緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

中央大学マンドリン倶楽部第107回定期演奏会を聴く

2014-11-30 23:44:49 | マンドリン合奏
今日、オリンパス八王子ホールで、中央大学マンドリン倶楽部第107回定期演奏会が開催され、聴きに行った。
場所が自宅から遠いのであるが、演奏曲目に鈴木静一作曲「交響的幻想曲 シルクロード」があり、滅多に演奏される機会が無い曲なので、これを逃すとまず聴くことができないと思ったので、思い切って行くことにした。
しかし八王子は遠い所だ。なんとか開演20分前にホールに無事着いた。
オリンパス八王子ホールはなかなか大きいホールだ。元は市民ホールだったようだが駅のすぐそばであり利便性も良い。
当日券を買うとCD売り場があった。過去の定期演奏会を録音したものであるが、演奏曲目に鈴木静一の曲が多い。鈴木静一の聴いたことのない曲の入ったCDと藤掛廣幸の星空のコンチェルトが入ったCDの2枚を購入。席は一番後ろの真ん中よりを選んだ。
中央大学マンドリン倶楽部の演奏を初めて聴いたのは今から20年近く前に、フォンテックから出ていた「鈴木静一 マンドリン・オーケストラ作品集」のCDを買って聴いた時である。
「交響譚詩 火の山」、「大幻想曲 幻の国 邪馬台」、「劇的序楽 細川ガラシャ」といった学生時代に演奏した懐かしい曲が収められていた。

さて今日のプログラムは下記のとおり。

①序曲「レナータ」 G.ラヴィトラーノ作曲
②組曲「中世の放浪学生」 A.アマディ作曲
③交響的幻想曲「シルクロード」 鈴木静一作曲

曲数が少ないのは「シルクロード」が8楽章からなる長大な曲であるからだ。
しかし全ての曲がマンドリン・オリジナル曲であり、この大学のこだわりの深さを感じた。
第1曲目の演奏が始まってびっくりした。
ものすごく上手いのだ。上手いだけでなく、音楽的にもハイレベル。とても学生の演奏に思えない。
2曲目はアマディの曲であるが、リズムを取るのが難しい難曲である。
アマディと言えば学生時代に「東洋の印象」という曲を弾いたことがある。マンドリンの発祥地イタリアのオリジナル曲である。
また驚いたのは指揮者が女性だったことである。またベース(コントラバス)も女性だった。
私が学生時代のマンドリン・オーケストラでは考えられないことだった。
しかしこの女性の指揮者は素晴らしかった。マンドリンオーケストラの指揮でこんなダイナミックで渾身の力を出した指揮を見たことは無い。今日の定期演奏会のために自分にある限りの全てのエネルギーを出し切っていた。
今日の演奏会のメイン曲である交響的幻想曲「シルクロード」は50分を超える長大な曲である。
プログラムでは1960年作曲と書かれていたが、1967年作曲ではないだろうか。
1960年と言えば、鈴木静一はマンドリン曲の作曲から身を引き、職業的作曲家として映画音楽等のBGMの作曲をやっていた時代である。
この「シルクロード」の始まる前の休憩時間に席を前の方に移動した。一番後ろだと演奏者の表情が見えないからだ。
いよいよ「シルクロード」の演奏が始まったが、金管、木管、パーカーション、またOB、OGの賛助を含めた大編成の演奏となった。指揮者は先の女性(4年生)であった。
「シルクロード」は初め鈴木静一の晩年の作かと思ったが、意外にも代表作「交響詩 失われた都」、「劇的序楽 細川ガラシャ」の前年に作曲された曲である。
曲想はいつもの鈴木静一らしい日本旋法を用いたものではなく、遠いアジアの異国の音楽を連想させる幻想的な響きを持つものであった。
この演奏も全く素晴らしいものであった。50分がとても短く感じられた。この50分という時間で、聴く集中力が途切れたことは無かった。
演奏者たちは恐らくこの曲を相当長い時間をかけて練り上げてきたに違いない。
演奏者達のこの曲の完成に向けて並々ならぬ努力をしてきたこと、今日の演奏会に賭けた強い思い入れを感じることができた。全員の演奏がひとつの素晴らしい音楽となって聴衆に対峙していた。
指揮者の振る拍に合わせて演奏者達の上体が揺れ、指揮者を見る真剣なまなざしに心を打たれた。

この最後の曲が終わって、大きな拍手が長い時間鳴りやむことはなかった。全く素晴らしい演奏!
恐らく聴衆も大きな感動に包まれたに違いない。演奏者と聴衆の気持ちが共有された瞬間であった。


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牧野信一 「ゼーロン」を読む

2014-11-30 00:33:47 | 読書
牧野信一という作家を知ったのは、高橋和巳の夫人である高橋たか子の著作「高橋和巳の思い出」を読んだことによる。
高橋和巳が癌で亡くなる直前に読みたいと言った作家だ。
高橋和巳が牧野信一の著作の何を読みたかったかは知る由もないが、文学界でも現在は殆ど知られていないこの作家に興味を抱いた。
そして牧野信一全集(全3巻)を、それは湿った倉庫に長い間埋もれていたと思われ、箱に夥しいしみがついたものであったが、買って読んでみることにした。
牧野信一は39歳で自殺した。
作家で自殺した人は芥川龍之介や有島武郎など昔の時代ではかなりいた。
牧野氏はとても繊細な感性の持ち主で、図太く生きることができなかったのであろう。
作風は幻想的な短編と自らの日々の生活をもとに心理描写を描いた短い私小説が中心である。
この「牧野信一全集」第Ⅰ巻の箱の帯に書かれていた小林秀雄氏の書評があったので、ここに一部を紹介する。
「リアリズム小説全盛の当時の文壇にあって、彼の夢物語が異様な美しさに見えたといふだけの理由で、私は、彼の作に惹かれたのではない。それは、解ってゐたが、その独特の力が、何処から生まれたかには思ひ至らなかった。彼の自殺後、彼の実生活につき、思ひめぐらすやうになった今日、私は、やっと彼の夢物語の傑作たる所以を考へるに至った。彼は、逃げたのではない。夢みたのでもない。これらは、満身創痍で暮らした、彼の暮らしの手帖だったのである。」
牧野氏の短い小説は驚くような結末が用意されていたり、教訓めいたものを読者に暗に説くというようなものはない。寧ろ坦々としている。
それにもかかわらず彼の小説は読んだ後なかなか記憶から消えていかない。地味であるが力のある小説という印象だ。
幻想的小説の代表作は「ゼーロン」である。
新しい原始生活を始めるために身の回りの一切合切を整理した主人公が、自分をモデルに製作された一個のブロンズ像の始末に困り、かねてからそのブロンズ像を引き取ってもいいと言っていた某芸術家の住居に運ぶまでの道中で、険しい山を越えるために以前親密な間柄であったゼーロンという馬を借りることになった。
しかし、馬主が言うにはゼーロンは以前の優秀で聡明な馬とは全く違う、駄馬の性質に変わってしまったとのことであった。
この小説は以前愛情を注いだ馬が全く別の馬に成り代わってしまったとはにわかに信じられず、最初は以前のゼーロンのように愛情を持って旅を進めたが、次第に駄馬の現実に嫌というほど直面させられ、涙ぐましいほどの努力でこの駄馬を奮い立たせて、危険な道中のさまざまな恐怖や不安と闘う主人公の心理描写を描いたものである。
旅の最初は駄馬に成り下がったゼーロンに対し優しく歌を歌うなどして以前の優秀なゼーロンに戻ることを期待していたが、その愚かさについに主人公はゼーロンに暴力をふるうようになる。
最後は、旅の途中で思い出した主人公の父親の肖像画と、背中にしょったブロンズ像が生を得て、ゼーロンと主人公と「變挺な身振りで面白そうにロココ風の「四人組の踊り」を踊ってゐた。」とする幻影を見るまでになり、ブロンズ像を森の沼底に投げ込もうとするところで終わる。
この幻影の表現で、ストーリーは全く異なるが以前読んだ庄野英二の「星の牧場」の最後の場面を思い出した。

彼の小説は先に述べたように立派な教訓めいたもの、人間の生き方を考えさせるといったものを暗黙に織り込ませるとういう感じはしない。
小林秀雄氏の書評にあるように「満身創痍で暮らした、彼の暮らしの手帖」から生まれたものであろう。
彼の小説からは大それた野心的な匂いはしない。まさに坦々と感じたこと、浮かんだことを書いているように思える。
最近の小説の中には、本が出たあとに映画化、ドラマ化されることを見越したような展開のものがあるが、どこか作為的で読んだときは面白くてもあまり後で残らないものである。
牧野信一の小説がどの程度心に残り続けていくか正直まだわからないが、彼の小説は短く素朴であり、自分の気持ちに正直になって書かれた誠実さが感じられる。





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感動した合唱曲(NHK全国学校音楽コンクール:Nコン(13)

2014-11-24 21:28:37 | 合唱
三連休の最終日、朝起きると寒空が広がっていた。しかし夜でも外は意外に暖かい。
今年の音楽鑑賞はフランツ・リストのピアノソナタロ短調の聴き比べ、ペーター・レーゼルのピアノコンサート鑑賞、マリヤ・グリンベルクの録音を多数入手できたなど、充実したものになっている。
今年も残すところあと1か月余りとなったが、大きな音楽イベントは12月に開催される東京国際ギターコンクールだけとなった。
しかし11月終わりから12月まで大学等の音楽サークルの定期演奏会の開催が目白押しとあって、曲目次第では聴きに行こうと思っている。
今年はピアノやギターだけでなく、Nコン(合唱コンクール)のブロック大会と全国大会の生演奏を聴くことができたという幸運に恵まれた。
合唱なんて4年前までは全くと言っていいほど関心が湧かなかった。
理由は歌を歌うのが大嫌いであるからだ。子供の時からこれ程苦痛だったものはない。一種のトラウマであろう。
しかし中学3年生の合唱大会で歌ったある曲が強く心に残り続け、この曲を何とかもう一度聴きたいと願いながらもかなわず数十年の歳月が経ち、丁度4年前に、自分にとっては運命的ともいえる再会を果たした。
その時の感動は今でもはっきりと覚えている。それはたとえようもないものであった。
それ以来合唱曲を聴くことにのめりこんだ。ほぼ100%近く高校生の合唱である。
高校生の合唱大会(コンクール)には、NHK全国学校音楽コンクールと全日本合唱コンクールの2種類がメインであるが、前者(略してNコンと言う)はテレビで放映されたり、NHKのホームページで動画が公開されるなどのサービスがあるため、毎年かかさず鑑賞している。
音源はCDでフォンテックから発売されるが、限定販売のためわずか数年で廃盤となる。従って古い年度の大会、しかも全国大会のみであるが、その録音を聴くためには上野の東京文化会館音楽資料室などで聴かせてもらうしかない。
フォンテックから出ているCDは平成13年度大会まで(途中2、3抜け有)なんとか集めたが、それ以前の年度のものはまず入手できない。
稀にヤフオクで信じられない価格で出品されていることがあるが、もちろん買う気になどなれない。したがって用事で東京に出てきたついでに先の音楽資料室で聴かせてもらうのである(無料です)。
NHKやフォンテックにお願いしたいのは、コストをかけないパッケージでよいので、過去の大会の録音集を何とか販売していただけないであろうか。切に望む。
さて前置きがが長くなったが、今日紹介するのは、過去のNコン全国大会で何度聴いても深い感動が得られる素晴らしい演奏だけを集めたシリーズものの13回目である。
曲目は平成26年度(2014年度)全国大会高等学校の部課題曲「共演者」(作詞:小林香、作曲:横山潤子)、演奏は関東甲信越ブロック代表、大妻中野高等学校である。
この「共演者」という曲、初めて聴いた時には違和感を感じたが、なんだかんだ言って何度も聴いている。
私はいい演奏かどうかどうかを聴き分ける方法の1つとして、演奏を聴きながら、同時に例えば新聞を読んだり、インターネット検索をやるなどしてあえて神経を演奏からそらしてみることをやっている。
もし本当に素晴らしい演奏であるならば、自分の意思(=他の事に注意がいく)に反して、気が付くとBGMとして半ば聴いていた演奏に知らないうちに惹き込まれてしまうのである。
何故惹き込まれてしまうのか、というと奏者の意識的なものが何も混じらない真の感情が特別聴こうとしていなくても伝わってくるからである。そしてその感情の流れは強くかつ極めて自然である。
私はこのような演奏ほど真に素晴らしい演奏だと思っている。
そしてこの大妻中野高等学校の「共演者」の演奏がまさにこのような演奏なのである。
最大の聴きどころは、中間部の「私はどんな筋書きでも あなたの客席で観ています」という箇所である。
気持ちをまっさらにして是非聴いていただきたいと願う。心に強く伝わってくるものが感じられないだろうか。
そしてこの演奏の良いところは、何度も聴くたびにその価値に気付いていくことである。
その価値とは、この歌に込められた純粋なメッセージそのものである。


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法政大学工学部 マンドリンクラブ定期演奏会を聴く

2014-11-23 23:55:11 | マンドリン合奏
三連休の初日は天気が良く暖かいこともあって、東京都心は凄い人手であった。
昨日(22日)は東京、武蔵小金井駅前にある小金井市民交流センター大ホールで開催された、法政大学工学部第51回マンドリンクラブ定期演奏会を聴いてきた。
自分は大学でマンドリン・オーケストラに所属していたが、30年近く前に東京に出てきてからマンドリン・オーケストの生演奏を聴いたことは一度もなかった。
今回インターネットで検索してこの法政大学工学部マンドリンクラブ定期演奏会を知ることが出来、また演奏曲目の中に鈴木静一作曲「劇的序楽 細川ガラシャ」があることから、聴いてみることにした。
開演30分前に到着し、市民ホールに入ったら、とても綺麗なホールで驚いてしまった。
こういう立派なホールは維持費だけでも多額だろうから、頻繁に使用しないともったいないと思った。
観客は多くが学生であった。
さてプログラムは下記の通り。

Ⅰ部
「My Sketch」よりReset! 作曲 舟見景子
組曲「瑞木の詩」より第四楽章「光陽の樹」 作曲 末廣健児
夏空の憧憬 作曲 鳫 大樹

Ⅱ部
戦場のメリークリスマス 作曲 坂本龍一
HIGHLIGHTS FROM HARRY POTTER 作曲 John Wiliams
絵本の旅 作曲 本間ユウスケ

Ⅲ部
劇的序楽「細川ガラシャ」 作曲 鈴木静一
AZZURRO 作曲 丸本大悟

総勢40名弱の編成。金管、木管等の他楽器との共演は無し。
私の大学時代の編成より10数名少ないだろうか。指揮者、コンマス、コンミスが1曲ないし2曲ごとに入れ替わったが、こういう方針は初めてである。
オープニングは大学の校歌で始まったが、これは私の大学時代も同じだ。。
Ⅰ部はマンドリンオーケストラのオリジナル曲なのであろうが、現代的な感覚の曲だ。現代的といっても聴きやすい曲である。和声を聴いているとポピュラー音楽の影響を受けていると感じた。作者は若い世代なのであろう。
私がこういう曲に慣れていないせいなのかもしれないが、どの曲も同じように聴こえてしまう。もっと、聴き手の感情に訴える曲想が欲しいな、と感じた。
Ⅱ部はポピュラー曲からの編曲もの。クラシック曲の編曲ものがあってもいいと思った。
Ⅲ部はやはり鈴木静一の劇的序楽「細川ガラシャ」が聴きものであった。奏者の熱の入れ方も違っていた。
鈴木静一の曲は現在では大学の定期演奏会などであまりは取り上げられることが無くなってきたが、1980年代半ばくらいまでは頻繁に演奏されていたものである。
鈴木静一のマンドリン・オーケストラ曲には演奏時間が20分を超え、金管、木管楽器、ピアノ、パーカッションも含めた大編成で演奏される曲が数多くある。
今回聴いた「劇的序楽 細川ガラシャ」は比較的中規模の曲であるが、鈴木静一の曲の中では人気の高い曲である。
曲の詳細は以前のブログ(http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=e5fff62de4250b703aa4269d5e4d71a6&p=19&disp=10)に書いたので、ここでは省略したい。
曲の中間部で暗く物悲しい旋律が流れる。この旋律は原曲ではフルート独奏であるが、今回の演奏ではマンドリン独奏であった。この旋律は個人的には篠笛が最も適していると感じる。
(下はギターパートの譜面)



しかしとても美しい旋律だ。この旋律を支えるギターの独特の和音とアルペジオは日本古来の楽器である箏の音色と奏法を思わせる。鈴木静一にしか出せない強い個性のある音楽である。
この旋律を弾いたマンドリン独奏と伴奏のギターがとても美しく、今回の演奏会で最も聴き応えがあった。
こうして考えてみると、鈴木静一の曲が今回の演奏会で最も異色の彩りを放っていた。聴く人に必ず強く刻む込む力を持った曲である。
鈴木静一は放送作曲家として30代初めから60歳くらいまでの長きにわたって映画や時代劇等のBGMを作曲してきた。
学生時代に定期演奏会で弾いた大幻想曲「幻の国」邪馬台の演奏後のアンケートに、NHK大河ドラマのテーマ曲みたいだ、と書かれたものがあったのを思い出した。
鈴木静一が、「細川ガラシャ」を初め、交響詩「失われた都」、交響譚詩「火の山」などの数多くの名曲を作ったのは、この長い職業的作曲家時代を経た後であり、この間の長い経験がその後の作風に影響を与えたことは間違いない。

全てのプログラムが終了した後、予想しない展開に。
あと数か月で大学を去っていく4年生のために、1~3年生が花束を贈り、また4年生が今まで演奏してきた曲をメドレーにして、感謝の気持ちを持って演奏してくれたのである。
4年生の多くがこの曲の演奏中に感極まっていたが、素晴らしい計らいだと思った。
この学校の後輩の先輩に対する気持ちの強さに驚くとともに、この体験が卒業していく者の生涯の思い出として心に残り続けることを願わずにはいられなかった。

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ジョン・ケージ In a Landscape を聴く

2014-11-15 23:25:34 | ピアノ
だいぶ寒くなってきた。秋の虫の鳴く声も消え入りそうに小さく弱々しくなった。もうすぐ冬の到来である。
現代音楽作曲家で有名なジョン・ケージ(1912-1992)のピアノ曲を聴いてみた。



彼の曲は数年前に高橋悠冶が弾くプリペイド・ピアノ(Prepared Piano)で聴いていたが、今回聴いたのは意外な作風の曲であった。
題名は”In a Landscape”「ある風景の中で」。
ジョン・ケージにしては珍しく穏やかで静かな曲だ。聴いていて強い感情を起こさせるような曲ではないが、何か不思議な気持ちにさせてくれる。
淡いオレンジ色の霧のかかった広い牧場にいるように感じる。あるいは天国へ通ずる長い小道を過去を回想しながら歩く時に、聴こえてくる音楽であろうか。心を落ち着かせる作用があるようだ。
1990年代に坂本龍一が作曲して有名になった曲を思い出したが、ジョン・ケージがこの曲を作曲したのは1948年である。とてもこの時代にあるような音楽に思えない。
作曲家の原博によって徹底的に批判されたジョン・ケージであるが、ジョン・ケージの音楽は聴きにくい難解な曲も多いが、例えば”Ad Lib”(1942年作曲)のようなユーモアに富んだ面白い曲もある。
私にはこの作曲家の感性の豊かさが感じられる。
”In a Landscape”と同じような作風の曲に”Dream”(1948年作曲)がある。
両曲ともYoutubeで聴くことができる。”In a Landscape”は再生回数が50万回を超え、”Dream”は100万回を超えていることからも、この曲の人気の多さがうかがえる。



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