緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

チャイコフスキー「悲愴」の聴き比べレポート(途中経過報告)

2022-03-18 22:23:17 | オーケストラ
チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べを再開して3か月ちょっと。
この間、140枚近いCDやレコード、ビデオなどを聴いた。
この録音を全て自分なりに評価してみたいと思った。
そしてその中で優れた演奏を選び出し、いつか感想付きで記事に取り上げようと考えている。

しかし全楽章通しで50分程の曲なので、全楽章を数回繰り返し聴くだけでも膨大な時間を要する。
そこで全楽章一通り聴いた後は、この曲の要の楽章である第4楽章のみに限定して再度すべての録音を聴いたうえで、まずは第4楽章の評価をしてみることにした。

評価は基本5段階であり、★の数が多いほど高くなる。
最初5段階すべてに★が付くものを最高評価としていたが、この中でもレベルの差があるため、とりわけ優れていると感じた演奏を★6つで表すことにした。したがって、★★★★★★が最高評価となる。

評価の基準はあくまでも自分の主観。
第4楽章は普段、人間が感じることの無い理解し難い感情をテーマにしたものであり、私にとって心の深いところで生々しい強い感情が想起されるか否かを評価の重要ポイントとした。
評価の結果は下記のリンクの保存場所にあるファイルに記載した。

チャイコフスキー作曲 交響曲第6番「悲愴」 視聴リスト 2022年3月18日22:42時点


チィイコフスキーはこの交響曲を旅行先で、頭の中で作曲したという。
そして作曲しながら、何度も涙を流したという。
涙を流す人というのは感受性が強いということもあるだろうが、人生において他人が容易に理解することの出来ない悲しい体験をたくさんしてきた人だと思っている。
チャイコフスキーの場合は、少年時代の母の死(コレラ)、結婚の失敗、同性愛であることに対する世間の冷たい目など、幾度となく挫折を経験したようであるが、それだけだとは到底感じられない。

チャイコフスキーはこれまでの自分の生き様を振り返り、そこから得た様々な人間の感情をテーマに音楽を創作したいと思ったに違いない。
それは第4楽章に最も端的に表れている。第4楽章で表現される感情は、うつ病、それも激しい自己否定を起因とするうつ状態を表現したものだと思っている。
それは経験した者でないと理解し難い、苦しくて苦しくて悲鳴を上げるほどのものであろう。
チャイコフスキーは自らの経験から得た、この感情を芸術でもって表現するという、とてつもないことに挑戦し、実現させたのである。

第4楽章は頭で考え、計算された一見悲愴感に見える表現では真に聴き手の心の深いところまで届いていかない。
無意識にそれが作為的なものだと見破られるからである。
この生々しい感情を、本物の感情として、同時に芸術性を持ってどう表現するか。
その課題を乗り越えて達成された演奏が本当の意味で素晴らしいと言えるのではないか。

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ムラヴィンスキー指揮チャイコフスキー「悲愴」の入手可能な録音は一体何種類?

2022-02-11 15:32:38 | オーケストラ
悲愴を初めて聴いたのは今から30年以上前の1989年頃にクラウディオ・アバド指揮、シカゴ交響楽団の当時録音されたばかりのCDを石丸電気で買ったのが最初かと思っていた。



しかし最近あることに気付いた。
そう言えば自分では一度も聴いたことはなかったけど、実家に古い「悲愴」のレコードがあるのを見た記憶があるのだ。
それは私がまだ生れる前なのか、生れた後でも記憶に残っていないほど幼かった頃であろう、昭和30年代に親父が買ってきたのものに違いなかった。
そのレコードをこの年末年始に帰省した際に実家にいる兄に見せてもらったら、ディミトリ・ミトロプーロス指揮、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、コロンビアレコード、1961年9月の録音であった。





記憶に残っていないにしても、恐らくこのレコードが家の中で流れているを聴いているはずだ。
早速、兄にレコードをかけてもらって聴いてみたら、テンポがやたら速い。
ちょっとこの演奏は自分の感覚に合わないなと感じた。

父は何故このレコードを買ったのだろう。
父が生涯、少なくとも私の記憶の範囲では音楽に関心、興味を示しているという姿を見たのは皆無に近い。それはクラシックのみならず、歌謡曲など全てのジャンルにおいてである。
しかし実家にはこの「悲愴」の他、ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団(?)のベートーヴェン作曲「田園」など数枚のレコードがあったのをかすかに憶えている。
そして何よりも明瞭に思い出されるのは、父が自らレコードをある日突然買ってきてその翌日の日曜日の朝にそのコードをかけて独り聴き入っていた姿であった。
私が小学校3年生か4年生の頃であった。
これが私が唯一、父が真剣に音楽を聴いている姿をまのあたりに見た瞬間だった。
そのレコードとは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、アルトゥール・ルービンシュタイン演奏の録音だった。
この後、父がクラシック音楽を自ら聴く姿は一度も見た記憶が無い。

私はこのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が大好きで、中学時代に家族の皆が寝静まった深夜にこの父が買ってきたルービンシュタインのレコードをヘッドフォンで聴き入ったものだった。
その後今から10年程前に、この曲のCDを大量に買い込んで聴き比べをしたことがあった。

父は若い頃、おそらく熱狂的ではないにしても少しはクラシック音楽に興味を示していたのであろう。
数多くのクラシック音楽の録音からチャイコフスキーの「悲愴」と「ピアノ協奏曲第1番」を選んだのは父の感性や好みが一致していたからなのか。
今となってはこの世にいないので確かめることは出来ないが、とにかくこれらの曲を選択し、鑑賞していたことはまぎれもない事実なのだ。

私があの最も苦しかった20代半ばの頃に、何故かふとアバドの「悲愴」のCDを買って陽の当たらない暗い寮の部屋で聴き入って何か心に変化が現れるのを感じたことを思い出す。
そしてこのアバドのCDを何度も繰り返し聴いているうちに、心の深いところにしまい込まれていた感情がすこしずつ湧き起ってくるのを感じた。
そしてこのアバドのCDだけでは飽き足らずもっと別の指揮者の「悲愴」を探し求めるようになった。
特段意識していたわけではないのだが今から思うと、恐らく私の心の深いところに抑圧、堆積されていた苦しい感情が、この音楽を聴くことで、徐々に解放され、浄化作用が働いていたのだと思う。
だから本能が求めるがごとくにこの音楽を聴くのを強く求めたのだと思う。

1989年当時はレコードからCDに切り替わり始めた頃で、CDの販売数も少なく、単価も高かった(1枚3千円くらい)。
そして当時はインターネットなど無かったから、CDを探すには専門店に足を運ぶしかなかった。
当時最も多くのCDを取り扱っていたと思われる秋葉原の石丸電気でも、「悲愴」のCDは10種類くらいしかなかった。
ただ中古レコードや輸入CDにまで選択肢を拡げればもっと数多くの演奏を得られたかもしれないが、当時の私にとってはそこまで実行するほどのエネルギーは既に枯渇していた。

この悲愴の録音を探し求めた中で、最も感情が吐き出されたのがエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の1982年のライブ録音であった。
ムラヴィンスキー指揮の悲愴を初めて聴いたのはこの頃買った1950年録音のCDだったが、これは当時の私にはあまり心に大きな変化を生じさせるものではなかった。

この1982年のライブ録音を何度聴いたことだろう。
このCDを何度も聴き入り、恐らく自分の気付かないうちに浄化が進んでいったのであろう。
最悪の危機的状況を脱したと感じた頃にはもう貪るようには「悲愴」を聴かなくなっていた。

その後30年間の間に悲愴のCDを買ったのは3,4枚程度だったと思うが、繰り返し聴くことはなく1回聴くのみで終ってしまっていた。
その中でムラヴィンスキーの録音は1960年のスタジオ録音と1975年の東京公演のライブ録音の2枚だと思っていた。
ところが、先日、1975年の東京公演のライブ録音のCDを乱雑な整理されていないCD置き場から長時間かけて探しているうちにやっと見つかった際に偶然一緒に出てきたCDが、何といつ買ったか全く記憶に残っていない1949年のソ連交響楽団(USSR State Symphoney Orchesta)のCDであった。

ところでムラヴィンスキー指揮の「悲愴」の録音ってどのくらいあるだろうと思ってこの2か月の間調べてきたのだが、私が調べた限りでは現在聴くことの出来るのは以下の8種類の録音のようだ。

①1949年 ソ連交響楽団 レーベル:音源はメロディア、CDはドレミ



②1949年3月25日 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団  レーベル:メロディア



③1950年2月 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団  レーベル:音源はメロディア、CDはビクター



④1956年6月  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ハンブルク(?) レーベル:グラモフォン



⑤1960年11月7日~9日 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン、レーベル:グラモフォン



⑥1961年2月11日 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 モスクワ レーベル:ドリームライフ



⑦1975年6月7日  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 東京、レーベル:キングインターナショナル



⑧1982年10月17日  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 レニングラード、レーベル:ビクター、エラート、elatus



ところで⑧の1982年10月のライブ録音とは別に、「1983年12月24日」の録音が別にあるらしいということが、⑥のCDの解説文や、インターネットのブログ等で「悲愴」の名盤を紹介されている方の紹介文、それからネット販売のサイト(HMV、メルカリなど)の商品紹介などで見出すことがあったので、この録音を求めてまずelatus の中古CDを買ったら、何と商品紹介文の録音日とは異なる1982年10月17日の記載があった。





下は⑥の解説文より。





何と私が1989年に買った⑧のCDと同一の録音だったのである。
それでも私はきっと1983年12月の録音が別にあるに違いないと期待し、次はエラートのムラヴィンスキー集12CDセットを買った。





これは購入先の HMVの商品紹介文の中ではっきりと録音年月日が1983年12月24日と記載されていたのでこれを信じたのである。







しかし実際に届いたCDの記録を見たらこれも録音年月日が1982年10月17日と記載されており、⑧のCDの音源と同一だったのである。うーん騙された感じだ。
(CD5がチャイコフスキーの悲愴)



しかし⑧の録音を何故1983年12月24日と記載してしまったのか。
ちなみにエラートの12CDボックスの解説文の録音記録では、1983年12月24日の録音はモーツァルトの交響曲第33番となっている。
1982年10月17日の録音は、⑧の悲愴以外にベートーヴェンの交響曲第6番「田園」があることがこの解説文で判明した。

推測であるが、HMVの購入サイトでのエラート12CDボックスの商品紹介文の記載ミスをそのままうのみにしてしまったか。真相はわからない。

自分にとっては天が差し伸べてくれたとも言えるチャイコフスキーの「悲愴」であるが、12月初めにたまたまFMラジオで聴いた森正指揮、NHK交響楽団のライブ録音が起爆剤となって再び貪るようにこの曲を聴くことになった。
これまでに100以上の録音を聴いたが、やはりムラヴィンスキーの悲愴は素晴らしいし、私にとっては最上位の演奏の一つだ。
上記の録音の中では⑧が一番好きだ。
演奏の感想などはいつになるか分からないが、将来、聴き比べ、名盤紹介という目的での記事を書く際にとりあげたい。
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ハンス・シュミット=イッセルシュテットという指揮者

2022-02-04 23:25:33 | オーケストラ
「悲愴」の鑑賞を30数年振りに再開して2か月が経過した。
この間、毎日睡眠時間を削って「悲愴」を聴き続けた。CD、LPなどで100枚近くの音源を聴いた。
その結果、数多くの指揮者の演奏との出会いがあった。
カラヤン、バースタイン、クレンペラー、ベーム、小沢など素人でも知っている指揮者以外に初めて名前を聞く指揮者もたくさん出会うことができた。

同一の曲の聴き比べをしてはっきり言えることは、よく知られた誰でも知っている巨匠級の指揮者の演奏が必ずしも優れているとは限らないといこと。
本当に自分にとって最高の演奏を求めるのであれば、先入観を抜いて、まっさらな状態で演奏を聴き、自分の感情と向き合ってそこから大きなものを感じ取れる演奏を地道に探し出していくしかない。
埋もれていてなかなか表に流通していない録音もある。
しかし本当に、この曲は一生聴き続けるに値する、心底ほれ込んだ曲であれば貪欲に探し求めていいと思う。
金はかかるがその分他を削ればいいだけの話だ(安い服、安い酒、値引き商品・食物、燃料、電気製品など)。

前置きが長くなったがそんな中で出会った、あまり知られていない指揮者で悲愴に関してはこれは凄いと言える指揮者に出会った。
ハンス・シュミット=イッセルシュテット(Hans Schmidt-Isserstedt、1900年5月5日 ベルリン - 1973年5月28日)。

始めYoutubeで見つけたのだが、直感でなかなかいいと思って、ちゃんとCDを買って聴いてみようと思った。
聴いてみてびっくり。Youtubeと全く別物。音が全然違う。
やはりCDを買って正解だった。
Youtubeで演奏の良し悪しを判断するの全くのナンセンスだ。
Youtubeで聴いてから、良かったらCDを買うというのも邪道だ。いい演奏を見逃してしまう可能性大である。
はっきり言えることだが、Youtubeでは演奏の真価を見出すことは不可能だ。

横道に反れたが、ハンス・シュミット=イッセルシュテットの演奏は正攻法、オーソドックスでありながら、感情エネルギーが凄まじく表出されている部分もあるし、繊細な表現もされている。技巧レベルも高い。
そして驚いたことにアマゾンやヤフオクで録音を検索してみたら意外にその数が多いのだ。
名前はあまり知られていないけど、影の実力者という感じだ。
今回、30CDのBOXを中古で買った。これで数多くの交響曲などが聴ける。

ハンス・シュミット=イッセルシュテットの悲愴の録音は1954年と1960年の2種類(他に1965年もあるらしいが未確認)があるが、私は1960年の方が優れていると感じた。

ハンス・シュミット=イッセルシュテットの悲愴の第4楽章を聴くと、チャイコフスキーのどうすることも出来ないほどの心の苦しみがリアルに感じられる。
苦しくて苦しくて死んだ方がどんなに楽だろうか、という心の苦しみだ。
しかしチャイコフスキーはその一方で、希望、愛情、感動、至福感、躍動感といった感情もきっとどこかで体験している。
チャイコフスキーはこの「悲愴」で、彼がその人生で味わいつくしたこの様々な生々しい感情を音楽を手段に描きたいと思ったのではないか。
チャイコフスキーは、意外に肖像画や写真がたくさんある。
その目に注目したい。眼光鋭いけど澄んでいて、よく見ると優しく見える。
この目は大きな心の葛藤を解決した後で現れるような目の光のように思える。

彼は人生の最後の曲で、彼が今まで体感したどんな感情でも否定することなくありのままに表現したいと思ったに違いない。
でななければ第4楽章など書けるはずがない。
チャイコフスキーは人生の最後の最後で、自らの生き様を全て受け入れ、今まで味わいつくしたどんな感情でも真の意味で肯定することができたのではないかと感じるのである。





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ジュゼッペ・シノーポリという指揮者

2022-01-29 22:40:02 | オーケストラ
チャイコフスキーの「悲愴」の鑑賞再会を12月上旬から始めて1か月半。
その間90種類ほどの演奏をCDやレコードなどで聴いた。
演奏者である指揮者の数も膨大だが、今まで交響曲など殆ど聴いてこなかったからさまざまな指揮者に触れることは未知の領域に踏み込んだようで、また新たな楽しみが増えた感じがして嬉しい。

数多くの録音を一通り聴いてまずは心に何かしらのインパクトのあった演奏を、鑑賞リストで黄色でマークしておいた。
その中でも最初に聴いたときはそれほど大きな衝撃というものは感じられなかったが、2回目に注意深く聴いたら、凄いと感じられる
演奏が出てきた。
ジュゼッペ・シノーポリ指揮、フィルハーモニア管弦楽団。



もう少し幅を拡げて聴いてみないと断言できないが、はっきり言ってこの指揮者は凄い。
うわべだけで聴くとさらっとした感じで流れてしまうが、神経を集中してアンテナを高感度にして聴いてみると、物凄く深く、繊細な感情が滲み出ていることがわかる。
根底に人間的なやさしい感情が放出されていることがわかる。あの悲痛な第4楽章であっても。

ジュゼッペ・シノーポリのことを調べてみた。

ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946年11月2日 - 2001年4月20日)は、イタリア人指揮者・作曲家。
パドヴァ大学で心理学と脳外科を学ぶと同時に、マルチェルロ音楽院で作曲を専攻する。
1975年、現代音楽の演奏を目的として師の名を冠したブルーノ・マデルナ・アンサンブルを設立、指揮者としてのデビューを飾る。
(あのシュトックハウゼンに師事したという)
上述のような経歴(死の直前には考古学の博士号も取得)から、インテリ指揮者としての側面がクローズアップされ、衒学的で音楽解釈に精神医学的観点の援用を示唆する言動やシノーポリの異色の音楽解釈は、熱烈な崇拝と批判を同時に呼び起こした。
1984年にフィルハーモニア管弦楽団、1992年にシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者になり、後者のポストは最後まで在任していた。オペラ指揮者としては、1990年にベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任予定だったが、直前に辞退。また2002年よりザクセン州立歌劇場の音楽総監督に就任予定だったが、死去により果たせなかった。
(以上、ウィキペディアより抜粋)

若くして死去した理由は書かれていなかったが、さらに調べてみると壮絶な最期を遂げたことがわかった。

http://bungeikan.jp/domestic/detail/934/

オペラなどの演奏が多かったようだが、「悲愴」のような難解な人間ドラマをテーマにしたような音楽でも、本領を発揮していると感じた。
「悲愴」のような曲は、いわゆる成功者とか、幸福な人生を送った人間とは無縁の、次元の異なる生き様を経験した人でないとなかなか本質的なものは理解しがたい要素を多分に含んでいると思われる。
シノーポリという人物は、エリート、華麗とも言える経歴の持ち主だったようだが、私が感じるには精神的には相当悩み苦しんだ人生を送ってきたように直感的にはあるが感じるのである。でなければ上記の録音のような演奏は出来ない。

音楽の演奏というのは、演奏者がどういう人間なのか、どういう人生を送ってきたのか、どういう価値観を大切にしているのか、人間の感情にどれだけ敏感に反応できるのか、といった音楽とはまた別の次元のもの=人間力というとも言うべきものが無意識的に現れるものだと思う。
逆にいうと、音楽の演奏を通して、演奏者がどういう人物なのか、ということが分かるような気がするのである。
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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」聴き比べ(経過報告)

2022-01-22 01:11:10 | オーケストラ

チャイコフスキー作曲、交響曲第6番「悲愴」の聴き比べを再開してから約1か月半。

その間、約80枚のCDとレコードを聴いた。

自分にとっての「名盤」を未だ特定するには至っていないが、かなり絞り込まれてきている。

この曲は、私にとっては人生を変えたと言っても過言ではないほど、大きな影響を与えてくれた特別な曲だ。

あの20代の最も苦しく、危険だった頃に、天が差し伸べてくれた救いの音楽であった。

30年以上経ってからあらためて聴き比べしてみると、指揮者により驚くほど解釈が異なることが分かる。

この曲から作曲者であるチャイコフスキーの本当の感情を読み取って表現することは至難の業だ。

とくに第4楽章では、チャイコフスキーが恐らく人生の大半に渡って苦悩したであろう、深刻な心の叫びが聞こえてくる。

生き地獄のようなどうすることもできない、心の苦しみ、それは心の深いところまで抑圧され、開放されずにため込まれたさまざまな強いマイナス感情が引き起こしているものであったに違いない。

チャイコフスキーはこの苦しみから抜け出せなかったから、この曲を書けたのである。

感情を開放し、苦しみを乗り越えたとしたら、恐らくこのような生々しい曲を書くことは出来なかったであろう。

私も当時の抑圧されていたざまざまなマイナス感情が殆ど開放された現在、この曲を聴いて感じる度合いは30数年前とだいぶ異なっている。

当時はものすごく感情が放出された。

 

同じように人生に大きな影響を与えた曲として、「木琴」という合唱曲があった。

今までの人生で最も幸福だった中学3年生のときに合唱大会で歌った曲だ。

この曲がその後の人生でふと頭に流れてくることが何度かあった。

しかしこの曲の曲名を忘れてしまっていたので、聴きたいと思っても探し出すことは出来なかった。

30年経過した40代半ばの頃、偶然、Youtubeでこの曲に再会した。

この時の衝撃と感動は今でも忘れることはできない。

それから約2か月間の間、毎日、この曲を何度も再生し、感情が開放される日々が続いた。

 

今日現在まで聴いた「悲愴」リストを下に貼っておく。

黄色表示が心に残った演奏だが、まだまだ聴き込みをしないと判定できない。

今後入れ替わることもありうる。

作曲者がこの曲に求めているのは、上手く綺麗に演奏することではないだろう。

チャイコフスキーが歩んだ生き様、人生の縮図を頭に描いて「意図的に」ではなく、自分のものとして表現できるものが大きな感動を残してくれるのではないかと思う。

指揮者 楽団 レーベル 録音年 録音形態 録音場所
ユーディ・メニューイン ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団 mcps 記載無し スタジオ 記載無し
ヴァレリー・ゲルギエフ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 PHILIPS 2004.09 ライブ  
エーリヒ・クライバー パリ音楽院管弦楽団 LONDON 1953.11    
ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1984.01 スタジオ ウィーン
小澤征爾 パリ管弦楽団 PHILIPS 記載無し スタジオ 記載無し
シャルル・ミュンシュ ボストン交響楽団 RCA 1962.03   ボストン
アルトゥーロ・トスカニーニ NBC交響楽団 RCA 1953.01   ニューヨーク
ロヴロ・フォン・マタチッチ チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 コロンビア 1968.02   プラハ
ヴァレリー・ゲルギエフ サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇管弦楽団 PHILIPS 1997.07   フィンランド
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1976.05   ベルリン
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1960.09   ウィーン
グィード・カンテッリ フィルハーモニア管弦楽団 EMI 1952.11   ロンドン
ヨーゼフ・ウィレム・メンゲルベルク アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 LYS 1937    
カルロ・マリア・ジュリーニ ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 記載無し   記載無し
レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック グラモフォン 1986.08 スタジオ ニューヨーク
朝比奈 隆 大阪フィルハーモニー交響楽団 CANYON 1990.12   大阪
クルト・ザンデルリンク ベルリン交響楽団 DENON 記載無し   記載無し
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 メロディア 1949.04   レニングラード
クラウディオ・アバド シカゴ交響楽団 CBSSONY 1986.10 スタジオ シカゴ
クラウディオ・アバド ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1973   ハンブルグ
イーゴリ・マルケヴィッチ ロンドン交響楽団 PHILIPS 記載無し   記載無し
エフゲニー・スヴェトラーノフ ソ連国立交響楽団 メロディア 1967   記載無し
小澤征爾 ボストン交響楽団 エラート 1986   ボストン
アントン・グター リビュリアーナ・ラジオ・シンフォニー・オーケストラ DDD 記載無し   記載無し
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ビクター 1982.10 ライブ レニングラード
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 メロディア 1950.2 ライブ 記載無し
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ジョイサウンド 1938    
ジャン・マルティノン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン 1958.04   ウィーン
ヘルマン・アーベートロート ライプツィヒ放送交響楽団 Deutschc schllpatten 1952.01 スタジオ ライプツィヒ
ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ダイソー 1948   記載無し
ユージン・オーマンディ フィラデルフィア管弦楽団 RCA 1968.05    
リッカルド・ムーティ フィラデルフィア管弦楽団 ANF 1982.09 ライヴ ロンドン
円光寺 雅彦 仙台フィルハーモニー管弦楽団 DIGITAL 1989.5   東京
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1964.02   ベルリン
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1951.04 ライヴ カイロ
ピエール・デルヴォー アムステルダム・フィルハーモニック協会オーケストラ Audio Fodelity 1959 ライブ  
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 EMI 1971.09 スタジオ  
セルゲイ・クーセヴィツキー ボストン交響楽団 RCA 1930    
フェレンツ・フリッチャイ ベルリン放送交響楽団 グラモフォン 1959 スタジオ  
セルジュ・チェリビダッケ ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団 EMI 1992.11   ミュンヘン
エフゲニー・ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ALTUS 1975.6 ライヴ 東京
サー・ゲオルグ・ショルティ シカゴ交響楽団 LONDON 197505   シカゴ
ロリン・マゼール クリーヴランド管弦楽団 CBSSONY 1981.10 スタジオ クリーヴランド
ベルナルト・ハイティンク ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 PHILIPS 1978.10   アムステルダム
アンタル・ドラティ ロンドン交響楽団 Mercury 1960.06 スタジオ ロンドン
マリス・ヤンソンス バイエルン放送交響楽団 SONY 2004.06 ライヴ  
ドミトリー・キタエンコ ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 OEHMS 2010.01 スタジオ  
ヘルベルト・フォン・カラヤン NHK交響楽団 グラモフォン 1954 ライヴ 東京
エリアフ・インバル フランクフルト放送交響楽団 DENON 1991.02   フランクフルト
ウラジーミル・フェドセーエフ モスクワ放送交響楽団 JVC 1981.06 スタジオ モスクワ
クルト・マズア ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 シルヴァーレーベル 1986 スタジオ  
オットー・クレンペラー フィルハーモニア管弦楽団 EMI      
ウラジーミル・フェドセーエフ モスクワ放送交響楽団 ビクター 1991.03 スタジオ モスクワ
小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ PHILIPS      
小林研一郎 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 EXTON 2000.10   プラハ
ウラディーミル・フェドセーエフ モスクワ放送交響楽団 ARTHAUS 1991   フランクフルト
カール・ベーム ロンドン交響楽団 グラモフォン 1978.12   ロンドン
サー・ジョン・バルビローリ ハレ管弦楽団 ROYAL CLASSICS 1958.08 ステレオ マンチェスター
キリル・ペトレンコ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 King 2017.03 ステレオ ベルリン
ディミトリ・ミトロプーロス ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団 コロンビア 1961.09 ステレア 記載無し
イーゴリ・マルケヴィッチ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グラモフォン 1953.12 ステレオ ベルリン
フェレンツ・フリッチャイ バイエルン放送交響楽団 ORFEO 1960.11 ライヴ ミュンヘン
ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送交響楽団 RCA 1991.12 ライヴ ハンブルク
ヴァレリー・ゲルギエフ マリインスキー劇場管弦楽団 MARINSKY 2010.01 ライヴ サル・プレイエル
キリル・コンドラシン モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 Altus 1967.04 ライヴ 東京
ヤシャ・ホーレンシュタイン ロンドン交響楽団 SERAFHILM 記載なし ステレオ 記載無し
ラドミル・エリシュカ 札幌交響楽団 PASTIER 2014.04 ライヴ 札幌
ラファエル・クーベリック ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 EMI 1960.11 スタジオ ウィーン
セミヨン・ビシュコフ ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 PHILIPS 1987.01 スタジオ アムステルダム
イーゴリ・マルケヴィッチ NHK交響楽団 NHKCD 1983.01 ライブ 東京
ジュゼッペ・シノーポリ フィルハーモニア管弦楽団 グラモフォン 1989.08 スタジオ ロンドン
ヴァーツラフ・ターリッヒ チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 PARLIAMENT 1954 スタジオ 記載無し
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー モスクワ放送交響楽団 メロディア 1972 スタジオ モスクワ
ギュンター・ヴァント BBC交響楽団 “O””O””O”CLASSICS 1987.04 ライヴ  
ギュンター・ヴァント BBC交響楽団 “O””O””O”CLASSICS 1988 ライヴ ロンドン
ロヴロ・フォン・マタチッチ NHK交響楽団 Youtrbe 1967.01 ライブ 東京
カルロス・パイタ ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 amazon prime 1980 スタジオ ロンドン
ピエール・モントゥー ボストン交響楽団 Youtrbe 1955 スタジオ ロンドン
パウル・ファン・ケンペン アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団 PHILIPS 1951.05 スタジオ 記載無し
ウラディミール・ゴルシュマン ウィーン国立歌劇場管弦楽団 Youtrbe 1959 スタジオ ウィーン
ズービン・メータ ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団 London 1977.08 スタジオ アメリカ
ヘンリー・リバイス ロイヤル・フィルハーモニー・オーケストラ EYEBIC.INC      
ギュンター・シュテーン ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団        
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