緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

静かな夜に(13)-ピアノ小曲1曲-

2020-05-15 22:10:07 | ピアノ
日本には季節の移り変わりがある。
普段は特段意識はしないが、四季の移り変わりを感じると、やはりおのずと時が進んでいる、という感覚を持つ。
私は四季の中でも「晩秋」が好きだ。
もともと暑いよりも寒いのが好きだし、あの晩秋特有の、陽射しの色、それは黄色とかオレンジ色をイメージするが、低い太陽から放射される穏やかな光を感じるのがいい。
あとは、落ち葉に形容されるように、何か寂れている感じも好きだ。
空気も新鮮で気持ちがいい。

やはり過去の記憶も晩秋の頃の方が他の季節の頃よりも多い。
晩秋の記憶の中でも強く残っているのは、大学2年生のときのマンドリンクラブの定期演奏会の直前に行った秋合宿の練習風景だ。
夕方の黄色い陽射しが窓から差し込むのを感じながら、「火の山」や「英雄葬送曲」、「ボカリーズ No.9 海原へ」、「セビリアの理髪師」などの曲目を練習していたのを思い出す。
この時にすごく幸福感を感じていたような気がする。
そういえばこの合宿の時、大学のある町の社会人団体とジョイントコンサートをやるというので、即席で練習したのを思い出した。
確かこの時、楽器にラベラのブラックナイロン弦を張っていた。
合同練習で、「アイヌのわらべ歌」(?)という曲だった思うが、この曲のある部分のギターソロを練習して、社会人団体のギタートップにわざと聞こえるようにどうだと言わんばかりに弾いていた記憶が蘇ってきた。
何かこの晩秋の秋合宿の数日間が、日常と切り離されて、一つの時空のエリアのように妙に記憶に刻みこまれているような気がする。
学生時代を振り返ると楽しいことよりも、苦しかったことが多かったように思うのだが、この時の、秋の定期演奏会の直前の頃の記憶がかなりはっきりと今でも思い出せるし、何かのきっかけで記憶の断片が蘇ってくることもあるのである。
そうだ、超おんぼろアパートの少し下にこの町の一応観光名所となっている教会があって、そのまた近くの幼稚園で直前練習をしたことがあった。
「火の山」のピアノ演奏を賛助でしてくれた女性が小さな子供を連れてきて練習に参加してきて、指揮者にテンポを注意されていた。
五木の子守唄に入る前のあのアルペジオだ。
そして定期演奏会が終って、エンゼルという喫茶店に行って、ギターを倒してしまったこと。翌日が打ち上げだった。

今日記事にするのは、チャイコフスキーの『四季』というピアノ曲の中の「10月 秋の歌」。
1月から12月のそれぞれにタイトルをつけた12曲からなる組曲だ。
チャイコフスキーのピアノ曲は、ピアノ協奏曲第1番があまりに有名であるが、独奏曲はあまり知られていない。
しかしチャイコフスキーのピアノ独奏曲にはシンプルだけどいい曲がある。

演奏者はウラディーミル・トロップ(1939-)。
ロシアのピアノ曲を中心に豊富なレパートリーを持つピアニストで日本にもたびたび来ているようだ。
2年くらい前に四国に来たことがある。
ウラディーミル・トロップ氏はピアノ愛好家であれば知っていると思うが、美しいピアノの音を出すピアニストだ。
ピアノという楽器から、美しい音を引き出すことに成功した、数少ない演奏家の一人だと思う。
美しいといっても表面的な美しさではない。
芯のある音の美しさ。
低音は重厚でありながら、重々しくない。
独特な美しさだ。

思うに、「芯のある強い音」、「芯のある美しい音」は、それだけが強調されたり、「芯」だけが際立っていても、いい演奏につながらないと思う。
強い芯のある音は確かに音楽表現にとって非常に大きな武器になるだろうが、それだけ持っていても、また強調しても、人を感動させられる演奏にはならない。
音楽全体の流れのなかで、どういう音を引き出すか。
これは本当に難しいことだ思うのだけだど、トロップ氏の演奏を聴くと、その答えが何かしら得られるような気がする。
Youtubeの音は加工されているかもしれないが、CDの音は生の音に近いと思う。
生の音はもっと素晴らしいに違いないであろうが。

Tchaikovsky - The Seasons: October ("Autumn Song") - Vladimir Tropp




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