメロディア)の演奏の他は無い。
何が違うのか。
テクニックや音色だけだろうか。
私は瀬川さんが言うように、人間性、人間力の表れ以外の何物でもないと思う。
聴いていて、何かに導かれるように惹き込まれ、聴こえてくる音楽そのものが、奥深いところに眠っている、普段感じられない感情を呼び起こす。
気が付いたら、体中から強い感情エネルギーが放出されていることが分かる。
そして何とも表現し難い、至福感に浸る(おいしいものを食べて感じるものではないです)。
こういう音楽を作る人も凄いが、このような音楽を表現できる演奏家は本当にごく一部だ。
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番などは、血を吐くほどの苦悩(ちょっと大げさ?)とそれを乗り越えた経験をした人でないと、表面的にはそれらしく弾けても、聴き手の心に深くアプローチすることは不可能だ思う。
実際、ミケランジェリは、第2次世界大戦で空軍飛行士として参戦し、ドイツ軍の捕虜となったが、脱走してファシストに対するレジスタンスの運動に加わったという。また戦後は一時山中にこもったとも言われており、普通の、コンクールで優勝して、レコード会社やマスコミからちやほやされてきた演奏家とは全く別格の演奏家なのである。
マリヤ・グリンベルクも同様に過酷な人生を体験している。
先にあげたシューベルトとベートヴェンのピアノソナタの意図するところは、耳が聞こえないとか、病気で死ぬ運命にある、などという苦悩とは違う次元のものだと私は思う。
もっと何というか、耐えがたい心の苦しみ、人間や人生に対する深い絶望、そしてそれを受け入れ、それでも生きていこうと感じた時に生まれるような感情を表しているのではないかと思うのである。

さて、ピアノ鑑賞面での今年の抱負であるが、太田キシュ道子さんのコンサートに行くこと、あとは何だろう。
やはりベートヴェンのピアノソナタの最高の演奏を求めて、聴き比べを続けることであろうか。
とにかくギターと同じくらい好きなピアノ。
時間の許す限り、鑑賞の幅を拡げていきたい。
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今年の抱負2020(4)

2020-01-18 22:42:12 | 音楽一般
3.その他の趣味

毎年年初に、「今年の抱負」と題する記事を書いており、好きなジャンルの音楽について、今年はどんな趣味活動をしていこうと考えているか、抱負を順番に書いているのだが、今日は本来最後に持ってくるべき項目として、音楽以外の趣味について記事にしようと思った。

まずはスポーツ。
体を動かすことは割り合い好きだ。
幼年時代から少年時代は家の中で遊ぶことは殆ど無く、近所の子供たちともっぱら外で遊んでいた。
古くから伝わる原始的な遊び、例えば鬼ごっことか、手つなぎ鬼、缶蹴り、S陣取り、釘差しなど、学年の差関係なく集団で遊んだけど、これがまた楽しくて。
日が暮れるまで息を弾ませながら走り回っていた。
また行ったことの無い未知の場所に冒険と称して行ってみたのも面白かった。
行った先の果樹園で梨を盗んだこともあったし、廃車置き場の中に潜入して車の中に入り込んで、ハンドルを動かしてみたり(バスの中で消化器をまき散らした奴もいた)、バスの車庫の中に忍び込んで、扉の開いているバスの中に入って、当時の油臭いバスの車内の長椅子の上に寝転がったり、地下鉄への連絡券を盗んだり、今思い出すとあの時代の子供たちは常に未知への冒険やスリルを求めて行動しようとする気持ちに溢れていたんだな、と思う。

このような遊びと並行して小学校2年生の時に野球を始めた。
デパートに両親と兄と行って、グローブを買ってもらったシーンは今でも憶えている。
そして小学校5年生になってから住んでいる町の少年野球チームに入った。
夏と秋に地区対応の大会があって、住民のカンパで買ってもらったおそろいのユニホームを着て大会に出たことは今となっては懐かしい思い出だ。
守備はファーストとキャッチャーだった。
監督は同級生のお父さん。職業訓練校の先生でとてもいい人だった。
その同級生とは親友だった。
とてつもなくやさしく、いい奴でね。今の時代、こんないい子供っているのかな。そのくらいいい奴だった。
冬は樹脂製のミニスキー(今は見たことは無い)を履いて、近くの丘を滑るだけに飽き足らず、手製のスティックでアイスホッケーもやった。
アイスホッケーといってもスケートリンクの上でやるのではない。
雪の積もった道路の上で、長靴の下に樹脂製のミニスキーを履いて走るのである。
スティックなど売っているものなど高価で買えるわけがなく、近所の建設会社(同級生のお父さんが経営)の資材置き場に吹雪のときに忍び込んで、廃材と思われる棒の切れ端をちょっとしっけいし(子供の頃は悪だったかな?)、のこぎりで切ってそれらしく形にし、釘で固定、クレヨンで模様やイニシャルなどを書き込んで、その上にニスを塗って作った。
パックは浅田飴の缶に木片を詰めて蓋をし、その上をビニールテープを巻いてそれらしく仕上げた。
これらの手製の道具で近所の子供たちと道路をリンクに見たてて試合をやるのである。
これがまたすごく楽しかった。

中学生になると、バレーボールに目覚めた。
はじめはバスケットボール部に入ったのだが、その練習の脇で練習していたバレーボール部の生徒たちのプレーにすっかり惹き込まれてしまった。
またそのバレー部の雰囲気もとてもよかったんですね。
先輩の打つ炸裂するようなアタックが凄かった。
それでバスケ部を辞めてバレー部に移った。
やはりバレーに見惚れただけあって、めきめきと上達して3年生を驚かすまでになった(これは自慢し過ぎかな)。
3年生になって弱小チームではあったが、セッター兼、主将もやった。
3年生の1学期までギターとバレーとそれ以外の遊び(近所でザリガニ取りとか山葡萄取りとかもやった)に熱中し、勉強は殆どしなかった。

中学時代に勉強しなかったツケが確実にまわってきた。
内申書は当然悪く、いい高校に入れなかった。
暗黒の高校時代である。
学校の中で居場所を感じることができず、唯一、勉強に逃げ込んでいた。
ズル休みを繰り返し、出席日数不足で、あと1日休むと落第するところだった。とても辛かった。
いつ貧血で倒れてもおかしくないほどの青白い顔をして、弱々しい貧弱な坊やのような風貌のガリ勉にすっかり生まれかわってしまっていた。
中学時代の同級生や後輩などから、その変わり果てた姿を見られるのが何よりもしんどかった。
当然スポーツなどゼロ。
しかしそんな中でも空手をやりたいな、と思ったこともあった。実現しなかったけど。

青白いガリ勉をやった甲斐があって、現役で大学に受かって、今度は何かスポーツをやりたいという気持ちが強く起こった。
そして入学後、ある運動部に入った。これは4年間続いた。
しばらくしてマンドリンクラブにも入った。
いわゆる兼部というやつだ。
そしてアルバイトもやったので、授業には殆ど出ず、途中で落第。
両親にそのことを話すのがかなり躊躇された。
(両親は怒りはしなかったが、かなり失望した)

社会人に入って、しばらくしてから大学時代にやった運動を再開したが数か月で断念。
30代初めにまた再開したが数回で止めてしまった。
社会人になってからやった運動といえば、登山くらいか。
これも会社の山岳部に入ってから始めたのだが、5つくらいの登山をやったくらいのことだ。
その後は、風景写真の撮影のために重たい機材を担いでいろいろなところに行って、歩き回ったくらいか。

そして昨年夏、あるスポーツを習い始めた。
今日もその練習に行ってきたが、これが結構面白い、というか、心も体も引き締まる。
もしかするとずっと長続きしそうな気配を感じる。
週1回のペースだから目に見えて運動効果が表れるものではないが、何年間も続けることで究めることのできる奥の深い運動だと思う。

スポーツ以外の趣味はどうか。
やってみたいのが昔やっていた写真撮影。
昨年、プロ用のデジタルカメラを中古で買った。



殆ど使用履歴の無さそうな状態で新品価格の3分の1程度の値段だった。型落ち品ということもあるけれど。
でも買ってからまだ一度も撮影を試していない。
理由は機能がたくさんついていて、そう操作したらいいかお手上げ状態だからだ。
電子機器音痴なのだ。
スマホもろく使いこなせないのに、こんな多機能の電子機器など使えそうもない。
昔のマニュアルのカメラの方がよっぽどよかった。
マニュカルフォーカス、機械式シャッター、手動露出なので、操作がシンプルな反面、リバーサルフィルム使用時は、露出決定などの知識と経験が必要だった。
このほうが操作はシンプルだけど楽しい。

昨年買ったカメラは、昔買い揃えたマニュアルフォーカスのレンズ(キャノンとニコン)をアダプターをかませば使えるので、高額なレンズを新たに買わなくても済むというメリットがある。
このカメラとレンズで今年は、撮影をして記事に上げたい。
当面考えているのは、美しい景色の撮影ではなく、都会のワンショット。
10年以上も前から実行したいと思っているのが、JR山手線の徒歩での1週。
もちろん1日で完歩できないので、気が向いたときに、こまぎれに駅と駅の間を徒歩で歩いて、その間の風景をカメラで撮影しようと思っているのである。

これが終ったら、車で遠出して、いろんなところに行って撮影したいな。
今乗っている車の走行距離、今日丁度、距離計が163,000kmジャストを記録していた。
しかし東京勤務になって電車通勤になってから、走行距離が伸びていかない。
20万キロまで乗るのが目標なので、このペースだとあと10年以上はかかってしまう。
もう、マンドリンクラブの練習も車で行っていしまおうかな。
車のメンテも昨年はちゅうと半端に終わってしまった。
エンジンオイルも換時期を過ぎてしまっている。

あとはなんだろう。
おいしいパンと納豆をいろいろ試すことだろうか。
おいしいそばやうどんの店にも行ってみたい。
昔、群馬の林道に行ったとき、林道のふもとにうどんやそばの店が点在していて、それは小さな店なのだが、きっとおいしいそば、うどんの店のある町で知られた地域なのだと思う。
とても人が行くようなところでは無いような場所なのだが。
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川口納豆を食べてみた

2020-01-12 23:06:14 | グルメ
「川口納豆」という珍しい納豆を買ってみた。





宮城県のメーカーの納豆だ。
近代納豆の始祖、村松博士の製法だと言う。

大きさは中粒。
おかめ納豆より一回り大きい。

たれは付いていなかった。
味はあっさりしていて、くせが無く、本当の納豆はこうなんだな、という味。
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新聞を読んで思う事(9)

2020-01-12 20:38:38 | 時事
最近読んだ新聞記事で感じたことを書いてみようと思った。
まず、1月10日付けの読者投稿覧に80代の男性2人の投稿が目を惹いた。
一人は、昨年末にこのブログで記事にしたが、相変わらず続く「桜を見る会」の疑惑に関して、安倍総理個人を貶めるようなものの言い方をした内容だ。
こういう投稿がすごくたくさん目につくが、驚くほど同じパターンである。
まず投稿者が殆ど高齢者で、自分は人生の先輩なのだから、一国の首相に対してまでも何を言っても許されるとういう傲慢さを感じることである。
「~であってはならない」とか、「~であるべきだ」とか、「言語道断だ」など、自分が裁きを出す位置に置きながら厳しく責め立てる権利があって当然だ、という意識とともに、何か皮肉のようなたとえ話を持ち出して、相手を見下し馬鹿にしたようなものの言い方をする。
これって絶対良くない。
疑惑について徹底解明を求めることは当然の権利だし、そのこと自体は全く問題ない。
しかし、このパターンの投稿は別の意図を感じる。そこが問題だと私は感じる。
年末の記事にも書いたが、こういう方は日頃の、自らが解決出来ない不満や怒りなどを、最も安全で解放しがいのあるターゲットに向けて、その真意を、正論、正義といったものを隠れ蓑にして放出しているのではないかと思うのである。
あとは一国の首相にもの申しているという優越感であろう。
疑惑の解明のために具体的にどうして欲しいか、ということがほとんど書かれていない。
投稿した本人は全く気が付いていないだろうが、ここまでくると個人に対する誹謗・中傷のレベルだ。
1960年代の安保闘争、過激派によるテロ、各種反対集会やデモなどの中には、正義を振りかざして、目的とは無関係の、自分の未熟さからくる怒りを正当化しようとするものがある。
こういうものの真意を見極めて客観的に評価していかないと、巻き込まれて人生を台無しにしてしまうこともある。
ヤクザのように、悪いということが客観的に分かるようなストーレートな表現で言う方がまだよっぽどいい。
表への出方は正反対であるが、本質的には両者は全く同じであろう。

一方、もう一人の方の投稿である。
本人の同意が無いので、もし万が一指摘があればすぐに削除するが、下記に抜粋させてもらう。
「地位や名声、カネを求め、合理的に生きるだけが人生か。定年後はかように他人を批判しながら生きてきた。人に施すことに生きがいを感じ、上から目線で生きてきた。そしてそれができなくなると生きる意味を見失うなど愚の骨頂ではないか」
多くの病気を患い、けもののようにうなり、泣きわめく。
だが、これでも生きる意味があるのではないかと言っている。生きているだけでも金メダル。おかげ様でありがとう。この世に「いのちある」だけで素晴らしいとおっしゃっている。
今まで長い間読んできた数多くの投稿の中でも、これほど素晴らしいと感じたものは殆ど無い。
飾らず正直に現在の自分の心境を綴っている。

高齢者でありながら、自分の失敗も、未熟さも、不幸も、全てあるがままに認め、受け入れている。
人間存在が本質的に完全であり得ないことを悟っている。
そして人の人生も、必ずしも幸福になれないことがあるという運命を承知している。
どんな運命であろうと、生きていることにありがたみを感じる。
私もこういう心境になって生を全うしたいな。
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